00-10 (Japanese Only)

2003年 その1

 

01/03  <明けましたね。今年も。>
 毎日クリックしてるんだけど今日も更新されてないなぁ。早く新しい文章書けよ、いい加減さぁ、年明けちゃったし、何か一言新年の挨拶くらいあってもいいんじゃないの。
 えっ?このサイトは自分で文章書かないと更新されないのね。えっ!もう年明けちゃったの?いつ?

 毎日がパーティーだった、怒濤の昨12月の日本ツアーを終了して、厳寒の NY に帰還後、疲れのためなのか、時差ボケのためなのか、一日12時間以上睡眠を断続的にとる日々が続いたために、全くボケボケの新年を迎えてしまった百々徹です。2003年電車にはやくも乗り遅れてる。まだ歯も磨いてないし、ネクタイの結び目もグチャグチャという状態の百々徹です。

 3週間の日本滞在が非常に楽しかったのです。それまでの NY 生活がそんなに辛かったのかと言われると、案外そうだったのかもと思えてきてしまう程に、日本滞在が楽しかった。お前、禁断の果実をかじっちゃったのかもって、アダム君とイヴさんに笑われる程に、お陰様で日本ツアー実り多かった。

 整理しておくけど、僕の言う楽しさというのは、自分の音楽で人が集まり、共歓する事。自分のバンドでライヴして、お客さんが満席になって、キャーキャー言われる事。これが楽しい。音楽家にとって、これが一番楽しい事だと思う。

 今回の日本ツアーで演奏した計13箇所で、この楽しさを13回体験できた。それは、浜崎あゆみやモー娘ツアーの集客動員数や CD 売り上げ数に比べたら、地球の歴史に対する人間の地球上での存在時間程に、差がありすぎと言わざるを得ないが、音楽家としての喜び度数は負けなかったと断言できる。

 NY に戻ってから今日まで3本くらいギグをしたのだけれど、アメリカ人の友人から “ Welcome Back !! Toru !! ” なんて歓迎されたけど、心はどこか遠いところにあったりして。昨月の熱狂の余韻に浸っていたいという思いが強かったりして。

 じゃ、お前日本帰ってこいよ、なんていわれちゃうかもしれないけれど、でもふと、思ったのだけれど、あの楽しさをまた味わえるのだったら NY で苦労してたほうが、その喜びもひとしおって事になるのではないだろうか?

 それに NY であの楽しさを味わえる機会がふえちゃったら、それはやばいよ、お父さんってことになるのでは。(最近、矢沢永吉の『成りあがり』という本を読んだ事を感じさせる文体。)

 あの楽しさを年に何回味わえるのか?
その辺を目標に、出発したばかりの2003年電車に飛び乗ろうと、寝癖も直さず百々徹走りはじめましたとさ。

でしゃばりエディターさん、今年もよろしくお願いいたします。

01/17  < Hotel Kitano , Blues Alley , Ruth Brown >
 今月から、隔週の水曜日(変更ありますが)に、ミッドタウンにある北野ホテルのバーラウンジで演奏する事になりました。
 15日、僕の初日。ホテルのラウンジといってもかたばらずに、オリジナルをどんどんやってくださっていいです、というホテルのマネージャーの春日さんの理解あるお言葉に甘え、この日はたまたま NY にいた(彼は大概ツアーで街にいない事が多い。)ベースの Reuben Rogers を呼んで、百々徹名曲集からのレパートリー中心に演奏。 CD “ DODO ” のオリジナルメンバーでのライヴはめったにないので、自分的に快感度が高いものになりました。寒い中(ここのところ NY は記録的な寒さが続いている。)お越しくださった方々、本当にありがとうございます。

 ミュージックカバーは無し。お酒代は払いましょう。飲み過ぎて動けなくなってもここはホテルです。お金さえ払っていただければ、とびきりのスイートルームを御用意いたします。
 僕以外では、ピアノのクニ三上さん、なら春子さん、ドラムのハリー久保さんが、水、木、金曜日の夜に出演しますので、是非遊びにきてくださいませ。
 因に僕は、次回、1月29日、2月12日、19日の水曜日、夜8時−11時で演奏予定です。 ( www.kitano.com )
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 16日。 Washington DC の “ Blues Alley ” で、シンガーの Jacey Falk の仕事。彼の CD リリースを兼ねたライヴ。(2003年2月25日に Q&W music からアメリカでリリースされる。僕はピアノで全曲参加してるのです。)
 彼の歌は『今どき』というジャンルからかなりかけ離れた、古いブルースやらトーチソングをレパートリーとしているので、そこが逆に僕にしてみるとチャレンジだったりするのです。(彼の CD の TORU DODO と “ DODO ” の TORU DODO のあまりに違う演奏内容に、この日記を書いている TORU DODO もかなり驚いたそうです。)
 この日ドラムがジョン・ラムキン(前日のルーベンに続いて連日 “ DODO ” のオリジナルメンバーとの共演)。スペシャルゲストとしてトロンボーンの Fred Wesley 。(すごい上手かった。でも一体彼はどんな活動をしてきたのか、今だに知らない。インターネットで早速検索だ。)
そして、シンガーの Ruth Brown 。
彼女の事も恥ずかしながら全く知らなかったのですが、数日前に検索してみたところ、ロックの殿堂入りの、グラミー受賞暦ありの、 R&B の母と呼ばれている今年75歳のすごい歌手である事を知り、共演を楽しみにしていました。
 彼女が登場したのは3曲だけだったのですが、もう全然違うのです。本物ってこうなのね、という事が最初の一声でわかってしまった。3年前に体調を崩し、今回久々のステージと言っていたが、信じられなかった。声量とか歌心とかありすぎて、こりゃ、ピアノ弾いてる場合じゃないよ、お父さん。でも伴奏しちゃったもんね、お母さん。
40年代から50年代に一世風靡したらしいが、やはりすごかったのだろうなぁ。今の若い世代で彼女の事を知っている人は少ないようです。(僕の周りの知り合いミュージシャン2、3人に、 Ruth Brown と共演するといっても皆知らなかった。)でもこういう人がいるのですね、アメリカには。ピアノの席側から見た Ruth Brown の歌う後姿の光景をこの先僕は、忘れないと思います。

 僕のレジュメにまたすごい名前が加わってしまったワシントン DC 、1泊2日の旅でした。

01/20  <セサミストリートパーティー>
 毎年マーチンルーサーキングデーに行われる、『セサミストリート』を製作している人達のパーティーに参加した。場所はミッドタウンにあるスタインウェイピアノ屋さんの最上階にある NORA スタジオ。(このスタジオで、セサミストリートの音楽が毎週録音されているのだそうだ。僕は以前、ヴォーカルのマミコさんのデモレコで、このスタジオでピアノを弾かせていただいた事がある。)

 番組関係者はじめ著名なプロデューサーやらミュージシャンが多数集まった。
 僕が挨拶させていただいた中には、35年の歴史を誇るセサミストリートのプロデューサー ダニーさんや、番組の音楽監督をしていた、ボブクランショーさん(ソニー・ロリンズのベーシスト)、ペギー・リーの編曲等をされていた方(名前忘れてしまった。)、お偉いヴォイストレーナー(またしても名前が、、、、、。)、等がいた。
 その他、とにもかくにも僕が知らないだけで、すごいキャリアのある方々がスタジオ内に所狭しと集まっていた。

 総体的に、相変わらず、周りの人ごみを眺めてはオドオドしてるだけの時間が多かったものの、著名な方々の匂いを身近に感じる事ができたのが嬉しかった。文化の中心地 NY ここにあり、といった感じ。

 あんまりオドオドとしているのもなんだったし、加えて風邪気味でもあったりしたので、少し早めに会場から退散した。 地下鉄へ向かう途中の通りで、慌てて走り行くエルモとビッグバードにすれ違った。パーティーはこれからが佳境だったのかもしれない。

01/28  <27、28日と2日続けて日系居酒屋で飲む。>

 27日は、昨月の日本ツアーでベースを弾いてくれた塩田ノリヒデさんと。打ち上げらしい打ち上げをしてなかったので、この日打ち上げ。
 彼とは、僕がボストン留学する直前に仕事をして以来の、もう8年のつきあい。一見、破天荒に見えるが、実はとても純粋に音楽をしている彼の存在は、僕の人間形成に大きな影響をおよぼしている。お互いがお互いの成長の過程をよく知っているし、あげくには濃密に日本ツアーまでしてしまったので、こりゃ彼とは一生つきあっていくブラザーなんだろうと、つくづく思った。

 28日は、小曽根真さんと。先月、六本木アルフィーでバッタリ御会いして、自分の CD を聞いてくださり、ありがたい感想メールをいただいたりして、この機会に一度ゆっくりお話したいとアプローチしていたのだが、この日それが実現。
 ビール、日本酒、ナシのバーボンでもうそれは目がグルングルンしながらであったが、小曽根さんの思想、哲学をたっぷり聞いた。
 言う事に嘘がないし、それを実際に体現してこられているお方。小曽根さんの一言一言がすっと僕の体に響いた。 Keep Wishing らしいです、何事も。

 やばいです。かっこいい人っているんですね。僕のようなペーペーに夢を与えてくれる小曽根さん。隣で話ししているのだけれど、酒のせいもあるのだろうけれど、映画見てる気分になった。

 私、マジで惚れてしまいました。小曽根さんの HP のフォーラムに『愛してます。』を画面一杯に書き込んでしまいそうです。
02/08  <31歳になりました。>
 徳間ジャパンの情報によると、昨年9月26日に発売された CD “ DODO ” の初回プレス分が1月末に完売して、現在新たに増刷中だそうです。

 ありがたい事です。
 この陰には、レコード屋さんに1枚だけあった “ DODO ” を、平積みされてる他人の CD の一番上に置きに行ってくれたり、 TOKU の CD セクションに混ぜて置いたりして、 TORU だか TOKU だか混乱させて過って買わせようという運動をしてくれた、僕の支援者の暖かい運動があった事を忘れてはいけません。支援者中の支援者である僕の両親等は40枚もまとめ買いしてます。やむにやまれずこのような行動に出てしまったと彼等は言います。このような方々の存在を知るにつけ、本当にミュージシャン冥利につきます。

 ところで、徳間さんが初回プレスした数ですが、1000枚だったそうです。それがすべて売れたと。

 あっ、浜崎あゆみが笑ってる。モー娘が笑ってる。
 でもジャズ評論家、寺島靖国さんは『ジャズの新人としてはいい数字だなぁ。』と感心してる。
 僕の両親は、『960人もの方が、お前の訳の分からない CD を買ってくださったのだから感謝しないといけないよ。』とお説教してくる。

 1000枚って何だろう。

 NY ヤンキースのグッズ販売店で、松井人気を当て込んで、松井の背番号入りユニホーム1000着急遽入荷等というニュースを聞いたり、糸井重里さんの『ほぼ日サイト』で谷川俊太郎さんの新しい詩集を1000刷限定販売等というふれこみを読んだりして、1000という数字けっこう意味あるように思えてきたりもします。

 一方で、昨年レコード大賞をとったという夏川りみさんはシングル『涙そうそう』が40万枚を超えるヒットなんていう記事を ZAKZAK のサイトで読むと、1000枚売ったくらいでは、世の中何も変わらないなという、無力感に襲われたりもします。もう気分は『涙ドードー』。(この駄洒落で、全国960人の百々徹ファンになんともいえない不安がよぎったそうです。)

 ただ、僕は残念ながら彼女の歌を聞いた事ないですし、きっと彼女も僕の音楽を聞いた事ないだろうという確信がありますし、お互い聞いた事ない勝負をしたら引き分けです。1000枚の奴が、40万枚の方と引き分けですよ。

 数字じゃないよ、音楽は。スポーツじゃないんだから。オーディションで得点をつけてレベル分けしたアンサンブルの授業をする、バークリー音楽院の方針を批判する方もおられます。

 でも数字ださないと、レコード会社潰れちゃいますし、潰れちゃったら音楽の発信の大きな手段を失うし、元も子もなくなるという事も重々承知です。聞き手がいてはじめてミュージシャンの存在価値があるのもわかっているつもりです。

 2月8日、31歳になった百々徹。そろそろいい大人の30代が足になじんできた矢先に、何スケールの小さい事を愚図愚図考えているんだと、地道にいい音楽を作っていけばいいんだ、練習しろ練習等とお叱りをうけそうですが、僕はなんだかそれでもとても前向きになっている事だけはわかってください。

 浜崎あゆみだってモー娘だって、1000枚は売っているからこそミリオンセラーになってるわけだから、僕の “ DODO ” もミリオンセラーになる為の必要条件は満たしたと言えるので、僕はこの数字、すごく評価したいと思っているのです。

 “ 友達100人でっきるっかな? ” の歌を聞いて育った日本全国960人の百々徹ファンがそれぞれの友達100人に “ DODO ” いいよ、なんて宣伝してくれたりしたら、なんて事を考えてはにんまりしている百々徹。全国960人の百々徹ファンはますます不安を募らせているそうです。

02/23  < Fat Cat  初出演>
 NY で出てみたいクラブの一つだった『 Fat Cat 』に2月21日と22日の2晩、 Pete Zimmer というドラマーのクインテットの一員として出演してしまった。
 メンバーは、テナーの Joel Frahm 、トランペットの Mike Rodriguez 、ベースに John Sullivan 。

 本来は、ジミー・コブ バンドが出演予定だったらしいのだが、キャンセルとなり、 Pete Zimmer(ds) に代理要請がきたらしい。 Pete は最初、ピアノをリック・ジャーマンソンに依頼してたのだが、彼はこの週末『 Birdland 』(これも出てみたいクラブの一つ。)に出演が決まってしまったらしく、そこで僕にコールが来た。
  『 Fat Cat 』は『 Smalls 』と同じオーナーが経営してるクラブで、出演するミュージシャンは『 NY の若手の今どき君』ばかり。なんとなく厚い壁を感じていて、あそこに出られたらいいなぁと思っていたものだが、出れる時ってこんな感じでホイッてなものなのかしら。

 演奏はというと、もう楽しかった。 Pete はボストン時代に時間を共有した仲間だし、 NY に引っ越してから数年を経てこの仕事を手に入れた彼の頑張りがすごくわかるし、僕に電話をくれて大変な愛を感じた。
 John Sullivan も同様にボストン時代の仲間で、彼は既にロイ・ヘインズバンド等で実力を増している訳だけど、久しぶりに演奏してすごく上手くなってるなーと感心してしまった。この2人とこうしてこの場でスイングできるのは喜びです。
 フロントの Joel に Mike はもうこのクラブではおなじみな顔な訳だし、もう僕も、もしかしたら『 NY の若手の今どき君』?と聞きに集まった NY ピープルひとりひとりに確かめたい心境でピアノを弾いた。

 ギグ終了後、 Pete が次週にこのバンドでレコーディングを控えている事を僕に打ち明けた。本来はリック・ジャーマンソンにお願いしていたらしいのだが、せっかくだからトールにも半分弾いて欲しいと言われた。もちろんオーケーです。

 次回はこのレコーディング報告。
それまでテロられないで、 NY 。

02/27  < Pete's recording session >
 25日。ブルックリンにある Systems ?というスタジオで Pete Zimmer (ds) のレコーディングをしてきた。メンツは先週の Fat Cat でのライヴメンバー。
 [ Joel Frahm (ts), Mike Rodriguez (tp), John Sullivan (b) ]

 下世話な話しだが、 Pete はこのレコーディングをするにあたり、彼のポケットマネーでスタジオ代・ミュージシャン代・ミキシング代を賄っている。計算してみると結構ばかにならない金額である。僕の『 DODO 』レコーディングの際の身の切り方よりも、彼は数倍すごい身の切り方をしている。それだけの覚悟でいいものをつくろうとしている。それがよくわかるだけに、下手な演奏はできないなぁというプレッシャーがあった。

 スタジオのピアノは、カーネギーホールのセンターステージで、9年間使われていたというスタインウェイピアノ。
 これで毎日練習できたら、きっと僕もカーネギーホールで演奏できる演奏家になれるかもと思わせるピアノだった。仮にこのピアノが自分のものになったとしたら、これが置けるスペースのある家も必要だなぁ、うーんやっぱ金だなぁと、いつもの結論に陥らせるピアノだった。

 メンツのそれぞれのアイデアが、お互いを刺激させるいいセッションになったので、悪くない作品になったのではと思う。僕も細かい所では、もっとこうすればよかったという箇所は多々あるが、総じて、 Pete から『金返せこの野郎』と罵られる事はないくらいのクオリティで、ピアノを弾けたと思う。すべてのテイクが収録された CDーR をここ2日やみつきに聞いているのだが、まだ飽きてないからきっといい CD になると思う。
(『 DODO 』の時は、録音後2週間は、毎日3回くらいは聞き入っていた僕です。自分の事がやっぱり好きなのね、百々さんて。)

03/03  <『 Berklee Today 』パーティーの仕事>
 バークリーが年に数回発行している『 Berklee Today 』という雑誌の新号発売を記念した、パーティーのカクテルソロピアノ演奏の仕事をする。

 場所はリンカーンセンターから通りを挟んだところにある、 ASCAP のビルにて。
 因みに、僕は最近 ASCAP のメンバーになったのです。作曲家としての権利意識とかまるでうとかったのですが、ありがたくも、知り合いにここの職員がいて、えらく勧められたのでメンバーになりました。メンバーカードが郵送されてきた時は、これで僕も一丁前の作曲家気分になったものですが、なにせ、さほど『 DODO 』がオンエアーされてるわけでないので、お金はさほど期待できないのですが。またお金の話しだ。

 (* ASCAP  作曲家や作詞家の保護団体。  自分の曲がオンエアーされたとか コンサートで演奏されたとかされると、著作権を楯にお金を徴集して、作者に還元してくれる。日本にも日本著作権協会等があります。)

 関係ないが、このビルに入る手前の交差点で、チェロ奏者ヨー・ヨーマさんを見た。多分そうだと思うんだ。リンカーンセンターの前を、チェロのハードケースをランドセルのように背負って、テクテク歩いている眼鏡をかけた東洋人といったら、それはヨー・ヨーマさんだよなぁ。

 さてパーティーだが、今回発行される『 Berklee Today 』の表紙を飾っている、ドラムのアントニオ・サンチェスの表彰式を兼ねていた。僕がバークリーにいた時に、生徒の中に3大ドラマーがいた。一人はデンマーク出身のセバスチャン・デクローム、アメリカ人のスティーヴ・ハス、そしてメキシコ出身のアントニオ。留学したばかりの僕には、彼等の存在がとてもまぶしかった。彼等と校内でセッションできるだけで、幸せな気分になったものだ。(セバスチャンは今英国で活躍してると聞いているし、スティーヴは今、マンハッタントランスファーで叩いている。)

 アントニオは学生時代から、ダニーロ・ペレス・トリオやらパキート・リヴェラのバンドに入って、ラテンはまかせて!といった感じだったが、今やパット・メセニー・グループのドラマーである。その彼の忙しいツアー日程のつかの間のオフ日にあわせて、このパーティーが開かれたらしい。

 その場でカクテルピアノを弾く、バークリー一年後輩の僕って、なんでだろう? ななななんでだろう?
『トール、元気か?今日、君がピアノ弾いてくれるなんて嬉しいよ。またセッションしよう!』なんて事を言ってくれるアントニオ、君は眩しすぎるぜ。

 因に、この会場に日本人は、僕以外にベースのヨシワキさんがいた。彼も僕とほぼ同期にバークリーの生徒で、当時アントニオともよく共演していた。
 バークリーのお偉いさん達がスピーチしている陰で、彼と『アントニオすげーなー。うちらもなんか売れる事やらないとなー。なんかいいヴォーカル見つけてバンドやらない?』なんて事を日本語でヒソヒソ喋っている僕らって、なんでだろう? ななななんでだろう?
(手振り付きで)

3/14  <上原さん>
3/10 ニューヨークシティーオペラの指揮者山田敦さんとその友人のテノール歌手の上原さんと夕食会。92丁目辺りのイタリアンレストランで、スペアリブとガーリックパスタを大量に食らう。
 山田さん、この10月に今度は、『蝶々夫人』をシティーオペラで振る予定。昨年のデビューに続いて二度目の指揮の機会を得て、責任重大と今から緊張の御様子。
 上原さんは在米20年。先月、カーネギーホールの小ホールでリサイタルを行ったそうである。
 何故か、彼と初めて御会いしたようには思えなかったのだが、その理由が数日後判明する。

3/11 ヴィレッジヴァンガードでエリック・リード・セプテットを聞く。エリック・リードのコンピングから、ソロから、すべて聞き惚れてしまった。ああいう音を出せるピアニストはそうはいないと思う。
 同伴した、テナーサックスのロー・ハセガワとピアニストのカズ君とその彼女さんとで、その後ダイナーでコーヒーを飲む。
 カズ君は僕のことを、『トール』と呼ぶ。振り返ってみると、僕のことを『トール』と呼ぶのは、父親かアメリカ人のみだった気がする。大概、『ドド君』『ドドさん』『ドドちゃん』『ドド( by 塩田ノリヒデ)』『ドドリン( by TOKU )』と呼ばれてきたが、カズ君に『トール』と呼ばれて少しドキドキした。
 因に、ロー・ハセガワと僕は現在アーティストヴィザの申請中で、カズ君も取得に向けて準備中だという。ヴィザにまつわる苦労話はつきない。ロー・ハセガワは申請してから今週で3ヶ月経っているという。来月日本に帰る予定までたてていたのだけれど、このままじゃ延期になりそうとぼやいていた。
 僕も現在申請後、1ヶ月半が経過。3年前の初申請の時は、申請後2週間でヴィザがおりた。あの9ー11のテロ事件後、移民局の審査が厳しくなったらしいが、実際そうらしい。

3/12 税金申告に行く。アメリカで3度目だ。慣れたものだ。帰宅途中にロー・ハセガワから携帯電話が。
『ドドさん、ヴィザ取れました!! 今日の郵便受けに入ってました!!』
おめでとう! これで君も立派なアーティストだ。
『これから僕は、アーティストヴィザ取得ミュージシャンを売りにして、日本でがんばります!!』
大丈夫、君は立派なコメディアンになれるよ。

3/13 ニュージャージー州のとあるレストランでのギグ。ドラムが岡本太郎さんだった。1975年にアメリカに移住したというベテランミュージシャン。基本的にバックグラウンドミュージックを演奏する仕事だったが、太郎さんのドラムが気持ちよく、楽しい時間となった。
 休憩中、太郎さんは
『トールはスポーツとか好きか?』
『トールは料理とかするの?』
『トールは酒強いの?』
と聞いてきた。またしても『トール』にドキドキした。

3/14 TV の日本語放送を見ていた。いつものように、 JAL パックのビジネスクラスを宣伝する CM が流れる。ビジネスマンが数人、『 JAL のビジネスクラスの椅子の形が変わり、より快適な旅ができます。』等と喋るのだが、その中のひとりが、先日食事をさせていただいた、テノール歌手の上原さんだった。
『最近、ビジネスクラスが安くなったと聞いて JAL に決めました。』とセリフっぽく話していた。
上原さん、発見!
3/24  < Shock & Awe >
 考えてます。考えたってどうなることでもないのもわかってて、考えてます。

 考えるほどに何もわからなくなります。

 あんな風にあっさりと戦争をはじめられるのにも驚いたし、テレビで見たバグダット市の空襲映像に恐怖を覚えたし、それでも僕はギグだギグだと、夜な夜な街に出かけるのです。

 こんな時だからこそ、大切に音を出そうという気が変に強まったりもします。

 昨日の、 Creopatra's Needle のジャムセッションホストのギグでの事。

 最初のセットは、僕のトリオが演奏するのです。この一時間に僕は、けっこう本気で精力を注いでいます。新しい曲、様々なアイデアを試すことのできる、僕にとって貴重な時間なのです。
 (このセット後のジャムセッションになってからは、キャプションをつけてくれないと、何を言っているのかわからない司会者として奮闘しています。)

 昨日は、戦争にアカデミー賞授賞式が重なって、予想通りクラブは人が少なかったのです。 でも、かえって静かで、音楽に集中できたりもするのです。

 ところが一人、酔っぱらいのお客さんがおりまして、その方、演奏が始まるや否や、足下おぼつきながらもステージに近付いてきては、ドラマーに話しかけるは、ピアノの近くで踊りだすは、、、およよです。

 その方、トロンボーンを持ってまして、やおらシットインしようとなさる。
『すみません、最初のセットはトリオでやることになっているのですが。このセットの後から、ジャムセッションになるので待ってもらえますか?』
と言ったのに
『それじゃ、 Bフラットで。』とわけわからない事を言ってくる。丁重に席に戻るようにお願いしてまずその場はしのぐ。

 僕らがシダーウォルトンの『 Bolivia 』という曲を演奏した後に、彼はまた、つかつかステージに近付き、

『俺は、昔よくブルーミッチェルやシダーウォルトンとハングアウトしてたんだ。(遊んでいた、ぐらいに訳していいのかなぁ。)その『 Bolivia 』という曲もよく知ってるんだ。』
と自慢げに語りだす始末。

 もうこの時点で僕は相当、頭にきてました。この毎週日曜日の夜8時から9時に、自分を賭けているのです。この方の行為は、妨害行為以外のなにものでもありません。

『シダーウォルトンを知ってる?それがどうした?』

と怒りたいところを、抑えて、

『へぇ、そうですか。よろしいですなぁ。』

と流して、席に戻ってもらおうとしましたが、なかなか戻ってくれません。見兼ねた、オーナーが彼を元の席に連れ戻してくれました。

 とても残念でした。僕の貴重な物が台なしにされた思いです。演奏もどうも集中できませんでした。来週またあの方が同じような事をしてきたら、たまらないな。まぁ、オーナーと相談するしかないな。でもオーナーが
『やっぱりお客さんはお客さんだし、うまくおさめないとな。』
なんて言い出し、どうしようもなくなったりしたら、僕は自らその方を力づくで、クラブから追い出しちゃうかも、と思いました。

 いや、別に、僕=アメリカ、酔っぱらい=イラク、オーナー=国連、なんて例え話をするつもりはないのですけど、最近あの開戦以来、事につけ、色々な事を考えてしまうのです。そして何もわかないのです。頭悪いです。
その間、人がどんどん死んでるのをテレビで見たりします。
そして僕は、今日も夜な夜なギグに出かけるのです。