00-10 (Japanese Only)

2002年 その2

 

07/13  < Toru Dodo trio will play at the Blue Note New York >
 7月21日の日曜日のブランチタイムに、 Blue Note (NY) で演奏します。 先月から日曜日の昼は、 " East Meets West " というタイトルの下、 NY に住む日本人ミュージシャンが、毎週出演しているのです。そこで今回、僕にもお鉢が回ってきたという次第です。
 何といっても、初めての Blue Note 出演なので、少々緊張と興奮しています。  せめてこれが、最初で最後の Blue Note ライブにならないようにしたい、とは思う訳です。苦節何十年の演歌歌手が、初めて紅白歌合戦に出演したかの如くステージで泣く事は、まずないでしょう。
 今回のトリオは、 Matt Clohsey というオーストラリア出身のべースとタケトリヤマという元『お屠蘇組』のドラム。
(『お屠蘇組』----昨年の Creopatra's Needle の年明けライブの為だけに百々徹が結成した、歌あり踊りありのバンド。復活を望む声は、菊地桃子に『ラムー』を復活させようとする程に少ない。)
 日曜の Creopatra's Needle のジャムセッションでは、始めの1時間はホストバンドで演奏するのです。そこでやっている演目を、今回の Blue Note で2セット行う感じでしょうか。そのくらいの気持ちでリラックスして演奏したいと思ってます。やってはいけない事は、1st Set 終了後に、『休憩後はジャムセッションになります。シットインしたい方は、 Sign-up Sheet にお名前を書いてください。』等と、いつもの癖でアナウンスする事でしょう。
 という事で、21日の日曜の昼下がり、素敵な音楽を聞きながらランチでもしたいな、なんていう方々、是非 Blue Note へお越しくださいませ。足バタバタ、眼鏡ズルズルさせながらピアノを弾く、挙動不審な謎の東洋人が、特別なブランチ体験をさせてア・ゲ・ル・
(日本でこれを読んでいる方、間違えて東京 Blue Note 、大阪 Blue Note や福岡 Blue Note に行ってもいいんですよ。 Blue Note さんは嫌な顔はしないと思います。)
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TORU DODO Trio at the Blue Note NY 12:30pm & 2:30pm $19.95 ( with lunch ) Blue Note is located on 131 W.3rd St. between 6th Ave& MacDougal St. (212-475-8592)

07/17  <21日のお昼は Blue Note でお会いしましょう。>
 ハハハハハ。 まずは笑っておきましょう。
 これまで、 “ 共演するミュージシャンや 演奏する会場の 有名度数が高い程に、 そのギグはキャンセルされる ” という 『 ドドトールの法則 』 に度々泣かされてきた百々徹。  事が本当に起きるまで何も信じられないという PTSD に苛まされている百々徹。  21日の Blue Note のギグも、 有名度数が、 かなり高めだ。 嫌な予感はあった。 テロでも起きてキャンセルになりはしないだろうか。
 やはり事は起きた。
 昨日、 21日の Blue Note のライブに向けてリハをしていた最中に電話が。 『 Blue Note ですが、大変申し訳ないことになりまして・・・・』
すわ! キャンセルか!? 『 その、 ピアノが無いことが判明しまして・・・』
 Blue Note は、 その週の夜のバンドがピアノを使わない時は、 グランドピアノをどこかの倉庫にしまってしまうのだそうだ。  それを見越して、 この Sunday Brunch ショーは、 ピアノが無い週にはギターの人を、 ピアノがある週にはピアノの人をブッキングしているという。
 今週は (16日から21日)、 『 Take 6 』 というおなじみアカペラコーラスグループ。  過去2、3年の彼等の Blue Note でのショーでは、 ピアノを使っていたという。 そこで今回もピアノはあるものと判断して、 僕にオファーが来た。
 ところが、 蓋を開けてみれば、 今回 『 Take 6 』 はピアノを使わず、 キーボードを持ち込んで来たという。 一度舞台を設営した後に、 グランドピアノを Sunday Brunch のためだけに運び入れる事はできないという事だった。
『 そこで、 キーボードで演奏してもらわなくてはいけなくなりまして・・。』
 拍子抜けしてしまった。
 自分はピアノ弾きだと思っているし、 ピアノ用に曲を書いているわけだし、 それをキーボードでやるとなると、 音楽も違うものになってしまうし、 なにせ、 キーボード弾く姿は絶対、 様にならない。 ( 仮に、 僕がブラッドピット並の容姿を持っていたとしても、 キーボードを弾く姿は映画にはならないと思う。 )
 悩むのは、 『 それでは僕の音楽ができませんので、 キャンセルさせていただきたい。 』 と毅然と言えない自分だ。 Blue Note ,,,,,,,,,, やっぱ出てみたいんだなぁこれが。
 キースジャレットなら出ないだろうなぁ。  もっとも Blue Note が彼に Sunday Brunch ギグを頼むとも思えないしなぁ。  やっぱ偉くなりてぇ、 偉くなりてぇなぁ。  おカァちゃ~ン。
 文体も語調も乱れる程に、 困惑、 混乱した。
 一晩寝て、 やっとこの HP にこの事態を書ける程に回復した百々徹。 21日、 Blue Note がレンタルしてくれた YAMAHA PC-80 を弾いてみようと思う。
これでテロは回避されたんだ。 よかったよかった。
ハハハハハ。
笑えばいいんだ、 と僕のカウンセリングの先生はいつもおっしゃってくださります。
Toru Dodo Keyboard trio @ Blue Note sunday brunch ( 131 W.3rdSt, 212-475-8592 ) 2 Shows ( 12:30pm & 2:30pm ) $19.95 ( including food and a drink. ) toru dodo ( key ) matt clohesy ( bass ) take toriyama ( drums )

7/21< Blue Note Debut >
 やはり、 僕の Blue Note Debut がキャンセルされる可能性はあった。 前日の朝に、 East Village にある電気会社の施設で火事があり、 ダウンタウンの大部分で停電。 地下鉄もストップした。 Blue Note の夜の『 Take 6 』のライブもその影響で1 st セットはキャンセルされたそうだ。 日曜には無事すべて電気は回復。 地下鉄も正常運行。 サウンドチェックの始まる11時に Blue Note に入る。 ステージには、『 Take 6 』とラベルの付いたキーボードが4台、 所狭しと並べてあった。
 ところが、 僕が弾く事になっているキーボードが、 まだ届いていない。 サウンドエンジニアのリッチさん、 レンタル会社に電話して確認。 11時30分頃、 キーボードが到着。 Kurtzweil の88鍵だった。  ところが、 PA の調子がおかしく、 ラインから音が出ない。 リッチさん、 昨夜のショーを担当したエンジニアに電話して確認。 1st セットの12時30分が近づいても、 PA が直らない。 ギターアンプにキーボードをつないで音を出すしかないという事になった。 トーキングマイクも音が出ないので使えない。 司会する時は、 大きい声を出してやってくれと言われた。 大きい声で泣きそうだった。
 いよいよ開演という時に、 幸いにも PA が回復した! 直ちにキーボードのコードを、 アンプから PA のパッチにつなぎかえる。 結局、 バンド全体でサウンドチェックも出来ないままに本番開始。
『 Blue Note presents........TORU DODO Trio!! 』
という会場のアナウンス後、 演奏開始。
 いいキーボードだった。 弾きだしたらピアノと同じようなものだった。 英語の司会も、 お客さんがクスクス笑ってたので、 多分通じたんだろう。 売れ残っている『 Melancholy Cats 』という僕の4年前に作った CD も見事2枚も売れた。  2セット目こそ、 知り合いのみがポツポツといるくらいであったが、 1セット目は割と会場は埋っていた。
 聞きに来てくださった方には本当に感謝。  キーボードになって、 落ち込んでいた僕に、 励ましのメールをくださった方々に感謝。  電子レンジ用赤飯で陰膳して、 成功を祈ってくださった大阪の NAMIE & JUSO さんに感謝。  エンジニアのリッチさんのプロフェッショナリズムに感謝。  TAKE さん Matt さんサウンズグレイト!
 そしてありがとう! Blue Note 。
 終わって見れば、 めでたしめでたしだ。 充実した疲労感が心地よかった。 またいつか、 Blue Note に出演する機会があることを祈っておやすみなさい。  ( あ、 そうそう、 間違って Tokyo Blue Note, Osaka Blue Note, Fukuoka Blue Note に行かれた方にも感謝。 )

08/05  <『 DoDo 』---9/26発売!>
 実はまだ、 きちんと会社と契約を済ませてはいないので、 これまでこのサイトで発表するのを控えていましたが、 先日、 友人の井手直行君の HP の BBS 上に、 僕の CD が既に予約可能だ、 と書き込まれてあるのを発見し、 自分でもネットサーフィンしてみたところ、 どうやら本当の気がしてきたので、 ここで晴れて報告させていただきます。  どうやら9月26日に僕のピアノトリオの CD が日本で発売されるようです。 徳間ジャパンコミュニケーションズの 『 Jazz City Spirit 』 レーベルから出ます。 CDのタイトルは 『 DoDo 』 で 2,718 円。 サイドメンバーはドラムスが John Lamkin 、 べースが Reuben Rogers 。 ( もちろんピアノは、 この私、 百々グレースです。 )  自主制作盤 “ Melancholy Cats ” ( Disk Union 専属販売 ) 発売から約3年振りの2枚目のピアノトリオ CD は、 実質上、 僕のメジャー・デビュー・アルバムとなります。  既に日本全国の主要レコードショップ、 オンラインネット ( Amazon.com やら、 新星堂ショッピングサイト等 ) で予約可能です。  さて、 タイトルが 『 DoDo 』 となっていたのは、 ネット検索するまで知りませんでしたが、 僕はとても気に入りました。  このニューアルバムは、 『 百々 』 という苗字を、 皆が 『 ドド 』 と読めるようになる啓蒙の CD となることでしょう。
 病院の待合室で、 看護婦さんに、 『 え~、ひゃく、、、え~、あっ、モモさ~ん、いや違うな、え~と あの、ひゃくひゃくと書かれる方なんですけど~、 どうぞお入り下さい。 』 等と呼ばれた全国の DoDo さん!  電話で、 ケーブルテレビに加入する際に、
オペレーター 『 それではお名前お願いします。 』
百々 『 ドドです。 』
オペレーター 『 えっ!? 』
百々 『 百に人々やら山々の々で、 ドドと読みます。 』
オペレーター 『 えっ!? 』
百々 『 ですから漢数字の百に、 繰り返し記号のような漢字あり それでドドと読むんです。 』
オペレーター 『 えっ!? ドロさん? 』
等と苗字説明に疲れ、ケーブルテレビ加入を諦めた全国の DoDo さん!  このピアノトリオアルバムは、 日本全国におられる 『 百々 』 という名を持つ者にとっての、 解放の CD となることでしょう。 より多くの人がこの CD を買い、 毎日ジャケットの <『 DoDo 』百々> という文字を目にする事は、 『 百々 』 族のスムーズな社会生活、 よりよい未来につながるのです。  まずは全国の DoDo さん!! ( ところで、 全国に 『 百々 』 さんって何人いるんだろう? そんなにいないよなぁ。 困った。 ) CD を一人2枚以上は購入しましょう。 それらを、 先程の看護婦さんやオペレーターさんに配りましょう。 そこから始まるのです。 全国の 『 宇多田さん 』 や 『 浜崎さん 』 や 『 モーニング娘 』 さんも、 そこから始めました。  問題は、 『 百々 』 と書いて 『 モモ 』 と読まれる 『 百々 』 族も大勢いられるという事と、 『 DoDo 』 を 『 ドゥードゥー 』 と読む、 英語好きな方も大勢いられるという事で、 世の中って、 なかなかうまくいかないものですね。
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(おまけ) CD 『 DoDo 』 を購入したオペレーターの場合
オペレーター 『 それではお名前お願いいたします。 』
百々 『 ドドです。 』
オペレーター 『 あっ! 百々さんですね。 下のお名前お願いいたします。 』
百々 『 えっ? あのドドって百に....... 』
オペレーター 『 山々人々の々ですよね。 』
百々   ( ああ、 CD 持っているんだな。 )
オペレーター 『 それでは下のお名前お願いいたします。 』
百々 『 グレースです。 』
オペレーター 『 あの、 徹ですよね? 』
百々   ( ああ、 CD 持っているんだな。 )

08/24  <ダイアンリーヴスを聞いて泣く。>
 もう2週間前の話だが、 ダイアンリーヴスの Village Vanguard でのライブを見て、 涙した事を書こう。
 基本的に自分は涙もろい。 『 スクールウォーズ 』 の和田アキ子の演技にも泣いたし、 NJ 州にある遊園地 『 Six Flags 』 のイルカのショーでも泣いてしまった程だ。
 でも今まで、 Village Vanguard で涙したことは、 なかった。 大概、 ジャズクラブで他人の演奏を、 『 すごい! 』 とは思っても泣いてしまうまで浸ってしまう事はなかった。
 同業者のやってる事だ。 あいつはどんな風に演奏するんだろうとか、 盗めるところは盗もうとか、 そういうこころもちで人のライブに行っていた。 だから、 たとえブラッド・メルドーを聴いて 『 すごい! 』 と吹っ飛ばされても泣く事はなかった。 Vanguard で隠し撮りがばれて MD を没収された知人の話を聞いて、 涙しそうになったのが精一杯だ。
 しかし、 ダイアンリーブスの歌はそんな自分を泣かした。 いい歌手というのはいるものだ。  1曲1曲の説得力。 重厚な語り口。 心地よい高揚感。 Vanguard の箱全体が、 ダイアンの声で振動していたようだ。 その振動が、 もろに自分の琴線を震わせた。 鳥肌がたち、 知らずに目頭が熱くなった。 『 Diva 』 ってこういう人のためにある言葉だと思った。 音楽ってこうだったなと思った。
 同業者として、 自分も自分の音楽で人に喜んでもらえるようになりたいと思っていた。
 でもどこか、 演奏していて 『 凄いだろう、 俺様は! 』 『 ほら、 このフレーズを聞け、 このコードを聞け、 このリズムを聞け、 おらおらおら。 』 というサド気分になってしまう自分を否定しきれない。  同業者が聞きに来ていたらなおさらそうなる。
   でも音楽ってそうじゃないよと、 ダイアンは教えてくれたように思う。 歌を歌えばいいんだよと教えてくれてたように思う。
 自分のライヴ後、 お客様に 『 百々さん、 すごくよかったよ! 』 と声をかけてもらえると、 凄く嬉しかった。 でも彼等の目は乾いているんだなぁ。
 お客様の 『 すごかった! よかったです! 』 と 『 涙をながして惜しみない拍手を送る。 』 の間は大きいなぁと最近考える。 そして音楽家の力量について考える。

09/01  <焼肉-寿司-BlueNote-長い顔>
 昨年知り合いになった大阪のおもろい夫婦 JUSO & NAMIE さんが NY に再び遊びにこられた。 HP の更新後毎回、 感想と励ましのメールをくださる大切なファンである。 今回も、 自分のクレパトジャムセッションを聞きにきてくださり、 MC 全然なってないよ、 もっとお笑い勉強しないとアカンよと、 指導してくれるありがたい二人だ。 二日に分けて焼肉と寿司をたらふくごちそうになった。 特にカウンターに座って、 板前さんのお任せコースの寿司は圧巻。 今回の旅行を同行された NAMIE さんの友人の中学の理科の先生が、  『 今回は私がお代を持ちます。 』 となったとたん、 JUSO さん、 トロおかわり。 私は芸者。 このお礼は僕の芸でいつかお返しするわ。
 8月の29-31日の3日間、 どういうわけか深夜12時過ぎの仕事が続いた。  29日は、 バークリーを卒業して NY に出てきた日本人コンポーザーの西山君のデモ録音の手伝い。 ( 0:00-3:00am )  26丁目にあるそのスタジオは、 深夜だと少しスタジオ代が安くなるのだそうだ。 ドラムレスのスローテンポの曲が多くてチャレンジだった。  30日は、 Blue Note の深夜のジャムセッションの、 ホストバンドの仕事が入った。 ( 1:00-4:00am ) Jeremy Pelt (tp) が、 レギュラーでやっているピアノの人に代理を頼まれたらしく、 Jeremy は僕を使ってくれた。 メンツは他に Derek Nievelgert (b)、 Donald Edward (ds) 。 なんだかごきげんだった。 シットインにきたのは日本人女性ヴォーカル、 トチマリさん ( 一説では、 日本のヴォーカル界では有名な人らしい。 ) と、 テナーのロー・ハセガワ ( NY 日本人ジャズミュージシャン仲間の恋のカウンセラー。 ) の二人だけだったので、 ほとんどバンドのショーだった。 ( お客さんは多かった。 Blue Note の週末の深夜は5ドルで入れるという事もあるのだろう。 ) 前回のデビューライヴで弾けなかった スタインウェイ・ピアノを、この夜ばかりはこれでもかと弾くことができた。 やっぱり生ピアノがいい。
 31日は、 クレパトの深夜ジャムホストの仕事。 ( 1:00-4:00am )  ベースのナット・リーヴスが遊びに来ていた。 2年前のケニー・ギャレットの仕事で、共演して以来の再会。 僕は彼の顔をすっかり忘れていたし、 向こうも、 当然僕の事など覚えていない感じで互角の勝負だった。
 今日、 日本の両親から Swing Journal 誌 9 月号の広告に載った、 9月26日発売の CD 『 Do Do 』 の写真のコピーが Fax されてきた。 ビルエヴァンスの初期の頃のようにオールバックで、 という会社の指定だったので、 そうしてはみたものの ( 生涯初の試み。 ) なんだか顔長星の顔長星人のようになってしまっている。 うむ。 今どきの女子高生は、 まずジャケ買いしなさそうだなぁ。 顔長星の女子高生に期待だ。

09/20  <『 DoDo 』 発売前夜>
 CD発売を控えソワソワしてます。
 録音から9月26日の発売日まで約1年半かかっています。 始めは昨年末には出るのではという事を言われていたのが、 紆余曲折を経て、 ここに発売となりました。 感慨はひとしおです。
 今回、 プロデュース並びにエンジニアをしてくださった、 増尾好秋さんには大変感謝しています。 『 ほとんど無名の新人 』( Jazz Life 10 月号批評 ) の僕に、 好き放題やらせてくれたのですから。  『 Catharsis 』 という曲のマスタリングに苦戦し、 スタジオ内をぐるぐる歩き廻り、 もがき苦しむ、 増尾さんの姿に愛を感じました。
 Jazz city Spirit の有賀さんの粘り強い交渉と、 徳間ジャパンのディレクターの、 福井さんの判断力に感謝します。 この 『 純文学ジャズ 』『 首席のジャズ 』『 平易ではない 』『 陰にこもった感じ 』( 寺島靖国、 http://www.asahi.com/woman/jazz/020919.html ) の内容の音源を商品にしてくれた、 その気概にとても励まされました。
 今日、 NY を訪れた有賀さんにサンプル盤を頂きました。 ジャケットに写っている自分の、 『 東洋的な神秘をこれくらい100%表現した顔付 』 『 西田幾太郎の若い頃の風貌 』( by 同じく寺島靖国 ) を初めて間近で見て、 どこか別人のようでもありました。
 こんな風な曲を書いて、 こんな風に演奏する者ですが、 皆さんいかがでございましょう? というスタンスで作られた、 この 『 DoDo 』。  この CD を聞いてくれた人が、 どのような感想を抱くか、 非常に興味深いです。 感想メール、 歓迎します。 ( todorudo@hotmail.com ) 因に、 『 ちょっと驚きの秀作 』( Jazz Life 10月号 ) 『 明らかに傑作 』( Swing Journal 10月号 ) らしいですよ。 何分これに生活かけてますので、 売れたらいいなぁ~~~~~~~~~~~~~ と、 思っているのが正直なところです。

9/29  < Jeremy Pelt Sextet 2 days >
 ジェレミーペルト (tp) のギグ無事終了。 28日はボストンの Equinox Jazz Festival 、 29日は NY のタイムズスクウェアに新しくできた Sage Theater で演奏。  メンバーは Myron Walden (as)、 Marcus Strickland (ts)、 David Euphros (b)、 ドラムスは、 28日が Pete Van Nostrand (ds) 29日が Ralph Peterson (ds) だった。
 ラルフとの共演は仕事では初めてで、 緊張した。 ドカスカビシッと豪快なドラムをたたくのを、 色々なライヴで見てきて、 彼と演奏するとなったら、 どんな感じなのだろうと思っていた。  演奏中、 心がけたのはカウントをしっかりとる、 という事。 優れたドラマーは、 なんといってもタイムが正確このうえない。 1、2、3、4、1、2、3、4、 の上に、 とんでもないドコスカビシッを叩き込んでくる。 気をぬくと、 ドカン!! というアクセントが3と4の間に入ったのを、 1だと勘違いしてしまってロストする事がよくある。
 全曲、 僕は 『 イチ ニ サン シ イチ ニ サン シ 』 とつぶやきながら演奏した。 英語でカウントすると、 舌を軽く噛む Three のところで、 どうもリズムが狂うので、 やはり日本語で数えた。
 すると、 ラルフはピッタリ 『 イチ ニ サン シ 』 で叩いてくるんだなぁ。 これは発見だった。  ジャズのルールは、 皆が同じ 『 イチ ニ サン シ 』 の土俵に立つということなんだ。 その上で、 めいめいが上手出し投げ、 小股すくい、 猫だまし等 様々な技をくりだすゲームなのだ。 ( 相撲にたとえる理由がわからないが。 あえていえば、 ジェレミーもラルフも巨漢だからかなぁ。 )
 最近、 口呼吸は健康に悪いというのを聞き、 演奏中も口を閉じるようしていたのだが、 これからは、 舌顎ガクガクさせて、 『 イチ ニ サン シ 』 とつぶやきながらピアノを弾く姿を、 さらすことになるでしょう。  ラルフのドラムをこれで切り抜けることが できたのだから、 背に腹はかえられないっていうやつですね。
『 イチ ニ サン シ イチ ニ サン シ・・・ あれっ、 おかしいな、 ロストしたぞ。 おわっ! いけねっ! この曲3拍子だった !! 』 寒いですか?  もう夏は終りです。

10/04  <クレパト深夜の怪その1>
 ジェレミーの Sage Theater でのライヴ後、 Creopatra's Needle で深夜のジャムセッションのホストバンドで演奏した。 そこで起きた数々の印象深い出来事をどうぞ。
1)謎の黒人ミュージシャン
 クレパトに到着したのが深夜1時前。 非常に混んでいたので店の外で友人としゃべっていた。 すると店から出てきた、 黒いスーツに身をかためた黒人が、 『 この CD を見てくれ。 』
とやおら僕に渡した。    自主制作まるだしの、ジャケットの印刷が ゆがんでいる代物だった。 『 亡くなったビリーヒギンズがドラムをたたいているんだ。 』  ジャケットの写真にはビリーヒギンズらしき人が、 ぼんやりと写っていた。 『 この音楽を聞いて耳を開くんだ。 』
とかなんとか熱く語られた。  ジャケットのクレジットをよく読んでみたら、 この CD はこの黒人のリーダー作だというのがわかった。 クレパトにも出演してるピアノの人だとわかった。 『 お前はミュージシャンか? 』
そうですけど。 『 それじゃミュージシャン割引で $10 だ。 本当は $20 するんだがな。 』
 CD の押し売りじゃん! 『 現金持ってないのでまたの機会に。 』
と逃げた。 初対面の人にいきなり、 自分の CD を買わせようとする態度がどうも理解に苦しむ。 例えば、 Swing Journal に絶賛されたとか、 ジャケットデザインが寺島靖国さんにほめられてるんだぞ、 とか言ってくるんだったらわかるけど、 いきなり、 『 $10 だ。 買え! 』 はないでしょう。
2)謎の日本人老夫婦
 クレパトに来ていた日本人老夫婦。 どこか上品な雰囲気のある二人。 演奏前に、 『 あなた日本人? 』 と旦那さんに声をかけられた。 NY 旅行中とのこと。 『 歌を少し歌うのだけれど、 なんとかのなんとか、 という歌知っている? 』 と聞いたことのないタイトルを言われた。 『 もう70年も前の歌だからね。 知らないよね。 まぁよく勉強してください。 』  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  僕の演奏をひととおり聞いた後、 また旦那さん、 話しかけに来た。 『 初対面でなんですけど、 あなた、 もう少しリラックスして弾かれたらどうでしょう。 ほら、 エリントンなんか、 ポロンポロンって3つの音だけで、 とてもスイングしたでしょう。 あなた一生懸命弾いてとてもいいんだけど、 もっとリラックスしたほうがよくなるんじゃないかな。 』  ラルフピーターソンとの壮絶な共演で、 いい気分になっていた矢先のこのアドヴァイスに、 少々、 水をかけられた思いであったが、 ありがたく聞いた。 老人の言葉は重い。  彼は帰りがけに、 $20 紙幣を取りだし 『 あなた、 これでモーニングコーヒーでも飲みなさい。 』 とチップをくれた。 一体彼は何者なのだろう?
3)カバン盗難事件
 深夜4時、 ギグ終了。 帰ろうと、 ピアノの下を見たら、 置いてあった自分のカバンがない! クラブ中見回したがない!  カバンの中には、 薄手のコートに、 携帯、 MD とラルフとの初共演ギグを録音したディスク、 MD のマイク、 ジェレミーの譜面、 今年の夏のブルーノート初出演から、 この日のジェレミーギグまで写した、 使い捨てカメラが入っていた。
 オーナーに伝えると、 『 店内には防犯ヴィデオが設置されてるから明日見せてあげよう。 』 と言われた。___(続く)

10/04  <クレパト深夜の怪その2>
 日曜、 自分のホストのジャムセッションの日。 少し早めにクラブに行き、 オーナーにビデオを見せてもらう。
 画像は残念ながら鮮度がさほどよくない。 ただその人が誰であるかは、 その人を知っていれば、 認定できるだけの鮮度はある。 ( ビデオ上に、 自分や友人の姿を認めることはできた。 )
 あまり詳しくはここには書かないが、 ビデオ上に、 自分のバッグを取ったと思われる人を、 発見することはできた。  人づてに、 その人の連絡先もつかむ事ができた。 事件の3日後、 10月1日、 その人と直接電話で話すことができた。  ビデオの事を述べて、 何か心当たりはないかと尋ねると、 その人は、 とてもヒステリックに怒った。  何、 私が君のバッグを取っただと? 侮辱だ! 一体私をだれだと思っているのだ! とまくしたてられた。 危うく、 ごめんなさい! とこちらが謝りそうになってしまった。 そしてガチャンと電話を切られてしまった。
 この電話後、警察に届け出を出した。
 盗難は日常差判事。 取られた方がいけないとはいわれるが、 今回は、 どうも怪しいと思われる人がいるだけに、 なんとも悔しい思いでいっぱいだ。 警察にすべてまかせてはみたものの、 今やテロ対策で忙しいこのご時世、 この程度 ( 総額 $500 程度の損失 ) の 盗難に、 きちんと仕事してくれるかは、 あまり期待できないのです。
 以上、9/29 から 9/30 早朝までに起きたエピソードでした。

10/04  <デモレコ、 FM 清水、 BN >
2pm-6pm
 NY 在住ボーカルのマミコさんのデモレコーディングで、 スタインウェイピアノ屋さんのペントハウスにある、 NOLA Recording スタジオに行く。 ピアノはもちろんスタインウェイ。  最近、 歌伴の面白みがわかってきた。 ポイントは、 どうやったら歌を効果的に響かせてあげられるかだと思う。 瞬時のアレンジ能力も問われる。 あとは、 歌詞の勉強かな。 ( これができてない。 )
10:15 pm
静岡県の FM 清水の “ 電話ライヴインタヴュー ” を受ける。 ベースの中村健吾さんの HP の BBS に、 僕の CD 『 DoDo 』 に関する書き込みを読んだ番組の DJ 三輪祐子さんが、 直接メールでコンタクトしてきた。  『 無名の新人 』 に興味を持って、 番組出演を依頼されるとは、 名誉なことだ。 ありがたく出演させていただいた。  生放送、 電話越し、 と若干緊張したが、 三輪さんの巧みなリードにひっぱられるように受け答えした。  『 ジャズをはじめたきかけ 』 から CD 『 DoDo 』 への 思い入れ等を聞かれた。  事前に、過去のこのページを、チェックしてくれたみたいで、 『 百々グレース 』 の 『 グレース 』 の意味を聞かれたのには、 少々どぎまぎした。  10分ばかりのコーナーであったが、 貴重な体験。
1am-4am
再びジェレミー・ペルトのバンドで Blue Note の深夜のジャムセッションのホストの仕事。  若手ピアニストがそろった。 テレンス・ブランチャード・バンドで弾く18歳のアーロン・パークスから、 アルトゥール・サンドバルのバンドで弾くロバート・ロドリゲス、 すでに貫祿がついてきたロバート・グラスパー等が遊びにきた。  始めの3曲自分が弾いた後、 ずっと彼等の演奏を聞く。 皆うめーなー、 ちくしょー、 という感じ。  若くみられるがもはや30歳の百々徹、 歳を感じてしまう。
 この日、 ある黒人トランペッターに声をかけられた。 妙にニコニコしている。 だが僕は彼が誰だかわからなかった。 なんとなく引き気味に 『 Hi 』 と返事したのみ。  彼の演奏を聞いて、 どこかで聞いたことあるなぁと思った。 廻りの人に、 あれ、 ダレン・バレットだよと言われ、 驚いた。
 彼、 激ヤセしたのだ!!
 ボストン時代、 毎週のように Walley's Jazz Cafe というところで共演してきた人を認識でないとは! ( 最後に会ったのは約2年前。 )  かつては、 すごくガッシリとした体格で、 相手を威圧するものがあった。 今や使用前使用後の使用後だ。  セッション終わって、 信じられない顔つきで挨拶にいく。 『 いや~、 全然誰だかわからなくて失礼しました。 』 『 ドド、 ( 彼は昔から僕を苗字で呼ぶ ) NY 来てから態度でかくなったんじゃないか? 』 と冷やかされた。  聞けば、 毎日走ってダイエットしているという。 自分の目に自信がなくなった。

10/18  <初な私を許してネ。その1>
 今月発売の Swing Journal 11月号に僕のインタヴュー記事がのります。  伝統あるこの雑誌の1ページに、初めて僕が 割り当てられた事は誇りに思ってもいいですよね。
 インタヴューは先月中頃、 SJ 誌から E-mail で行われました。 朝日新聞の Web に僕の CD を紹介してくださった 寺島靖国さんによるインタヴューになる、 とのことでした。 メールには、 ジャズをはじめたきっかけ、 好きなピアニスト、 現在の活動状況といった一般的な事柄から、 この CD を聞いて難しいと感じたという寺島さんからの感想、 それに絡めて、 作曲についてどういう考えを持っているか等の質問が並べてありました。
 さて、 今日、 この刷り上がったばかりのインタヴュー記事が、 徳間ジャパンの福井さんから Fax で送られてきました。
 読んでみて、 少々驚くことがありました。 記事は、 デビューしたての百々徹の紹介がテーマとなっています。  問題は、 僕が発言していない事が、 『 』 内に、 あたかも、 僕が発言したかのように書かれていることです。   メールでのインタヴューを、 さも会話したかのように書いている性質上、 しょうがない面はあります。  まだ寺島さんとはお会いしたことはないですし、 寺島さんにしても、 僕がどんなキャラクターなのか知らずに、 文章をまとめられているわけです。   一見したところ、 僕の回答メールのおおまかな趣旨をくんで、 寺島さん自身が、 僕のかわりに語ってしまわれている部分が、 大変多い記事になっています。
 寺島さんもプロですし、 文章を面白いものにしようと、 手を加えたことは理解できます。
 僕もよくやります。 ここのページで、 過去にロンカーターが 『 1000本ノックだ。 』 と僕に言った回がありましたが (2001/4/24)、 もちろんこんな事、 彼が言うわけがなく、 それを、 とうに承知の賢い読者が、 ニヤリとしてくれる事を期待して、 でたらめを書くわけです。  少し具体的に検証させてもらいます。 (つづく。)

10/18  <初な私を許してネ。その2>
 少し、 記事から引用させてもらいます。 ----------------------
『 他人の意向など1ミリも入っていません。 』
『 私の身体から転がり出た私の分身です。 』
『 “ うつむき ” でもなんでもいいんです。 』
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と、 あたかも僕が発言したかのようになっていますが、 これは寺島さん自身の表現です。 もちろん、 僕の言いたかった趣旨と、 はずれてはいないのですが。  この記事で、 寺島さんはこの CD の曲を評して 『 うつむき加減の美 』 と書かれています。 面白い表現だと思います。 でもこの表現を知ったのは、 Fax が送られてきた今日です。 『 “ うつむき ” でもなんでも、、、 』 等と、 先月のメールの交信時には書きようがないのです。
また記事の別の 『 』 の中で
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『 寺島さんは “ いい曲 ” を書けというけど、 いい曲って人によって違うでしょう? この CD に入った曲が、 私にとってのいい曲なのです。 演奏が少し難しいですって? 日頃の耳の訓練が足りないのと違いますか? ( 中略 ) まあ、 寺島さんには感謝していますよ。 まったく無名だった頃、 私の自主制作 “ メランコリーキャッツ ” を褒めてくれましたから。 今後とも叱咤激励よろしくお願いします。 12月の日本公演でお会いしましょう。 』
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 99年に発売された僕の自主制作盤を、 寺島さんは褒めてくれました。 まったく無名だった僕の音を聞いて、 絶賛してくれました。 僕は、 寺島さんは耳がいい人に違いないという確信があります。 なので、 上記のような 『 日頃の耳の訓練が足りないのと違いますか? 』
等という発言をする訳がないのです。  それに、 まだお会いしたこともない方に 『 まあ、 寺島さんには感謝していますよ。 』
なんて、 僕っていったい何様なんだ? 僕を知っている人が読んだら、 キャラのギャップに笑っちゃうぞ。
 こんな些細な事に、 いちいち目くじらたててたらしょうがないよ、 芸能人なんか、 根も葉もないスキャンダルをバシバシ書かれても動じないだろ、 なんて大人は言うかもしれないけれど。  初めてのマスコミ登場という事もあり、 ちょっと神経質になっているのは認めます。
 ただ自分が発言してない事を 『 』 で語ったことにされるのは、 インタヴューの意味がないのではと思ってしまいます。  寺島さんの想像だけで書いてもらった方が、 いっその事すっきりします。  初な私を許してネ。
 もっとも、 僕がインタヴューにどう答えていたのかを 皆さんに公開すれば、 話しは早いですよね。  以下の文章から、 記事になる段階で、 いかに僕の発言がゆがめられてしまったかを見てほしいと思います。
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『 寺島は “ いい曲 ” を書けというけど、 いい曲じゃなかったって言いたいのか? この CD に入った曲はどれも名作ばかりじゃねぇか! 演奏が少し難しいって? 耳の穴よくかっぽじってよく聞いてみろ! よう寺島ちゃんよう、 あんたにはこれでも感謝してんだぜ。 全く無名だった頃、 俺の “ メランコリーキャッツ ” 褒めてくれたもんな。 まぁ今度ゆっくり飲もうや。 12月に日本公演やるからさぁ、 耳の掃除でもして待っててくれや。 』

10/21  <山田敦さんに会う>
 イーストヴィレッッジの日系居酒屋で、 山田敦さんと会食した。  山田敦さんは、 NY City Opera のアシスタント ミュージックディレクターで、 来月21日には、 日本人として初めて、 NY City Opera の指揮者として、 リンカーンセンターの舞台に立たれる方である。 因みに演目は Humperdinck 作曲の 『 ヘンゼルとグレーテル 』だ。
 出会いは、 Creopatra's Needle だった。 先月のとある日曜日、 僕がホストをしているジャムセッション Gig。  近所に住む山田さんはたまたま、 夕飯を食べにクレパトへ立ち寄って、 僕を目撃した。
 1セット目の演奏後、 山田さんは僕のもとへ話しかけにこられ、 ありがたい感想をいただいた。 名刺を交換し、 いつかご飯でも食べましょう、 音楽談義でもしましょう、 という事でこの日の食事会 ( 飲み会 ) を迎えたのだ。  サラリーマン時代から、 自ら交響楽団を結成し、 企画を立て、 コンサートを行う。 サラリーマン時代のコネを巧みに使い、 スポンサーを集い、 ヨーロッパやアメリカからゲストミュージシャンを招く。 脱サラして、 NY City Opera のインターンとなったのが6年前。 そして、 来月のリンカーンセンターデビューを迎える。
 たくましい人だ、 というのが僕の感想だ。 やりたい事があるなら、 やればいいんだというのを体現している。  早稲田大学出身の山田さんは、 音大出身でない事で、 日本ではなにかと苦労する事があるとおっしゃっていた。 日本のクラシック業界は、 音大出身ではないとクラシック音楽をやってはいけないような、 閉鎖的な所があるらしい。  でも僕に言わせれば、 山田さんはそんな事は、 とうに突き抜けてしまっている。 やりたい事をやってきた山田さんの姿はとても頼もしい。  こういう方の存在は、 音楽に係わっている身としてすごく刺激を受けるし励まされる。 11月21日の公演、 今からすごく楽しみだ。
 ほろ酔いで帰宅後、 『 僕も将来、 指揮者になろう。 』 と、 バークリーの授業で使った指揮棒を家中探したが、 見つからなかった。
(山田敦さん情報はこちら。) http://www.tcoclassic.com/  [東京シティ・オーケストラ] (NYCityOpera情報はこちら。) http://www.nycopera.com/  [NEW YORK CITY OPERA]

11/01  <ディナーパーティー2>
 再び、 ジョエルさん宅の夕食会に招待された。
 今回のゲストは、 画廊のオーナーや額縁制作者といった美術関係者が揃った。 中には、 アメリカ彫刻界を代表する David Smith の娘さんもいらした。
 昨年参加した Catskill Jazz Festival のオーガナイザーであったジョエルさん、 実は画家でもあるのだ。 彼の父親も高名な画家らしい。 今回集まったゲストは、 そんなジョエルさんの古い友人との事。
 前回の夕食会 (2/22/02参照) では、 世界情勢を巡るマシンガントークの前に、 何も発言できなかった苦い経験をした。  その反省を踏まえ、 今回は、事前にニュースをチェック、 政治経済なんでも来いの態勢で食卓に臨んだ。  ところが、 話題は、 今あそこの画廊でこういう展示会をしている、 あの額縁はこういう素材を使っている、 あの絵はこういうテーマが隠されているといった、 美術ネタで占められた。
 みんな、 イラク情勢はどうした? ロシアの人質解放の手段の功罪を問わないの? 17才スナイパーの処遇は? NY 知事選は来週だぞ、 うん? 日朝交渉決裂したぞ、 うん?
 よくわからない絵画ネタの前に、 またしても完敗だ。 ジョエルさん特製、 シーフードライスの塩気がとりわけ強く感じられる。 ワインが進む進む。 酔っ払っちゃえ、 酔っ払っちゃえ。
 それにしてもゲストの方々、 皆それぞれの分野で成功されてるようで、 年代もかなり上だし余裕がある。 僕のようなペーペーのアジア人を見る視線も、 どこか優しい。 皆さん素敵だった。 パーティトークが全くさえない僕を、 懲りずに招待してくれるジョエルさんにいたっては、 余裕ありすぎといわざるを得ない。 パーティは戦いだと思っている僕には、 程遠い境地だ。
 因みに、 今回の夕食会で繰り広げられた会話を、 帰宅後総括してみると、 どうやら 『 ボブの絵画教室 』 だけが絵画ではないらしい。 ( 注: ここは、 CD 『 DODO 』 を買ってくれた方だけが、 少しニヤッとしてくれたらいいな、 と思って書いた段落。 )

11/11  <ラムキンの電話>
 CD 『 DODO 』 でドラムを叩いている、 ジョン・ラムキンは、 ボストン時代から、 僕に様々な助言をくれるありがたい友人だ。 ( 多くのアメリカ人の友人は、 彼の事をクレイジーと呼ぶ。 その理由を書き出すと、 一冊の漫画本ができてしまいそうなので、 今回はやめておく。 )
 NY に引っ越してきたばかりの、 右も左もわからなかった99年頃、 彼から  『 NY にいつづけろ、 曲を書け、 CD を作れ、 ドラムは俺を使え、 日本を利用しろ。 』
というメールをくれたのを覚えている。  それが、 今回の CD 『 DODO 』 という形になった。
 最近、 彼から電話をもらい、 小1時間話した。 もっとも、 彼の話しを小1時間聞いたといった方が正確かもしれない。 以下が彼の話しの概要だ。
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 ジャズはマーケット的にどんどん小さくなる一方。 音楽的に、 80年代にやってた事と現在のシーンを見ても、 なにも変っていない。
 80年代にでてきたラップは、 現在ヒップホップという形態になり、 進化発展している。 R & B は、 ソウルやらジャズやらラップをとりいれた、 新しいサウンドをつくるアーティストを輩出している。
 ジャズはどうだ。 今だにウイントン、 ブランフォード・ マルサリスだ。
 しかし彼等の CD よりも、 ケニー G やノラ・ジョーンズ、 Soulive の CD の方が売れている現状を知れ。
 タワーレコードや HMV やヴァージンレコードストアの店の配置を思い浮かべろ。 入り口付近、 1階フロアにある CD が人に聞かれている音楽なんだ。  ジャズの CD は2階か地下に置かれている。 そこまで足を運ばないと聞けない音楽なんだ。
 トールはもっと何が聞かれている音楽かを知るべきだ。 ビルボード トップ10チャートに敏感になっていろ。
 トールはアコースティックピアノしか知らない。 エレピを弾くのを恐れるな。 今すぐ楽器屋に行け。 そこにあるエレピをさわってみろ。 そこから新しいアイデアが生まれるはずだ。
 トールの今回の CD はいい。 だけどジャズの CD として聞かれてしまう。 もっと幅広い層に聞かれる音楽をつくれ。 グルーヴ音楽だ。 人は音楽聞いて踊りたいんだ。 ジャズのチンチキじゃ踊れないんだ。 次に CD 作る時にはこの事をよく考えておけ。
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 彼の話しを、 僕なりに整理してみると、 今、 僕がやっている事では、 お金持ちには決してなれないぞという警告に聞こえた。  CD 『 DODO 』 がバカ売れに売れて、 笑いが止まらない夢を毎晩見ている僕に、 トール目をさませ、 現実を見ろと、 ラムキンは鞭をうってくれた。
 現在ラムキンはジャズよりも、 R & B やファンクバンドの仕事を多くしているという事だし、 来月は “ Ain't Misbehavin' ”というミュージカルでドラムを叩くらしい。
 電話の最後に、 『 トール、 いつ俺を日本に連れて行ってくれるんだ? 』  と聞かれた。 この質問はボストン時代からされている。 その度に、 絶対連れてくから、 と答えているが、 今だに約束を果たせないでいる。

11/21  <山田敦さんデビューを観る>
 リンカーンセンターにて山田敦さん指揮による NY City Opera の 『 ヘンゼルとグレーテル 』 を観た。 ありがたい事に、 山田さんは公演に招待してくださった。 ( 2002/年10/24項参照 )
 なにせ、 オペラを生で観るのは初めての事。 目にする物すべてが新鮮であった。  巨大なシャンデリアを擁する会場のつくりにまず圧倒され、 舞台の豪華なセッティングに驚く。  歌手は皆さん、 当り前だがいい声で気持ちいい。  オーケストラは一糸みだれずアンサンブルを展開。
 オペラの要である音楽を導くのが、 指揮者山田敦さんの仕事。 3時間近い大曲のスコアをめくり、 オーケストラを鳴らし、 同時に舞台上の流れを読み、 歌手に歌のキューを出していく。  最終幕フィナーレで、 山田さんのタクトを振る腕が、 一段と熱を帯びるのが伝わってきた。  カーテンコールでは、 一番最後に山田さんが、 歌手達に舞台中央に連れられ、 観衆の大喝采を浴びる。  晴れやかな笑顔で聴衆に応える山田さんを見て、 僕はぐっときて涙ぐんでしまった。
 前に、 一緒に食事をさせてもらい、 山田さんが6年かけてつかんだ、 このリンカーンセンターデビューというストーリを聞かされていて、 彼に情が移ってしまっているのは事実だが、 それに加え、 この日の彼のパフォーマンスのすばらしさを、 実際に体感してしまい、 もうただ感服してしまった。
 山田さんがこの文章を読んでいるのは知っているので、 駄目押しに言わせてもらいます。 おめでとうございます! ますますのご活躍、期待しています!
 今後、 百々徹がやたら、 プッチニーやらワーグナーについて、 熱く語り出すのを見て怪訝に思う方があるかもしれませんが、 その責任は山田敦さんにあると思って間違いありません。

11/27  <帰国公演迫る>
 まずはじめに、 クレパトの日曜のジャムセッションホストの仕事を始めて、 この24日で1年が経ちました。  足繁く通ってくれるミュージシャン、 お客様にまずありがとうをいわせてください。 そして、 おめでとう、 自分によく頑張ったねをいわせてもらいます。
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 帰国公演が近づいてきました。 12月6日のアルフィーを皮切りに、 23日まで計13本、 色々な場所で演奏させていただきます。 ( 詳しくは HP の スケジュールの欄をクリックしてください。 )
 最後に日本に帰ったのは2000年4月。 2年8ヵ月も実家に帰っていないのです。
 振り返れば、 この HP にこのような日記を書き始めたのが2000年5月。  書き始めの頃の、 なんと素朴で素直な文章よ。 最近特に、 読まれるのを意識した、 いやらしい文章になってしまっているのを感じます。 でも、 文章を書くのは決して嫌いではないらしい。 一回の項を書き上げるのに、 平気で平均2時間は費やしているのを、 僕は時間の浪費とは思っていないのです。
 ここに書きためた2年と8ヵ月の歳月が、 自分の糧になって、 今回の日本公演を迎えると思うと、 ここでひとつの区切りを迎えるような感じです。
 CD 『 DODO 』 発売記念日本ツアー、 応援よろしくお願いいたします。
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