4/5 <アーティストビザ更新受理の通知来たる。>
あの9/11のテロ。
そして先月から始まったイラク戦争。
アメリカの移民局は現在、移民の受け入れにとりわけ神経質になっている。
毎日、大量に送られてくるヴィザ申請書の中から、国家の存亡を脅かす恐れのある者は排除しなければいけない。
『トールドド。日本人。ジャズピアニストか。』
“ トールドドの過去3年間の活動記録 ” と題された資料を見つめる担当官に一時、緊張が走った。
『ケニーギャレットバンドでジャズフェス出演?
ベニーゴルソンバンドでブルースアレイに出演?
自分のトリオでブルーノート NY に出演?
CD 『 DODO 』が好評発売中?
何物だ?こいつ?』
ジャズ。アメリカが産んだ20世紀の芸術。
その世界に、謎の東洋人が土足で入り込んでいる。
いや、日本人は、他人の家では靴を脱ぐ。
だから、正確には靴下で入り込んでいる。
危ない。アメリカ文化の危機。
担当官は資料に送付された CD 『 DODO 』をそっとヘッドホンで聞いてみる。
『ほう、難解でもない、平易でもない純文学ジャズだ。首席のジャズだ。』
と、担当官は何故か寺島靖国のような事を言う。次回作品で “ ビリケツのジャズ ” をやられたら、アメリカ芸術への脅威となりうるかもしれない。
トールドドの音楽による衝撃。
アメリカの防衛の要となる担当官は体のほてりを覚えた。
しかし、担当官はプロだ。
資料の盲点をついてくる。
『ケニーバンド、ベニーゴルソンバンドといったって、所詮サブで参加しただけだ。』
『ブルーノート出演といったって、昼のサンデーブランチだ。一週間、夜に看板はってやったわけじゃない。』
『 CD “ DODO ” はアメリカでは発売されていない。アメリカ国民の耳を脅かしてはいない。』
担当官はほっと胸をなでおろした。先程、トールドドの CD を聞いた時に覚えた体のほてりは、ヘッドホンで耳がむれただけなのかもしれない。
問題ない。トールドドがアメリカの国防の脅威となることはないだろう。
よし、彼にヴィザを与えよう。
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こうしてこの度、私、百々徹、 O-1 VISA (アーティストヴィザ)の更新が無事おりまして、この先3年間のアメリカ滞在が保証されました。めでたしめでたし。
4/14 < TOKU >
TOKU が NY に遊びに来てまして、夜な夜なライヴ巡りジャムセッション巡り等してるのですが、以来、なにかと有名人を見かけるわけでして、、、、。
タクシーに乗ろうと走るパットメセニー。
日本食レストランに向かうゴジラ松井選手。
自分のホストするクレパトセッションに遊びに来たルーソロフ。
『 NY 楽しい!』と目を輝かせる TOKU を見てると、僕も『そうだよな、 NY は楽しい街のはずなんだよな』と再認識させてもらっている NY 滞在8月で5年の僕。
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宣伝です。
4月27日(日曜日)のお昼にまたブルーノートでライヴやらせていただきます。応援よろしくお願いいたします。
今回のメンツはベースにマットクロージー、ドラムにジョンラムキン。
その週の夜に出演するダイアンシュアが、ピアノを弾いてくれる事を祈っております。 [EDITOR 注: ]
またキーボードだったりしたら、たくさん泣いて、涙が乾いたら、おいしいものをうんと食べて、いい映画をたくさん見て、人間を磨いてやるわ。
4/27 Toru Dodo Trio at Blue Note NY
12:30pm & 2:30pm
$19.50 ( including Lunch )
131 W.3rd st, NYC 212-475-8592
4/17 <キタノホテル、ブルーノート>
今月末に、新作 CD のレコーディングをする予定です。
前作 “ DODO ” の続編となるべく、同じメンツ、同じスタジオ、同じスタッフで録音することになってます(注1)。
その新作におさめられると思われる曲が聞けるライヴを2本やります。
4月23日(水)はキタノホテルで8時から、4月27日(日)はブルーノートで昼の12時30分から。
ほとんどリハーサルに近い状況を、お聞かせする事になってしまう恐れがありますが、日本全国960人(注2)の百々徹応援団の方々、直ちに飛行機予約してお越しくださいませ。宿泊はもちろんキタノホテル(注3)で。
(注1)発売予定日等、全く未定ですが、とりあえず録音してしまうつもりです。
(注2) CD “ DODO ” の総売り上げ数( 1月現在)から僕の両親が購入した40枚を引いた数。
(注3)キタノホテルはミュージックチャージ無しです。
こっちに人が集中しちゃって、ブルーノートの方がガラガラだったらどうしよう。
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TORU DODO TRIO
* April 23 (Wed) at the KITANO HOTEL
(66 Park Ave, bet 37& 38 st)
8:00pm-11:00pm No Music Charge
Toru Dodo (pf)
Reuben Rogers (b)
John Lamkin (ds)
*April 27 (Sun) at the Blue Note NY
(131 W 3rd st )
12:30pm& 2:30 pm
$ 19.50 (including Lunch)
Toru Dodo (pf)
Matt Cloesy (b)
John Lamkin (ds)
04/28 <レコーディング前日>
4月23日のキタノホテル、27日の Blue Note のギグ無事終了。(ブルーノートはスタインウェイピアノがしっかりありました!)
キタノホテルではピアノのなら春子さんが聞きにきてくださったり、 Blue Note では小曽根真さんがいらしたりと、こうどこか、僕の一音一音しっかりチェックサれてるというか、しっかりやらないと怒られちゃいそうな凛とした気持ちになって演奏したわけです。
聞きにきてくださった方々に深く感謝いたします。飛行機とキタノホテルに予約したけど、やむをえずキャンセルされた、日本全国960人の百々徹ファンの皆様、ショーは無事終わりましたよ。
ドラムのラムキンは以前より渡してあったテープを聞いて、すべての僕の曲を暗譜していたし、ベースのルーベンは独自のアイデアを提案してくれ、曲に新たな彩りを加えてくれたり、いよいよ明日に控えた新 CD のレコーディングに向けて準備は完了、後はスタジオでの奇蹟を祈るばかり。
5/1 <レコーディング終了>
4月29日・30日の二日、増尾さんのスタジオで僕のピアノトリオの新しいレコーディングを行いました。
ラムキン、ルーベンは普段は悪餓鬼のようにしてるのが、いったんブースに入ると美しいミュージシャンに変わる。
増尾さんとエイジ君のエンジニア陣は、骨の折れる作業を、当たり前のようにさも苦もなく仕事をしてくれる。
僕はただ自分のやりたいようにピアノを弾くだけ。
予定していた10曲をすべて録音して、一晩あけた今日、家のスピーカーでとりたてホカホカのテープを聞いているのです。これから毎日数時間ガーっと聞く日が続くことでしょう。
これがどんな風に発表されるのかはいまだ未定ですが、いましばらく、自分だけで楽しまさせてもらいます。
05/05 <小曽根さんとウイントンさん>
先週行ったレコーディングのテープを、もう表から裏まで聞きまくる日々。
こうすればよかった、これはやめておけばよかった、これはかっこいい?これはダサイ?ピアノ練習しないとなー(ため息)、この作品を世に問う資格があるのか?寺島靖国はまた難しがる?ひょっとしてバカ売れ?
こんな事をひとりで悶々と思い、家のスピーカの前でのたうちまわってます。はやくミキシングしたい。
先週末、ジャズスタンダードで小曽根真さんの “ TRIO ” のライヴを見に行く。痺れた。
私が間違ってました、顔洗って出直してきます、と思わせる程の音楽の完成度の高さ、ピアノの音の精密さに、圧倒された。
昨日の日曜の Cleopatra's Needle のジャムセッション。ウイントンマルサリスが来場。2曲程シットインしてくれた。ジャムセッションのホストを任されて1年半が経とうとしてるが、ジャズの代名詞ともいえるウイントンを自分のセッションにお迎えし、共演できたことで、ホストとしてもうやり残した事はないような気がした。少し、挨拶できたし、しっかり握手もした。
お父さんお母さん、ウイントンとやりましたよ。
お父さんお母さん、お願いだからウイントンって誰?ってメールしないでね。
05/16 <コロンビア大卒業パーティー>
縁あって、コロンビア大学院の日本人学生主催の卒業パーティーで演奏。
Lerner Hall という学生会館のスペースで塩田ノリヒデ、高橋シンノスケという日本人トリオで1時間程の演奏をさせていただきました。
なんかこう、僕も勝手がわからなかったし、集まった100人弱のパーティー参加者からの、いったい何物だ?という視線を感じつつ、それでも百々徹の音楽をもくもくとやってしまいました。声をかけてくださった、主催者の佐藤さんの度量に感謝です。
これからの世界をしょっていかれる、コロンビア大の方々の卒業の門出を、こういう形でお祝いをさせていただいて僕はとても嬉しかったです。改めてこの場をお借りして、おめでとうございますを言わさせていただきます。
会場で僕の CD 『 DODO 』を買ってくださった6人の方々の存在に、世界の明るい未来を見たのは、きっと僕だけ。。。。。。。。
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話しはかわって、舞台は日本。
近く、 CD ショップ DiskUnion で、僕がボストンにいた頃に自主製作した、『 Melancholy Cats 』という CD が再び、少し店頭で売り出されるらしいです。
かの寺島靖国さんがスイングジャーナル誌に連載している日記のページがこの度、単行本として発売されるらしく、その中で紹介されている CD を DiskUnion さんタイアップで売り出すとか。僕のこの処女作『 Melancholy Cats 』も、その中の1枚だそうです。(やっぱ俺の事好きなんだな寺島は。)
アルトとテナーサックスを擁したクインテットで、バークリー生だった時に学校の宿題で作った曲を演奏。校内でのコンサートで演奏した “ Cherokee ” のソロピアノもおまけつきのアルバム。
幻の名盤と誉れ高い、と自分で思っているこの CD 、なにげに在庫切れになってきてまして、今回逃すとかなり手に入れるのが難しくなるのではないかと思われます。いざ、 DiskUnion へ!
因に DiskUnion さんからの入荷注文数は25枚。幻のような数字だ。。。。。。。
05/21 <ドがラ>
先日、とあるレストランでのギグにて。
その場所は、ピアノは置かれていないので自分の小さいキーボードを持っていくわけです。
それに、サウンドモジュールという、音源がたくさん入った箱をつなげて音を出しているのですが、その日、どうもキーボードとモジュールのコネクションが調子悪く、何故かキーボードの出る音が、実際の鍵盤よりマイナー3度低くなってしまう。ドを弾くとラが出てしまうのです。
演奏開始時間となり、その状態のまま演奏することに。とりあえず簡単なスタンダードをやろうということになって、まずは、 “ It Could Happen to You ” 。これは普通、 Eフラットで演奏することが多いが、 C でということに。
僕は、普段通りEフラットで弾いていればいいのだが、これが非常に難しい。 Eフラットと思って弾いても、出て来る音が C なのです。なので、アンプから出て来る音をなるべく聞かないで、頭の中に鍵盤の絵を思い浮かべて、指をその映像に這わせるようにして弾いてみた。
その調子でそのセットは、 “ Someday My Prince Will Come ” が G で、 “ The Girl from Ipanema ” は D で、 “ Satin Doll ” は A で最後は D ブルースが演奏されたのです。
自分の音を聞くとロストしてしまう、ベースの音も同様にロストの原因となる、よって、出す音、周りの音を聞かないようにして、指を鍵盤の位置だけを頼りに動かすという作業は、ものすごく音楽的でない気がして嫌な気分でした。
他人の話を聞かず、意味のない言葉をペチャペチャしゃべり続ける人って嫌だけど、そんな感じで演奏してたのです。
練習して、ドを弾いてラが鳴っても大丈夫になりたいとも思わないし、仮にその技術をマスターしたとしても、
『今の曲さ、 E フラットで演奏してたと思うでしょ。でも俺だけ G フラットで弾いていたんだぜ。』
という事にかっこよさを見い出す人ってあまりいないだろう。
ま、僕がこんな事で四苦八苦してても、
『そんな大変な事になってたなんて全然わからなかったよ。』
と言う、この日のドラマーもいれば、
『移調の練習になって楽しかった。』
と言う、この日のベーシストもいれば、
『すばらしい演奏だった。』
と言う、この日居合わせたレストランのお客さんもいれば、
『これって絶対音感を持ってる人の嫌味な話し?』
と言う、この文章を読むミュージシャンもいれば、
『今回の話しはなんのことだかさっぱりわからない。でも、キーボード修理した方がいいいんじゃないの。』
とメールしてくる僕の両親もいる。世の中ってホント色々な人がいるんですよね。
結局、キーボードは、カチャカチャと電源を付けたり消したりしているうちに元に戻り、ドからドの音が出て、ドド君すっかり御機嫌だそうです。
05/29 <名盤『 DODO 』>
なんでも、 Swing Journal の臨時増刊号(2003年5月)『最新ジャズピアノトリオ名盤全カタログ』(定価1990円)で、百々徹の『 DODO 』も、めでたくおさめられたそうです。名盤1700枚のなかの一枚の中に入れてもらったそうです。
この CD を買ってくださった日本全国960人の皆様は、これはひょっとして名盤なのではないだろうか、と日々、疑問に感じていたかもしれませんが、安心してください。『 DODO 』は名盤です。
僕はとてもうれしいです。
これからは、この本を常に携帯して、アパートを借りたり、銀行でお金を借りに行きたいと思います。
v −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
v 先日、キタノホテルで僕の演奏を聞いた、どこぞの大きな海運業者に勤める O さんに連れられ、ミッドタウンにある『寿司田』のランチをごちそうになりました。
カウンターで板前さんおまかせ寿司食べ放題。
自称『ジャズパトロン』と語る O さん、元早稲田のダンモでトロンボーンを吹き、最近、バリー・ハリスの合唱隊の一員として、ヴィレッジヴァンガードで歌ったというお方。
子育ても終わって、今はこうして若いミュージシャンを応援するのが楽しいと言ってくださりました。
『ジャズミュージシャンは生活大変だからね、食事くらいならいつでもごちそうできるから、頑張るんだよ。』
と励ましてくださる O さん。
NY 生活もうすぐ5年経とうとしてますが、どうやら僕は、食料補給ラインはしっかり確保できたようです。
O さんは寿司田の社長とも知り合いという事で、食事後オフィスへ案内され、紹介をうけました。なんとこの社長、ジャズに造詣深く、一時、とあるジャズ雑誌に批評を寄せていたという。
やっぱり NY はジャズの街だ。
『お釣はいらないから。』
とポーンと僕の CD を買ってくださり、
(訂正)
とポーンと僕の名盤『 DODO 』を買ってくださり、本当にありがたいことです。
06/02 <またもや接待される。>
某大手商事会社に勤めていらっしゃる I さんと食事会。先日キタノホテルでのライヴにいらしてくださり、今度、ご飯でも食べましょう、ということになり、この日を迎えた。
場所は 52st の 1ave と 2ave にある『とらや』。和食のだいご味を味わう。
彼は、僕と同世代で、昨年から NY へ赴任した、スポーツ好き、ギャンブル好き、そして、音楽好きのやり手ビジネスマン。 中東、アジア、ヨーロッパと幅広くビジネスで飛び回っているとか。食事中、絶えず日本の本社から携帯電話が鳴る。
『平気で、夜中の2時くらいに仕事の電話が、かかってきますから。』と I さん。
面白かったのは彼のギャンブルの話し。麻雀、競馬が好きで、そのいれこみようは並ではないらしい。競馬では2年間で数百万円稼いだ実績を持つという。彼の長年の経験から学んだ勝つヒケツとは、
『ごまかしや、うそをつかないで、自分を信じて目標に邁進すれば、自ずと運が転がり込んでくる。』
との事。
『宝くじはやりません。宝くじに当たる人というのは、それだけの理由があるのです。これがあたらないと一家離散だとか、自殺しないといけないとか、本気に真剣に、そのくじがもたらす富を手にしたい人に当たりがつくのです。』
感心。
食事後、彼に連れられ『トミジャズ』というバーで飲む。日本のジャズ喫茶の雰囲気を漂わせるお店。豊富なジュズレコードのコレクション。週末はライヴもやっているらしい。
嬉しかったのは、ここのマスター、なんと CD 『 DODO 』を持っていた事。もうそれだけでここのお店、気に入ってしまう。
申し訳ないと思いつつ、 I さんにすっかりごちそうになってしまった。本当にありがたいです。
前回登場したジャズパトロン O さんといい、この日の I さんといい、接待される度に、これは僕の芸でお返ししなくては、それにはしっかり練習しなくてはいけないし、いい曲書いていかないといけないなーと思う。
Iさんは言う。
『アーティストですよ、百々さんは。』
僕にアーティストとしての資質、そう呼んでもらえる資格があるかどうだか、正直自分ではわかっていない。しかし、こうして人様にごちそうになる度に、
『僕はアーティストなんだ。』
と、いう自覚が最近妙に芽生えてきている。
アーティストは、おごられてアーティストになるのかしら。
06/09 <ミキシング>
先週の金曜土曜に、4月に録音した新作 CD のミックス作業をしました。
前作『 DODO 』同様、増尾さん、エイジ君というエンジニア陣とスタジオにこもって、あーでもないこーでもない言いながらやりました。
基本的に僕は、ここはベースをもっと前に出してとか、ピアノもっとひっこめてとか、ここ長いから切っちゃってとか、うまいとこだけつなぎあわしちゃって、とか言ってソファーに寝そべって、お菓子とコーヒーを飲んでるだけ。
そのうち、ミスプレイしている箇所を聞くうちに、なんて自分はピアノが下手なんだろう、きちんと練習しないとなぁ、ほんと練習、練習!!という風に頭の中には『練習。』しかなくなって、ミックスしている事を忘れてしまう有り様。
その中で、増尾さん、エイジ君は何度も何度も聞き返しては、音質、バランス等注意をめぐらして、カチャカチャ機材を動かしているわけです。
一応、仮完成の CD−R を僕に渡す時に
『とりあえず家でじっくり聞いて、どんな事でも気になった所があったらなんでも言って。納得いくまでやろう。』
と言ってくださる増尾さんと、迅速な作業、粘り強い精神力を誇るエイジ君に感謝。
僕はルーベンラムキンとのトリオも好きだけど僕エイジ増尾のトリオも大好きです。
こうして僕は、この CD−R を暇さえあれば、狂うように聞いてしまう日がしばらく続くのです。
06/16 <Noと言えた日本人>
昨日、僕がホストをする Creopatra's Needle のジャムセッションでの出来事。
セッションのスムーズな進行の為に、会場にはサインアップリストというのがありまして、シットイン希望者に名前を書いてもらい、その順番で演奏してもらうようにしているわけです。
参加者が多いと、自分の順番がまわってくるまで結構時間がかかる訳です。
昨日は特に歌手の方が大変多くいらして、中にはやはり待てない方がおられるわけです。初めてお見かけする白人シンガー(年齢40−50才くらい)が、司会進行にやっきになっている僕につかつかと言い寄ってきました。
『お願いだけど、今、ホストバンドと歌わせてくれないかしら?』
『サインアップリストの順番でやってますから、ここに名前を書いてください。今もたくさん順番を待っている方がたくさんいるわけですから。』
『それじゃ、バンドメンバーにお金払うから。今、歌わしてくれないかしら?』
『ですからこのリストの順番でまわしてますので、名前を書いてお待ちください。』
『お願い、 A Couple of Hundreds ドル払うから30分くらい歌わしてくれないかしら?』
クレパトセッションホストを任されて以来、初の賄賂工作に出くわした。
たかがジャムセッションされどジャムセッション。司会者に金掴ませて、マイクを奪おうとする歌手の図。
申し訳ないですけど、順番無視していいのは有名な方だけです。先日、ウィントン・マルサリスがシットインしに来た時、彼はサインアップ等してません。先々週、訪れたウェス・アンダーソンもサインアップしてません。僕の方から、逆に紙を持っていって
『お願いです、サインください。』と言わせる程、僕をミーハーな気持ちにさせる人のみ、順番待ち関係なくどんどんシットインさせます。これを不公平と言う人は、ミュージシャンではないと思ってます。
しかしこの僕を買収しようとする白人シンガーは、残念ながらそういうミーハーな気持ちにはさせてくれません。しかも彼女、大変お酒も入っているようでした。僕は丁重にお断りさせてもらい、彼女はプンプンしてクラブを後にしていきました。
僕は A Couple of Hundreds ドルでは動かないです。
動かないんだなーって後から思った訳ですけど。
6/30 < Hot Summer Jazz Festival >
6月26日から28日まで、ミネソタ州のミネアポリスで行われた Hot Summer Jazz Festival で男性ヴォーカル Jacey Falk のバンドで演奏。
今年で5回目を数えるこのジャズフェス、1週間街中の様々なスポットで演奏が繰り広げられ、デイヴ・ブルーベックやスパイロ・ジャイラ等がスペシャルゲストとして迎られていた。
我ら Jacey バンドは、27日の午後に一時間だけ演奏するだけで、基本的にはブラブラ街を探索してる時間の方が長かった次第。色々とミネアポリスの地元のミュージシャンをチェックしたり、ジャムセッションに参加。
なんとも、予算が限られている Jacey バンド、ピアノとベースだけ NY から飛行機で呼び、ドラムは地元から調達。気紛れな Jacey 、やっぱりフェスティバルだし、派手にホーンも入れたいと言い出し、26日の夜、遊びに行ったジャズクラブで演奏していたミュージシャンから紹介してもらったトランペッターへ電話。
翌日、本番に現れたトランペッター、実はクレオパトラズニードルによく遊びにきてくれていたグレッグ君。マンハッタン音楽院に通っているのだが、現在夏休みで帰省中との事。
顔を見た途端、お互い『あれー、なんでここにいるの?』的な表情を浮かべ、『世界は狭いね』的な挨拶をして、クレオパトラではあまり話しもした事がなかったのに、ミネアポリスですっかり親愛の情が湧いてしまった訳で。
ミネアポリス、気候大変よろしく、街は緑多く、清潔で、なんとなく道行く人々の目が優しそうで、いいとこ来ちゃったなーってな案配。と同時にあまり日本人がいないので、本当のアメリカに来ちゃったような思い。 NY やボストン、なんだかんだいったって日本人が周りに多かったので、守られている感じがしたけれど、ここは、英語を24時間しゃべっていないといけない環境。1週間もいたら、すぐホームシックになったりして。
そんなミネアポリスの旅でございました。
07/12 <暑中お見舞い申し上げます。>
『ターミネーター3』を観た。興奮した。傑作と思った。55歳になったシュワルツネッガーの筋肉も、相変わらず凄かった。僕も体を鍛えねばと、時々、思い立ったように家で腕立て伏せをしたり、近所の公園でジョギングをしたりする。急にやるものだから、すぐ膝を痛めてしまい、しばらく走れなさそうだ。おまけに最近、クーラーのあたり過ぎか、夏風邪か、のどがいがらっぽい。体を鍛えるっていうのもなかなか難しい。特に最近暑すぎて、アイスばっかり食べてしまう。またこのアイスがおいしいんだ。
春に録音した新作 CD 『 DODO 2 (仮題)』の行方がいまだはっきりしない。ミキシングもやり直すと増尾さんに言われた。その日取りも未定だ。
『 DODO 』が世に発表されるまでにも、かなり時間がかかった。『 DODO 2 』もこの調子でいつ発売されるのかわからない中、しこしこと新曲作りに励んでいる今日この頃。出来たての曲を、クレパトやキタノホテルで試し、お客さんの反応を見たり、共演者の意見をとりこみ、完成させていく。もし『 DODO 2 』が CD 屋さんに並ぶ頃までに、『 DODO 3 (仮題)』『 DODO 4 (仮題)』も完成できる様になっていたらそれはそれですごいが、それでいいのだろうか。
ガーシュインの『サマータイム』という曲があるが、先週のクレパトのジャムセッションで2回もコールされた。季節柄といえばそうなのだが、一日2回も演奏される『サマータイム』に僕は嫉妬した。そんな曲を書いたガーシュインに才能を感じてしまう。
あせらずじっくりと時間をかけていい作品を作りたい。今、31歳、これから24年間、地道に腕立て伏せしていけば、55歳になったあかつきには、僕もシュワルツネッガーみたいな体にきっとなっているはずだ。
07/21 < I am too nice. >
深夜。
ギグ後、地下鉄の駅から僕のアパートへ歩いて帰る途中、向こうから眼鏡をかけた中年黒人男性が声をかけてきた。
『君、この辺りに住んでいる人?』
何故か足を止めてしまった僕。
『そこのチーズケーキ工場で働いているのだけれど、車の鍵の入った財布を工場に置き忘れてしまったんだ。家までのタクシー代貸してくれないかな。明日、俺は朝6時から午後4時まで働いているから、来てくれたらお金返すよ。』
何故か話しを聞いてしまった僕。そこのチーズケーキ工場かぁ。知ってる知ってると思った僕。
『いくら必要なんだい?』
『20ドル。明日工場に来てくれ。30ドルにして返すから。』
何故か20ドルを渡してしまった僕。
『信用してくれてありがとう。僕の名はマルティネス。君の名は?、、、、、、トオル?珍しい名前だね。じゃ、明日!』
笑顔のマルティネス。
何故かつられて笑顔で握手までしてしまった僕。
場所は、危険と言われるブロンクス。
時は深夜2時30分。
しかし僕の住むエリアは落ち着いていて、日本人も多く住んでいる。ここに住んで5年。この間、一度空き巣に入られた以外、危ない目に会ったためしがない。
彼はこざっぱりとした格好をして、話し方もおだやかだった。払わないと殺されちゃうかもという危険を感じさせない、落ち着いた雰囲気。
次の日、チーズケーキ工場に行った所、マルティネスはいなかった。
工場の受け付けの人が言うには、そういう名前の者は以前働いていたかもしれないが、現在はいないと。昨晩の顛末を話すと、
『 Sorry, You are too nice. 』
と言われてしまった。
見知らぬ人に、通りで声をかけられて、お金をあげるなんて普通ありえない。何が僕の判断を鈍らせたのか。
疲れ。彼のソフトなアプローチに対する油断。少しばかりの人助けしたいという気持ち。明日30ドルにして返してもらえるという事への気持ち。チーズケーキ工場で働いている事を証明するものを見せてくれという確認作業への面倒くささ。20ドルくらいいいさ、やるさ、という普段見せない太っ腹なところを見せてやりたいという顕示欲。
こんな簡単に詐欺に会う僕はやはり少しネジが緩んでいたとしか思えません。
この調子じゃ、あっさりと援助交際後のおやじ狩りをされそうだし、快く不必要な瓦の屋根修理をされそうだし、お爺ちゃんになった暁には、喜んでオレオレ詐欺されそうです。
百々徹辞典によれば『 You are too nice. 』は『君はバカだ。』という意味らしい。
8/2 < Marcus Roberts Trio at the Village Vanguard >
ウィントンマルサリスやマーカスロバーツ等が、アメリカンミュージックの伝統を重視する音楽活動をしている事に対して、日本人である僕は複雑なものを感じてました。
彼等がエリントンだモンクだと真正面から演奏しているのを聞くと、ずるいよ、ニューオリンズ出身の黒人がそういう事をしたら、東京都立川市出身の僕がエリントンを演奏する事の意味無くなっちゃうじゃん、と思うわけです。(どうしたらいいんだ、僕は?という事で、それじゃ、自分で曲作って自分の音楽やっていくしかないんだろうなと思ってやってきた経緯があります。)
それと同時に、彼等が自分にないものを持っている事に対して、憧れのようなものを抱いて聞いていたのも事実なのです。 西洋人の東洋趣味の裏返しと言いますか、僕はウィントン等の音楽に、京都や奈良を見てしまうのです。
そういう事を思いつつ、マーカスロバーツを聞きにいったのです。当然のように、ジェリーロールモートン、ファッツウォーラー、モンク、エリントンの曲を弾く訳です。弥勒菩薩、竜安寺の石庭、金閣寺、法隆寺の世界です。
しかし僕は完全にメロメロになってしまいました。うだうだ歴史やら伝統やら人種やら考えている場合ではなく、マーカスロバーツの紡ぎ出す音そのものに引き込まれてしまいました。彼のピアニズムに圧倒されました。あの音をずっと聞いていたくさせられました。
この日の収穫は、彼が演奏するマテリアルがたまたまアメリカンミュージックを象徴するだけで、事の本質は音自体にあるように確信できたことです。彼は音楽をしていると思いました。
8/6 <ピアノソロって難しい。>
最近キタノホテルで、時々、ピアノソロ演奏をさせてもらっています。
ソロ演奏では、他人と協調する事がない分、リズムやハーモニー等すべての面で、自由と言えるのだけれど、逆にこの自由さが僕を悩ませるのです。
自由な校風を誇る中学校で、生徒が非行に走りはじめて、手に負えなくなっちゃった担任の先生の心境といいましょうか。
『自由を、勝手気ままに何をやってもいい自由と思ってはいけません。自由を履き違えてはいけないのです。』という校長先生の朝礼の言葉が僕の頭にこだまします。
何を弾くのかという選択の質、が問われる気がしたどど君。
とりあえず、まずレパートリーとなる曲を決めて、じゃ、それらをどう調理しようか、家であれこれ模索してみました。
行き着く所は、ポロローンとカクテルピアノ風か、ギンギンにストライド&ウォーキングベースライン俺ってアートテイタム?風とか、きれいなインプロヴィゼイション俺ってキースジャレット?風に落ち着いてしまう。それらが本当に僕の弾きたい音楽なのかわからない。誰かが作ったフォーマットをなぞっているだけじゃないのか?『どど君のソロピアノ』にしたい。いや待て、その前にどれも満足に弾けてないじゃないか?左手がとってもお馬鹿さん!きちんと何々風になってから物を言ってちょうだい!
さらに、ソロになると、ドラムやベースの音にぼかされないピアノ自体の音が、聞く人にダイレクトに伝わってしまう。一音一音の質が問われる。これって普段の練習でさぼってたことでした。ジャズはアドリヴラインが勝負と思って、新しいフレーズを出す事に熱中しているところがありましたが、音楽は音が命だったんだって恥ずかしながら最近わかってきたのです。マーカスロバーツとか聞いちゃうと骨身にしみてそう思う。
ピアノ演奏のあり方、音楽の本質について考えるきっかけとなったピアノソロ。もう無責任に結論を言っちゃうと、ソロ演奏は、『人間は結局ひとりよ。ひとりで生きていける人が大人なのよ。』という強い意志の現れなのです。ベースが遅刻してるからという理由で、その間、一人で演奏してる訳ではないのです。
一方で、ジャズのいわゆるピアノ、ベース、ドラムに管楽器みたいな演奏形態には、『人はお互い助け合って生きていくものよ。一人で片意地張っていてもつらいだけよ。』 という思想が底辺に流れている気がします。ベースがいてくれるだけで、僕の左手は解放され、演奏中にずれ落ちる眼鏡を直す余裕さえ与えてくれるのです。
多分、どちらが正しい、どちらが間違いの問題ではないのでしょうけれど、キタノホテルでソロピアノの仕事をいただいている現在、いつまでも子供じゃないんだから、甘えてないで、しっかりと責任ある大人としての自覚を持とうという意志で、僕は取り組んでいます。
ということで、たまにソロで演奏しているのをキタノホテルで見かけた時には、(大概、ベースと二人でやっている事が多いのですが。)親離れしようとする我が子を見る思いで、そっと暖かい眼差しを向けてくれたら嬉しいです。
というか、ソロギグって結構、やってる方としては休憩中とか、かなり寂しいので、声をかけてくれたらとても嬉しいです。
8/15 <停電>
電気が切れたのは14日午後4時過ぎ。
キタノホテルで仕事があったので、マンハッタンまではバスで行けるかしら等と考えていた。 この停電はブロンクスエリアだけなのだろうと勝手に思っていた。
携帯電話はつながらなかった。持っているラジオの電池がなかった。
バスでマンハッタン島の北部までとりあえず行ってみた。あらゆる交差点で警官が交通整理している。マンハッタンも停電だった。こりゃダメだ、帰ろうと思った。
帰りのバスはとても混雑していて、乗せてくれない。家までの40ブロックを歩いた。途中のスーパーで電池を買った。
家に帰ってから、早速ラジオに電池を入れるが、何故か電源が入らない。9/11の後、購入した安いラジオだ。9/11の反省がまるでなってない。
日が暮れる。
あちこち懐中電灯を探したが見つけられない。とりあえず、持っていたアロマセラピー用のろうそくに火を灯す。あー落ち着く。落ち着くか!
『腹が減っては戦はできぬ』という格言を思い出し、とりあえず米をガスで炊き、ちょうど解凍された鶏肉を照焼きにして食べた。ガスで炊く御飯、結構うまかったのが救い。
携帯は相変わらずつながらない。やることがない。情報もない。ふて寝。
朝8時に目が醒める。まだ電気はついていない。どこかに懐中電灯あったはずと、部屋を探す。昨晩チェックしなかった場所に、あった。懐中電灯の電池は大丈夫だった。しっかり明かりがついた。『ヤッター!これで今晩は大丈夫!』と快哉をあげたその瞬間、ジーッという音。ビデオに電源が入った音。家中の電源が入った。近所の人の拍手が聞こえた。
電気の事が好きになった。