00-10 (Japanese Only)

2001年

 

01/01
  12月最後の週にスイートベイジルでケニーバンドが 出演していたので見にいった。 メンバーはクリスデイブ(ドラム)、チャーネットモフェット(ベー ス)、ピアノはヴァネルブラウン。 ヴァネルは現在ほぼレギュラーに なっているピアノで、 自分が10月にケニーと演奏したコンサートの プログラムにはヴァネルの名が印刷されていた。 生で聞くのは初めて であったのですごく興味深かった。 実際すごく個性的であった。 複 雑なハーモニーに加え、クリスデイブのドラムに負けないタイトなコ ンピング、ユニークなソロ。 ケニーが気にいる理由がわかった。 そ れにしてもクリスデイブすごいドラムだ。 これと演奏ができないとケ ニーバンドのレギュラー入りは難しそうだ。 和音の勉強、コンピング の練習しようと思う。
大晦日はテナーのジュンミヤケさんバンドでクレパトだった。 クラブは超満員でバーテン、ウエイトレスは増員されていた。 何をど う弾いたところで人の話し声の方が大きいので、無責任な演奏に終始 した。 無事2001年を迎え夜1時にギグ終了。 この日深夜のジャムセッションが引き続きあるということで、少し残 っていようと思っていたところ、 そのセッションバンドリーダーであ るロバートというドラマーが 『頼んでいたピアニストが来ないかもしれないのでやってくれない か?』と話しかけてきた。 セッションバンドは もし会場にピアニストがいれば交代できるので結 構楽なポジションでありうるのだが、 この日だれもいなかったため、 朝の4時まで結局弾きっぱなしであった。 世紀の移り変わりの夜9時から朝の4時まで計7時間ピアノを弾いた という事は、 ピアノ弾きとして幸せなことかもしれないが、 一方で こたつに入って家族と紅白歌合戦をみて除夜の鐘を聞くという幸せも あったのではと思う、 外国で暮らすいち日本人の心境でありました。
さて2001年はどんな年になるのか。 この近況報告の展開に注目です。 でしゃばりエディターさん今年もよろしくおねがいします。

01/09  ギターの増尾好秋さんとお会いした。
今月、ジュンミヤケさんバンドで Cleopatra's Needle で演奏させて いただいているのだが、 1/7、8と二日連続で増尾さんがゲスト参 加してくださった。 実をいうと6日に増尾さんの経営するソーホーに あるスタジオで ジャムセッションもしたので、3日連続で共演させてい ただいた。 プロデューサー業、スタジオ経営等でしばらく演奏業から離れていた が、 ここ数年再び演奏への情熱が高まってきたという増尾さん。 50 歳を越えいまだにシャープな体型を保ち、 話す言葉には奢り高ぶる といったことがまるでなく、 私のような若輩者にやさしい声をかけてく ださり、 もうなんというか綺麗な人なのだ。 演奏する以前に人間の 質が試されてしまっているようで 自分の卑近な心を恥じたわけで。 クレパトで1月19日と21日再び共演させていただきます。

01/20  <最近アメリカ怖いの巻>

(1)ジャージーシティのとあるレストランでよく演奏してると前に 書いたと思うが、 そこは黒人が多く住むエリアにある。 先週の土曜日の夜ドンカーター(ds) さん達と仕事帰りにそのレストラ ンに立ち寄ったときの話し。 その日は、黒人のスタンドアップコメデ ィアンがショーをしていた。 因みに僕はイアリア系白人の人とハイチ 人と黒人(ドンカーター) と一緒だったのだが、 ぼくらが店内に入 るや、そのコメディアンは人種ネタを始めたのだ。 白人ネタ、ハイチ ネタ、そして日本人をはじめとするアジア人ネタ。 英語力の問題でわ からない部分もあったが、 馬鹿にされているということは感じた。 (帰り道ハイチの人はカンカンだったし、 イタリア系の人はK.K.K. を呼ぶぞ!といきまいていた。) お客は全員黒人でそういうネタに爆 笑していた。

(2)1/15(月)はマーチンルーサーキングJRを記念する休日。 (そういえば上のレストランは マーチンルーサーキングJRドライブと いうストリートにある。) 昼から遊びに出かけて夜9時頃帰宅。 気付くと開けた覚えの無い窓が 開け放たれている。 気付くと自分のMDがなくなっている。 気付くと ケーブルテレビの受信器がない。 収納部屋をみればバッグのジッパー は開けられている。 泥棒に入られたと認識するのに数分もかからず直 ちに110番ではなく911番。 (初めての911コール!!) 5分くらいして2人のポリスメンがやってきて事情聴取。 この日、う かつにも窓の鍵を開けたままで外出していたので、 そこから火災非常 階段を通じて犯人は侵入したようだ。 警官によれば最近このエリアで 空き巣の被害が数件でているということだった。 ブロンクスに住んで いるということを忘れるくらいこのエリアは安全な気がしていたの で、 スキがあったといえばそうだと思う訳で。 次の日、外部の侵入を防ぐ為に柵を買って窓枠にとりつけた。 (しかしながら、これを付けると火事があったときに 中から出れなく なると気付いたのは取り付け終了後であった。)

(3)1/19クレパトでジュンミヤケさんバンド。 空き巣話しをメンバーにすると僕の被害はまだ小さい方だと思い知ら された。 持ち物根こそぎ持ってかれた人の話しや車を盗まれた話しを 聞くと、 MDとテレビの受信器だけですんだ自分はまだラッキーな方だ と思う。 帰り道、最近友達になったテナーのロウ君と アメリカやっぱ怖いよー なんて話しをしていた。 朝3時。それじゃ気を付けて、とハーレムに住むロウ君 先に地下鉄を降りる。その10分位後に僕の携帯が鳴った。 『アパートのエレベーターで襲われました!』 ロウ君だった。ホールドアップされ財布の現金をとられたという。 怪我はしてないということだった。 こういうことがあると後から精神 的につらくなるもの。 とりあえず大事にいたらないでよかった。

02/10 
 2月6日と8日にドンカーターさんバンドで仕事。 ジャージシティのとあるパブリックスクールで ジャズの歴史をレクチャーそして演奏という内容の仕事をした。  レクチャーを担当したのは、ドンバンドをマネージメントしている テイラープ ロダクションの代表取締テイラーさん。 生徒は高校中退し再び単位取得を目 指す社会人や、 移民の人が多く、英語が出来ない人も多いということだっ た。 学校側は、こういった人達にジャズというアメリカの 特に黒人の文化を 啓蒙するといった趣旨で、 テイラーカンパニーに白羽の矢があたったという ことらしい。 (2月はBlack History Monthということになっている。)  しかしながらその内容は、 なによりもテイラーさんの ジャズに対する知識 の無さを露呈するお粗末なものであった。 付け焼き刃で揃えたと思える資料 を棒読み。 アートブレイキー、 ジョーザヴィヌルといった有名ミュージシャン を読み間違え、 ビバップ時代の代表曲として、 マイルスのSO WHATを演奏 させ、 ラグタイム期の代表するミュージシャンとして ジョンコルトレーンをあ げるといった始末。 (因みにテイラーさんはニューオリンズ出身の黒人。)
 知っている人が聞いたらあきれるレクチャーを受ける生徒も哀れだが、 こ んな程度の講義を受け入れるアメリカのパブリックスクールの質も疑問だし、 なによりこのテイラーグループの一員として演奏した自分が恥ずかしい。  ドンカーターを取り巻くジャージーシティの人々には 色々とおかしなところが 多く、困惑させられる事が多い。

02/28
   もう2月も終わり。 ばたばたと忙しく与えられた仕事を漫然とこなしていったような。色々な場所で演奏した。55バー、NJのTrumpetsといったクラブから カレッジのラウンジ、病院、裁判所まで。大雪で目的地までたどりつけなかったり、演奏中キーボードが故障し3セット中 2セット呆然としてたこともあった(55バーにて)。  そんでもって今、間近に迫った自分のピアノトリオのデモレコに備えてます。 昨年の夏にボストンで一度録音したものの、納得いく出来でなかったので 泣く泣く (財政的に)やり直すことにしたもの。今回はドラムは前回同様ジョン ラムキン そしてベースはルーベンロジャースがやってくれることになった。  一昨日ルーベン宅でリハをした。ジャージーシティに最近家を購入した彼。 さすがに売れてる人は暮らしぶりがすごい。単純に部屋の物量に圧倒された。 車も持てず、キーボードを持って地下鉄移動し腰が痛いと嘆く、今月29歳にな ったわが身をふりかえるに、この若きルーベンの余裕が羨ましい。 こんなこと言ってないで練習しないと。

03/06  <デモレコ無事終了の巻>
 前述した自分のピアノトリオのデモレコーディングを3月4日と5日に行った。 スタジオはソーホーにある、 増尾好秋さんの所有するその名も“The Studio”。 昨年夏のボストンでのレコーディングでやった曲をすべてやり直した。 自分のオリジナル9曲、スタンダード1曲。  このレコーディングに向けてものすごくテンションを高め、 備えていたつもりがこともあろうに2日前より風邪をひき、 前日は熱で寝込んでしまう有様。 さらに天気予報は録音予定日が数十年ぶりの大雪に見舞われると、 嫌がらせのように連呼。  しかし蓋をあけてみれば、雪はそれほどマンハッタンには降らず、 風邪薬はその効能をいかんなく発揮したわけで。 べースのルーベンはすごかったし。 ドラムのジョンはいくら2日とも1時間遅刻しようが、すごかったし。 要は自分のピアノが問題な訳で。  自分のレコーディングという立場上、 客観的にテープを聞くということはかなり難しいが、 まぁ結果には満足してます。 半年前のテープよりも数段いいものができたと。 自分の演奏の弱点も色々と発見できたし。 よかった。よかった。  アシスタントのエイジさん、ありがとう。 そして、エンジニアをしてくださった増尾さんには、言葉では表わせないほどお世話になった。 まだまだお世話になりそうなので、どのようなお返しができるか不安です。  さてはてこのデモテープの行く末は?

03/14  <写真撮影の巻>
 実は8月の3、4、5日にNY州にあるCatskillという街のジャズフェスに出演す ることになっていまして、 参加ミュージシャンの集合写真撮影の為に、ミッドタウンにあるギャラリーへと行ったわけです。  このジャズフェスは今年が第1回目らしくて、 出演者にはマイク・マニエリ(vib) やらブライアン・リンチ(tp)、 イリアーヌ・イライアス(pf)等が名を連ねているわ けで。 僕は、たまたまこのジャズフェスのオーガナイザーが、 クレオパトラズニードルでの自分のトリオライヴを見てて、声をかけてくれたという次第。 ただし、変な話だが、自分はどういう形で参加するのかがよくわかっていないのです。 はっきりしているのは、自分のバンドとして出るわけではないということ。 そして最終日に、何か音楽に関して、レクチャーをしなければいけないということ。 推察するに、何か前座としてピアノを、他の出演リズム隊と演奏するのではないかと… 関係者に聞けって? そうですね。  さて、ギャラリーに着きました。早速オーガナイザーの一人ジョエルさんが  『トール、よく来てくれました。紹介しよう・・・』  とまぁ一人一人とナイストゥミーチューしたまではよかった。 ここからが地獄の始まり。 アメリカ生活で最もきつい事。 パーティー。 特に、知っている人がいないパーティー。 総勢10人程がこの撮影に集まったのだが(マイク・マニエリは欠席)、僕以外のミュージシャンは、皆 “やー久しぶり最近どー” “ワッハッハ”  なんて会話が、そこかしこに繰り拡げられていく。 もう在米6年になろうとしてますが、 見知らぬ人達に、 自分はどういう人物であるかを、説明するだけの英会話力がありません。 小さい頃から、人見知りが激しかったのもあります。 友達になるのに時間がかかるタイプです。 特にこの場に居合わせた人は、皆年上で、社交に長けていて、もうそんな状況はお手上げです。  そんな訳で撮影が始まるまで私一人ポツネンとしてました。 正直、撮影なんかいいから早く家に帰りたいと思いました。  遅れてイリアーヌ到着。撮影開始。 不思議なもので、 誰がどこに立つのか知名度キャリア度という力学が働くのか、誰が指示した訳でもないのに、 イリアーヌが3列中最前列の真ん中になった。僕は2列目の一番左端。 隣はブライアン・リンチだったからまーいいか。  パシャパシャと30枚くらい撮られたわけで。 撮影終了。また皆さんペチャクチャお話しがはじまりまして、 結局、イリアーヌと満足に挨拶も出来ず、そそくさと家路についた謎の東洋人。 こんなことでは、ジャズフェス当日も寂しいことになりやしないかと心配です。 打ち上げパーティーとかあったりして、 また一人ポツネンとする自分が目に浮かび、気が重いです。 酔っ払うしかないか?  彼の残された希望は、この写真が8月号の “DOWNBEAT”  そして  “JAZZTIMES” という、主要なジャズ雑誌に掲載されるという事と、 このHPに書 いて憂さ晴らしをすればいいんだという事。

03/29  <税金を払ったの巻>
 今日、友人に紹介してもらった会計事務所まで赴き、 昨年度の所得税を計算してもらった。  在米もうすぐ6年になるが、アメリカに税金を納めるのは 今回が初めて。学生ヴィザだったのを昨年よりO-1ヴィザという 労働(芸術分野)ヴィザに切り替えたので、払わなくてはいけなくなった。  ただ、全く税金に関する知識に乏しい上に、この商売柄、 収入のほとんどが現金払い。どうやって収入総額を証明するのか 全く不明。もうすべて会計士にお任せ。いざ面談が始まるに、こんなに簡単なものなの?という実感。 いくら昨年稼いだのか聞かれ、必要経費はいくらかと聞かれ、 ただ口頭で答えただけ。一応保管してあった昨年度のレシートを見せることもな く、そうですか、とコンピューターでポンポンと税金をはじき出してくれた。  もっと経費はないの?携帯電話とかも仕事用なら引けるよとか、ライブハウスに行ったのも調査費として引けるとかアドバイスしてくれた。 あっという間に書類を作成してくれ、会計費用を払い、それでおしまい。 なんだか狐につつまれたような気分で家路についた。  なんだこんなことならもっと収入も低く申告して、必要経費ももっと 多めに申告できたなぁとか、でもあまりに納税額が低いと却って 税務署からにらまれるのではないか、いやいやこんな低所得者には それほど厳しくはないだろうとか、考えた。  結論。
  お金持ちになりたい。   もっとハイレヴェルな税金対策がしてみたい。

04/24
  4月。NYに春はない。ここ2、3日20度をこえる夏日。  最近、NYメッツの新庄が気になる。 イチローほど確率よくヒットが打てるわけ もないが、 すでにホームラン2本、6番スタメンという日が多い。  ふと、自分のやっている音楽を野球にたとえてみる。 アドリブソロをとる、とい のはヒットを狙う打者の心境。 ピアノのコンピングは、守備だろう。 ソロイスト 放つ打球を確実にさばく心境。 攻守そろっていい選手ということになる。  (『走攻守3拍子そろったいい選手』という言い方もあるが、 『走』がいったい 楽の何にたとえられるのかわからないので保留。 注目すべきは『3拍子そろった』 いう表現が、 すでに野球を音楽に例えているところ。よってその逆もありと。)  自分の現在の演奏内容を自己評価するに、 攻撃力はここ数年でだいぶ増したよう 思うが、守備が弱い。  おとといのヴァイオリンの定村史郎さんのライヴでも自分の守備力のなさが浮き りになった。 特にベースソロへのコンピングがエラーしまくり。 エシエット(ベ ス)のイレギュラーな打球に、グローブをきっちり当てられない。  新庄がなんだかんだ使われるのは、守備がうまいことにあると思う。 コンピング よくないとバンドのサウンドが落ちる。  そういえば、この史郎さんライヴにロンカーター(ベース)が聞きに来ていた。 ンコックの教科書のようなコンピングを知っているロン氏にとって、 自分のボロボ なコンピングを聞かれてしまった自分は、 挨拶するものの、恥ずかしさでいっぱいであった。 そんな僕にロンカーターはこう言ってくれた。
 「1000本ノックだ。」

04/30  <格好いい、という事>
4月27、28日とブルックリンにある“Pumpkins” というクラブで Bob Brayeというドラマーのギグをした。 ベースはエルビンジョーンズ バンドにいたAndy McCloud。 Eddie Henderson(tp)が予定されていた のが急にできなくなり、 Larry Price というアルトサックスが入った カルテットとなった。  結論からいうと、大変楽しい経験ができた。  皆60歳くらいの黒人のじっちゃん達。 Bobのドラムはいわゆるジェフ ワッツ以前のイケイケドラム。 Andyのベースは余裕余裕の貫祿ベース。 Larryのアルトは当たれば飛ぶ飛ぶホームランバッター。 全曲フォルテ ッシモで押し切る演奏。 久しぶりに演奏後、腕に張りを覚えた。  セットの合間の彼等の会話、仕草。 キザな感じだが少しも嫌味になら ない。 僕に対しても、変に気をつかうでもなく、 演奏さえよければもう ブラザーだぜ、みたいな接し方をしてくれる。  Bobとは数ヵ月前にドンカーターのギグにお客さんで観に来ていて知り 合った。 この世代の人達はジャズが全くさびれていた70年代を経て、 今 もなおストレートアヘッドな演奏を続けている。 有名とかそういうこと ではなくても、クールに生きている人達との共演は、 お金には代えられ ないいい機会であった。 Bobは“お前のような若いエネルギーが欲しかっ たんだ。” と言ってくれ嬉しかった。  2日とも、テナーのロー君がシットイン。 帰りの地下鉄で彼と “いや ー、なんて格好いい人達なんだろう!!”と連呼しながら家路についた。

05/10  <試着と買い物>
 5/18&19のJ.C.Faulk(vo) という歌の人のライヴに参加するのだが、 なん でもどこやらのレコード会社の人が見に来るということで、 バリッとした服をバンド にも着させたいというJCさんのアイデアで、 ジャンポールゴルティエのスーツを借 りるために(何故だ?) この日ミッドタウンにあるオフィスへ試着に行った。  リサというミドルレディと、 デイズというひょろっとした若いお兄さんに導かれ、 色々なスーツを試す。 奇抜なものが多い。 星マークがパウダー状に一面にふりかけ られているもの、 紙テープが不規則に貼られてあるもの、 ムンクの叫びみたいな顔 が大きくデザインされているもの。 『これはどうかしら? とっても似合ってるわ!! ファビュラス!!』と リサとデイズに連呼されながら、恥ずかしくもそれでも悪い気はせず服選び。 結局自 分は、黒地に赤いストライプが肩から足の下まではいったスーツにした。 普段の生活では味わえない一時のバブリーな恍惚感にひたる。  その後本屋へ。前述した ジャズフェスの集合写真 (クリック) がもう” DownBeat", "Jazz Time"という雑誌に掲載 されているという事を聞き、買いだし に行く。 5月号はこの夏のジャズフェスのスケジュールが特集されており、 自分の参加する Catskill Jazz Festival の広告ぺージがその中にあった。 なにか仲間はずれにされてるかのように、 ポツンと腰がひけて写っている謎の東洋人 の図。 笑顔の練習しよっと。  ついでに久しぶりにCDも買う。 マリアシュナイダーオーケストラの新譜、クリス ポッターの新譜、 そして今年グラミーとったスティーリーダンのアルバムを買う。 どれもいい感じ。生でマリアシュナイダーバンド見たくなった。

05/22  <辞めたと首になったとの間>
 今年2月より毎週月・火曜日とベース&ヴォーカルトリオで演奏していた、 クイーンズにあるギリシャレストランでの仕事を辞めた。  オーナーが、キーボードの代りにギターにしてくれないか? と言ってきたのでどうしようと、リーダーのベースのクリスが電話をしてきた。 僕は、君の仕事に迷惑かけたくないし、 それじゃ辞めると答えた。 まさかシンセのギターサウンドで弾けばいいという話しではないと思うので。  これまでの経験で、 自分は演奏さえすれば皆僕の事をわかってくれるという思い上がりが あった。 特に言葉の壁が常につきまとうアメリカ生活も、 音楽を通じて色々な人とコミュニケートできると確信していた。 皆僕のことが好きなんじゃないか困ったなぁとまで錯覚していた。  しかしこのオーナーとは始めから馬が合わないなぁと感じていた。 苦手な人間っているものだ。 3ヵ月近くお邪魔していて、まともに口をきいたこともない。 挨拶しても目をそらされている気もした。 つい最近も彼はお客さんに僕のことを、 中国人と紹介していたし、 おそらく僕の名前も知らないであろう。  先週の火曜日、他に仕事が入りサブにギターをいれた。 次の日オーナーはクリスにギター に代えてくれないか? と言ったという。 理由は知らない。 ギタープレイヤーが素晴しかったという理由であってほしい。 練習する気になるから。

06/08  <夏の訪れ>
 

(1)先日、ドンカーター(ds)の仕事でジャージーシティのとある学校 (幼稚園児から小学生までが通う)で演奏した。 この学校の生徒のほとんどが黒人とヒスパニック系。 アメリカの幼児は日本と違い、すごくハイパーな子が多いとは聞いていたが、まさにそのとおり。 演奏開始後ものの数分もしないうちに、ウキーウキーと子供達は暴れ出す。 驚かされるのは、担任の先生達の声の大きさ。 「コラーーー!!」  「座ってろーーーーーー!!」  「聞けーーーーーーー!!」  ドンはドンで妥協というものをせず、 ひたすらマイルスやらコルトレーンやらショーターの曲をコールする。分かる奴だけ分かればいいんだという姿勢。 でもほんの少数の生徒は、興味を示しておとなしく、 しかもじっと目を開いて聞いてくれる子もいるのだ。 ジャズのリスナー数の全音楽リスナー数に占める割合が、 こういうローカルなシーンでもきっちり表われてくるところに、 希望と限界を感じたのは僕だけであろうか?

(2)先日、『接待』された。 昼はサラリーマン、夜はドラマーの在米20年のK氏が、 今度自主製作CDを作 りたい、僕を使いたい、お近づきのしるしにごちそうしますよ、 ジャンジャンいきましょう。…ということで、ミッドタウンにある日本食レストランにて会食した。 一応、そのCDのコンセプトなりを話し合う名目ではあったが、 櫛カツセット・カレイのすがた揚げ・寿司盛り合わせセットを、 生ビールジョッキ4、5杯で胃袋に流しこむ間に、話す内容はどんどんそれていき、 最後の梅茶漬けをたいらげた頃には、 いったい何を話しているのか朦朧としてくる始末。 Kさん、またきちんと話し合いしないといけませんね。 今度はどこのレストランでしましょうか?

06/27  <Atlantic City Jazz Festival #1 >
  先週の水曜日にケニーギャレットから久々のコール。 『7月2日(月)にニュージャージー州でギグがある』 『予定開いてる?』と。 “そりゃ開いてます。開いてます。” 『それじゃまた電話するから』 といったきりケニーからの連絡が途切れた。 その間、前にもらったケニーの譜面やら演奏テープをひっぱりだし練習。 ケニーのHPでスケジュールをチェック。 7月2日は、“うおっ!Atlantic City Jazz Festivalとなっている。” 先週末はそわそわしっぱなし。電話来ず。またキャンセルされるんじゃないか。 僕の気持をもてあそばないでよね、ケニーったらもう。  昨日の朝、ケニーより待望のコール。 『リハを明日やりたいけど予定は?』 “そりゃ開いてます、開いてますとも。”  今日ケニー宅でリハしてまいりました。 新曲ばかり。譜読みセッションになりそう。 メンツはドラムがジョンスコやイエロージャケッツで叩いているマーカスベイラー。 ベースはチャーネットモフ ェット。 このジャズフェス、スムーズジャズのバンドも多くでるらしい。 (まさかケニーGはいないと思うけど。) 『本番前日の日曜の昼にもう一度リハをやりたいな』とケニーギャレット。 “そりゃ空いてますってば。”

07/02  <Atlantic City Jazz Festival #2 >
 今朝変な夢を見た。 どこかの結婚式でキーボードを弾いている自分。 参加者が、野球選手の優勝パーティーのようにビールかけを始めた。 ビールが自分のキーボードの上にかかる。 怒った自分は、演奏を止め家に帰ろうとする。 ところが式の主催者(何故かロシア人)が、 契約不履行で破格な請求を迫る。 無我夢中で逃げ回る自分。  ここで目覚まし時計が鳴った。 8時30分。そうだ今日はジャズフェス本番の日。 シャワーを浴び、軽く朝食を済ませ、出発の荷物を揃えてツアーマネージャーの電話を待つ。 実はこの時点でまだどのように会場に向かうのかがわかっていなかった。 昨晩の電話で、彼からは 『今シカゴからNYに向かっている。 明日の電車のチケットは預かっている。 でももしかしたら車で送ってあげれるかもしれない。 明日の朝に電話するから待ってるように』と指示された。  10時。ツアーマネージャーからの電話だった。彼は言った。 『残念ながらジャズフェスは中止になった。』 『主催者側の責任だ』とツアーマネージャーは言った。 混乱。 困惑。 落胆。  ケニーの久々のコールからはじまった一連のドタバタ劇。 友人に誇り顔で宣伝した事。 リハーサルのために前からの約束を断わった事。 このキャンセルの話しを宣伝し た数だけしなくてはいけない事。 もうすべてが、今朝見た悪夢の続きに思えてきた自分は、憮然として寝床に戻 った。
(おまけ)
昨日のリハーサルの時、ベースのチャーネット・モフェットに初体面。 『色々と、ステージやらCDで聞いてきたあなたと、 同じステージに立てて光栄です。』 と挨拶したら、彼は 『いやいや。 みんな同じことをしてるだけだよ。 音楽をしてるだけだよ。』と答えた。 痺れた。

07/08  <アメリカって>

1)先日、ある日本人女性ヴォーカルTさんの ギグ取りオーディションの伴奏をした。 場所 はカーネギーホールから近い、 大きいファンシーなレストラン。 中には寿司バーがあった りもする、 “基本的には何でもあり”なメニューをそろえていた。 二階にちょっとしたバル コニーがあって、 アップライトピアノが置いてあり、 そこで2、3曲演奏した。 その後マネージャーと話し、 2、3日後Tさんに電話するからと言われた。 2、3日後Tさんより電話。 どうやら、来月の数日ギグをもらえたらしい。 ところがマネージャーより、 バックは黒人にしてくれと言われたらしい。 Tさんも僕も困惑。 因にそのレストランのマネージャーは白人。

2)先日、とあるヒスパニックの人達の、 洗礼式パーティの演奏の仕事をした。 構成はギ ター、アコーディオン(二人ともイタリア系)、 そして僕 キーボード。 全く知らないスパニッシュソング、イタリアンソングを 譜面みながら演奏。 アコーディオンのヴィクターさんは72歳。 彼の演奏には感動した。 彼にとって馴染み深い歌を心をこめて弾いている。 勝てないと思った。 ただ、ギターの人のコードがめちゃめちゃで、ヴィクターさんは怒っていた。 僕はベースラインをポツポツ弾くだけに終始。  思ったのは、全く境遇が違うアジア人の僕がこの場にいることの不自然さ。 なにしろ曲を理解してないし、体にしみこんでない。 譜面みて弾いているだけ。 彼等に失礼ではないかとも思ってしまった。 正直、自分はこの場にそぐわないと思った。

07/13  <JC.Faulkレコーディング>
 9日と10日、2日にかけて、 前からちょくちょくこの欄にもでてくる男性シンガー JC.Faulk のデビューCD の録音に参加した。  スタジオはニュージャージーのテデスコスタジオ。 ピアノ、ベース、ギター、ドラムスに加え、 3管ホーン、パーカッション、3人のバックコーラス。 そして後日、ストリングス、ゲストヴォーカルを別撮りするらしいので、 かなりの人数を要した豪華な構成になりそう。  もっとも、その場その場で曲のアレンジを決めていったり、 録音する曲順をきちんとしていなかったりで、 バックコーラス隊をスタジオ入りから6時間も待たせたりと、 JC.Faulk氏の要領の悪い運営ぶりに、 メンバーも呆れ気味だったが、 予定の12曲すべてとり終えた事で、自分でも満足するところもあった。  エンジニアは在米20年近いという日本人のカツさんという方で、 迅速な仕事ぶり、忍耐力、巧みな英語力には頭が下がる思い。  2日目終了後、8番街ミッドタウンのダイナーでメンバーと食事。 店を出たのは深夜2時をまわっていた。 通りの反対側では赤いドレスに身を包んだ黒人女性が、 通りがかりの男性達に次々に声をかけている。 NYで初めて見た売春婦。 ふと周りを見ると、目つきの悪い連中がブロックの隅にたむろしている。 地下鉄の駅へと向かう足は自然と速くなった。

07/31  <Catskill Jazz Fesが近づいて>
いよいよこの日が近づいて少しソワソワしてきた。 今月の頭頃より、 おぼろげながら、 自分がそこで行う事の概要が、 企画者よりEメールされていたのですが、 なんでも、 スケジュール表やら宿泊案内やら必要情報をまとめたパッケージが、 出発二日前の今日になっても家に届かない。 おぼろげながら今わかっているのは 8月3日 7:30pm-8:30pm  『Toru Dodo trio with Trevor Lawrence(ts)』 8月4日 3:00pm-4:00pm  『Trevor Lawrence(ts) with Toru Dodo trio』 8月5日 2:00pm-3:00pm  『Toru Dodo duo with Bill Trotman(b)』 この3ステージをやるということ。 トリオのベースはラッツォ・ハリス、 ドラムスはキース・カーロックという人がやるということ。(初顔合わせ) ステージの正確な住所も知らないし、他のバンドの予定も知りません。 こんないい加減な事でいいのかよくわかりませんが、 とりあえず共演するTrevorさんの車に乗せられて明後日より行ってきます。 当日ドタキャンのないことを祈って。

08/06  <Catskill Jazz Festival Aug2-5>
NYCより車で2時間、 人口5千人の街Catskillでこんな事がありました。

  

 -----------

(1) 8/3 大雨。 会場は屋根がついてはいたが、客足はにぶり、開演時間を40分遅らせてスタート。 自分のトリオ開始早々、なんと停電。 会場は暗闇、ベースは消え、しばらくドラムとデュオで場をつなぐ。

(2) 8/4 天気回復。 演奏前に地元の新聞社、FM局、TV局からインタヴューを受ける。 誰か後からオーバーダブもしくはキャプションをつけてほしい程、自分の英語が危うい。

(3) 滞在したのは、日本の民宿のような Bed&Breakfast。 おかみさんの朝食をいただける按配。 8/5の朝食テーブルには、イリアーヌ・イライアス と旦那の マーク・ジョンソン(ビル・エヴァンストリオの最後のベーシスト)、共演したベースの ラッツォ・ハリス夫妻が同席。 寝ぼけまなこの自分、まだ夢の続きをみているかと頬をつねってみた。

(4) その民宿のおかみさんが、トオルを養子にしてあげると連呼。 来年30歳の自分は苦笑。

(5) ジャムセッションが最後のプログラムに組まれていて、 ヴィクター・ルイス(ds)、ブライアン・リンチ(tp)、マイク・マニエリ(vib)、ジョー・ベック(gt) 等と共演。

(6) バークリーで同級生だった ジェレミー・ペルト(tp)、ミゲル・ゼノン(as) も違うバンドで参加していて、旧交をあたためる。

(7) 多くの人に言われた事。『普段いるかいないかわからない程おとなしいのに、 ピアノを弾きだすと、首はカックンカックン、足はバタバタ、眼鏡はズレズレ、 別人になるねぇ。』 そのギャップが、皆さんにはたまらないらしい。

(8) 裏方の人達のパワーにうたれる。 第1回目のジャズフェス、手探り状態の所も多かったらしいが、彼等の情熱なくしてこの祭は実現しない。 実行委員の方と会食する機会もあって、準備の苦労話を聞くと胸が熱くなった

(9) ジャズフェスといえば、そこのオリジナルTシャツを着て、 PAさんに、指でもっとモニターのピアノあげてくれとか、さげてくれとか、 合図するミュージシャンの情景をよく見てきたが、それを自分もやってしまった。

  

 -----------

という訳で無事終了。 家に戻ってきた次第。 束の間のVIP気分はもうおしまい。

08/17  <チュッ!夏パーティ>
 8月に入ってからというもの、 おそらく23日まで、 ギグかあるいはリハーサルおよび出張レッスンで毎日出歩いている。 貧乏暇なし全開である。  こういう時に限ってますます色々な依頼がくる。 先日突然、マクドナルドでソロピアノの仕事をいただいた。 World Trade Center 近くにあるマックには、なんとバルコニーにグランドピアノが置かれてあった。よく“仕事のないミュージシャンはマックでバイトしてる”なんて話を聞くけれど、 まさか演奏の仕事をマックでするとは思いもしなかった。 休憩時間に支給されたチキンバーガーセットをほおばりながら、世界中にあるマクドナルドでツアーの構想を、ひとりで練る。  今日は本当は休める予定だったが、 昨晩、 ラッパのジェレミー・ペルトより “レコーディングのリハがあるのだけど、 ピアノがツアー中なのでサブでやってくれないか” と電話が来た。 ドラムのラルフ・ピーターソンが来るというので、 疲労がたまった身体にむち打ち馳せ参じる。 ラルフはいかにもおらが大将という感じの、キャラクターとドラミングであった。 ジェレミーの曲はなかなかチャレンジングでいいと思った。 彼はバークリーの同期でNYに来たのもほぼ同じ。 彼の活躍ぶりはめざましいものがあり、今月末、デビューCDの録音をするらしい。 来月はロニープラキシコバンドで日本ツアーらしい。 ああ、うらやましい。負けるなドド。  自分の発する休みたい休みたい光線を周りも察っしたか、 先月から行っていたハーレムにあるギッシェンカフェのギグが、 オーナーとリーダーとのゴタゴタで終了。 昨年に続き9月は暇になるのかしらん?

09/05  <秋>
 最近自分はもう若くないと感じてきた。 23歳でボストンに行ったころ相当自分は若い気がしていた。 26歳でNYにでてきた時まだまだ若いと思っていた。 来年30歳を迎えるにあたってもう若くないのかという妙な焦りがでてきた。  先日ハーレムのギッシェンカフェのジャムセッションバンドのホストをしていた時に、 今年から始ま ったジュリアード音楽院のジャズプログラムに選ばれた子達が5、6人遊びにきて一緒に演奏した。 彼等のうまいことといったらなかった。 特にドラムの彼、名前わからなかったがもうすでに一流の音がしていた。 彼等18、19歳。 そのプログラムに入ったボストン時代からの友達のベースが僕に言った。 『俺なんか23歳だけどこのなかじゃ年寄り扱いだよ。』 君まだ23歳だったの? ボストンで知り合った頃って君まだ18だったの?  考えてもみれば、高校からすぐバークリーに来てた同級生とは、 そもそも始めから4、5才年上だっ たわけだけど、最近まで彼等と同じ気分でいたつもりが、 30歳を目前に控え、急に自分はおっさん に思えてきた。  こうなったら風格ただよわせるしかないなぁ。でもどうやって?

09/13  <テロを目のあたりにして>
生きてます。 現場よりだいぶ北に離れたブロンクスに住んでいる自分は直接的な被害を受けることなく、 水や缶詰を買い込み、 電話、E-mailで友人等と生存確認をし、 TVを見て情報を得、お腹が空いてはご飯を食べてます。 (家に閉じ篭っている時間が多いのに妙にお腹が空きます。) 明日も起きてはご飯を食べ、疲れたら休み、電話したり、掃除したり、 火曜日から遠ざかっていたピアノの練習でもしたいなと思います。

09/24  <覚悟>
 あのテロ事件後の3、4日間、ショックでピアノに触れる気さえ失せてしまった。 NYのTVの日本語放送枠で毎週金曜日に 『さんまの恋のから騒ぎ』 が放送されている。 事件のあった週は、自分なりに気分転換も兼ねて見ようと思っていたのだが、全く笑えず、すぐニュースにチャンネルをかえてしまった。 元彼氏に貰った指輪を、まだはめているとかいないとかについて、番組で話し合っていたが、そんな事はどうでもいい事に思えてしまた。 こんなにつまらないさんまを見たのは、大竹しのぶと結婚していた頃以来だった。
 15日にはNY州のRyeという街でユニセフの基金集めを兼ねたコンサートがあったのだが、 伴奏したシンガーは今回の事件でアパートを失ってしまったのだ。 WTCより目と鼻の先に住んでいた彼女は、 現在ご主人の兄弟の家に居候させてもらっているという。 アパートの窓はすべて割れ、 ツインタワー崩壊のダストで部屋は真っ白だという。 今着ている洋服は義理の姉に貸してもらったという。 『大切な人を亡くした人が大勢いる、それに比べれば、私はダンナも生きてるしまだまし。』 と彼女は言った。
 18日、事件後初めてマンハッタンの7丁目あたりまで降りてギグをした。 自分の家の周り(ブロンクス)では見かけなかった、 行方不明者を探すポスターが壁という壁に貼られてあった。 演奏したクラブにはそれでも普通にお客さんはいたし、 それなりに盛り上がった。 演奏できて正直嬉しかった。 帰り際、また行方不明者ポスターを目にする。 気が滅入った。 WTCがあった方角を望めば、くすぶる煙が夜の闇に漂うばかりであった。
 事件後2週間が経とうとしている。 時間が傷を癒してくれるという事はあるものだ。 だいぶ元気もでてきた。 要はこれからもテロに見舞われる覚悟をしろということだ。 関係ないかもしれないが、 NYに来ているイスラエル人ミュージシャンのレヴェルの高さは、 いつ爆弾テロにあうのかわからない社会で生きていながら音楽をしている強さだ。 生まれて初めて身近で起きたテロにビビッてピアノも弾けなくなった自分。 音楽家としての無力感を覚えてしまった自分。 イスラエル人の肩を持つ訳ではないが、 彼等は音楽に対してそれだけ本気なんだと思ってしまった。 (特に知り合いのイスラエル人に聞いた訳ではないのだけれど。) テロリストも救助隊員も政治家も軍人も皆命懸けで事に当たっている。 自分は音楽家として生きていくのなら死ぬ気で音楽やれということか。 (ただ今日のニュースで新た に生物兵器によるテロの可能性を報じているのを 見て、再びビビッている自分がいる。ガスマスクって家の近くじゃ売ってないし なぁ。)
 そういえば先週見た『恋のから騒ぎ』のさんまはだいぶ面白くなっていた。

10/07  <アメリカ空爆>
 この週末金、土、日と“Cleopatra's Needle(以下クレパト)”で演奏をした。  金曜日は、ほぼ1年振りに自分のバンドで出演。『Catskill Jazz Festival』 で知り合ったテナーサックスの Andy Middleton を加えたカルテット。 予定してたベースの Vincente Archer はケニー・ギャレットの仕事が急に入ったために、中村賢吾さんに替わりを努めてもらい、ドラムはいつもの John Lamkin というメンツ。 思えば昨年“クレパト”で毎週ギグをしていた時にオーナーからドラムの John Lamkin を替えてくれないかと言われて“クレパト”のギグに違和感を覚えた経緯があったのだが、今回構わず John Lamkin(ds) を使った。 僕が、Lamkin が好きなんだからしょうがない。 たとえ彼がちょっと時間にルーズだったり、女好きでバーテンの女の子にちょっかいだしたりして、オーナーから嫌われても、僕がLamkin が好きなんだからしょうがない。 彼はこの日も案の定、演奏開始予定3分前に到着。 10分遅れで開演。  それにしても楽しいギグだった。 自分のバンドのギグは今年初めてだったのでとても新鮮な気持ちで演奏にとり組めたし、また新しい曲を書きたくなったし、ピアノも練習する気になった。自分のバンドやるもんだと痛感。  ところで、仮にこの日にケニー・ギャレットの仕事が入ったら、自分はどういう選択をしたのだろう?“ギャラ$50”の自分の音楽をやるクレパトか、それとも “$???”のケニーバンドのコンサートか? (ケニーに頼まれてもないのにそんな事考えるなというお叱りのメール殺到。)
 土曜日はトランペットの Jeremy Pelt の深夜のジャムセッションの仕事。 ホストバンドとしてピアノを弾くのは、気分は悪くない。 ピアニストが多く来てくれれば、その分仕事量も少なくて楽。  この日はしかしピアニストが少なく、2時間程弾きっぱなしで死にそうになった。 ようやくにしてエルビンジョーンズバンドのピアニスト、Eric Lewis が来てくれた。 いつも彼の圧倒的な演奏には畏怖を覚えるのだが、弾き詰め息絶え絶えの僕にとって、この日ばかりは、彼が救世主に思えた。  因みに、ホストベースは Vincente Archer だった。 誰もベーシストは遊びにこなかったので、彼は3時間ぶっ続けでベースを弾いた。 おそらく前日“$50”の『Toru Dodo Band』を蹴って“$???”のケニーバンドのコンサートの仕事を取った罰が当たったのだ。  日曜日は Jun Miyake(ts & fl) さんバンドのギグ。 昼にアメリカ軍がアフガンを空爆。 メディアは、新たなテロの可能性を警告している。 これじゃギグはキャンセルか? とも思ったが、クレパトは満員。 つつがなく演奏は行われた。  身近で戦争が始まってる。 でも自分は今すごく音楽したい欲がでてきてしまった。 テロリスト達も今すごくテロをやりたい欲がでてるのかしら? 困ったものだ。

10/29  <カクテルアワー>
 今月、パーティーのカクテルアワーでの演奏の仕事が2回あった。 ディナーが用意される前に、パーティー参加者がバーで軽くお酒を飲む時間に サラッとジャズを演奏するといった仕事。  演奏時間およそ1時間30分。 BGMに徹し音量控え目の演奏。 そして高額なギャラ。  ミュージシャン稼業の7不思議のひとつに労働量と賃金がまるで比例しないことがあげられる。 (残りの6不思議は何と聞かれても困る。)  よく出させてもらっているクレオパトラズニードル (以下クレパト) は言うても一応ジャズクラブと銘打ってる所であるし、 楽しみに聞きに来てくれる方に喜んでもらおうと、 自分の持っているネタをふんだんに駆使して演奏する。 要は真剣にやる。  しかしこのカクテルアワーの仕事は、 汗をかくこともなく、 美しく着飾ったリッチピープルの生態を観察しながら、 スタンダードチューンなるものを演奏する。 人が自分達の聞いているかいないかわからない環境。 自分のネタ100の内2、3個出すか出さないかの感じで演奏する。 (自分のネタが100あるかどうか数えたことは勿論ない。)  それでもこのカクテルアワーのギャラは、クレパトのギャラの4倍。  それじゃあと、 クレパトで手を抜いて演奏してみた所でギャラが4倍になるかといえば違うわけで。  結局のところ音楽はお金では量れるものではないし、 演奏行為が一般的な意味での労働として規定されるものでもないと思う。 早弾きフレーズを出したところで、 一小節あたりの音数で賃金が払われるものではないし、 アウトしたフレーズを弾いたところで危険手当が支給されるものでもない。 ミュージシャンが感じる労働量と実際支払われる報酬とのズレを、 いまさらながら体感した次第。 このあたりがミュージシャン稼業の醍醐味かも。  ところで、このようなカクテルアワーの仕事、僕は大好きです。

11/14  <不況>
 9/11のテロ事件以来、バンドを雇うのを止めた、 あるいは止める予定のお店を3店程知っている。 その3店に共通していた事は、店の内装がけっこう凝っている事。 店内にグランドピアノが置いてある事。 そしてそのピアノの状態が非常に悪かった事があげられる。 演奏してた時に思ったのは、 店内はとてもファンシーにまとめているのに、 どうしてピアノのケアに少しもお金をかけないのだろう? ということだった。 と思っていたらそういうお店がライヴを止めてしまった。  テロ事件を機にレストラン、 クラブ、ライヴハウス業界の経営状況の悪化が言われている。 ライヴ演奏カットでコスト削減ていうのもわかる。 ただ上記3店に関しては、 そもそもオーナーが、 それほど音楽が好きでバンドを雇っていたのではない、のではないか? と勘繰ってみたくもなるのだ。 音楽好きなオーナーら、 ピアノの音が調子狂っていることが気になって “調律しないといけないなぁ” と思うものではないのか? それをしていなかったお店が、 こぞって最近バンドを入れるのを止めたと聞いて、 妙に納得してしまった。 (ところでよく演奏させてもらってる “クレオパトラズニードル” のグランドピアノは、日によって弦が切れたままだったり、 調律がおかしかったりしてる事があるが、 この先、大丈夫かしら?)

11/18  <CAMI Hallで演奏>
 携帯電話のベルに起こされたのは昼の12時30分頃。 電話の主は前日にギグで演奏したベースのJill Allen(以下ジル)。 『 起きなさい!! 今日の夕方すごいギグが入ったの。 Duoでやろうと思うのだけれど、 ピアノやってくれないかしら? 』 何、朝早くから興奮しているのだ? と夢から覚めやらぬ僕。 『 ジムなんとか (ラストネーム聞き取れず) 知ってる? 有名なピアニストなんだけれど、 今日カーネギーホール近くのホールで、 リサイタルがある予定だったのだけれど、 ミシガン空港で足止めを食らって NY に来れなくなったんですって。 その代役を急に頼まれて、 それでトールに電話したのよ。 ギャラも $???。 』最後の部分でようやく目が覚めた僕は即OK。  スタンダードとジルのオリジナルを数曲やりたいという。 開演5時30分。 30分前に来てくれればいいわ、と言われた。  その通り5時に会場に着く(CAMI Hall)。 入り口付近にはけっこう人が群がっていた。 その中に、Catskill Jazz Festival で知り合ったフルートの Ali Ryerson の姿を認めることができた。  人の列を掻き分け、入場扉を開けて中に入ろうとした時、 列の先頭の人に、まだ会場には入れないみたいだし、 列に並びたまえ みたいな事を言われたが、 自分は演奏者だと告げると、訝しげに僕の顔を眺めながら、 そうかい そういう事なら話しが違うわい と中に通してくれた。  そもそも何故、さほどに有名なピアニストの 代理リサイタル だというのに (僕は知らなかった名前だったけれども) ジルに依頼がいって、 僕がピアノを弾く事になるのだろう? という疑問があった。 今日このリサイタルに見に来る人は、この事態を知っているのだろうか? 謎の東洋人がステージにでてきた途端に、お客さんは帰ってしまうのではないか? もっともこれはチャンスかもしれない。 かのホロヴィッツも、 誰かの代理でリサイタルしたら好評で、 スターになったという逸話が頭をよぎった。  しかし、受け付けのテーブルにあったパンフレットと、 ステージ上でスタンバイしてるジルの姿を見て、 ようやく事の次第を理解した。  まずこのリサイタルは The New York Flute Club というのが主催してるリサイタルで、 ミシガンで立ち往生したのは、 Jim Walker という映画音楽やスタジオワークを手懸ける、 その業界では有名なフルート奏者であった。 (『タイタニック』のサントラで、ソロがフィーチュアーされてるらしい。) そして、ジルは 実は フルートも吹くのだ。 しかも聞けば New York Flute Club の幹事をしてるのだ。 Jim Walker とも親しいということらしい。 なんだ! フルートの伴奏をするのか!! てっきりベースと Duo だと思って気構えていた僕は、 ロングトーンしてるジルの姿を見て、 どこか滑稽に思えてきて、 本番も特に緊張する事もなく 楽しく演奏することができた。 150人はいたと思われるお客さんから 暖かい拍手をいただき幸せだった。  演奏終了後、多くの人が、 突然の依頼で準備もままならずに大変だったでしょうに、 お二人とても息が合っていて素晴しかったと言ってくれたが、 いやいや、今日のような事は、 別にたいした事ではないのですと答えた。 そもそもジャズミュージシャンは、 突然の依頼にどこまで応えられるかで 勝負してるのだ。 例えば、シットインに来たシンガーが、 『 じゃ、キーは F シャープ でお願いします 』 という時に、 パッと演奏できないといけない。 それにバンドでリハーサルなども滅多にしない。 格好よくいえば、その瞬間瞬間にどういう音がだせるかに命をかけてるのが、 ジャズミュージシャンの醍醐味なのだ、 と熱く語った。  嘘です。 ベースと Duo するものと確信してたくらいの英語力しか持ち合わせておりませぬ。

11/28  <司会進行担当のドドでございます>
 12月の毎週日曜日、クレパト( Cleopatra's Needle )のジャムセッションのホストをする事になって、正直、少々不安である。 考えてみると、ホストってえらい。 音楽だけすればいいというものでなく、ゲストをもてなすサービス精神がないとやってられない。 すべてのシットイン野郎に対して 『よく来てくださいました。 今夜は思いっきり楽しんでいってくださいませ。 またのお越し待ってます。』 がスラリと笑顔で言えないといけない。 また、ジャムセッションの進行のきりもみをうまくやらないといけない。 『せっかく来たのに1曲しか弾けなかった、なんだあの謎の東洋人め!』 というシットイン野郎のお叱りをうけぬよう、時間配分と人選に気をつけないといけない。 それにまず、ジャムセッションだけに、人が来てくれないとはじまらない。 宣伝しに、昨夜もクレパトに行って、会った人に、 『今度日曜日、ホストでやりますので是非是非お越しくださいませ。』 と握手でお願い。 司会進行に集中できるので、ピアノの人特に歓迎。 そういえばホストバンドのメンツをまだ決めていなかった。 DODO trio のラムキンもいいが、ジャムセッションだという事で、毎回色々な人を呼んでみたくなった。 (クレパトのオーナーは、本当にラムキンを嫌っているという点も考慮して。)せっかく NY にいるんだから、いいメンツとやっちゃえやっちゃえの意気込みで、電話番号だけ知っているような人にまで留守電を入れた。 (まだ誰からも返答はない。) これはもはや音楽どころではない、という心境。 さてはて、どうなることやら。

12/03  <ホスト初日>
クレパトのジャムセッションのホスト第一回目終了。 (ホストバンド:Sylvia Cuenca on drums, John Sullivan on bass) 最初の1時間はトリオで演奏。 その後30分休憩してジャムセッション開始。 始まる前は果たして人が来るだろうかとか、 司会の時マイクを持つ手が緊張で震えやしないだろうかとか、 自己陶酔系シンガーが、 お客さんの白けるのをよそに延々と歌われた時、 嫌な顔をしないでやさしくありがとうが言えるだろうか等と、 色々心配したところもあったが、 終わってみれば、 約20人弱がシットインに訪れ、 皆いいメンツで、 なかなかいいセッションだったような気がする(多分)。 ただ、 ピアニストが終了間際1時間前になるまで一人も来てくれず、 10時半から深夜1時くらいまで、 ピアノを弾きっぱなしだった。 普段2時間もぶっとうしで練習等めったにしないのに、 最初の1時間のセットを加えたら、 この日少なくとも3時間30分は弾いたのだ。 司会に専念するどころではなく、 用意していたジョークのひとつも発表できなかったのが、 悔いが残る。 深夜2時、Bluesで終了。 演奏疲れ気疲れで朦朧としたが、充実感があった。 名刺交換、握手、笑顔でおやすみなさい。 また是非来てくださいね。 行ったことないからよく知らないけれど、キャバクラ嬢の心境。 初ホスト体験報告でした。

12/12  <師走>
 実は今月、 マンハッタンやブロンクスエリアの老人ホームの慰問ギグツアー中である。Vocal の Warren の仕事で夕方の一時間ばかり演奏する。 車椅子を揺らして Warrenといっしょに歌を歌う老人の姿を見て、 僕の40年後の自分を想像しながらピアノを演奏する。  一昨日はハーレムの老人ホームで演奏。 やはり黒人のおじいちゃんおばあちゃんが圧倒的に多かった。 ブルースを演奏する時少し厳粛な気持ちになった。
 おじいちゃんといえば、チックコリアも今年還暦を迎えた。 今月Blue Noteで誕生日を祝って3週間のチック祭が行われている。 先週の木曜日ロイヘインズ&ヴィトウスによるトリオを聞いてきた。 チックはなんといってもスタイリストだ。 独特だ。 素敵だ。何十年後、 チックやらキースやらハンコックが入っている、 老人ホームでの慰問ギグをするミュージシャンっていうのも、 いるんだろうなぁ。
 9日の2回目のクレパトジャム ( Pete Vanostrand on Drms, Claig Polasco on Bass) は計14人がシットイン。 本気系、 お笑い系,色々参加してくれて楽しかった。 MDで録音して自分の演奏の反省をするのが日課だが、 時折話す英語の司会のひどさに愕然。何を言っているのかさっぱりわからない。 音楽と同じで英語も普段からテープにとって、いちいち発音チェックをしないといけない。  デイヴスペクターは偉大だ。

12/27  <お屠蘇組>
 クリスマスが終わると、 もう年明けまで1週間もない事に気付かされ、 急にせわしない気分になる。  クレパトの日曜日のジャムセッションなかなか好調だ。 16日は ( Otis Brown on drms,Yosuke Inoue on bass ) で 12人、 23日は ( Greg Germann ondrms, Nori Shiota on bass ) で 22人がシットインに来た。 特に23日はピアノのエリック・ルイス、ジェイソン・モランという NY 若手ピアノ界の旗手2人、 ベースのジェイムス・コマック、 ドラムスのタロー・オカモト 氏等が遊びに来て、 僕にとっては素敵なクリスマスプレゼントとなった。 司会業も板についてきたというか、 バーテンダーからもうバーを閉めるので、 マイクで『 ラストコール』と伝えてくれと頼まれたりして、 もはやクレパトの従業員扱いである。  これほどお世話になってるクレパトのオーナーから、 今年の年越しギグを任されては断わりようがない。 NY 中で最もギャラが安いのではと噂されるクレパトの New Year's gig 。 夜10時から翌朝4時まで演奏。 酷使されます。 でもやります。 愛です。 お金じゃないです。 こんな悪条件で一緒に演奏してくれるのは、 テナーのロー・ハセガワ、 ベースのハル・タカミチ、 ドラムスのタケ・トリヤマ。 最高のメンツです。 因みにバンド名もありまして『 お屠蘇組 』。 NY の日系のコミュニティー新聞にも宣伝をうって、 クレパトに門松たてる勢いで参ります。 遊びにきてくれた人に餅をくばってあげたい気持ちです。 なんなら駒もまわすし凧もあげてみせましょう。  今年も無事に年越しできそうでなによりです。 このような駄文にエールを送ってくれた親愛なる読者の皆様 来年もよろしくおねがいいたします。 そして、今年もつきあってくださった『 でしゃばりエディターさん 』に大きなる拍手を。