00-10 (Japanese Only)

2002年その1

 

01/09  <あけましておめでとうございます>
 2002年のはじまりはじまり。  お屠蘇組のクレパト年越しライヴは楽しかった。 普段ギグ中、 酒は飲まないようにしてるのだが、この日ばかりは自分を解放してあげた。 カウントダウン後に、 お約束の“蛍の光”と“ NY 、NY ”を演奏。 会場はものすごくヒートアップ。 ここをピークにお客さんの数は減っていったのだが、 逆に僕の酒の量は増加。 他のクラブやらレストランで演奏を終えて、 クレパトに来てくれたミュージシャン達とのジャムセッションとなった後半、 自分はただの酔っ払い司会者になりさがっていた。  笑わさせていただいたのは、 遊びにきてくれたベースの井上陽介氏。 お屠蘇組のべースの若いハル君がソロをとっている間、 陽介氏、テーブルにある ろうそくを二つ、 目の前にあてがい、 彼にライバル意識を燃やしているとの意思表示というべく、 闘志メラメラのポーズをとって ステージ近くにずっと立っていた。 世界の陽介氏が、 学園祭に遊びにきた、大学のジャズ研の酔っ払い OB に見えてしょうがなかった。  午前4時終了。 お屠蘇組のドラム、タケさんと勢い余って口づけ。 今年は百々徹、目覚めるのか?
 2日、NYに滞在中の TOKU さん (Tp, Vo) のレコーディングを見学した。 ベースの塩田氏に紹介してもらって初体面。 TOKU さんの3枚目のレコーディングだそうだ。 自分は恐縮して、 録音の過程をじっと見た。 ロン・カーターがいた。 ケニー・バロンがいた。 グラディ・テイトがいた。 もはや映画だった。  6日、 TOKU さんがクレパトのセッションに遊びにきてくれた。 深夜2時まで吹きまくり、 Fly me tothe Moon を歌ってくれた。 セッション終了後、 ありがとうございます、 忙しいスケジュールの最中シットインにきてくれて、、、と挨拶したところ、 『 敬語やめてくださいよ、 どどさんの方が年上じゃないですか? 』 ( 一年先輩であったことが判明。) と言われ、また一段と恐縮。 『 明日もレコーディング見に来てくださいよ。』 と言われ、 再び翌日見学に。 ピアノのスティーヴン・スコットがいた。 テナーのクリス・チークがいた。 やはり映画だった。  2曲撮り終えたところでそそくさと帰宅。 退室際に、TOKUさんから 『 もっと スティーヴン と話しすればよかったのに。』 と言われ、 駄目押しに恐縮。 TOKUさん、今度飲みましょう。

01/15  <Benny Golson のギグ>
 昨年7月の 『ケニーギャレットのギグ当日キャンセル事件』 以来、 本当に事が起こるまでは何も信用できなくなるという PTSD を患っている百々徹。 本当は先月にこの仕事の依頼があったのだが、 このサイトでは公表せずにしておりました。 が、しかし、めでたく1月13日の日曜日、 Washington D.C. にある、37年の歴史を誇る Blues Alley というジャズクラブで、 ジャズレジェンドの一人、 テナーサックスの Benny Golson のギグをしてまいりました。
   どうしてこの仕事が自分に舞い込んできたかというと、 このページに度々登場する歌手の JCFaulk ( 本名 Jason Flanklin )のお陰なのだ。 彼は実は Benny Golson や Donald Harrison 等のブッキングエージェントをしているのだ。 JC は今回の Benny のショーに、 JC バンドのリズムセクションをブックしたというあらまし。 もっとぶっちゃまけた話しをすると、 安いギャラで無名のリズム隊を使うことで、 エージェントと Benny Golson が大きなパイをもらう仕組なのだ。 こういう事はこの業界ではよくある事らしい。 それでも、 Benny Golson と共演できるならという一心で、 若手は仕事を引き受けるわけでありまして。
 日曜日の早朝、ドラムのクリス・ブラウンの車にのっけられてワシントンへ出陣。 昼の2時に BluesAlley でリハーサル。 Benny とここで初体面。 譜面がしっかりと用意されていたので、 基本的には読んで弾けばよかった。 Benny にとっては、 どこの骨のものだかわからないリズム隊相手に、 特に期待もしてないし、 まぁきちんとやってくれればいい、 といった感じでさっと40分程でリハ終了。 それじゃショーは8時だからよろしくな、 とそそくさとクラブから消えていった。 3時から8時の間、 リズム隊はサンドイッチを食べ、 ワシントンの繁華街をブラブラと歩き、 それでも時間が余ったので、 僕とベースのアントワは Blues Alley の控室で昼寝。
 いよいよファーストセット開始。 会場は満員。 今年73歳になる Benny は、曲と曲の間に色々な話しをした。 その中でエリントン、ブレイキー、コルトレーン といった固有名詞がでてくる度に、 実際に彼等と交流していた Benny の存在がひときわ大きく思えた。 自分は話しを聞く間、 時々英語がわからない箇所がでてきても、 お客さんが笑った所は、 同じタイミングで笑うフリをするという 隠れた努力をした。  演奏した曲は、 Benny のオリジナル中心だった。 といっても普段ジャムセッションでとりあげられる曲ばかりである。 Along Came Betty , Are You Real ? , Whisper Not , Stablemates , IRemember Clifford , Killer Joe 。 ジャズスタンダードであるこれらの曲を、 作曲者本人と演奏するなんて事は、 はっきりいって凄い体験である。 バッハの曲をバッハと連弾したようなものである。 たとえはめちゃくちゃだが、 要は自分は興奮したのである。
   ファーストセット終了後、 Benny は初めて笑顔で僕に話しかけてくれた。 どこから来たんだ ?なかなかやるじゃないかと言ってくれた。 すっかりリラックスした第二セットは、 より、自分に正直に、これが今の自分ですというスタイルで弾く事ができたように思う。  終了後、 Benny は 『 君のそのアイデアを大切にしろ。それを究めろ。 』 と励ましのお言葉をいただいた。
   Benny と共演、これが最初で最後かもしれない。 それだけに感じ入る所、大である。  お年玉ガッポリもらった気持ちである。

01/23  <CAVEのインタヴュー>
 今日、日本の携帯電話の着メロ等を配信する会社 『 CAVE 』 にインタヴューをされた。 『 ハーフノート JAZZ 』 というモバイルを運営しているそうで、 「 NY で活躍する日本人ジャズミュージシャン」 を毎月取り上げて紹介していくそうであり、 自分はヴァイオリンの定村史朗さんに続いて、 二人目のインタヴューだそうである。  昼下がりのアップタウンの静かなカフェテラスで、 コーヒーを片手に、 約1時間。 何故バークリーに行ったのか? 何故 NY を目指したのか? これからアメリカに来ようとしている、 ミュージシャンの卵達へのアドバイス等を語ってしまった。  95年の夏にボストンへ飛んだ自分は、 日本の携帯電話の、 目覚ましい進歩の経緯をよく知らない。 自分が初めて携帯を手にしたのは、 ほんの2年前の事だ。 それに自分の携帯は電話の域を出ない。 インタヴュアーの T さんに、 最新の日本の携帯事情を説明され驚いた。 携帯がインターネット化している! 情報発信源になっている! そんな事を露知らず、 アメリカでピアノばかり弾いてた一日本人が、 こうしてモバイルで紹介されるとは!  それにしても、このようなインタヴュー受けちゃうと、ちゃんと NYで活躍しないといけないような気がしてくる。
 因に、このインタヴュー記事は 『 ハーフノート JAZZ 』 サイトに、 来月アップされるそうです。 ( http://www.cave.co.jp/ )

02/09  <LA に行ってきました。>
 4日から7日まで LA 旅行。 LA には、 3年前にとあるオーディションを受けに1泊2日で一度来たことがあるが、 その時は街並みを見物する余裕もなく、 オーディションも不合格だったせいで, ろくな旅行ではなかった。 今回は、 昨年の Catskill Jazz Festival で共演した、 テナーサックスのトレヴァーさんのプロジェクトの為の打ち合わせ、 というのが名目。(このプロジェクトについては後々紹介できればと。)  実際の用向きは2日目で終わり、 3日目は観光にあてられた。 トレヴァーさんの車にのっけられ、2月と思えぬ暖かい日差しのもと、 ハリウッド、 ビヴァリーヒルズ、 ヴェニスビーチ等をまわった。 ヴェニスビーチを歩いていると、 NBC テレビの『 Tonight Show with Jay Leno 』の公開録画のフリーチケットを配っている人に合い、 急遽見学が決まった。 アメリカに来てから、 この番組は英語の勉強代りによく見ていたので、 愛着が強く、 ミーハーまるだしで観客席に座った。  その後夕食、 ローカルなジャズクラブで地元のミュージシャンの演奏を聞き、 宿泊しているトレヴァー宅へ帰宅。  それにしても、 ビヴァリーヒルズに立ち並ぶ、 家というよりもお城の景観に脱帽。 トレヴァーさんは『 お金持ちって結構多いんだよね。 』と他人事のように言うが、 実はこのトレヴァーさんも、 相当ないいお家に住んでいらっしゃる。  場所はノースヴァリーというエリアの住宅街の小高い丘の上。 二階建て。 一階はキッチン、 リヴィング、 書斎の他、 ゲストルームが設けられ、 僕のような来訪者に割り振られる。 二階は家族4人の部屋がそれぞれ与えられている。 車を3台所有し、 コンピューターやテレビが、 がらくたのように多数転がっている。 丘の斜面には菜園が設けられ、 野鳥の溜まり場となっている。 もちろんプール付、 ジャグジー付の庭。  最後の夜、 トレヴァーさんに誘われ、 この野外ジャグジーに海パンで入る。 夜空を眺めながら、さながら露天風呂気分。 体を泡のマッサージにさらす。 トレヴァーさんの、 昔話、 体験談に耳を傾ける。 NY ブルックリンに育ち、 15歳からサックスで仕事をはじめ、 数々のローカルギグを経た後、スタジオミュージシャンとしてスティービー・ワンダーのバックバンドやら、 ポインター・シスターズのアレンジャーとして活躍し、 70年代に LA に移住してからも、 コンポーザー、 アレンジャー業のかたわら、 レコーディングスタジオの経営を行って現在にいたっている。 今年59歳になる彼は、 今また新たなプロジェクトを始めようとしている。 長湯にすっかりのぼせ、 朦朧としながらも二人は、 プロジェクトの成功を誓いあった。
 2月8日、 30歳になった百々徹。 彼の未来に、 プールやジャグジーのある庭に邸宅を構える事が、 この先あるのかどうだか。

02/14  < Jeremy Pelt Sextet Live at Kavehaz >
 12日。 ソーホーにある Kavehaz というクラブで、 トランペットの Jeremy Pelt (tp) (以下ジェレミー)バンドで演奏。 来月に予定されてる、 彼の初リーダーアルバムのリリースに併せたライブ。 メンツはテナーの Jimmy Greene (ts) 、アルトの Myron Walden (as) 、ベースの Vincente Archer (b) 、ドラムは Pete Van Nostrand (ds) 。 ( 因みに、アルバムではピアノは Robert Clasper (pf) 、ドラムは Ralph Peterson (ds) )  ほぼ彼のオリジナルでかためた構成の2セット。 満員となった会場で、 今の NY のシーンでイケてる人達との共演で、 気分が悪いことはない。 ひょっとして僕も相当イケてるのではと、 錯覚してしまいそうになるセッティングであった。 つかのまの高揚感はひょっとした事ですぐ冷める。  ヴィンセンテ (b) の車でジェレミー (tp) と一緒に帰る時、 ジェレミーはドラムの批判をガーっと始めた。 ( 悪口ではない。) しきりに、 ラルフ・ピーターソン (ds) だったらこうするのにああするのにとわめいていた。 これを聞いた僕は、 きっと僕のいない場では、 彼にロバート・クラスパー (pf) ならこうするだろうにと言われてるのだろうと思ってしまい、 ゾワーっとした。  口が悪く、 態度のでかい(体もでかい)ジェレミーは、 バークリー時代から数多くの人に誤解を与え、 敵を作ってきた。 そんな事はお構いなしに、 我が道を突き進んでるジェレミー。 NY に来てから一躍売れっ子となった彼は、 今まさに絶好調である。  彼なんかバークリーで知ってなかったら、 きっと友達になれなかっただろうなと、 バークリー行ってよかったんだ ! と、 バークリーのタイコモチ的文章を書いて、 この回の締めとさせていただきます。

02/22  <ディナーパーティー>
 昨年参加した Catskill Jazz Festival のオーガナイザーだった、 ジョエルさんの家の夕食会に招待された。  招待客には歯科医夫妻、 テレビ局の制作担当者、 隣人の老婦人や、 ジョエルさんの娘さん等がいた。
 食事中に交された会話のトピックは、 ブッシュ大統領の外交政策、 経済政策から、 子供の教育論、 健康のための食事のあり方等 多岐に渡った。  皆マシンガンのように会話をふくらませ、 めいめいの意見を述べあう。 僕は圧倒され、 人と同じタイミングで笑うフリに終始してしまう。 しかも、 この日のメインメニューの大きなロブスターの肉を、 硬い殻から取り出すのに不覚にも手間取り、 手を油でベトベトにしながら、 汗だくになった姿をさらした僕は、 アメリカの外交政策に口をはさむどころではなかった。
 最近それでも聞き取りの力、 いったいこの人達は何について話しているのかが、 以前より増してわかるようにはなった。  が、 発言できない。 この話しの状況ではどういう事を言えばいいのかを、 頭の中で整理し英語に変換する間に、 トピックはすでに違うテーマになっていることが多い。 それと同時にこの日は、 自分に明確な意見を持ち合わせていない事にも気付かされた。
 普段のミュージシャン連中の会話といえば、 『 イェイメン!ユーサウンズグーメン!!! 』 でほぼ事足りてしまうのが実情だ。  しかしこの日の招待客にミュージシャンはいない。 話すテーマが高尚だ。 話しの前提となるアメリカ政治経済についての勉強不足に加え、 私はこう考える、 というオピニオンがまるでない。
 アメリカ社会では『 しゃべらない人=馬鹿 』という事を何かの本で読んで以来、 それが強迫観念のように僕を悩ます。 以前は、 しゃべれないのは単純に英語力の問題だと思っていた。 『 どうして君は発言しないのだ? 』と聞かれたら、 『 英語がよくわからないのです。 』でよかった。 しかし最近、 生半可にも皆が話している内容がわかるだけに、 事は英語だけの問題ではなく、 自分は常にどういう主張ができるかの問題に思えてきた。
 『 どうして君は発言しないのだ? 』  『 正直のところ、 これといって意見がないからです。 』  やはりこれでは『 しゃべらない人=馬鹿 』なのだろうと思えてきた。
 ヤバイ!

03/12  <忙し自慢>
先週末のスケジュール公開。
3/9(土)−−Wedding Gig at Miami
 2:30  帰宅。パッキング。シャワー。
 4:00  タクシーに乗ってラガーディア空港へ。
 5:32  空港の荷物検査で持っていた小さい鼻毛切りを危うく没収されそうに なる。
11:30  マイアミ空港到着。気温29度。
12:30−14:00 ホテルで仮眠
14:30  道行くお姉さん達の大胆な水着姿に感銘を受ける。
15:00  結婚式会場到着。セッティング。リハ。
17:00  セレモニー開始。バッハ、ジョビン中心にBGM演奏。
17:40  新郎の涙を見てもらい泣き
。 18:00−19:00 カクテルアワーでの演奏。
19:30  この日初めての食事。
       同席したベネズエラ出身カメラマンに香港は日本にはない事を説明する。       (僕が日本人だと知った彼はしきりにジャッキーチェンについて語りだし、        香港はどんな街なんだと興味津々に尋ねてきたので。)
23:00  披露宴終了。ホテルに戻り爆睡。
3/10(日)−−−−帰宅、写真撮影、クレパトのジャムセッションホスト。
 4:00  起床。タクシーに乗り込みマイマミ空港へ。
 4:56  空港の荷物検査で持っていた小さい鼻毛切りを危うく没収されそうになる。
11:50  NYラガーディア空港到着。気温3度。
13:00  帰宅。昼飯。着替え。髪はオールバック。新着スーツに身をまとう。
16:30  スタジオ入り。
17:00−19:00 自分のCDプロモ用の写真撮影開始。
19:05  写真の中の自分の顔を見てやはり自分はハリウッドスターにはなれないと判断。        自分の進路を再検討。本当の自分探しが始まる。
20:30  クレパト入り。ホストのような格好でジャムセッションホスト。
23:30  NYに遊びに来ている明大の同期テナーの羽根淵君が遊びに来る。
26:00  ギグ終了。
26:15−28:30 近くのダイナーで羽根淵君と旧交を暖める。        お互い30才になってしまった、としんみりする。        NYの琵琶法師じゃなかったテナーのローハセガワも同席。
29:30  帰宅。

03/22  <ライブ三昧>
 明大の同期、テナーサックスの羽根淵君がNYに遊びにきてるお陰で、 普段、 出不精な自分にムチ打って、 彼とライブハウス巡りをしている。  先週は Roy Hargrove バンド、 Andy Bay トリオ、 Chris Cheek バンド、 Roy Haynes バンドを見た。
 やはり気になるのはピアニストだ。   Roy バンドのピアノは最近エルビン・ジョーンズバンドを辞めたエリック・ルイス。 NY に来て一番衝撃を受けたピアニストの一人。 クレパトでは強引に弾き倒すスタイルが時に過剰だと思ったりしたが、 ヴァンガードでは抑制した演奏を披露。 初めて美しく弾ける人なんだと知り、 惚れ直してしまった。 何より、 彼は、 僕をただでヴァンガードに入場させてくれて好印象。
 Andy Bey はベテランシンガー&ピアニスト。 初めて見た。 渋い歌に、 現代音楽的アドリブをとる独特なスタイル。 ただただ敬服するばかり。 何より、 ベースの北川潔さんが安くイリディアムに入場させてくれたのが喜び。
 Chris Cheek バンドのキーボード( 名前わからず )は、 譜面を所見で弾いている様で、 苦労してそうだったのが、 同業者として同情心を駆り立てた。 何より、 会場の Detour というライブハウスは入場料ただなのが素敵。
 Roy Heynes バンドのピアノは新鋭 Martin Bejerano 。 一度クレパトのジャムセッションで会って名刺交換していたのだが、 今回じっくり 彼の演奏を聞いて驚かされた。 すごい!  ビビッた。 まいっちゃうなぁ。 NY はすごい人が集まる場所なんだからしょうがないよ。 自分もガンバロっと慰めた。 Roy Haynes バンドのベースのジョン・サリバンは、 ボストン時代からの友人。 てっきりバードランドにただで入れてもらえるかと期待していたが、 すでに彼のゲストリストは満員で、 しっかりチャージを払った。
サリバンはわりいわりいと弁解してくれたので許す。
 そして昨日は Smalls で Jeremy Pelt Sextet を聞いた。 本来、 僕にオファーがあったのに、 ドラムのラルフ・ピーターソンができることになったためか、 ピアノ、 ベースは先月のカヴェハズとは違うメンツにされてしまった。 Smalls デビューと意気込んでいたのに少し残念。 ピアノはリック・ジャーマンソンという、 ルイス・ヘイズバンド等で弾いている人。 リックの演奏に注意を向けようとしたが、 そのうち興味は強烈なドラムのラルフに移ってしまった。 誰がソロをとってもラルフとデュオみたいに聞こえ、 途中からラルフ・ピーターソンバンドの感があった。 仮に自分が演奏してたらという事ぬきに、 ラルフのドラムに圧倒された。 でもこの場で演奏したかったなと、 浮かない顔をしてた僕に、 ジェレミーは4月13日のクレパトの仕事をくれた。 許そう。
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 因に、 1月24日号に紹介した CAVE のインタビューが今、 日本の携帯電話で見れるそうです。 僕の両親は、 アクセス数を増やした方が息子のためになると、 同じ記事を毎日チェックしてるらしいです。

3/25<税金2>
 またこの時期が来た。 2回目のアメリカ納税。 帳簿やレシートを整理し、 昨年と同じ会計事務所へ赴く。 雀の涙ほどの去年の総収入額を聞いた会計士の僕を見る目つきは、 どこか憐れみを帯びている。 それでも、 前年度よりもだいぶ稼げたお陰で、 算出された納税額もだいぶアップしている。 会計士は心配そうにこの額払えそう? もっと経費はないの? と伺う。  変なもので、 見栄が自分を邪魔する。 なんだよ、 俺はそんなに金に困っているように見えるか? こんな税金額ヘでもねぇ。 とっとと払ってやりゃあ。  稼いでいる人が税金対策してなんとか少なく税金払おうとする額の数割ほどの額しか払えていないかも知れないが、 姑息な手を使わずに、 貧乏人の痩せ我慢でドーンと税金を払ったこの心意気を、 皆様に分かってほしい。  来月からは緊縮財政でまいります。

04/05  <肩透かし>
 数日前、突然、知らないドラムの人からギグを頂戴した。 場所はカーネーギーホール近くのとあるレストラン。 その名前を聞いて嫌な思いがよみがえった。 ( この欄にも書いたのだが ) 昨年、 ある日本人ボーカルとギグ取りオーディションに行ったところ、 マネージャーに 「 ギグはあげるけどリズム隊は黒人にしてくれ 」 と言われたレストランだったのだ。  あのとき、 このことをどう解釈すればいいのかわからなかった。 アジア人差別だ !! とは言いきれない。 日本人シンガーにはギグをあげたのだから。 白人がリズム隊でもマネージャーは許さないのだろうか ? マネージャーは因に白人だ。  ギグ当日。 レストランは満員。 ウエイターがめまぐるしく走りまわっている。  正直なところ、 もし差別的な対応されたらどうしよう、 ピアノの席についた途端につまみ出されるのではないだろうかと、 少しドキドキしていた。  演奏場所は2階のバルコニーで、 そこへの行き方をウエイターに尋ねると、 あっちだよ、 あの階段登って行って、 とぶっきらぼうに言われ、 これはひょっとして差別かもしれない、 そういえば人種差別って英語で何て言うんだっけ、 こんなことなら家出る前にしっかり辞書引いておくべきだったと反省した。  しかしながら、 バルコニーに登り、 メンバーの顔色 ( 文字どおりの ) を見た途端、 力が抜けてしまった。  ドラムの人は白人だった。 シンガーは知り合いのイスラエル人だった。 そしてベースはバークリーの同期の脇さんだった。  日本人2人に白人2人。  なんてことはなかった。  ドラムの人の話では最近マネージャーが代わったという。 しかも新しいマネージャーはラテン系だった。 黒人を使えといったあのマネージャーはどこに行ってしまったのだろう?
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ジェレミー・ペルトまたやってくれた。 4/13のクレオはリック・ジャーマンソンを先にブックしてたと言われ、 トールはまた違う機会に使うと電話がきた。 こういうの結構、 失礼しちゃうわよ、 差別反対 !!!

04/14  <だって日本人なんですもの>
 日曜日の Cleopatra's Needle のジャムセッションホストの仕事が終わり、 友人等と車で Henry Hudson Parkway を南下。 42 st の9 avenue に車を停める。  ある者は、 テナーサックスを肩にさげ、 ある者はシンバルケースを握り締め、 またある者はウッドベースを転がしながら、 42 st を東に向かう。  時は深夜2時30分をまわったところ。  8 avenue を渡ると、 派手な黄色い看板が僕等を迎えてくれる。  奥行きのある店内のラジオからは、 アリーシャキーズの音楽が流れていた。  レジ越しのヒスパニック系の女性が、 笑顔で注文をとる。 『レギュラーで。』  数分とたたぬうちに、 食事は運ばれてくる。  腹を空かした僕達は無言で夜食を胃に流し込む。  その後しばしの音楽談義。  時は朝4時になろうとしていた。 『そろそろ店を閉めますので、、、』 先ほど注文をとった女性が床の清掃を始める。
  眠らない街 NY 。 僕等の YOSHINOYA 物語が始まった。
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吉野屋 NY 店の飲み物メニューにミルクがあって少し驚いたのだが、 牛丼にミルクって、 ある意味『親子丼』の拡大解釈ととれる。

04/19  <病人のうわごと>
 風邪をひいてダウン! 時おりしも、 NY の記録的な猛暑の最中に。  ひとつ発見したことがあるのです。 自分の体温と気温のギャップで、 人は暑がったリ寒がったりするのだということ。 そんなことあったり前じゃんと、 そこらの賢い小学生から馬鹿にされそうですが、 ちょっと聞いてください。  水曜日、 朝から38度の熱があったのです。 昼に重要なリハーサルがあったので、 常備してる 『 ルル 』 を飲んでミッドタウンの練習スタジオまで向かったのです。  この日気温は35度近くまでいったのです。  僕は全く暑いと思いませんでした。 長袖シャツは着てたものの、 地下鉄の強烈な冷房にセーターを持ってくればと悔やんだものです。  その夜、 僕の体温は39度5分まであがりました。 寒い寒い夜でした。 気温は20度台だったと思います。 服を3枚重ね、 毛布2枚被って、 ブルブルしてました。 体温と気温の差は19度5分。 そりゃ寒いですよねぇ。  4月の半ばにしてこの連日の夏日に際し、 ますます地球温暖化が危惧されています。 二酸化炭素の放出を抑えたり、 森林伐採をコントロールしたりと、 色々対策は練っておるようですが、 どうしようもなくなったら、 いっそのこと人間の体温をちょっとあげれる薬なぞ開発してみたら、 心地よく暮らしていけるのではと思ったのです。

04/24  <WKCR89.9FMに出演>
 ひょんな事から、NYのFM局に出演してしまった。 元阪神の野村監督の奥様が、 その昔通っていたとかいなかったとかで有名な、 コロンビア大学が運営しているWKCRの、 水曜日夜6時から9時に流している 『 Wednesday's Musician's Show 』 のゲストで出演した。 ( 普段ラジオはあまり聞かないので知らなかったのだが、 WKCR は普段よくジャズを流しているステーションで、 歴史もあり、 その昔ミンガスやらマックス・ローチやらがよくゲスト出演していたらしい。 昨年のテロで WTC が倒れてしまい電波の届くエリアがだいぶ縮小してしまったという。 げんに僕の住んでいるブロンクスでは WKCR を聞き事ができない。 )  出演のきっかけは、 22日の月曜日、 代理で Creopatra's Needle のジャムセッションホストをしていた時、 この番組の DJ が遊びにきていて、 その場で水曜日の番組出演依頼をされたのだ。 ああ、 なんて簡単なんだ。  スタジオはコロンビア大学から数ブロック離れたところにあるビルにあった。 ブースは8畳くらいのコンパクトなスペース。 DJ はコロンビア大学を卒業したての男2人。 ジャズ好き。 2人ともフュージョンは嫌いで、 50年代後期から60年代前半がジャズの黄金時代だと主張していて、 ふと日本のジャズ喫茶にでも来たかの錯覚を覚えた。  番組は、 ゲストの CD やお気に入りのレコードをたっぷり流しながら、 合間合間でゲストのインタビューがあるというもの。 ということを、 実はスタジオに到着してから DJ に説明された。 ああ、 なんていい加減なんだろう。 すぐに別室のレコード倉庫に連れていかれ、 フェイバレット・アルバム探しを行った。  普段フェイバレット・アルバムはこれだ! なんて考えた事もなかったので、 この限られた時間で数枚選び出すのにすこし苦労した。 選んだレコードは: 『 Portrait in Jazz / Bill Evans 』 『 Clark Terry with Oscar Peterson trio 』 『 Underground / T.Monk 』 『 Live in Tokyo / Keith Jarrett trio 』 『 Dark Stars / Jason Moran 』 ( 実は最近ジャズ以外を努めて聞いているようにしていて、 『 The Miseducation Of Lauryn Hill 』 にハマっているのだが、 DJ 達は Lauryn Hill を知らなかった。 彼女はコロンビア大学出身だと思ったけどなぁ。 ますますこのスタジオはジャズ喫茶だと確信する。 もっとも宇田多ヒカルの事は知っていると言っていたが、、、。)  インタヴューは、 どのようにジャズの道に入ったのか、 NY のジャズ・シーンに入っていくまでの苦労話、 自分の作曲法とモンクの影響等々。 あとはひたすら Creopatra's Needle の日曜日に Toru Dodo が演奏してます! と告知。 自分のデモCDも全曲流してくれた。  毎度の事だが、 英語がどうもお恥ずかしいかぎりで。 途中で自分は何をしゃべっているのかわからなくなる瞬間が多々あったし、 ますますデイヴスペクターの偉大さをかみしめた。  生まれて初めてラジオ出演した事は皆に知って欲しいけれど、 誰にも放送は聞いてもらいたくないという複雑な心境。

04/27  < Concert at the Gardner Museum in Boston >
 べースの Reuben Rogers の仕事で、 久々にボストンに行く。 Isabella Stewart Gardner Museum が定期的に行っている 『 Jazz at the Gardner 』 シリーズのコンサート。  おなじみ John Lamkin がドラムにバークリーの学生のテナーの Walter Smith が数曲加わった。  ステージは、 多数の絵画に囲まれた広い部屋に設けられ、 ピアノは極上のスタインウェイ。 ( 今まで巡り会った中で最高の ピアノだったかも 。) 約100人程の観客の前で演奏。  ルーベン (b) とラムキン (ds) で昨年自分のデモレコをしたのだが、 このメンバーでライヴをするのはめったにないこと。 曲目も3曲程、 僕のオリジナルをフィーチャーしてくれたので気分はレコ発ライヴ。  1時間強の1セットのコンサート。 細かいところで、 ボロを出したが、 全体的につつがなく終了。 心地よい拍手。  最高のメンバーで演奏してて気持ちいい。 自分も相当イケてる錯覚ができる。 ギャラも最高。 ルーベンが行きも帰りも運転して連れていってくれた。 ヤバイ、いいことだらけだ。  毎日こういう仕事だったらいいのになぁ。  いいことだらけってあるんだよなぁ。

05/06  <病院に行ったの巻>
 なんと4月30日、再び高熱がでてしまいダウン。 首の右側のリンパが痛い。腫れているようだ。 『 ルル 』 を飲んだら熱は37度台に下がった。 けれど、2週間前にも高熱がでている事もあり、 病院に行く事を決断。  病院に行くのは3年振り。 アメリカの高額な医療費を思うにつけ、 足が遠のいていた。 『 ルル 』 が僕のドクターだった。 ただ昨年より、 ちょっとした保険に加入したので、 病院に行こうという気になった。 行動を決めるのはお金だ。  行った病院はミッドタウンにある日系のクリニック。 どこでもよかったのだが、 日系のコミュニティー・ペーパーに一番大きな広告が載っていたので、 ここに予約を入れた。 英和和英の2つの辞書をもって皮膚科に行った3年前を思えば、 随分と手荷物を軽くすることに成功した。  クリニックはビルの8階にあった。 ここは 、内科から歯科からカイロプラクティック科までそろっている。 僕が初診者カルテに書き込みをしている間に訪れた若いお嬢さん、 どうやらカイロプラクティックの患者らしく、 受付のお姉さんと、 『 今日はどうされます? 』 『 あのぅ、針っちゃっていいですか? 』 『 いいですよ、 針っちゃってください。 』 なんていう会話をしていた。 僕も針っちゃおうかと手をあげそうになった。  ここで周先生登場。 『 どうされました? 』 『 高熱がぶりかえしたのと、 どうも首のリンパが腫れてるようで 痛むのです。 』  周先生、 僕の右首あたりを触ると、 『 ああ、 リンパ腫れてますねぇ。 』 ああ、 やはりリンパ腫れてたかぁ。  会話が進むうちに必ず職業を聞かれるものだが、 僕がピアノ弾きだと知ると、 周先生、 意外にも、 日本人ジャズミュージシャンを多くご存じのようで、 “誰誰知っている?” の話しになった。 極めつけは、 ここのクリニックで受付をしている一人に、 和太鼓奏者がいるらしく、 最近バードランドでアキヨシ・トシコさんと共演したのを見にいきましたよ、 なんていう話しをされた。 NY はジャズの街だ。  周先生、 一通り問診を終えると、 『 どうですドドさん、 今日は針っちゃいましょうか? 』

05/22  <今月けっこう暇なのです。>
 月曜日、 水曜日と人にごちそうになる機会があった。 月曜日は、 KAVEHAZ というジャズクラブのジャムセッションに遊びに行ったところ、 久しぶりにギターの石川さんにお会いして、 よしおごったるとのお声に便乗して、 私と最近できてるのではと、 噂されているテナーのロー君と、 アストアプレイスの日系居酒屋へ。 枝豆、 酢の物、 茄子のあえもの等をつまみ、 ビール、 日本酒で乾杯。 酔った勢いで、 近所に住まわれている、 ベースの北川師匠にお誘いコール。 時は夜の2時。 『 もうパジャマ着て、 歯も磨いちゃったからゴメン 』 と断わられる。 本当に失礼な僕達。  水曜日は、 以前にもここで紹介したドラムの久保さんに、 久しぶりにお食事会のお誘いをうけ、 ミッドタウンの日本レストランへ。 この日はベースのハル君も同席。 寄せ鍋食べ放題、 飲み物飲み放題サービスを堪能。 さらに懐石料理を3人でつっついた。 ヒレ酒を口にする頃には、 意識は朦朧、 腹は膨張。 食事後、 ハル君とクレパトへジャムセッションに行く。 相当眠くなっていたが、 ピアノ弾く時はシャンとするんだなぁ、 これが。  芸者のようにおじさま方 ( 先輩方 ) にごちそうされる私。 いつか後輩に、 こういったごちそうができるようになりたいと思うわけで。 石川さん、 久保さん、 それまでもう少し可愛がってくださいね。

05/28  <思うところをダラダラと>
 クレパトの日曜日のジャムセッションホストの仕事が始まって半年が経った。
1) 我ながら、 質の高いセッションになっていると思う。
 おそらく、 知名度のないお陰で、 やたらめったら訳のわからないミュージシャンが来ない。 ( 例えば、 ウイントン・マルサリスがジャムセッションのホストなんてやってたら、 TORU DODO みたいな奴等が、 大量に押しかけにいっちゃうでしょ。 ) そのかわり、 僕を知る一部のマニアなミュージシャンが、 しっかりと遊びに来てくれるので、 ほどよい人数でいいセッションになっている。 と思う。 多分。 2) 名札制導入を提言
 たまにジャズ界で有名なミュージシャンが遊びに来られた時に、 僕が全くその方の事を知らない、 あるいは名前は知っているが顔は知らない、 という失礼な事が頻繁にあるので、 名前とプロフィールを名札にして 胸のポケット等にさりげなく着けていただけたら、 なにかと助かるのにと思う。 これまで来られた有名どころでは、 ドラムのロドニー・グリーン、 ハーリン・ライリー、 ロイ・ハーグローブバンドで今叩いているドラム ( ほら、 もう名前を忘れている。 )、 リンカーンセンターで弾いてるピアノ。 ( ね、 全然わからないでしょ。 )  彼等が名札を着けて来てくれたら、 どれだけ接待の仕方がスムーズにいったかわからない。  もっとも、 名札を着けていないといけないのは僕自信かもしれない。 彼等にしたら、 訳のわからない英語を操って、 司会進行してるあの眼鏡の東洋人は、 いったい何者なのだと、 帰っていったに違いないのだ。 3) 上妻さんシットイン
   三味線の上妻さんが、 一昨日のセッションに遊びに来られた。 チックコリアの 『 スペイン 』 をベンベンジャカジャン演奏し、 会場大盛り上がり。  少しお話しさせていただいたが、 すごく腰の低い方でこちらが恐縮した。 周りの日本の友人から、 上妻さんは日本の TVCM にでていたり、 ニュース・ステーションで演奏してたり、 すごい有名人だよと後から教えられ、 名札制導入の実現化に向けて気持ちを一段と強くした。 4) エリックルイス
   クレパトの顔といえば、 この人を抜いて語れないだろう。 モンクコンペで優勝し、 元エルビン・ジョーンズバンド、 現ロイ・ハーグローブバンドのピアニスト。 クレパトの毎週月曜日に演奏しているが、 ツアーで NY にいない時を除いて、 毎晩のようにクレパトのジャムセッションに現われる。  一昨日の僕のセッションにも遊びに来てくれて、 その強烈なプレーで楽しませてくれた。  エリックを見ていると、 中国人中華料理人は仕事の休みの日でも中華料理を食べる、 という事を思わせられる。  僕なんかは、 休みの日くらいは、 さっぱりとお茶漬けでいいやと思うのだが、 休みの日にもエリックは、 しっかりマーボー豆腐を食べている感じがするのだ。  だってヴィレッジ・ヴァンガードで、 ロイ・ハーグローブバンドのライブ後でさえ、 クレパトに駆けつけ、 ピアノをバリバリ弾いていくような彼ですよ。 休みの日なんか、 クレパトに泊まっているのではないかと思う程、 毎晩現れて、 グワーッ、 とピアノを弾き倒していくのだ。 この情熱、 ぼくも少しは見習いたい。    ちなみに彼の小指は僕の親指と同じ太さでした。

06/14  <日本代表サッカー決勝トーナメント進出の陰で泣く日本人>
 その話しが来たのは5月の半ば頃。 『 yo, TORU, 7月4日暇か? 』 トランペットの Jeremy Pelt ( 以下ジェレミー ) からの電話。 Jazz Standard というクラブでのギグオファーだった。  7月の1週目に、 サッチモ祭か何かの企画で、 色々なトランペッターが出演するらしく、 ジェレミーは7月4日と5日にブッキングされたという。 そのうち4日のピアノを僕に頼んできた。  以前、 彼のバンドで Smalls 出演が決まっていたのに、 クラブの都合でキャンセルされた事や、 その変更された日にジェレミーは別のピアニストを使った事、 また、 クレパトのギグをもらっていたのに、 実はジェレミーのミスでピアニストをダブルブックしてたりと、 ジェレミーの仕事にはどうも面白くない事が続いていた。 そんなことから僕は電話で、 『 今回は本当の話? 』 と思いをこめて確認した。 ジェレミーは軽く笑って 『 今回は本当だ。 』 と保証してくれた。  その後、 ジェレミーは 自分がホストをしている日曜のクレパトのジャムセッションに遊びにきては、 周りの人に 『 7月4日、 TORU と JAZZ STANDARD でやるんだ 』 と吹聴してまわっていたし、 リハーサルのスケジュールは決まっていたし、 メンバーはドラムにラルフ・ピーターソンが決まっていた。  因に、 JAZZ STANDARD は、 Village Vanguard, Blue Note, Birdland といった名門ジャズクラブ並に、 有名ミュージシャンが出演する新しいクラブ。 NY の情報紙には名前が載るし、 こりゃ楽しみ楽しみと心弾ませていた。  ところが、、、 なんと、 一昨日クラブの都合でギグはキャンセルされたのだ!! 詳しい理由はジェレミーも知らないらしいが、 勘繰るに7月4日はアメリカの独立記念日であり、 一般の人は花火大会に行ってしまいクラブに人が来ないと判断したか、 それとも噂されるテロを警戒したか、 いずれにしてもキャンセルされたのだ。 ( 7月5日はオン。 )  いったい何なのだ。 昨年のケニーギャレット GIG 当日キャンセルに並ぶ、 今回のキャンセル劇。 もういっその事、 モスクワに飛び立ち、 車でもひっくり返してやろうかとまで思った。  僕の場合、 共演するミュージシャンの有名度、 出演するジャズクラブの有名度が高くなれば高くなる程、 そのギグのキャンセル度も高くなるようだ。 僕は実はギグに向いてないのかしら。 ギグって難しい。

06/22< Kenny Garrett's Gig at the Mellon Jazz Festival その1>
 ギグのオファーが、 同じ日にたくさん集中してしまう事はしばしあるのだが、 6月22日程、 それが極まった日はないのではないだろうか。  3週間前に、 とあるシンガーのギグをもらったものの、 クラブが急に改装工事とかで、 2週間前にキャンセルのコール。   その頃、 とある女性アルト奏者より、 レストランでのデュオギグのオファーをもらったものの、 レストランのオーナーが、 ピアノ奏者は女性にして欲しかったらしく、 1週間前にごめんなさいコール。  その頃、 テナーのウェインから、 クレパトの深夜ジャムセッッションのギグオファー。  2日前、 アルトの鈴木洋子さんから、 カヴェハズというクラブの夕方の時間帯に演奏するギグオファー。  よって、 普段やってるコリアンバーのギグを加えて、 6月22日は3個のギグをこなす予定だった。  ところが、 前日夜8時頃、 ケニー・ギャレットから電話がかかってきて、 22日ひょっとするとギグを頼むかもと言われた。  予定されてるピアニストができない可能性があるので、 スタンバイ状態にされた。 しかし11時30分頃、 予定されてたピアニストと確認とれたので、 やっぱり君はいらないと言われた。  『 有名人との共演ギグは、 キャンセルされる。 』 という、 ドドトールの法則通りの展開。 ヤケ晴らしに、 クレパトの深夜のジャムセッションに遊びに行って、 帰宅は朝5時。  テレビをつけたらワールドカップサッカー 『 韓国−スペイン 』 戦の PK 合戦真最中で、 夢中になって見てしまう。 韓国の勝利を見届け、 就寝。  22日朝9時、 携帯電話が鳴る。  『 This is Kenny. I need you today for the gig. 』

06/22 < Kenny Garrett's Gig at the Mellon Jazz Festival その2>
 結局、 手違いで LA に住むレギュラーピアニストは、 飛行機に乗れなかったらしい。  急いでシャワーを浴び、 荷物を詰め、 ニュージャージー州に住むケニー宅へ向かう。 (9:50 am )  その道中に、 この日演奏する予定だった3つのギグの代理探し。 ( 2つやってくれた、 熊谷君ありがとう。 )  ケニーは、 昨年末マンションから1戸建てに引っ越していて、 その新居に行くのは初めてだった。  さっと二人でリハ、 譜面をそろえ、 ケニーの車に乗せられる。 ( 1:30 pm ) 『 今日はいったい何の仕事なんですか? 』 『 フィラデルフィアの Mellon Jazz Festival だよ。 』  ケニーの指示で、 車内ではケニーの新譜 『 Happy People 』 を譜面チェックしながら、 CD を何度も聞いて勉強しなければいけなかった。  約2時間弱で会場に到着。 ( 3:30 pm )  ものすごく尿意をもよおしていたので、 会場に着くや否やトイレに駆けこむ。 すると警備員が訝しげに、 君は何者だと尋ねてきた。  『 ケニーバンドのピアノです。 』 それでも彼は不審そうに、 トイレを出た僕の後をついてくる。  ケニーのマネージャーから、 出演するミュージシャンである事を証明する、 首にかけるカードをもらったのを見て、 彼はようやく安心したか、 さっと立ち去った。 謎の東洋人が遭遇する、 よくある風景である。  楽屋に用意されてある、 ビュッフェのフルーツを食べながら、 久しぶりに会ったケニーとお互いの近況報告。  『 ところで今日のギャラは $??? だから。 』 とケニー。  今日やる予定だった3つのギグのギャラの合計を余裕で超えている。  『 演奏は1時間だけだし、 簡単だよ今日は。 』 短時間高収入。 大好き。  その間、 この日に出演するミュージシャンの多くが、 ケニーに挨拶しに来る。 ( エディ・パルミエリ_バンド、 チャック・マンジョーネ_バンド、 ナタリー・コール_バンドが出演 )   僕もケニーに紹介されて、 にっこりと握手をかわす。  その実、 彼等に、 心の中では 『 俺、 ケニーバンドのピアノ。 見て見て。 この俺を見て。 』 と叫んでいた。  これを虚栄心と、 昔の人は言ったという。

06/22 < Kenny Garrett's Gig at the Mellon Jazz Festival その3>
 演奏時間が近づく。  サウンドチェック。  会場は、 小高い丘に設けられた野外ステージ。  芝生席を加えたら、 5千人は収容できそうなキャパ。  ドラムスのマーカス・ベイラー、 ぎりぎりに会場入り。  慌ててシンバルをセット。   ベースのヴィンサンテ・アーチャーは、 前日もルイス・ヘイズ_バンドで演奏したので、 要領を得たアンプの調整。   特にやることの無いピアノの僕は、 ステージ上をソワソワと動きまわるだけ。  簡単なスピーカーチェック後、 メンバーは控え室にもどされ、 皆で手をつないで環になって、 目を閉じ数分間のお祈りの儀式。  5時50分、 演奏開始。  曲目は、 車内で勉強した新しい CD からの曲はやらずに、 僕のやった事のある、 昔のレパートリーを3曲演奏した。   不思議な程緊張しなかった。 ( 2000年10月の、 初めてのケニーギグのものすごい緊張感が懐かしい。 )   マーカスとヴィンサンテのリズムセクションのグルーヴに、 自分はただ身を任せればよかった。  ケニーのソロの呼吸を聞いているだけでよかった。  数千人のお客さんの、 拍手と歓声が快感だった。  あっという間にショーは終わった。  控え室に戻ると、 ケニーに日本語で 『 タイヘンヨクデキマシタ!! 』  と握手を求められる。 『 また僕を使ってね。  使って。  使って。   お願い。  お願い。  お願い。 』 とケニーの手を握り返す僕。  驚いた事に、 トランペットの原朋直さんが舞台袖にいて、 僕の演奏を聞いていた。  今月 NY に遊びにこられていて、 これまで何度か原さんのライブに遊びにいったりしてたのだが、 まさかフィラデルフィアで会うなんて、 思いもしなかったので、 なんだかとても嬉しくなった。  原さんが NY 滞在中に居候している、 トランペットのブライアン・リンチが、 エディ・パルミエリ_バンドで吹いているので、 一緒についてきたそうだ。  原さん1曲シットインして、 大きな拍手をもらっていた。  同じ日に同じ舞台に立った2人の謎の東洋人、 きっと、 フィラデルフィア人に強烈な印象を残したに違いない。  近所に住むヴィンサンテの車で帰宅。 ( 11:30 pm )  この日ばかりは眠りたくなかった。  レギュラー選手がケガをしたために、 メジャーリーグから急遽招請され、 何試合かプレイして、 そこそこの成績を残すものの、 レギュラー選手のケガが治ったために、 またすぐにマイナーリーグにを繰り返される、 選手の心境がよくわかる。    寝て起きたら、 またもとの生活に舞い戻る。  12時をまわったら魔法がとけてしまう、 シンデレラの心境さえよくわかる。  この日のままでいたい。   この日の素敵なドドトールでいたい。  寝ちゃだめだ。  寝ちゃだめだ。  寝ちゃ・・・  寝ちゃ・・・・・・・・ あっ、 寝ちゃった。

07/08  <井手直行君へ>
 友人でアルトサックスの井手直行君が1ヵ月の NY 滞在を終えて、帰国した。  ちょうど NY は JVC ジャズフェスティバル期間中だった事もあって、夜な夜な共にライブ巡りやジャムセッション巡りをした。  バークリーを3年前に卒業後、日本で活動を続けている彼が、今回意を決しての NY 訪問。 彼にとってこの旅が、今後の生活にどう影響を与えるのかはわからない。 NY で音楽活動をしようという欲望も少なからず感じた。  8月でミュージシャンとして NY 生活4年になった者として言える事は、 NY は楽だということ。  1)人が多く集まってくる街なので、容易く人脈を広げられる事。
 2)すごいミュージシャンが周りにいる事で、『仕事がないのは、自分が実力不足だ』とすっきりとわかる事。
 3)周りがすごいお陰で、自分も練習しなければとか、何か創造しなければという気に常にさせられる事。
 ある意味、 NY にいる事は、『甘やかされてる』といってもいいと思う。 僕はこういう環境でぬくぬくと過ごしてこれた事は、とてもありがたく思っている。  毎晩、飲めや歌えで、こんな話、恥ずかしくてしなかったけど、ここのページに書いてしまいました。 メールで書けば済む話だったかもね。