00-10 (Japanese Only)

2002年 その3

 

12/10  <日本上陸その1>
 2年8ヶ月ぶりの帰国。
日本人と接する喜びにひたっている。 これほど日本人に囲まれて安心感を得た事はない。 2年8ヶ月という年月は、 日本への帰着感を強めるには十分すぎる長さなのかもしれない。

 12月4日、 飛行機内で上映される映画を、 3本見てもまだたどり着かない日本への長旅の疲れは、 しかし家族の顔を見ただけで、 癒される。

 12月5日、 車の免許更新に行く。 失効扱いにされ、 2時間の講習を受ける羽目になるが、 多数の受講者と机を並べて、 講師の無味乾燥な話を聞き、 悲惨な事故被害者の様子を映し出すビデオ鑑賞した事は、 どういう訳かそれほど苦ではなかった。 その後、 今回のツアーのマネージャーをしてくださる小川さんと、 吉祥寺のドトールで挨拶をかねた簡単な打ち合わせ。 因みに、 ドトールと私どどとおるはなんのつながりもない。

 12月6日。 六本木アルフィーで塩田バンドライヴ。 原朋直、 太田剣、 トミーキャンベルとの共演。 楽しい。 ライヴ終了後に、 ピアノ弾き語りをする村上ゆきさんの演奏を聴き、 感心する。 さらにアルフィーの日野容子さんにご飯をごちそうになる。 夜の六本木が眩しい。

12月7日、 in F での Duo 。 この日は自分の両親、 親戚から高校時代の友人が多く集まり、 アットホームな雰囲気の中で演奏。 視線に母親の顔が入ってきながらピアノを弾くのは、 どうも照れるし調子狂う。
「 おかあちゃん、 これが変拍子だよ。
お父ちゃん、 これがアウトしたフレーズっていうやつだよ。 」
僕のメッセージが親に伝わったかどうだか。 その後、 阿佐ヶ谷マンハッタン、 高田馬場イントロの深夜のジャムセッション巡り。

12月8日 お茶の水のナルの、 大坂昌彦がホストのジャムセッションに遊びにいく。 大勢の人。 知ってる人では、 TOKU、 太田剣、 石崎忍、 早間美紀、 リッチー・グッズ、 スティーブ・ハスがいた。 ヴォーカル15人もいた。 クレパトの事が一瞬頭をよぎる。 終電を逃し、 途方にくれた僕は、 ナルの店長につれられ、 和民で鍋をごちそうになる。 同席したナルの従業員と石崎忍で、 ばか話で始発の電車を待つ。 雪が降りはじめる。 初雪との事。

12月9日。 大雪。 それでも横浜ドルフィーへ向かう。 峰厚介、 村上寛さんとの共演。 想像力豊かな演奏を続ける彼らの姿にほれる。 あんな大人になりたい。 この日のリーダーの塩田哲嗣に 「 帰国後、 毎日夜遊びしてます、 ピアノの百々徹です。 」 とメンバー紹介され、 否定はできなかった。 時差ボケは夜遊びで解消。

12/15  <日本上陸2>
12/10 off
旧友のアルトサックスの石崎忍君の Body & Soul でのレコ発ライヴを見に行く。 立派になったなぁ、 しのびー。 ライブ後半に TOKU, AKIKO, 塩田哲嗣がかけつけジャムセッションになる。 その後六本木のレストランで上記のメンツと会食。 朝帰り。

12/11 off
バークリー時代の友人の、 テナーの橋爪亮介さんの、 昼のピットインライヴに行く。 井手直行君とかみむら泰一さんも客席にかけつける。 旧交を暖めるという事をする。 きちんと終電帰り。

12/12 静岡 Dot Cool
11時30分、 塩田哲嗣号で多摩センター出発。 静岡市まではだいたい3時間だろう、 という見積もりで、 早めに着いてホテルで休憩しようという計画。 2時30分頃、 雪が残る山の景観を堪能していた矢先、 岐阜県という文字が目に飛び込んでくる。 近くのインターチェンジで位置を確認。 塩田氏勘違いで、 中央道を使ってしまった事が判明。 慌てて名古屋を経由して、 東名を東京方面に向かう。 途中、 浜名湖の夕焼けを望み、 静岡市に到着したのは、 ライヴ開始1時間前。 なんと7時間ドライブ。 ライヴは無事終了。 17歳の横山君というドラマーがシットイン。 彼、 すごくなりそう。 近く、 ナベサダさんのツアーをまわる恐るべき高校生。 ライヴ終了後、 この日やはり静岡市で演奏していた、 ピアノの佐山雅弘さん、 ベースの小井政都志さん、 そして大坂昌彦さんがかけつける。 皆でジャムセッションが始まる。 ピアノ弾きでもある Dot Cool のマスター林さん、 ジャズへの想いの熱さに心打たれた。

12/13 袋井マムゼル
静岡市で朝食を食べ、 少しゲーセンで太鼓打ちゲームでドンドンカッとやってる間に、 駐禁を切られてしまう。 落ち込む塩田氏。

マムゼルのマスターのレコードのコレクションの数は尋常ではない。 CD屋できそう。 大坂さんと初めてのライヴ。 楽しくMCもできた。 日本語は楽だ。 盛況で心が沁みた。 ライヴ後、 すぐ名古屋へ向かう。

12/14 Jazz Inn Lovely
満員御礼。
大阪や、 滋賀からかけつけてくれた友人もいた。 お客さんの中で、 今日初めてジャズのライヴハウスに来たという若い女性が、 「 どどさん、 よくわからなかったけどすごくよかった! 」 と目を輝かせながら言ってくれて、 なんだか微妙に嬉しかった。

12/15 NHK FM 505
朝8時30分名古屋発。 1時に渋谷のスタジオに到着。 リハーサル、 司会の小川もこさんと打ち合わせ。 5時本番。 立ち見の出た会場を見た途端、 ものすごい緊張に襲われる。 1曲目ガチガチの演奏になってしまい、 嫌な汗を脇にかいてしまった。 リラックスできたのは、 収録分を取り終えた後のアンコールの時だったかも。 テナーの峰さんは終始リラックスした演奏でさすがと思った。 会場に来てくださった、 徳間ジャパンの福井さんとその後食事。 今後の展開を練る。 この日、 新宿DUG で出版記念パーティーがあり、 福井さんと参加。 大勢の参加者で会場は酸欠状態。 オーナーの中平さんに紹介され、 ピアノも披露する事になる。 ジャズ業界のお偉いさんが多く集まっていたらしいのだが、 あまりの人の多さに訳わからず仕舞。 パーティーは日米問わず苦手だ。

12/24  <日本上陸3>

12/16 青山BODY&SOUL
 ドラムは広瀬潤次さんと初共演。
大坂さんのそれとはまた違う熱いものを感じた。 演奏終了後、物事をはっきり言う事で周りから恐れられている、このクラブのママさんに、「百々さんね、日本で演奏するなら年1回にしなさい。あんまり頻繁に帰ってきちゃだめよ。」と諭された。

12/17 黒磯グランボア
 強風の中、4時間ドライブで栃木へ。僕の割と新しいオリジナルで、変拍子でキメばかりある、反射神経を競う曲を演奏したところ、意外にも、「かっこいい〜〜〜!!!」という男性の低い歓声がとび、音楽の、人への伝わり方の妙を味わうことになった。自分では難しいのではと思っている曲が、案外、聞き手には楽しく聞いてもらえる時もあるのが不思議。

12/18 新宿ピットイン
 夜の部初出演おめでとう! 満員御礼!! アルトの池田篤さんが一曲飛び入り。ラジオたんぱのインタビューをセットの合間に受けた。野望は?と聞かれ、「お金持ちになりたい。」と素直に答えてしまった。 アンコールの拍手をいただき、「これはアンコールの拍手ですよね?蚊が大量発生して、みなさんパチパチしてる訳ではないですよね?」と僕一流の、寒いジョークがまるで受けず、寂しい思いをした。お客様もそれは同じ思いだったかもしれない。

12/19 六本木アルフィー
 TOKU と初共演。会場は若い女性客でびっしり。アドレナリンがいつもより多めに、僕の指先を駆けめぐった。 なんとかこの客層を僕の方に引き寄せようと、がんばってはみたが、この日の会場で販売した、僕のCDが一枚も売れなかったのをみると、どうやら僕の試みは失敗だったようだ。 TOKU と TORU は一字違いだが、その差は大きい。

 その後、近くのクラブで神谷えりさんと秋田慎二さんの深夜ライブを聴く。会場にピアノの山本剛さんがいたり、NYで共演したこともある、タップの KAZU 君にも会った。

12/20 井手君デモレコ、お茶の水 NARU、アルフィー

 アルトの井手直行君のデモレコを手伝う。昼過ぎから品川のホールで DUO を録音。今年6月に彼が NY に遊びにきた時に、一度デモレコをしたのだが、録音状態があまりよくなく、今回そのリベンジレコ。 DUO は難しい。またやり直しかも。ごめんね、なおっち。

 最後のトリオギグ。満員御礼!
あるもの全部出せたと思う。ライブやるものだ。旧友のドラムの高橋徹と広瀬潤次さんとで、四谷にある讃岐うどん屋「こひんちょ」で夜食。

 その後アルフィーの深夜の TOKU ライヴに行く。華やか華やか。歌の AKIKO 、神谷えり、今出宏、ギターの小沼ようすけ等がいた。小曽根真さんも飛び入りした。(因みに、小曽根さん、僕のCDを買ってくれました。)因みに僕と塩田君もセットで飛び入り。華やか華やか。六本木オーイエイ!

12/25  <日本上陸4>

12/21 off
明大時代に組んでいたバンド仲間と飲む。当時ベースをやっていた市川さん宅に集合。彼は現在、 Nature Designs という雑貨販売の会社の社長である。小さな娘二人が部屋中、駆け回る中で、昔話に花を咲かせる。

12/22 off
高校時代の友人達と地元立川市で昼食会。当時、僕はピアノを弾く事を、恥ずかしくて隠していたのが、ここ最近、インターネットやらCD発売を通じて、ジャズ好きな同窓生に少しばれてきた。テニス部に入って、慣れないスポーツにトライしたものの、1年で向いてない事に気づき退部、帰宅部でピアノ練習にあけくれていた、暗い高校時代を思い出し、そのあたりを、この日集まった彼等につつかれると、とても恥ずかしい。

その後、その同窓生の中で今、ジャズをやっているという、飯島君と中村さんとで国分寺の T's というお店のジャムセッションに参加。高校の同級生でジャムるとは予想しなかった事態。

夜は、明大ジャズ研時代の友人達と池袋の居酒屋「とことん」にて飲み会。当時ベースで、現在、この店の店長をしている野口君(何故か昔から佐藤さんと呼ばれている。)の心遣いで、水のような日本酒をたくさんいただいた。彼の語った、チェーン店には無いよさを追求する居酒屋経営論は、聞いていて面白かった。彼の趣味のジャズがガンガンかかっている「とことん」要注目。

12/23 寺島靖国氏と対談、お茶の水ナル
 ライヴ前に、あの寺島靖国氏とナルの近所の喫茶店でインタビューを受けた。「あのCDのジャケットの写真を見て、きっと百々さんは気むずかしい人なんだろうなと思った。でも今日こうして話してみると好青年だね。」等と言われた。世渡り的に、あのSJ誌のインタビュー記事をめぐる僕の不満を訴えるのを控えた。というか僕のHPはチェックしてなさそうだったし。少なくとも彼は僕の事を応援してくれているのはよくわかった。

 塩田バンドでこのツアー最後の仕事。満員御礼!岡崎好朗、太田剣、原大力という顔ぶれ。サイドマンとして、いい意味でリラックスして演奏できた。これで終わり!! 全くストレスのない楽しい日本ライブツアーだった。

12/24 off
今回のツアーマネージャー小川さんと反省会。小川さんのお力無しには、この旅はここまで充実したものにはならなかった。かつてナベサダのマネージャーとして敏腕をふるい、現在、峰厚介さんのマネージャーであるベテランが、こんな若造の世話を手厚くしていただき、言葉がありません。
 夜は両親と夕食会。今回、朝帰りばっかりでまともに親と話す機会がもてなかった。でもいざ家族そろうと、照れちゃってあまり話ができない。

12/25 off
来日してるベースのルーベン(CD「 DODO 」のベース)が、ダイアン・リーヴスの Blue Note Tokyo ライヴに招待してくれた。当たり前に素晴らしい演奏。セット後 ルーベンは控え室に連れていってくれ、食事中のダイアンやピーター・マーティン、グレッグ・ハッチンソンからサインをいただいてしまった。ただのミーハーになる百々徹。ルーベンは、また次のアルバム使ってくれと言ってくれた。グレッグもいつでも連絡してくれ、と調子いい事言っていた。売れてるミュージシャンは皆やさしい。売れてる人のそばにいる努力って必要よね。

 その後、ドラムの高橋徹君に誘われ目黒の SONOKA のジャムセッションに参加後、帰宅。
終わったんだなぁ。明日からまたアメリカかぁ。