00-10 (Japanese Only)

2004年 その1

1/1  <あけましておめでとうございます。>
 あけました。2004年はじまりましたね。
7年ぶりの日本での大晦日、久々なので家でのんびりテレビ鑑賞いたしました。
1)夏川りみさん素晴らしいなぁ。「涙そうそう」、そりゃ売れますね。いいですもの。CD買おうっと。
2)あまり期待していなかったが見てみたかったテツ&トモ、かなり面白かった。顔変だし、踊り変だし、歌変にうまいし。めでたい気分にさせてくれるなぁ。
3)めでたい気分ってことで細川たかしも、そういう気分にさせてくれる声を持ってるなぁ。演歌独特の重みとかないし、軽くていいなぁ。
4)曙完敗でしたね。僕が留守にしている間に、日本で格闘技がこれほど人気があるとは知らなかったなぁ。紅白の裏番組で民放3局で格闘技中継。ニホントテモ野蛮ナクニ?
というわけで、今年はどうなるのでしょうね〜〜〜。
イランイラクと百々徹。

でしゃばりエディターさん、今年もよろしくお願いします。
親愛なる百々徹ファンの皆様、今年も懲りずにお付き合いくださいませ。

1/5  <大坂昌彦セッション@モーションブルー>
 新春初仕事は、モーションブルー横浜での大坂昌彦セッション3Days 。ドラム大坂、ベース上村信、そしてピアノ百々のトリオに加え、2日がアルトサックス太田剣、3日がテナーサックス岡崎正典、4日がアルトサックス石崎忍というゲストを迎える。

 私は、このセッションに向けて、密かに思うところがあった。

 岡崎正典、石崎忍は、バークリー時代の朋友。
ボストンで共に語り、笑い、食らい、聞き、演った同志である。学校卒業後、三人はそれぞれ東京、NYと道は分かれた。
 五年の歳月が流れた後に三人が遭遇した交差点としてこの大坂昌彦セッションが選ばれたのである。
 横浜の代表的スポットとなりつつあるモーションブルーという場所は、交差点の住所としては、できすぎかもしれない。

 控え室で再会を祝し、近況を語り、舞台でお互いの成長を無言のうちに喜び、演奏後、固い握手と共に、またの共演を誓った。

 舞台上、大坂さんより今年の抱負を聞かれ、
「今年の甲府」「今年の豆腐」「農夫」「毛布」について語り、大勢の観客から、冷酷なるひんしゅくをかった百々徹ではあったが、その裏には、語り尽くせないほどの思いが、彼の胸中に去来していたことをここに記しておきたい。

1/11  <2004日本ツアーその2>
1月7日(水) 藤沢BECKセッション

 ボストンに行く前からお世話になっていた藤沢 BECK でおよそ5年ぶりに仕事させていただいた。メンバーはテナーの安保徹、三木俊雄にドラムの高橋徹、そしてここのでしゃばりエディターさんの愛息、ベースの航太朗君。今年大学1年生の航太朗君、ベーシストであるお父さん(小林新作さん)の背中を見て育ったのでしょう、いやはや、音はいいし、ピッチはいいし、ソロワークもセンスいいし、これからの活躍楽しみです。
 仕事後、横浜に住む高橋徹宅にお泊まりさせていただく。朝、彼の5才になる愛娘に「どどとおる、起きなさい」と起こされた。前会った時には、まだ赤ん坊だったのに、すっかり大きくなりやがって。このかわいい子ちゃんめ。

1月8日(木) 百々トリオ@茨城 UP'S
 ほぼ満員御礼。骨折しギプスに包帯をぐるぐるはめ、すっかり指3本エレキベーシストとなった塩田のりひで、なんか以外に良い感じだ。自分の曲はそもそもエレキベースを想定していなかったが、案外、はまる気がしてきた。色々やってみるものだ。
 お客さんの中に、僕のCDを2002年の9月の発売当時に買ってくださり、この日のライブに持ってきて、サインを求めてこられた方がいらして嬉しかった。ありがたいですほんと。

1月9日(金)
 古いつきあいになる、ヴォーカルの鈴木リエさんがホストをしている山口県のFM番組のゲストとして声をかけてくださり、彼女の自宅スタジオへ。
 インタビューに、ローズでリエさんと数曲デュオ、僕のCDから数曲エアプレイ。ありがたいですほんと。
 気になったのは、リエさんのご主人。ベーシストなのだが、最近、飼い犬に噛まれ、左手親指を怪我、包帯ぐるぐる巻きでした。日本帰ってきて、包帯ぐるぐるベーシストを見るのこれで二人目。くれぐれもお大事に。
 そうそう、番組は水曜日の夜10時から11時、周南FM、アーバン倶楽部;「鈴木リエの Love Train 」。僕の出演は、1月21日と28日です。

1月10日(土) 横浜 Jazz Iz
 テナーの峰厚介さんとベースの安藤昇君とのトリオセッション。うわっ、お客さんが4人!!
 常連さん2人に、峰さんのマネージャーであり僕も今回のツアーでお世話になっている小川さん夫妻。
 演奏終了後、近所にあるジャズクラブ、 BarBarBarで演奏していたベースの鈴木チンさんとフルートの井上信平さん、ピアノの野力奏一さんが乱入。
 ジャズクラブのお客さんが演奏関係者だけというのはよくある形だが、この日はまさに典型的なジャズギグであった。
(演奏関係者に観光客が加わると、そこはNYのジャズクラブの形だったりするが、この業界に関わっている者として、こういうことはあまり書かないほうがいいのかもしれない。)
 演奏は最高に楽しかったし、チンさん峰さんの昔話は傑作だった。増尾さんも含め、この世代の人たちは力が良い具合にぬけていていいなと思う。
 その後、安藤君と阿佐ヶ谷マンハッタンへ。僕のスタートはここにある。帰国する度に、マスターへ挨拶しに行っている。マスター、今年はNYへ遊びに行くと言っていました。是非お会いしたいです。

1月11日(日)
 多田誠司 the Most を聞きにNHKスタジオ505へ行く。観客は昨晩よりも116人ほど多かった。ジャズまだまだ大丈夫だ!!緊張感のあるとてもいい演奏だった。2週間後、このスタジオで僕のトリオ収録。今から緊張してきた。

 そういえば、一昨日、アメリカ大使館よりアーティスト更新ヴィザスタンプが押されたパスポートが家に届きました。大使館での面接インタビューからまる4週間かかった。なかなかこないので少しやきもきしてましたが、これで安心しました。アメリカが俺を呼んでる。俺を必要としている。
1/19  <日本ツアーその3>
1月12日(月)塩田バンド@茶ナル
 多田誠司、太田剣、広瀬潤次でお届けする、難曲探検隊バンド。ちょっ早、コード進行ややこしいもの大会。満員御礼。 Akiko, 石田衛君が飛び入り。塩田、エレベどんどん上手になってきてる。転んでもただでは起きない塩田。

1月13日(火)新作CDの打ち合わせ
 僕の新作ピアノトリオアルバム、いよいよ2月25日(水)に発売の運びとなっているようで、担当者の福井さんと会合。まだジャケットもできてない、最終ミックスも届いていてない。間に合うかなぁ。
 夜、ボディ&ソウル に、辛島文男トリオを聴きにいく。お客さんの中に、僕のライヴにも度々聞きにきてくれてくださっている方が2人以上いまして、てっきり僕のファンなのかと思っていたら、彼等は、純粋に音楽好きの方々だったのかと理解する。

1月14日(水)藤沢BECK
 先週に続いての藤沢セッション。この日の目玉はアルトの山田穣さん。すごかった。こんなに音楽と真から向き合って探求をしている人がいるのだろうか?彼が吹き終わった後、自分が弾く事はないような気がしてしまうほどに圧倒されてしまった。自分の甘さを突きつけられたようだった。あまり彼とお話できなかったが、このままだとファンレターをメールしてしまいそう。
この夜、バンドリーダーの小林新作さん宅にお泊まりで、新作さんと朝4時過ぎまで人生、音楽、日本社会について語り合った。

1月15日(木)
休み。新作CDのライナーノーツを夜遅くまでかけて書き上げる。作文というのも脳がハイになってきますね。朝起きて読んだら顔から火のでる恥ずかしい文章になっていたら嫌だな。

1月16日(金)大泉学園 in F
井手直行君とデュオ。ピアノと格闘してしまう。ピアノって難しい。
 お客様、ほとんど百々家両親から親戚関係者がそろい踏み。家族の懇親会のノリになってしまうのは、 in F での慣習。
 終了後、マスターからきりん山というお酒を振る舞われ、久々どど君、御酩酊。

1月17日(土)埼玉
 ある理由から場所をだせないのですが、埼玉のとあるクラブでベースの林正男さんとデュオの仕事。この場所は僕が、ボストンへ留学する前から仕事させていただいていた場所。あの時と変わらないマスターとママさん、変わらない内装、変わらない常連のお客様達がいた。ママさんから、「百々君、全然変わらないねぇ」と言われた。

1月18日(日)深沢メイプルハウス
 大坂昌彦、佐藤ハチ恭彦による百々徹トリオ。後半のセットに近所に住む TOKU が遊びに来て数曲飛び入り。連日の酒がたたり、芸が荒れてきているのを反省。ツアーもいよいよ残すところ2週間。がんばれどど!!
1/26  <2004日本ツアーその4>
1/19(月)Off
 明大吉田ゼミの同期生4人と、久々の再会を祝しての新年会。新宿の「鳥良」で、インフルエンザなどお構いなしに鶏を食らう。皆それぞれの職場で、懸命に働いている。中には、家を買い、子供を育てるものもいる。
 大学卒業時、就職せず音楽の道へ進もうとしていた自分に、「がんばれよ。」と彼等から声をかけてもらった記憶があるが、およそ10年たったこの日、別れ際の新宿駅の改札口で皆から「がんばれよ。」を再び言われた自分がいた。

1/20(火)百々トリオ@新宿ピットイン
 広瀬潤次(ドラム)佐藤ハチ恭彦(ベース)によるトリオ。この日の演奏は、
衛星デジタルラジオ放送局  MUSICBIRD
チャンネル:Jazz 8
番組名:オープンセサミ(パーソナリティ:三木俊雄)

というところで録音されまして、
放送日:1/24(土)18時〜20時  1/31(土)18時〜20時(再放送)
という具合に放送される予定です。  ってこの日記更新時にはすでに一回目の放送は終わってしまっているではありませんか。

1月21日(水)川嶋哲朗デュオ@In F 大泉学園
 川嶋哲朗さん、初共演。 In F のマスター佐藤さんがキューピットになってこの日のセッションが実現。
 すごい体験をしてしまいました。川嶋さんが僕の内部の今まで出したことのない音世界を引き出してくれたといいますか、川嶋さんに導かれるようにピアノを弾きました。
 やばい。川嶋さんに惚れてしまいました。メールしちゃいそうだ。

1月22日(木)Off
 ボストン時代からの友達のベーシスト Craig Plasko 君が男性歌手マイケル・ブーブレのプロモーションツアーで一週間東京に滞在中。この日、マイケル・ブーブレのシークレットライヴがFM東京で行われ、招待された。マイケル・ブーブレは、すでに世界でCD2000万枚を売っている新人シンガー。だが日本ではこれから売り込みを図るらしい。ライブ後、 Craig君と、 Body & Soul に行って、伊藤君子さんを聞く。アメリカ生活でできた友人と東京の街を歩く感覚は、なんだか楽しかった。

1月23日(金)塩田バンド@alfie
 Toku、多田誠司、藤井伸昭でお届けする、気合い一発バンド。満員御礼。ファンクものって気合いだと思ってるのですが、コードを弾く指が痛くて、後半泣きそうでした。鍛えねば。

1月24日(土)百々トリオ@名古屋ジャズインラヴリー
 六本木から名古屋まで直接、塩田号で向かう。早めに着いて、名古屋のホテルで寝ようという事なのだが、なにぶんライヴ後の飯を食べ終わった朝3時に六本木発はきつい。4時頃、たまらず港北インターで、車中で3時間ほど仮眠。後ろにウッドベースやらアンプを積んでいるため椅子を倒す事もできず、運転する姿勢のまま寝る。途中、目を覚ました塩田が「死ぬ!!」と叫んだ事、忘れません。
「このままじゃ死ぬかもな。」と思った自分も忘れません。
 
 フラフラで臨んだ名古屋の百々徹トリオ。高橋信之介君ドラム。超満員御礼!! すごい熱心な聴衆の前で演奏できて、トリオも好テンションな演奏ができたように思う。幸せな時間だった。

1/25日(日)百々徹トリオ@NHKFMセッション505
 フラフラで早朝に名古屋を発ち、渋谷の NHK へ向かう。この日、ツアーで初めてスーツを着て演奏。というのも、

番組途中のインタビューで、
司会の小川もこさん「今日はばっちり決めてきましたねぇ。」
百々徹「あれっ、今日はテレビの収録じゃなかったんでしたっけ。」

というボケをやりたいためだけに、とびきりのスーツを着こんだ訳で。 立ち見いっぱいの超満員の中で思いっきり演奏させていただきました。なんだか興奮したし、嬉しかった。楽しかった。聞きに来て下さった方々、本当にありがとうございます。放送は2月15日(日)の夜10時から。再放送は2月20日(金)の午前10時からNHKFMで。

2/1  <2004日本ツアーその5>
1/26(月)off
 発売下の MUZAK の福井社長より新譜のライナーノーツの書き直しを命じられ、書き直す。
 勘違いひとりよがり百々君だった文章を、さわやかドド君路線に変更。

1/27(火)百々トリオ@ Body & Soul
 ライヴ前に「 jazzlife 」のインタビューを受ける。インタビュアーの方、けっこう新譜を聞き込んでくれていた様で、オリジナル曲の構成についての質問も来て、なんだか僕も一端のミュージシャンみたいな気分になってきた。

 Body & Soul 、おかげさまで満員御礼。大坂昌彦、塩田トリオとしてはこの日が今回のツアーでは最後の日。総括気分で楽しく演奏できた。
 太田剣が飛び入り。伊藤君子さんも聞きにいらしてくれた。SJでレビューを書いているNHKの制作部の中山さんもいらしてくれた。一端のミュージシャン気分高まるばかり。

1/28(水)塩田 SFKUaNK @ motion blue
 東京スカパラの Nargo 、北原さんに、平井堅のバックをつとめていた石成さん、 TOKU、太田剣、藤井伸昭に加えて、我らが百々徹さんがローズを弾く、塩田のりひで率いるスカファンクバンドのライヴ。
 入れ替え制の2セット。男1女9の比率の満員のお客さんに囲まれ、過剰なアドレナリンが指にほとばしる中、ローズの扱いに四苦八苦しながらも、慣れないジャンルのスカファンクを演奏。
 是非またやりたい。

1/29(木)百々トリオ@吉祥寺赤いからす
 前の晩、モーションブルーから塩田君に多摩センター近くのマンガ喫茶まで車で送っていただき、始発の電車をマッサージチェアーに横になって待つ。
 そのせいか、体がとても疲労していた。(1時間30分連続でマッサージをしたのがいけないのか?)
 このツアー最後の東京エリア公演。佐藤ハチ恭彦、高橋信之介のトリオ。
 1セット目にゼーゼー息あがり、最終セットで「体力の限界!」と千代の富士関の引退記者会見の時の物まねが自然にできそうになるほどばてる。お客様に非礼を詫びたくなる。反省。

1/30(金)off
爆睡。

1/31(土)百々トリオ@黒磯グランボア
 回復。体力の問題ではなく睡眠不足が問題だったことを突き止める。あと1ヶ月はツアーできそうな程、体が軽くなった。
 今回のツアー最終ギグ。塩田、信之助トリオ。
 気合い十分で2セット終了。
 その勢いで、東京に戻ってから深夜のジャムセッション巡り。
イントロとドンファンに赴く。両クラブとも多くのミュージシャンで賑わっていた。ジャズ実は、はやってる?

2/1(日)反省会@立川
 前回に引き続きツアーのお手伝いをしてくださった小川さんと立川の駅ビルの喫茶店で反省会。今後の展開を話しあう。夜は妹夫婦と共に、両親と実家で食事。感謝。
パッキング、そしてこの日記の更新。
2/8  <時差ボケと格闘>
 2月2日、無事に NY に到着。
 昨年末から今年1月までの百々徹強化月間を終了し、しばし休息の時間を楽しんでおります。って時差ボケを言い訳にひたすら眠りこけているだけなのですけど。

 2003ー2004日本ツアーでの経験は、これからの僕の音楽活動のうえで、とても大きなものになる気がしています。今回、共演する機会を得たミュージシャン皆「戦っている」というのが、舞台で出された音や休憩時間での会話からどーんと伝わってきました。
 僕もこれまでなんとなく「戦ってきた」つもりでしたが、僕なんかよりもっと「戦っている」ミュージシャンを目の当たりにして、とても新鮮に驚かされ、刺激になりました。

 一方で、そんなドド君を各地の演奏会場で応援してくださった『全国960人の百々徹友の会』の方々の存在はとても嬉しいものでした。僕が伝えようとしているものが、伝わったかもと思える瞬間が、演奏中何度かあり、これってアーティスト冥利につきるのですよね。
「お前が伝えようとしているのは何だね?」
「それは僕達960人だけの秘密!」
 とにもかくにも、皆様の暖かい応援、心より感謝しています。鋭敏なる鼓膜をもたれた『全国960人の百々徹を助ける会』の皆様の存在は、素敵です。それだけでドド君戦っちゃおうかなーと思えます。ありがとうございます!!

 そうこうしているうちに、私、本日2月8日で32歳になりました。そんでもって入籍もしてしまいました。(えっマジ?)色々やらなければいけないことが山積している感じです。ま、ひとつひとつ片付けていきますか。
でも眠い。

 補足1)
「誰と入籍したのだね?」
「2004年2月25日(水)発売の百々徹の新作CDのクレジットを見ればわかるはず!」

 補足2)
 2月15日(日)夜10時から10時55分
NHKFM セッション505で先月収録された百々徹トリオの放送があります!
(再放送は2月20日(金)の午前10時から10時55分) お楽しみに!
02/19  < TOKU @ Sugar Bar >
 TOKU、小沼ようすけ、日野賢二が NY に集結。ヴァレンタインデーのライヴに合わせ、彼等と濃い時間を過ごした。
 ライヴ前日の金曜日、昼過ぎのリハーサル後、日野賢二氏の長年の知り合いである、ベースの TM スティーヴンスの家に皆で訪問。
 NJ 州郊外に構えた、壮大なお屋敷。収録に参加したゴールドディスクが10枚近く、壁に飾られてあり( TM さんってビリージョエルやらロッキー4のサントラにも参加してるのね。)
リヴィングルームにあるテレビが映画スクリーン並に大きかった。
 タカコ奥様のローストターキーによる盛大な御馳走に一同、 9ヶ月早い感謝祭 気分に。
 NY に戻って、ヴァンガードにマークターナートリオを聞き、ブルーノートに DJ ロジックを聞き、朝5時過ぎ帰宅。

 14日ライヴ当日。骨が付いてアコベ復帰の塩田のりひで氏を加え、 TOKU ライヴ@ Sugar Bar。小沼ギター、日野エレキベースフユ君ドラムにドド君キーボード。テナーサックスのジャック・シュバルツバルトがシットイン。大勢のお客さんに囲まれ終了。そして朝までダイナーでトークセッション。朝5時過ぎ帰宅。

 15日。ドド君クレパトホスト仕事。 TOKU やら塩田のりひで遊びに来られ、セッション終了後、ダイナーでのトークセッション。朝5時過ぎ帰宅。お陰で時差ボケはすっかり解消できたように思う。
2/21  < CD 『 116 West 238 St. 』発売前夜>
 いよいよ僕の新作ピアノトリオアルバムの発売日が近付いてきました。

 前作『 DODO 』と同じ布陣。ベースに Reuben Rogers 、ドラムに John Lamkin 、プロデュースに増尾好秋さん。レーベルは Jazz City Spirits 。

 前作と変わったのは、発売元が徳間ジャパンから MUZAK に変わったこと。もっとも MUZAK は、徳間ジャパンで『 DODO 』を担当してくださった福井さんが、独立して起こした会社。よって製作陣は実は同じ。

 このアルバムタイトルは、福井さんのアイデアでした。
『116 ウエスト 238 ストリート』
これは、僕の住んでいる NY の住所です。
 最初、ピンと来なかったのですが、福井さんに
「百々君が今いる場所っていう意味だよ。」
と言われ、わかったような気になりました。

「変に住所を公表して大丈夫でしょうか?熱狂的ファンが押し寄せて来て、汚い格好で近所に買い物にいけなくなったりしたら困るんですけど。」
「それほどまでになったら、それはそれでアルバムの成功という事じゃないか。」
と言われ、それもそうだという気になりました。
(2月21日現在、一部のネット販売のサイトでタイトルが『 DODO 2 』になっている所もあります。それと曲名の日本語タイトルがオリジナルの英語タイトルと、けっこう誤りだらけだったりしていまして、混乱してるようです。大丈夫なのだろうか?福井社長!)

 今月発売の雑誌『 jazz life 』、『 Swing Journal 』、『 CD ジャーナル』に批評が載ったようです。『 jazz life 』にはインタビュー記事も載ったようです。
 それによると、このアルバムは、
「モダンジャズの王道なのに新しく」( CDジャーナル)、
「コミカルでリリカルでトリッキーな、 NY 先端ミュージック」で( jazz life )、
「百々徹の驚異的な才能を知らしめるに十分な傑作」( Swing Journal )
だそうです。さらに、
「今、日本ではピアノブームだが、もしこの人が理解されないようならば、表面的なブームだと言わざるを得ない。」( Swing Journal )

 大変なことになってますよ皆さん。
僕は僕で、えらいこと書かれて、ミュージシャンとして後戻りできない、なんとも抜き差しならない気持になりましたが、聞いてくださる音楽愛好家の方々にとっても、これは責任重大ではないですか。

「ねっねっ、百々徹なんか理解しないで、今の日本のピアノブームを表面的なブームにしちゃう?」
「しちゃおっかー。しちゃおうしちゃおう!」

 なんて事言わないで、ここはひとつ人助けと思って。
2月25日(水)発売! 
税込み2,520円!

追記1)
 新作 CD 感想メール歓迎いたします。 todorudo@hotmail.com
追記2)
 新作 CD 早く僕にも送って〜。福井社長!
2/25  <新作 CD 『 116 West 238 St. 』発売!>
 福井社長より僕のもとに、できたてホヤホヤの新作 CD が 116 West 238 st に届きました。

1)表紙ジャケット、ドド君写真よりイラストの方がいい男!
2)裏表紙ジャケット、どこだかわかんないけど素敵な風景!
3)中クレジット、資源の有効活用!前作『 DODO 』の写真使い廻しだ!
  横顔に自信ありのドド君と男前ラムキンとルーベン。(左がラムキン。)
4)ライナーノーツの日本語タイトルとオリジナルタイトルが微妙に違うのが
  聞いてくれる人達にいいテンションをかもし出してるよ!
  この曲はノヴェンバーなの? November 1st なの? 
  メタモルフォーズなの? Metamorphosis なの?
  因に、帯の方には、「不思議の国にアリス」と印刷されてるよ!
5)ドド君、ライターの久元眞さんに「知る人ぞ知る名ピアニストの仲間入り」
  させられてるよ!そうさ、僕のウリは『無名』なところさ!

〜 おまけ 僕の母の第一回視聴時の感想。 〜

1曲目「あれ、急に音がなくなったよ。いいの?」
2曲目「この曲いい曲ねぇ。」
3曲目「ソーソーソーソーソーねぇ。」
4曲目5曲目「、、、、」(無反応)
6曲目「あれ、なんか誰か言ってる?」
7曲目8曲目「、、、、」(無反応)
9曲目「この曲知ってる。いい曲ねぇ。映画の曲よね。」
10曲目「あ、これで終わり。あらそう。あの映画の曲よかったわね。」
3/9  <ラムキンのお告げ>
 ラムキンから早朝に電話があった。
『 Yo! トール。 CD 届いたぜ。サウンズグッド!』
『ラムキン久しぶり。朝早いね。』
眠い目をこすりながら応対するドド君。

『お前がこれからすることは、こうだ。』
 節目節目で彼は僕にアドヴァイスをくれる。今回はなんだろうと、長電話に備え、椅子を用意する。

『 Trip Hop, Drum'n Bass, World Beat とかチェックしてるか?トールはジャズミュージシャンだってことはわかってる。けどな、もっとオープンになれ。幅広く聞いて、使えるものはとりいれろ。』

『ひとりでなんでもやるのは無理だ。中期マイルスはショーターの音楽をやっただけだ。後期マイルスはマーカス・ミラーの音楽をやっただけだ。ハンコックだってビルラズウェルの音楽をやっただけだ。トールもあらゆるジャンルの才能と交流しろ。』

ラムキンはとっくにジャズという音楽に未来を感じていない。なにせジャズ CD は特にアメリカでは売れないし、聞かれていない。
聞かれない音楽やってていいのか、という問いかけだ。ロイ・ハーグローブもニコラス・ペイトンも最近はヒップホップ路線をやっているし。あー、僕は山田敦さんを知っている。オペラジャズか?

『そうだ!俺にはアイデアがある。』ラムキン節炸裂する。

『ヴィレッジヴァンガードへ行け!そこのブッキング担当のレディにこう言え!
“ Yo!、俺は日本で CD2 枚出してるアーティストだ。俺のショーケースをここでやらせろ。俺はギャラはチックコリアみたいにべらぼうな額は言わない。一週間やらせてくれ。俺の日本の信奉者がわんさかと会場を押し掛けるから任せてくれ。” 』

ついにラムキン気がふれたか、とすっかり目が醒めてしまったドド君。
『ああいう所はビッグネームしか出れないんじゃないの?』
と尋ねる。

『おちぶれる一方のジャズ界にもうビッグネームもくそもない。
行け!ヴィレッジヴァンガードが嫌だったらイリディアムに行け。ブルーノートに行け。』

行けってか?
行ってないのにあきらめてどうするという話しもあるけど
百々徹を助ける会960人と相談しないとなぁ。
『また電話するから。』
とラムキンは電話を切った。
小1時間の会話中、受話器を支え続けた僕の左肘は軽くしびれていた。長電話の際、受話器を時々、右手と持ち変えることが大切だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 新作 CD、 amazon.co.jp でも取り扱いが始まったようですし、3月7日の公明新聞(公称発行部数100万部ですって。 本当?) の日曜版に批評が載ったらしいです。
 知人関係者より続々と感想メールもいただいております。
一部勝手に公開いたします。

“ジャケットかわいいですね。”(SKさん 東京、YMさん 名古屋他多数)
“不思議ワールド全開。”(EMUさん 東京)
“洗脳されそう。”(BOBさん 東京)
“肩こりと冷え性がすっかりよくなりました。”(68歳 主婦)
“5キロもダイエット成功しました!”(25歳 OL)
“英単語がぐんぐん覚えられました!”(18歳 浪人生)
“収入が倍になりました!”(どどさん 32歳 NY )
“嘘つき!”(どど夫人 NY)
3/18  <税金申告の痛み>
 今年も税金申告の季節がやってきた。3日前に降った雪がまだ街中に残る中、いつもお願いしているブルックリンにある会計事務所に1年振りに赴く。

 今年で4回目。要領はわかっている。ここの社長さんは、僕の顔を見るや、いつも雀の涙ほどの収入を申告してくる謎の東洋人ミュージシャンが、今年も生き延びてうちの事務所に来てくれたかという表情で、握手を求めてこられた。
 僕は僕で、今年も適当にうまく計算してやさしい税金額を出してくださいね、という表情で、握手に答えた。
 スムーズに終了。昨年度も頑張った、今年度も頑張ろうと思い事務所を後にする。

 通りをはさんだ所にある本屋で少し立ち読みでもしようと、横断歩道を渡る。
 突然、左頭部にドーンという衝撃。『オーー!』という子供達の歓声。

 見渡すと、地下鉄の駅に繋がる歩道は、学校帰りの小学生でいっぱい。痛みを覚えた箇所を触ると氷が手に付いた。雪合戦している子供達の流れ弾が当たったのかと理解する。

 動揺している僕の様子を見た一人の男の子は叫ぶ。
『すごいのが頭に当たったね! チャイナマン!』
児童一様に爆笑。

 日本で新作 CD 絶賛発売中のドド君もこういう状況は本当に対応に困る。

 ちょっと前の段落で、自分の事を謎の東洋人と書いていたドド君だが、年端のいかない子供から『チャイナマン!』と言われると、非常に複雑な心境になる。

 「日本人だぞ!」とパスポートを見せるべきなのか?

 それに雪の固まりぶつけられてとても痛かったのに、謝罪の言葉はないのか?

 「謝れ! 白人子供!」と言い返すべきなのか?

 因みにチャイナマンと言った子供の肌色は濃い黒色。その子に白人子供! と間違えてみたらどういう対応するのだろうか?

 しかしドド君、多勢に無勢、いい大人が子供相手に切れたりしてもしょうがないよなぁと何も言わずにその場を離れ、本屋に入った。濡れた左頭部を拭き、気をなんとか落ち着かせようと本を手にするが、どうにも活字がまるで頭に入ってこない。家に帰ろうと通りに出る。

 通りは相変わらず下校する児童の列。今度は女の子の集団に囲まれ駅に向かう。途中、肩をトントンとされて振り向いても誰もいない、といういたずらを2、3回される謎の東洋人。なんだと思って女の子達の顔をのぞくと皆、必死に無表情を装っている。

 多勢に無勢。いい大人が年端のいかない女の子達相手にカリカリしてもしょうがないよなぁと駅へ入る。 地下鉄に乗ろうとする瞬間、後ろから児童がワーッと叫びながら大挙して走りこんで乗り込もうとしてきた。ひとりの子は僕の腰あたりにタックルする感じになった。

 頭、肩、腰、痛い!!

 来年、無事に生き延びてまたあの会計事務所の社長に会いに行けるかどうか不安になった謎の東洋人がここにひとり。

−−−おまけ−−−
 3月に発売された『 Mongol800 』というバンドの新作 CD のタイトルが『百々』。
もも、と読むらしいが、何か興味深いタイトルだ。

3/22  <ディナーパーティー3>
 久々に画家のジョエルさん宅の夕食会に招待される。昨年9月のジョエルさん結婚式に参加した以来の再会。

 今回のゲストは、クラシック音楽の作曲家夫妻、チェンバロ奏者とオーボエ奏者の夫妻に、バレリーナを目指すべくオーディションを受けに NY に滞在中の方。彼女は若いので参加メンバー平均年齢おそらく45歳くらいに下がったかなと思われる。

 食前酒はサングリア。サーモンとチーズのアパタイザー。メインはズッキーニラザニア。チョコレートケーキとハーブティで締め。
 話しのトピックは、ひたすらクラシック音楽ネタ。誰々の何年のコンサートはすごかっただとか、どこどこのレーベルの何年の誰々のレコードの批評。彼のこの曲の解釈は少し問題があるとか、そういう話しだ。

 聞いたことのある演奏家や作曲家の名前がでるもののとても彼等の知識量にはかなわない。またもや、ひたすら御飯を食べ、会話がわかっているふりをして微笑みを浮かべるだけの東洋人の役回りを演じるしかないドド君。この人達オタクだ、、、という日本語だけが僕の頭の中を駆け巡る。

 唯一僕のハイライトは、バッハの誕生日が近いという話しから今年で生誕何年だろうという話しになった矢先。とっさに思いついたジョークを言ってみる。
「そういえば、バッハにはたくさんゴーストライターがいたらしいですね。」
 一同笑う。
うけた!嬉しい!やった!

しかしすぐコンポーザーの方が、
「バッハにはたくさん子供がいたでしょ。みんなバロークだったんだ。」と切り返してきた。
(英語にも駄洒落はある。バロック音楽のバロックと破産したの意味のBrokeをかけている。)
 一同爆笑。すごい。なんだこの人達は。

 とてもかなわない。アメリカでは笑いの道も厳しい。

3/29  <スカファンクと4月と5月>
 28日。塩田ノリヒデ率いるスカファンクバンド、その名も " SFKUaNK!! " のアメリカ版ライヴに参加。
 トランペットに20歳のヒロセ・ミキ君、アルトにジャリール・ショー、ギターにラーゲ・ランド、ドラムスにユージロー君という面々。ゲストに歌のレズリーさんも入った。リーダーは青く光るエレベの塩田ノリヒデ。

 会場(Sugar Bar)備え付けのキーボードを縦横無尽に操る百々徹の姿に、彼の新たな境地へ挑む予兆を感じたののは僕だけだったかもしれないが、キーボードにはキーボードの弾き方があるのねと少し理解できたように思ったのはやはり僕だけだったかもしれない。
 なんかこうピアノじゃ出ない、効果音みたいの、フォッフォッとかブオゥンとかパオパオとか出してみたくなるのですよね。それにあわせて、ソロの内容も普段弾いているような、タッタカタカタカみたいなフレーズだけじゃなくて、違うアイデアが必要になるのかもと思ったのも僕だけかもしれない。
 まずは百々君さぁ、キーボードのボタンの操作を間違えない事から始めようよと思ったことは僕だけじゃないかもしれない。

 4月。12日に日野皓正さんのチャリティーコンサートに参加させていただく話しが来ております。さらに23日から25日の3日間、 Iridium にて “ CURTIS FULLER'S 70TH BIRTHDAY YEAR BAND ” に参加させていただく話しが来ております。

 5月。1日より2週間弱、 NY で活動するテナーサックスの長谷川朗君のツアーで日本で演奏させていただきます。メンバーはドラムスが、スカファンクでも一緒だった中村ユージロー君に、ベースは荒巻茂生さんという布陣。詳しい日程は HP のスケジュールのページか長谷川君のサイト
http://www.rojazz.com/index.html
を参考にしてくださいませ。

 楽しそうなお仕事を頂くとつい頭によぎるのは、例の「ドドトールの法則」です。 与えられたギグで共演するミュージシャンと演奏する場所の知名度が高まるにつれてそのギグはキャンセルされる確率も高まる、というあれです。

 参考までに過去の代表的な例を、、、。

*ケニーギャレットのジャズフェスのギグ、前日リハした後、当日ドタキャン。(真相不明)
*ジェレミーペルトの Jazz Standard 出演キャンセル。(ライヴの日が独立記念日でお客の出入りを気にした店側の都合)

その他、キャンセルはまぬがれたものの、不測の事態が生じた例、、、、。

*百々徹 Blue Note サンデーブランチ初ライヴで、ピアノがキーボードになっていたこと。
*フランクレイシーの Zinc Bar のギグで、フランク・レイシーが病欠。

 4月、5月とどうか無事に事が起こるようにと祈るばかりです。

4/12  <日野皓正 at 2005 Special Olympics party >
 2005年、冬の Special Olympics 長野大会の資金集めの会が、ロックフェラーセンタービルの2階にある Christie's Auction House で行われました。
 トランペッター 日野皓正さん も Special Olympics の意思に賛同しているひとりで、運営委員会に多額の寄付をされているとか。今回もこの会に招待され演奏を依頼されたそうです。

 そこで、 NY 在住の日本人リズム隊が招聘。ベース井上陽介、ドラムに奥平信吾、そしてピアノは、私。

 中学時代、吹奏楽部でトランペットを吹いていた百々徹、たまにテレビで放送される日野さんの演奏を耳にする度に、この人に、なにか危ない香りを感じていたといいますか。トランペットセクション全員で、頬を膨らませて、見よう見まねでタップふみながら日野さんのオリジナルのリフを真似して吹いたりして、顧問の先生に怒られたものでした。

 大学時代にジャズという音楽をはじめたころも、日野皓正さんというのは、避けて通れない方でした。マウントフジジャズフェス等でバリバリ吹いているのを、感心して聞いたものでした。『トリヴィアの泉』という番組が始まる前から「へー、こんなすごい人がいるんだ。へー。」と言っていたものでした。

 そんな百々徹が、この日、日野皓正さんとの共演をいかに楽しみにしていたか。

 サウンドチェックの時間から本番の演奏までの時間がかなりあったので、近くのカフェで日野さんとお茶をする時間がありました。日野さんは、例の独特の口調で色々なお話をしてくださりました。

 奥様にいつもゴルフばかりしてないで、あなたはアーティストなんだからアーティストらしいことしたらどうなの?と言われて始めたペインティングの話し。最近、東京で個展を開いたそうです。

 楽器奏者は足腰がしっかりしてないといけないと、数年前にスキー1級の資格を取得した話し。スキーでのコーナーの周り方を身ぶりつきで解説してくださるのですが、スキーは腰がひけたらだめだというので、前に重心をかけるんだと、僕の方におもいきり顔を接近させてくる日野さんの笑顔がまぶしい。

 百々君は、アップテンポの曲は重く弾けるけどバラードになると軽くなる。精神力が維持できてない。そこを磨けばいいよ、とアドヴァイスまでいただけました。

 本番の演奏は20分ばかり、全速力でかけぬけた感じでした。日野さん、ドラムとの掛け合いでタップも披露してくれました。
日野さんのステップを後ろから拝めるとは!

 演奏後、この会のメインイヴェントである絵画のオークションの模様を食事しながら観察させていただいた。4点の絵画が出品され、目玉だったヤンキースの松井選手の自画像が6万5千ドルでせりおとされた。
 (松井選手も試合に加え、オフの日にはこういうイヴェントに招待されて、大変な仕事をしている人だと尊敬してしまう。)

 会終了。日野さんとがっちり握手してまたの再会を誓いました。おとうさんおかあさん、読んでますかー。

4/17  < SOMI at Joe's Pub >
 SOMI ( http://www.somisunshine.com/ )という女性シンガーのライヴに参加。
 Joe's Pubという会場で、ソールドアウト(150人はいたと思う)、立ち見客は踊り、最後は観客総立ちの大興奮のショーだった。

 サポートメンバーは、
Herve Samb
(デビッドマレイバンドで弾いているパリ在住のギター)
Tarus Mateen
(ジェイソンモラントリオのベース)
Daniel Moreno
(ロイハーグローブのRHFactorに参加しているパーカッション)
Adrienne Nyamsi&Nicole Williams
(バックコーラス隊)
Toru Dodo
(謎の東洋人ピアノ)。

 SOMIさんのすべてオリジナルでかためた全11曲の70分のショー。音楽はR&Bとかワールドミュージックというようにカテゴライズされるのかと思うのだけど、なにしろ、リハーサルの時から、僕は彼女の歌声に鳥肌たちまくりでした。バックコーラスとの声のブレンドも抜群。リズム隊もハイレヴェル。この中で、正直、自分がついていけるか、不安もありました。 本番前、ピザを食べてたら、何故か鼻血まで出ました。

 照明ライトを浴び、観客の熱狂を聞き、SOMIさんの歌に鳥肌が立ち、終わってみれば、なんか僕達スターさん?みたいな気分にさせられました。

 NYに来て5年と8ヶ月になりましたが、なんだかこの日初めて百々徹はNYでデビューしたような。
 NYにはすごいタレントが集まっているんだと初めてわかったような。
 この場に参加できて僕ってとても幸せ者?みたいな。
 今日は寝れないよこりゃ、みたいな。
 ライヴ終わった朝4時にこれ書いてます、みたいな。

 おとうさんおかあさん読んでますかー!

4/23  < Curtis Fuller @Iridium Day1 >
Curtis Fuller's 70th Birthday のライヴ初日。
Wallace Roney (tp), Javon Jackson (ts), Louis Hayes (ds), VIncente Archer (b) そして、我らが Toru Dodo (ピアノ)の布陣。

 僕が会場入りするところを、 Iridium のチケット販売のお兄さんが、
『あれ、君、クレパトで弾いてるよね。』
と声をかけられる。
『そうですけど。今日、僕がピアノなんです。』
と言うと、
『スケジュールには James Williams がピアノって書いてあったけど。』
2、3日前からカーティスのエージェントと確認の電話を何度もしている僕は、力強く、
『残念ながら僕なの、今日は。』
と切り返し、地下の会場に向かう。

 リハとサウンドチェックが6時と言われていた。  Iridium は1階がレストランで、地下がライブハウスになっている。 どういうわけか、階段を降りると、沢山の家族連れのお客さん達が食事をされていた。 舞台では、アメリカンポップスを熱唱する歌手の方が場を盛り上げていた。

 控え室に入ったら、 Wallace Roney がロングトーンを吹いていた。
『はじめまして、ピアノの百々徹です。』
最初、少し驚いたように、
『あーそうかい、よろしく。  James Williams は来れなかったのかい。』
と聞かれたが、
『残念ながら僕なんです。 今日から三日間。』

  Javon Jackson が入ってきて、『どうも、リハはなさそうだ。 お客の入りまで、ずっとあのエンターテイメントが続くらしい。 Wallace 、飯でも食べにいこうぜ。』
昼にたらふく中華を食べていた僕は食欲がなかったので、控え室に残って、舞台から延々と流れてくるアメリカンポップスを聞く。

  VIncente Archer が入ってくる。彼とはボストン時代からよく知っている。 ケニー・ギャレットのフィラデルフィアの仕事でも一緒だった。 気心知れたのがバンドにいると、だいぶ人間関係的に楽だ。 近況を話しあって時間を潰す。
 最近、主に誰のバンドで働いているのかと聞けば、『フリーランスだよ。電話が来たら仕事に行くだけさ。 先週は久々にワシントン DC でケニーギャレットの仕事。 今週はこれでしょ。来週はニコラス・ペイトン。 再来週からはルイス・ヘイズとブラジル。』

 “ フリーランスだよ。 電話が来たら仕事に行くだけさ ” の部分だけは僕も同じなのだが、後が違う。 さらに彼は、最近思う所があってビジネススクールに通いだしているという。 そのためあまりツアーには行かないようにしているという。 こんな僕より6歳近く年下のベーシストがアメリカにはいる。

 7時30分頃、カーティス登場。 ルイス・ヘイズ登場。
『よろしくね。 ありがとう。』
とカーティスと日本語で挨拶。 譜面を渡され、いざ本番。 ノーリハノーサウンドチェック。 ジャズの醍醐味。  James Williams も現れなかった。

 カーティスは素晴らしかった。 70歳といっても若い。 明解なソロ、お客さんとのコミュニケーションのうまさ。 半端じゃないよな、と後ろから彼の音を聞けた喜び。
 そしてルイス・ヘイズ!。 キャノンボール・アダレイもこのリズムで吹いていたのかと、想像がふくらむ。
 ウォレス・ルーニーは何をやってもウォーレス・ルーニーになるし、ジャボンはジャボンだよなーと思わせるものがある。 百々徹も、百々徹だなーと感じてもらえただろうか。

 金、土は3セットあり、さすがに最終セット時には汗だくの、眼鏡ズルズル状態になりばてたが、無事初日を終えた。 メンバーからも、まぁ、やるじゃないか的挨拶をされて、残り2日がんばろうみたいな事を言われた。

 ヴィンサンテもルイシ・ヘイズも実は僕の住む近所に住んでいたことが判明。 帰りはヴィンサンテの車で帰宅。
続く。
4/24  < Curtis Fuller at Iridium Day2 >
 ヴィンセンテ号に乗って、 Iridim へ。 ルイス・ヘイズも同乗。 道が渋滞したからか、それとも単純に出発時間が遅かったからか、会場に着いたのは本番5分前。
 曲目合わせしていたらすぐに、
『本番いきましょう。』
という合図がクラブ側から出る。

 ふと見るとウォレス・ルーニーがいない。1曲目のカーティス・フラーのオリジナル曲 『 The Clan 』 演奏中に、さっそうと会場入り。 大物は遅刻も絵になる。 拍手を浴びながら2曲目より参加。

 1セット目終了後、会場に Eric Reed(ピアニスト)を発見。 こういう場所で演奏すると、この手のお偉いさんが、聞きに来ているので、恐縮するやらちょっと嬉しいやら。
『 NY にどのくらいいるの。』
『この夏で6年になります。』
『6年も住んでるの。 今までどこにいたんだ! サウンズグッド!』
 NY は大変なとこなんですって。 あなた知ってるでしょ。 って強く言いたかった。

 2セット目終了後、ルイス・ヘイズと会話。
『これだけの長いキャリアで、素晴らしい演奏をし続ける秘密は何ですか?』
と聞いてみると、
『秘密というものはないよ。 自分はビートの「感じ」にとてもこだわっていて、ソロがどうのこうのというより、そのグルーヴ感を出す事を第一に考えてやってきているんだ。』
重いお言葉、ありがたい。

 カーティスは休憩時間、控え室でずっと昔話をしている。 バードが、、、 コルトレーンが、、 マイルスが、、、、 ブレイキーが、、、、、。
 『、、、、、』の部分がよく聞き取れなかったりするのだが、もうどんどん話して話して。 この人はジャズを語る資格がある。

 3セット終了。 あっという間だ。 明日千秋楽。
続く。
4/25  < Curtis Fuller at Iridium Day 3 >
いよいよ千秋楽。この夢のステージも終わる。この日は全員時間前に集合、オンタイムでスタート。カーティス、3日連続同じ話でお客を湧かす。そういうものだ。
でも演奏は毎日違うアプローチをしていた。そういうものだ。

 この日、多くの僕の在 NY 日本人の友人が集まってくださりとても心強かった。いつもより、よけいに指を動かしてしまった。カーティスは、ファーストセット後の休憩時間に、
『今日は君の友人がたくさん来ているようだから次のセット、一曲フィーチャーでやりなさい。』
とありがたいお言葉。
 最終セット、トリオで『 In A Sentimental Mood 』を、あぁ、今日でこの夢の舞台も終わっちゃう、これで僕の NY ジャズ人生もクライマックスを迎えちゃったなぁ、まぁ、来月は日本で長谷川朗ツアー、でも6月からまた真っ白なスケジュールだなー、だいじょうぶかなー、という気分で演奏した。

 ショー終了。共演メンバーとツーショット写真をとり、連絡先を交換しあい、お別れ。

 カーティスにしろ、ルイスヘイズにしろ、彼等がジャズという音楽を作ってきたわけで。ジャズという音楽に惹かれ、この世界に飛び込んだ謎の東洋人ピアニストにとって、彼等と舞台を踏めたということはとても意義深いわけで。彼等が築き上げてきた財産を少し、共有できたといいますか。今後の僕の音楽人生にとても大きな影響を与えるに違いないわけで。自信にもなりましたし。もうなんだかもったいない気分でいっぱいです。感謝。