00-10 (Japanese Only)

2000年

 

2000.5.8
今回の日本ツアーでは色々な方に出会えたのが本当に収穫です。 NYを2ヵ月離れてしまったのであった仕事もなくなり辛いところ です。 またやりなおしといったとこでしょうか。 救いは、5/17に自分のトリオでNY初ライブを クレオパトラズニー ドル(Cleopatra's Needle)というクラブ/ レストランで行うと いう事でしょうか。 NYで自分名義の仕事はなにしろ初なので気合 い入れたいと思います。

2000.5.14
自分にとってすごい挑戦であると同時にチャンスともいえる 事が ありました。 前にも書いたクレオパトラズニードル (Cleopatra's Needle)の話しなのですが、 なんと6月毎週火曜 日、自分のトリオの出演が決まったのです。 この場所は毎月曜 日、昨年のモンクコンペ優勝したエリックルイス(pf)トリオが 出 ている所なのですが、来月はその隣の日が私バンドなのです。興 奮です。 しかも第三セットはジャムセッションにするので私はホ スト役もこなさねばならぬのです。 心配です。 さらに今月は17日に加え、22日(月)、そのエリックルイス のトラを彼から頼まれたのです。 鼻血です。がんばります。

5/17
CLEOPATRA'S NEEDLE での初ライブ無事終わりまし た。メンバーはDerek Nievergelt(bass),John Lamkin(drums)。 2人共、Boston時代からよく演奏してきた仲間。 手の内は知って いるのだが、自分のオリジナルを彼等とやるのははじめて。 <Derek(b)は現在テレンスブランチャードのバンドをやっている し、 John(ds)はドナルドハリソンのバンドでたたいてる。> リハを前日にやる予定がJohn(ds)がツアー帰りのため休みたいと TEL。 本番日の午後にやろうということだったのがDerek(b)が先 約があったとTEL。 ならば本番1時間前に会場入りして打ち合わ せしようということに。 しかしJohn(ds)は開演5分前に到着。 ドラムを組み立ておわったのは開演予定10分遅れ。 ろくな打ち 合わせをしないまま第1セット始め。 緊張してるどころではなく 笑ってしまうほど普段着の演奏になりました。 変拍子系の曲でボ ロボロになった以外はまずまずの内容になったのでは。 6月の毎 火曜日の演奏で仕上がっていければと思うのであります。 それにしても英語司会がどうにも苦手です。勉強勉強。 次回この トリオのライブは5/22、9時より同場所で。

5/26
夜7時電話が入る。CLEOPATRA'S NEEDLE のオーナー からだった。 一瞬、前回が前回だっただけに、嫌な予感がした。 もしや、6月のギグがキャンセル? 違った。 『今日予定のバンドがキャンセルになったので代わりに やってく れないか?』 突然の仕事依頼に戸惑ってしまった。 今日はオフのつもりでピア ノにもさわっていなかった。 演奏開始は9時から。2時間前の電 話。 『やります。』 金曜日に仕事が入っていない売れないミュージシャンと それを見 透かしたように電話してくれるオーナーとのやりとり。 即、ベー スとドラム探し。いるものだ。ものの10分くらいでつかまっ た。 CLEOPATRA'S NEEDLE は満員。人の話し声が音楽のBGMにな っていた。 今回はしっかり腕時計をピアノの上に置いて3セット こなした。 音楽的には???な内容だったかも。心の準備とウォ ーミング不足。 6月はつながったという卑小な気持とこんな演奏 ではいけないという真摯な反省が 交錯する夜だった。

5/31
  今日はマンハッタンに出て自分のトリオのビラはりを してきた。 ドラムのJohnから常日頃、音楽は演奏だけすればいい っていうもんじゃなく より多くの聴衆を開拓していかなければい けない、そのために宣伝しろ、 ビラ配れ、マンンハッタンにある 日本人が集まるようなところにもチラシを貼れ。 営業努力を惜し むな、と諭される。 マンハッタンにある日本のコンビニは大概、掲示板を設置してあ り、 そこが案外、NYに住む日本人の情報交換の場になっていたり するのだ。 (今自分が住んでいるアパートもそこでみつけたチラ シのお陰) というわけでいって参りました。 場所によってはチ ラシ貼るのにお金をとるところもあったが、大体自由。 ルームメ イト募集やら車売りますのチラシの中に TORU DODO TRIO AT THE CLEOPATRA'S NEEDLE チラシをペタ。もちろんTOWER RECORD等のCDショップ、MUSIC SCHOOLにもペタ。 はじめは少々 てらいもあったがだんだん調子よくなり、 セントラルパークでた むろしてる人達一人一人にビラを配りたくなる衝動に駆られた。 どれだけの効果があるものかは未知数。 ところでNY中心に発行されてる日本人向けの新聞、 OCSNEWSにも 広告を載せておいたのだが最新号をめくるとショック。 毎週水曜 日とミスプリ。火曜日だってば。あ~。

6/6
  CLEOPATRA'S NEEDLE 6月の第1本目。 強風大雨で家を出た途端にズブ濡れに。 天は我をお見捨てになる のね、と恨みつつ会場入り。 それでもお客さんはまあまあ入って いた。 演奏はいままでで一番よかったと思う。 音楽に入り込め た。陶酔感があった。 (前日に3人でリハをしたのもよかったか も。) 演奏終了後、オーナーから8月以降のスケジュールの話しをされ た。 なんと毎週火曜日続けることができそうな感じであった。 (7月はないのですが。) 自分の曲が演奏できる場を持てること は何にましてありがたいこと。 ところでチラシ貼りの効果は?どうも0だったような。 悪天候の 所為にしよう。また街に出て貼ってこようと思う。 もっともバークリー時代の友人が数人来てくれたことはとても嬉 しかった。 密かに尊敬するコンポーザーのルナさん、若く元気の いいギターのセイロ君、 ニーナフリーラン(vo)のピアノで世界中 を飛び回っているタカナさん. (彼氏と共に来てくれた。テナー のクリスポッター氏) ありがとうございました!

6/11
 6月はNYはジャズフェス1色。野外公園で無料コンサ ートも多い。 というわけで、 今日ワールドトレイドセンター内 の広場でおこなわれていた無料コンサートへでかける。 この日は ラテンものがフィーチュアーされていて、 会場へ着いたときに、 LOS VAN VANが演奏していた。 ラテンバンドの最高峰のひとつ。 バークリー時代、ラテン物をよ く聞いていた時があって、 LOS VAN VANのCDも持っている。 生をみて驚いた。ラテンは熱いというが、ほんとそのままだ。 3 人男性ボーカルが入れ替わり立ち替わりあるいはハモッタリして 歌うのだが、 皆筋肉モリモリのマッチョ。喉も強い。スペイン語 でオーディエンスを煽る。 この日35°を超える暑さと設置され たスピーカの大音量。 会場で踊りまくるラティーナ達。 1、2 曲聞いて僕は頭がクラクラしてきた。 スペイン語もわからない、 ステップも踏めない僕は疎外された気になって会場を後にした。 折しもこの日はプエルトリコ祭で街中パレードが繰り広げられて いた。 彼等は男女共に皮膚の露出度の高い格好をして気勢をあげ ている。 世界は広いなーとポカンとする僕。

6/13
  CLEOPATRA'S NEEDLE 6月2本目終了。 実はDerek Nievergelt(b)は5下旬から6月上旬ツアーで、昨日 は久しぶりにNYに戻ってきたばかり。 しかもそのツアー中に愛用 ベースを紛失したのだ。 100万円は優に超える楽器が航空会社の 手違いで消えてしまったという。 保険も掛けていなかったらし い。 さらに練習しておくからと僕の譜面を預かった彼。 その譜面もベ ースケースに入れていたため消えてしまったという。 というわけで、ほぼ初見でスペアベースを手繰る彼の姿はとても 痛々しかった。 トリオ的に1stセットはどうも痛々しい演奏、 2ndセットで多少もちなおしたという出来具合だったように思う。 この日4人シットインにきてくれて、3セット目はジャムセッショ ンとなった。 古い友人の加藤英介(pf)君が昨晩より日本からNYに遊びにきてい て2曲程弾いていった。 時差ぼけをものともせずバリバリ弾く英 介君の演奏に痺れた僕。 彼は体を鍛えるのが趣味で、 NYに来て 最初に探したのが近くにジムがあるかないかということだそう だ。 ギグ終了後、彼とカフェで軽食を食べていたとき、 やおら バッグからプロテインをとりだし、 スプーンで3杯ほど口にかき いれていたのを目のあたりにして、 彼の本気度がいかほどのもの かがわかった。 彼がグランドピアノを片手で持ち上げる日はそう遠くないと思っ た。

6/20
  ベースのデレック氏。彼は6月に入ってから災難続 き。 (1)テレンスブランチャードのツアー中に愛用ベースを紛失。 (2)ツアー中にシカゴで季節はずれのストームで2日間足止め をくらう。 (3)所有するコンピューターにウイルス侵入。 (4)大家から不可解な家賃滞納請求 …そしてクレパト6月_3本目のこの日またやってくれた。 スタートの9時になっても現われない。電話してみると、 「家のカギが壊れて外に出れない。大家に連絡したがギグに間に 合いそうにない。 トラを送った。」 パニクル僕。呆れるばかり。クレパトのオーナーに事情を説明。 9時30分頃トラのベースが到着、結局40分遅れでスタート。 あまりオリジナルはできずスタンダードセッションのようになっ た。 ため息でます。 しかしながらオーナーから7月_2本そして8月の毎週火曜日をい ただけた。 セーフ。

6/27
   6月最後の"Cleopatra's Needle"終了。 先週より、風邪をひいてしまい2、3日前まで味覚が失われてい たのが、 この日は聴覚もやられてしまったらしく、 音がこもっ て聞こえ、少々やりにくかった。 今のところベートーヴェンと、 はりあう気概は全くないので早く治ってほしい。 ところでDerek Nievergelt(b)のベースは無事アトランタで発見 されたらしい。 彼、因みに最近、新しいベース(60万円相当)を購 入した。強気である。

6/28
 LOS VAN VANが演奏した同じ場所で演奏した。 (6/13 参照) Lower Manhattan Cultural Councilというところが企画する Festival of Creative Communities というお祭りに参加した かたちである。 Gary Wofsey&His Jazz Orchestraのピアノ担 当。 野外、無料、お昼時ということで、ランチ片手にブラッとスーツ 姿のビジネスマンが多く聞きに来ていた。 それはさておき、このビッグバンドのリーダーGary 氏について書 かない訳にはいかない。 年齢40歳位。白人。トランペッター、コ ンポーザー&バンドリーダー。 ハイノートヒッター。ローランド カーク奏法というか、2本同時にトランペットを吹き分ける。 (3 度でハモッて吹ける。) ベルがチューバ並に大きい特注トランペ ットも吹く。 ストラヴィンスキーやドビュッシーの名曲を、 ジ ャズビッグバンド用にアレンジしたレパートリーが多い。 (この 日はストラヴィンスキーの火の鳥を演奏した。) 日本に住んでい たことがあり、日本語が多少喋れる。 (彼のオリジナルの曲名で “OHISAMA”やら“HANAKO COCOA”なるものがある。) 過剰なパワーを持った才人であることには違いない。 ただ僕の感 覚と相当違うところで音楽をしているなぁと思ってしまう。 スト ロングな人が多いNY、こんな人と知り合えてそれはそれで収穫。

7/5
   クレパト7月_1本目。お客さんが妙に少なかった。 ドラムスのジョンは、車で来る途中軽い接触事故に会い45分の遅 刻。 先にベースとデゥオで1セットを始めた。 メンバーが定刻にきちんとそろうというのが、これほどまでに難 しいものか。 トリオでこうだとすると、ビッグバンドのリーダー は並大抵の神経ではやってられない。 特に怪我もないジョンが、 とにもかくにも来てくれたことが有難い。 演奏は良くなってきてると思う。 ところでこのギグ、1時間を3セット、休憩30分2回、飯無 し、 ペイはそれほど高くない、あまり好条件とはいえない。 しかし、自分の音楽が好きなようにできる。充足感がある。 芸術 的満足度とギャラが比例しない。比例してる人がいわゆる 一流と いうことなのかしら? 比例させたい。

7/12
 7月のクレパト終了。 この日ちょっとした事件があった。 演奏中、あるお客さんがフィ ルムを回していたのだ。 最初にドラムのジョンがそれに気付きクレパトのオーナーに撮影 を止めるように頼んだ。 セット終了後、そのお客さんのもとへジ ョンは詰めよりテープの消去を求めた。 そのお客はどこだかの航空会社のプロモーション用に撮ろうと、 ほんの2、3分だけテスト撮影しただけだという。 ジョンは、自分達はプロフェッショナルなミュージシャンであ り、 トオルのオリジナルを無許可で撮影または録音されるのは困 るとまくしたてた。 その客は消去に応じ、そそくさと立ち去った。 ジョンは昔、あるボストンのクラブで演奏中同様なケースがあ り、 知らずにドイツのラジオで演奏が放送されたことがあった と、 非常にこういう問題にはデリケートになっていると教えてく れた。 全くこういった著作権絡みの話しに疎い僕は、 ジョンのいうこと を理解するのに少し時間がかかった。 僕がそのお客に唯一放った言葉は、ジョンがテープを渡すか消す かどっちかにしろ! と責めたてた後に発した ”プリーズ” だけであった。 情けないが、こんな状況に陥った時の自分の処理 能力の低さに呆れるばかりであった。

7/16
   先週の金、土の2日  METRONOME(21th st on Broadway)というレストランで演奏。 J.C.FAULK というジョージア州出身の 黒人男性ヴォーカルの 伴奏。 関取並の体格、巧みな話術、渋い声。コテコテのブルース を歌い上げる。 ベース、ドラムも黒人。そこに一人 謎の東洋人の図。 こういうセッティングでは、クレパトでやる時のような、 チック コリアとブラッドメルドーを噛ったようなプレイをしては、はま らないと思う。 久しく弾いてない“オスカーピーターソンフレーズ”を中心に、 努めてブルージーにと演じてみた。 仕事なのだ。仕事せねば。 黒人のお客さん達に、「イエイ サウンズグッド」 と言われて も、本当なのかどうかわからない。 よく言われる、 “日本人がブルースを弾くというのは、アメリカ 人が演歌を歌うようなものだ” という永遠の命題を突きつけられ たギグであった。 (NYはなんでもありだ、という説もあるものの・・・・・)

7/26
   密かに、今年の目標は生活の向上であった。 それが今月一気に達成されてしまった感がある。 今月手に入れたもの。 譜面台、バリカン、チェス盤、電子レンジ、クーラー、そして 車。 これらすべてボストン時代からお世話になっているテナーサック スの上村泰一氏 からの贈り物である。($120彼に支払ったのみ。) 彼はバークリーを僕とほぼ同じ時期に過ごし、やはりNYへ進出し てきた同志である。 ヴィザの事情でやむなく帰国することになり、ムーヴィングセー ルの一環で上記の物をいただいた。 感謝! 今後の活躍期待してます。

8/1
    8月入って最初のクレパト。 ベースのデレックがまたやってくれた。 前日3人でリハをして気合い充分で臨んだ1曲目。 オリジナルの ブルース、ピアノソロ後いざベースソロ。 ボガン! というけたたましい音と共に、 彼のベースのブリッジ 部分がはずれ落ち、 弦は切れ 演奏不能となった。 すぐ後テーマに入り中断。協議。オーナーの苛立つ顔。 ドラムのジョンはすぐに車でデレックの家まで行って、 スペアベ ースを取りに行こうとしたが、 オーナーがトラのベーシストを呼 べと譲らず。 結局、クレパトから1ブロック離れた所に住む、 日本人女性ベー シストがつかまり、デレックは帰った。 (その間、ソロピアノでつなぐ僕。) 何故にトラブルがこのギグにつきまとうのか? 特にベースを無くしたり(後、無事見つかった)、 鍵が壊れ家か ら出れなかったり、 そして今日のベースが壊れるにいたったデレ ック。 多分呪われてる。そうとしか思えない。

8/10
   KENNY GARRETT(Alto sax)と出会うの巻 ?8月2、3日に自分のトリオのデモのレコーディングをした。 メンバーはクレパトでやっているジョンとデレック。 ドラムのジョンは最近 Kenny Garrett(as) のバンドをやりはじ めている。 7月下旬、彼が Kenny にこのレコーディングの事を口にしたら、 Kenny はプロデュースすることに興味を示した。 ジョンから Kenny の電話番号をもらいコンタクトをとる。 まずは日本語で挨拶。(彼の日本語能力は僕の英語能力並かもし れない。) 『何かピアノ弾いてください。』 受話器越しに自分の曲を披露。 話しが、いくら払えるのかになった時から英語に。 そもそも全く面識が無い関係。しかもまだデモレコの段階。 どう もうさんくさいと思った。金が欲しいだけか?と思った。 結局このプロデュースの話しはなくなった。少しホッとした。

8月2、3日のレコーディングは、前回の自分のCD “Melancholy Cats” と同じボストン郊外にある『PBS Studio 』で行った。 オリジナル8曲と1曲スタンダードの計9曲。無事終了。 8月4日、ジョンより電話。 『Kenny がトオルを来週の土曜のギグに使ってみたいといってる ぞ。 今すぐ電話しろ。』 Kenny は月曜日に自宅でリハをするから来いという。演る曲目を 教えてもらった。 早速CDを購入。この時点で自分のデモのことは、どうでもいいよ うな心境になった。

8月7日、いざ Kenny 宅へ。彼はニュージャージー郊外に住ん でいる。 でかいマンションの8階。 練習室用の部屋にはアップライトピア ノ、ドラムセット、べースがそろっていた。 壁には、マイルスと 共演してる写真が飾られていた。 『どの曲ができる?』 4曲ほど採譜しておいた。彼はドラムを叩始めた。ポリリズムを やおら叩いてくる。試されてる… と冷や汗かきながらピアノをひ いた。 10曲程覚え込まされた。 自分のデモも聞いてくれ、あるひとつ の曲を気に入ってくれ、『今度譜面をもってきてくれ、吹きた い』 と言ってくれた。 昼12時半から夕方5時半まで濃密な時間を過ごした。 別れ際に、『実はもう一人試したいピアノがいるんだ。明日彼が 来る。 水曜日にリズムセクションをよんでセッションする。君と 彼どちらがいいかそれで判断する。』

8月8日、今日はクレパトの日。 先週からの疲れがたまってい たので、ゆっくり寝ようと思っていたところ、朝の8時頃電話。 『今日来る予定のピアニストがこれなくなった。 もし今日やるこ とがなかったら、家にきて曲合わせしないか?』と Kenny。 断われるはずがない。再び Kenny 邸へ。 この日は3時間程合わせた。彼は日本のビデオがあったら貸して くれという。 「もののけ姫」を持ってきてみたいなら貸すよとい われ、「ロングバケーショ ン」はよかった等と言う。徐々に Kenny がケニーさんになってきた瞬間である。

8月9日
3日連続でケニーさん家に通う。 もう一人のピアノは何度か会ったことのある、ロバートという若 い人だった。 ドラムはイエロージャケットで叩いているマーカス だった。 ベースなしでセッションがはじまる。 ロバートは前に ケニーとギグしてるらしい。 2・3曲、目を見張るものがあっ た。 自分もある程度、曲を覚えてしまっていたので、だいぶ慣れ てはきていた。 ひととおり終わり、僕はケニーに別室に呼ばれた。 『どう思う? 準備はできてるかい?』 といわれ、また 『ある曲 は彼のほうがいいが、ある曲は君の方がいい。』 と言われた。そ して 『今晩電話する。』 と言われ、家に帰る。 ものすごく落ち 着かなくなった。 電話を待つ。 しかしなかなか、かかってこな い。 午前2時。ケニーより電話。 『難しい選択だったが、ロバートを今回は使うことにした。 しか し曲を練習しておいてくれ。』 力が抜けた。相当期待してしまったところもあって残念であっ た。 しかし、この3日間本当に特別な時間を過ごす事ができて満 足している。 NY生活2年が経ち、だいぶ面白くなってきた。

8/22
   KENNY GARRETT(Alto sax)“以下ケニーさん”との交流が続 いている。 13日の日曜の夜に彼より電話。 14日昼より彼の家でデュオ。 同様に 17日、18日そして21日とデュオセッション。 ケニーさんは次々に  曲 をもちだしてくる。 新曲であったり昔に書いたまだスケッチのもので  あったり。 そして僕にそれらに対して意見を求めるのだ。 『俺はオープンだから、何でも言ってくれ。』 ケニーさんの創作過程におけるこの謙虚さに驚かされる。 『この曲はどうもバランスがよくないよね?』 『同じコードの繰り返しで飽きるかな?』等と聞いてくる。 21日にいたっては、 『トオルがいいと思った曲を言ってくれ。』 と今までチェックしてきた曲を僕の好みでふるいにかけようというのだ。 “これはいいです”といったものは2001と書かれたフォルダーに入れ “これはちょっと・・・”といったものを外した。 こういう事態を僕はどう解釈すればいいのかわからない。 とにもかくにも ケニーさん家に次は23日の水曜日に行く予定。

8/27
   冴えない話。

(1)前回の演奏時(8/22) にオーナーより9月の毎週火曜日続投 を言い渡された。 ところが昨日友人がクレパトで演奏しているのを見に 行った時、 店頭にある9月のスケジュールをチェックすると、そこに toru dodo の名が無い!! オーナーに問いただすと“忘れていた”とどうにも解せない対応。 11月以降のブッキングの可能性は言われたものの、 オーナーに対する 不信感が募った。嫌な感じ。 次回8/29のライブでひとまずクレパトは休止。

(2)今月の頭にとったデモテープの内容にどうにも納得がいかずやり直 しを決断。 日取りは未定。 振り替えると8月はハプニングしていたようで、実は全く冴えてない“月” だったような。 今年の夏も終わりです。

8/29
  クレパト8月最後のライブはベースに井上陽介氏をお迎えして 楽しく終了。 徐々にお客さんも増えてきて、 バンドサウンドもまとまっ てきた矢先のしばしの休止。残念。 オーナーより11月の毎週火曜日をいただき、とりあえずは心の平静を保 つ。 9月・・・・・路頭に迷うか?

8/30
   生きてるんだという実感があります。 この日ケニーさん宅セッションによばれており、いつものごとく車を転が す。 ところが、ニュージャージー州の高速道で突然エンジンが止まった。 そのとき僕は、片側4車線の右から3つめのレーンにいた。 普通は路肩は 右側にあるものだが、そこは左にあった。 もし路肩が右にあったなら、と ても車線を2つも変えてたどり着くには、 とても間に合わないほど車は減 速していた。 もともとハザードランプが故障でつかないということもあり、 方向指示器 で無理やり、左へ車線変更。 後続の車がかろうじて路肩からかわしてくれ た。 米国は右側通行なので左側のレーンが追い越し車線になっている。 最もス ピードがでているレーンを惰速で渡るのは怖いのだ。 とりあえず無事に路肩に到着。修理サービスに救援要請。 待つ間、ハイウ ェイパトロールに尋問されたり、 ケニーさんに事情説明してセッションキ ャンセルしたり。 携帯電話を押す指が少し震えていた。 結局、救援隊に、近くにある修理工場まで牽引してもらい、 車をそこに置 いて、バスと電車を乗り継いで家に戻った。 故障原因はその修理工場から の電話待ち。 生きてるんだという実感があります。

9/20
   久しぶりの近況報告。箇条書でまいります。

1)車、廃車処分。エンジンが死んで、修理不能ということであった。   1ヵ月半の短い車生活であった。奇しくも廃車にした日に   正式な免許証が家に郵送されてきた。どこかに車が落ちてないかと   道を見渡す癖がつく。

2)ちくま文庫よりでてる幸田露伴の短編集を読破。   日本文学の粋がここに凝縮されてるようだった。   なんてことない話しをここまで膨らませて   ひとつの作品をつくる力に感服。

3)映画「砂の女」を観る。阿部公房自身による脚本、武満徹音楽   岸田今日子主演、勅使河原宏監督による64年の映画が公開されていて   久しぶりに映画館で映画をみた。60年代の日本てすごく色々な分野で   才能が開花していた気がする。同じ日に大島渚の青春残酷物語も   やっていたのだがはしごする体力と財力がなかった。

4)ケニーギャレットに米の炊き方を教える。   留守電に『質問があるのだけど、米1カップに対して水はどれだけ   必要なのか教えてくれ。』と入っていた。次の日ケニー宅セッションの   合間に実施指導をした。米1合はだいたい1/2カップくらいだと   見込み、ケニーさんの炊飯器で米2合を炊く。少し水が多かったか柔ら かめの   炊き上がりだったがケニーさんご満悦。日本人の面目を保つ。

5)オリンピック観戦。アメリカ人が出場しない競技は放送されない。   よって柔道がみれない。柔ちゃんの金取りみたかったなぁ。

というわけでなんだかのんびりとした9月です。生活の不安がよぎるのです が・・・

10/04
最近ジャージーシティ(NJ)で演奏する機会が増えた。 共演する人達の年齢層かなり高め。 ドラムのドンカーター氏は(ベースのロンカーター氏ではない) なん でもベトナム戦争で勲章をもらっているらしい。 ドン氏は数年前に友 人のテイラー氏と共に プロダクション会社を設立しジャージーシティ の ジャズ振興に努めているらしい。 どういう経路で僕の電話番号が伝わったかは謎だが 先月くらいより週 2、3日くらいで仕事を頂いている。 しかしながら気が重い。 演奏内容がしょぼしょぼなのだ。 特にベー スの方、もう弾けないのだ。 かなりの高齢であり、いたしかたないの かもしれないのだが、あまりにもひどいのだ。 たまりかね、 先日テイラー氏にあのベースを使い続けるのなら僕はや めさせてもらう と打診したところ、彼を使う理由を教えてくれた。 まず長年の友達ということ。 そして彼は車を持っているからというこ とであった。 ドン氏は車がないのでドラムを運ぶのに彼が必要という ことであった。 しかし、彼がもはや演奏できる状態でないことはわか っており、 ドン氏も近く車を購入するということで、 あのベーシス トはお役ご免になるらしい。 僕もキーボードとアンプを担いで電車で通う身。 このベースの方に途 中の駅まで車に載せてもらったこともある。 親切ないい方だ。しかし 弾けないなら引退すべきだと思う。 彼がこの先ベース以外でどうやって生業をたてていくのかは知らな い。 年老いて弾けなくなったミュージシャンまじかに見るのは辛い。 最近僕は気が思い。

10/05
ケニーさんと僕の関係は、どことなくありがちな 男女 の恋愛関係のように思えてくる。ケニーさんは男であり僕は彼に恋す る女である。 8月以来、僕はケニーさん宅でセッションを何度となくしている。 彼 の新曲のチェックが主な目的である。 先月末に「10月のこの日は開いているか?」 と言われ「ギグがある んだ」 と言われ、その気になっていたところ、 今週に入って「他の ピアノに今回は頼んだ」 と言われた。「また違う機会に頼むかも」 と言われた。そして「来週またいつかセッションしよう」 と言われ た。 僕的には、やはりケニーさんにギグがもらえたら と期待してしまう。 この状態って “デートはたくさん誘ってくれるけど、本当は私よりあ の人のほうが好きなのよね、 私の体だけが目当てなのかも” と思う 女性心理と似てるような気がする。 まぁ、実力不足はじゅうじゅう承知の上ですが。練習練習。 もっとも最近、 ケニーから電話が来た時は、“そうかそんなに俺とや りたいか” と男役になりきる訓練をしている。

10/14
ケニーギャレットの ギグ をやるの巻 マンハッタンから車で北上すること約2時間半。 あのロックコンサー トで有名なWoodstockという街の Kleinert-James Arts Centerとい うホールで ケニーギャレットカルテットの一員として演奏した。 メンツはナットリーヴス(b)、ジョンラムキン(ds) そして私(pf)。 9月頃にもしかしたらギグ頼むかもとケニーからいわれていたものの 10/4の午前中の電話でやはり今回は別のピアノに頼むことにする といわれた。 その夜、電話でやっぱり君を使うといわれた経過がある ので、 実際にこの日が来るまで本当に自分は演奏するのかどうかあや ふやであった。 ツアーマネージャーさんが家に向かいにきてくれたと ころでようやく、 やはり演奏するのだという実感が湧いた。  午後5時、サウンドチェック。ここで初めてナットリーヴスに会 う。 この時点で自分のテンションは一気にピークに。  6時に夕食。正直すぐに演奏したかった。ご飯が喉に通らない。 ツ アーマネージャーにどうして喋らないのかと不審がられたが、 これは いつものこと。テーブルに4、5人囲んで談笑できるほどの 英語力会 話力がないだけ。日本人同志だったらもう少しは喋る。  7時30分、近くのホテルに戻り着替え。 落ち着かないといつも部 屋をうろうろと歩きまわる癖があるのだが、 この時くらい歩き回った こともないであろう。  8時30分、会場入り。 開演数分前に、突然ナットが控室のドアを 締切り、 バンド全員で手をつないで輪になり目を閉じ精神集中をし た。 自分の隣はジョンとツアーマネージャーで、 ケニーと手をつな げないで少し残念であった。 3分くらいは目を閉じていたように思 う。 途中目を開いたらまだ皆目を閉じていてやばいやばいと目を閉じ 直したりした。  9時開演。『2downn&1 Across』というケニーのオリジナルでス タート。 覚悟はしていたが、皆エンジン全開。1曲目で既に息があが ってしまった。 指の爪もはやくも痛みだしていた。  2曲目スローなブルース的なフォームの曲ではずかしながら、 ロス トしてしまった。 相当ゆっくりのテンポであったこと、 すでに肉体 疲労で集中できなくなっていたこと。 パニクッてしまった。  3曲目快速『ジャイアントステップス』。 コンピングがめちゃめち ゃになりまたまたパニクる。  4曲目は『Delta Bali Blues』。 ここからようやく落ち着いて弾 けるようになる。  5曲目『Back Where You Started』 でお客さんにラップをやら せ、ケニーのエンターテイナーぶりをアピール。  休憩。 ケニーにグッドといわれたもののロストしてしまった失敗が 悔しかった。  2ndセットはだいぶ落ち着いていた。 早い曲は必死で食い下がり、 最後の曲『Sing a song of song』 では汗で落ちる眼鏡を取り外し、 裸眼プレイでお客さんをもりあげてみせた。 終わって150人程のお 客さん総立ちで拍手をしてくれて、 最高に幸せであった。  ナットは別れ際、 「ケニーは君のことを気に入ってるよ」 と言っ てくれたり、ジョンはいつもの調子で 「トール!! トール!!」 とハグしてくれ、ケニーは 「またセッションやろう」 と言ってくれ た。  正直なところ、もうこのバンドやってもやらなくてもいいという心 境。 体力つけないと早死にしてしまうと思った。 ケニーのあのパワ ーはどこからきているのかとほとほと感心。 ものすごくいい経験をさ せてもらったことにとても感謝の気持でいっぱい。 今年はこれで終わ った。もう正月気分の百々です。

11/7
先月、BIRDLANDへ『トシコアキヨシBIGBAND』を見にい った時のこと。 アキヨシさんはこの日、日本に演奏しに行っていたの でピアノレス。 旦那さんのルー・タバキン(テナー、フルート)がし きっていた。 おしゃべりのうるさいお客さんがいた。 タバキンは曲の合間に度々そ の一団に演奏中の会話は控えてくれと注意した。 しかし彼等はおしゃ べりを止めなかった。 バラードのカデンツァ中、タバキンは演奏を止 め、 『出て行ってくれないか。』 と怒鳴った。店の人もでてきてそのお客さん達を説得し、彼等は退場 した。 7日、"Cleopatra's Needle"(以下クレパト)で久々のトリオギグ。 この日は折しも大統領選挙の日。 クレパトにはバーカウンターに大き なテレビスクリーンがあり、 終始開票速報を告げる映像が流れてい た。 お客さんはスクリーンをみてはゴアリード、ブッシュリードと言 っている。 世界のリーダーが決まろうとしている最中に、 しけしけ ピアノを弾く自分の小ささよ。 タバキンならテレビを消せと叫ぶであ ろうか?

11/14
新しいアメリカの大統領が決まらないくらい、 自分の トリオのベースが決まらない。 といっても、やりたい人はいっぱいいるのだけれど。 やってみたい人 は大概ツアーでNYにいなかったりするのだ。 音楽的には固定メンバー で深めていければベストだが、 今の所、NY新参者としては、 色々な 人と演奏したほうが、名前を覚えてもらえるという処世術的観点を重 視。 クレパトでこれまで中村健吾さん、井上陽介さん、 そして、この日は 北川潔さんと共演を果たした。 NYでの日本人ベーシストの活躍ぶりはいうまでもないが、 なかでもこ の3人は僕の尊敬する方々。 たいしていいギャラでないのにも関わら ず、 僕の訳の分からない曲を初見で弾いてくださる事に恐縮。そして 感謝。 個人的には幸せです、はい。

 

11/21
クレパト自分のトリオ。 ベースに井上陽介さん、ドラムにポールデイビスを迎えて。 日本からNHKFMのセッション505の司会者、小川もこさんが聞きに来 て下さった。 紹介してくれた陽介さんありがとうございます。

11/22
ロシアンバーにて内田豊バンド。 ドラムの豊君のバンドの初ライブ。 新しくできたウエストヴィレッジ にあるバーで、 サックス プラス ピアノトリオの4人。 メンバー がそれぞれ曲をもちより、アヴァンギャルドっぽい演奏。 この日氷点 下を記録したのに暖房が故障して、 とても会場は寒くつらいものがあ った。 しかしロシア人が多く、寒さ慣れしてるのか、 コートを着て 酒を飲むお客の姿に驚かされた。

11/23
ジュンミヤケバンド、クレパトライブ サンクスギビングの日。テナーのジュンミヤケさんバンドのギグ。 ド ラムが小山太郎さん。 ボストン時代ルームメイトだったギターの本間君が、 彼女さんと遊び にきていて、 その彼女さんの友人ということで紹介された人が、 タ レントの渡辺まりなさんだった。 ミーハー全開の僕は写真をとっても らったりした。

11/24
Joey Berkleyバンド、17Mainにて NYの北、ウエストチェスター郡に キーボードアンプ持ってはせ参じ る。 ジョーイはテナー吹き。 ドラムはケニードリュートリオのトニ ージェファーソンで楽しかった。

11/25
 Jason Franklin, メトロノーム&トーチ このページに前述したブルースシンガーのライブ。 この日、一晩に二 つギグがあり計8時間ブルース漬け。

11/26
ドンカータートリオ、ルーシーズ ジャージーシティーでのレストランでのブランチギグ。 最近ベーシス トが変わりやりやすくなった。

『疲労。頭の中が音符だらけ。 休養が必要。 自分のプレイがバンドごとに違うのに 驚く。 節操がない。』

11/28
クレパトでの自分のトリオ今月最後の日。 ベースにエリックリードトリオのヴィンセントアーチャー、 お客さん が少なくて変にプレッシャーを感じながらも演奏をする。 シットイン しにきてくれた人の方が、そうでないお客さんよりも多かった。 演奏後、マスターと次回のブッキングについて話したが、どうもつれ ない返事。 僕の使うドラムを気に入ってないらしい。 ベースは色々 な人にお願いしているが、 ドラムに関してはジョンラムキンをメイン にしてきた。 彼のドラムをイメージして曲も書いたし、演奏してて楽 しい。 彼目当てに来てくれるお客さんもいる。 確かに彼はクレイジ ーだと言われているし、 ウエイトレスにちょっかいだしたり、 よく 遅刻したりと態度悪いかもしれない。 音もでかいし。 マスターは月 曜のエリックルイストリオのドラムはいいから、 彼にすればいいとか いう。 トオルはいいよ、音楽もいい、ただドラムがねぇ。 はい、それじゃ代えますから仕事させてください なんて誰が言えます か? これって体のいい首切り? ということでクレパトの自分のバン ドでの今後の出演は未定。 (12月はジュンミヤケさんのバンドで毎週日曜に出演します。)

12/11
 SOHOにあるKAVEHAZというクラブで自分のトリオの初ライブ。 99年の夏頃、デモテープをここの店の人に渡してあったのだが、 今年の11月頃、出演の申し出の電話が来た。時間がかかるのも 確かだが、本当にテープを聴いてくれてブッキングしてくれたという ところもなんだか誠実な店のポリシーを感じた。  バンドメンバーはまた突然の変更を余儀なくされた。ベースの ヴィンセンテは2日前にエリックリードの仕事が入ってだめだと、 ドラムのラムキンは当日の夕方になって体調不良でだめだと。 それでも代りのメンツはみつかるものである。(ベースにジョン・サリバン ドラムにポールデイビス)  自分の演奏はどうもこの日調子が悪いというかどうも音楽に 入り込めない感があった。自分の曲に飽きがきてるのかも。 ただし、この日色々ゲストが来てくれてそれはありがたかった。 テナーのハンコックバンドにいたエリデジブリ、 ドラムにジョシュアレッドマンバンドの グレゴリーハッチンソンがシットイン。  ギグ終了後バンドの皆とZINCBARへ直行。ギターのロン・アティフ トリオを聴きにいく。ドラムがマーカスベイラー。彼とはケニー・ギャレットの 最初のオーディションで会った以来。演奏をじっくりと聴くのは初めてであっ た。 驚いた!彼凄い。こんなのといっしょに自分はついていけるかどうか 不安になった。トレイドする時カウントするのが非常に大変。 8小節の間にいったい何を考え叩いているのか。 それとシットインしにきてた名前がわからなかったけどブッ飛び系の ピアノの人がいてこれも驚いた。いやーNYは凄い所だなーと再認識。