00-10 (Japanese Only)

2004年 その2

05/08  <Ro-jazz tour 関西編>
 5月1日より7日まで毎日長谷川朗率いる Ro-jazz バンドのピアノ担当で、関西エリアをまわり、今日、帰国以来初めて実家に戻りました。
 
 関空到着から今日までオフ日のない強行スケジュール。 疲れの原因が時差ボケではなく単に二日酔いだと気づき始めたツアー初のオフ日(伊丹から羽田への移動日)に、久々の更新をしようとタイプしてます。 体力の問題上、普段の華麗な文章構築が無理であるとの判断のもと、今回は、印象的な旅の思い出を時間、場所順序を問わず、箇条書きにしてみます。

 * 高槻ジャズストリート素敵。 街中の人々のボランティアによって支えられているジャズフェス。 会場はすべて無料。 演奏者と観衆との美しい調和。 多くのミュージシャンとの再会、新しい出会い。 連日、朝までの激しい打ち上げ。 このイヴェントを無償で支えたスタッフに心より感謝。

 * 金沢素敵。 演奏したライヴハウス「もっきりや」があるエリアだけなのかもしれませんが、町並み、歩く人々、皆おしゃれ。 おしゃれじゃないと歩いてはいけない条例でもあるのかしら? NY帰り、東京育ちの自分が、犯罪者に思えた。 ここは日本の聖地?

 * 京都素敵。 看板を見てふらっと立ち寄った中古CD&レコード屋 「ハードバップ」に「 116 west 238 street 」を発見。 店主、小坂さんによれば、入荷したばかりという。 2月末に発売された自分のCDが既に中古で売られる事は、買ってくれた人がもう聞き飽きちゃったのね、という微妙に残念な感じもあるが、同時に、自分は中古ジャズレコードマニアにもアピールしはじめているんだという微妙に嬉しい気持ちもある。

 * 方言素敵。 ダウンタウンで大阪弁をマスターしてつもりだったが、ネイティブのリアル大阪弁を聞くと、また違う奥行きを感じる。 新しく覚えた、「やいやい言わんと、飲まんかい、おっさん!」というフレーズをいかに愛をこめて言えるか。 勉強勉強。

 Ro-jazz 。 移動、リハーサル、演奏、打ち上げを通じ、濃密な時間を共有することで、お互いの音楽性、人間性を知り、それが、次のライヴでの演奏に生きてくる。 同じメンバーによる、同じレパートリーを演奏し続ける行為に、スキーでの延々と繰り返される山の登り降りに通ずる、ある種の快感を覚え初めている自分がいる。 旅の前半のはしゃぎぶりは消え、今ではただ音楽に集中しようという意識がメンバーの間に満ちている。 移動中のメンバー間の会話量は、ツアー1週間後、愕然と減ったかもしれないが、それは単に、長谷川朗が発する吉本ではなく松竹芸能系のギャグに他のメンバーが慣れただけであり、百々徹がかますボケに百々徹自身が一番嫌気がさして口を閉ざしただけであり、NYでストリートファッションをリードしていたはずの中村雄二郎が、金沢市のおしゃれ度に度肝を抜かれ、首にスカーフを巻くべきか、帽子の上に、音響機器に何もつながないでヘッドフォンを乗せてみるべきなのか、じっと思考をめぐらせているだけにすぎないのだ。(内輪ネタで失礼します。)

 明日から大詰めの東京公演!

5/10  < Ro-jazz tour 東京編1>
 8日。小岩COCHIにてRo-jazz東京デビュー。20人も入れば満員の小さなスペース。そこに40人くらいの方がお見えになった。マスターによれば、電話予約の段階で20人弱、すでにお断りを入れていたそうだ。

 ピアノの縁にびっしり人が張り付いている。キッチンの中にまで人が立ち見で入っていた。トイレにの中には3人、冷蔵庫のなかにも2人が入っていた。(このギャグは冷凍庫並みに寒い。)

 汗だくになって、Ro-jazzを展開。自由だ。楽しい。雄二郎と荒巻さんの奔放なリズムに身を任せて、長谷川朗の読ませない語り口に耳をそばだてて、僕はただピアノを弾くだけ。

 9日。
 セッション505,辛島トリオを聴き、茶NARUのジャムセッションへ。井上陽介さん、中村真さん、石崎忍さん等が遊びにこられていた。セッション後、ジャム参加者ミュージシャンと12人で朝まで飲む。中村真とちょっとだけ仲良くなる。

 10日。
 昼ピットインで安ヶ川大樹トリオを聞く。今年1月に初めて会った、ピアノの海野君(21才)が弾いていた。再会を喜ぶ。さらに松永貴志君(18才)も飛び入りした。彼等の生きのいい演奏に刺激をもらったピアニスト百々徹(32才)まずはお友達からはじめてもらうようにお願いした。
 夜、新宿Dougで、Steve Jackson trio を聞く。(テナー峰厚介、ベースの井野信義)。セカンドセット、飛び入りさせていただいた。なんでも井野さんは、僕のお世話になっている塩田のりひでや荒巻茂生さんの師匠だそうで、共演できてなんとも嬉しかった。
 その後、長谷川朗に呼ばれ、井手直行、大井澄東等旧友と飲む。オフ日がオフにならない東京ジャズ巡り。

5/14  < Ro-jazz tour 東京編2>
 11日。大泉学園in F。
ここは僕がまだボストンに住んでいる頃より帰国の度に出演させていただいている場所。 ここは佐藤マスターに僕の音楽成長を観察される場所。 一般聴衆には僕の親戚関係者を拝見できる場所でもある。 でも今回は、中村家関係者も多く揃っていた。 親戚が支える ro-jazz in 東京。
あのカウンターに座っていた女性は誰なの? あのセカンドセットから入場してきたお客さんはどなたの関係者? と帰宅後、両親よりいちいち詮索させれるのがうっとうしいのを除けば、ありがたいこと。
 この日、井手直行、江野口美穂、岡恵美が sit in 。旧友との演奏は、楽しい。

 12日。立川 Half Tone 。 Ro-jazz 2004最終日。
育った地元のライヴハウスで演奏するのは、初めて。立ち見の出る満員御礼だった。もちろん、僕の両親、中村家一同が観客の40パーセントを占めていたわけだが。その他に、コチにお越しになったのに満員で入場できなかった横浜の和田夫妻の姿、NYでピアノを教えていて、現在は茅ヶ崎にお住まいの大野夫妻の姿、そして音楽をやっている高校の同級生の姿を見る。

 クレオパトラズニードルの ジャムセッションでやっているような、無責任なサウンドになりがちなところを、大人の荒巻さんが底辺でねじを締めている、といった感じが、 Ro-jazz の音楽かもしれない。そんな感じ、僕は大好きだ。

 そして地元立川のライブハウス Half Tone 、味のあるマスター、おいしいカレー。 愛着わいちゃいました。 
 この日、野本晴美さんが遊びに来てくれて、一曲シットイン。 ライブ終了後、店頭販売していた「 116 west 238st. 」を勝手に取り上げ、「野本さん、このCDにサインしてください。」と、おねだりする僕の両親。
 すぐに、野本晴美を認識し、サインを欲しがるまでの欲求をおこさせるとは。僕の両親、最近 Swing Journal を読み過ぎだと思う。

 今回のツアーで聞きにきてくださった皆様に心より感謝いたします!
15日(土)、神戸のメイデンヴォヤッジ
http://www.koyo.net/maiden-voyage/
で歌の猿丸しまこさんのライブに参加してから、NYに参る予定です。

5/18  < Ro-jazz tour 特別編>
 15日。再び、関西へ。 東京駅でスカパラのメンバーを発見。 1月に塩田スカファンクバンドで共演したナーゴの名前を思い出すのに時間がかかり、挨拶しそびれる恥ずかしがり屋のどど君。 彼等も元気でツアーなのね。
 新大阪で長谷川朗の迎えをうけ、六甲のメイデンヴォヤッジに向かう。 歌のシマコさんの仕事。 歌、サックス、ピアノという編成。
 NY の音大に留学。よくクレパトに遊びに来てた彼女だが、最近帰国して実家のある大阪方面中心にライブ活動を始めている。本名、漢字で書くと、
猿丸詩摩子。
名前にパワーを感じちゃうでしょ。 応援よろしく御願いします。

 16日。今回のツアーで唯一のオフっぽいオフ日となった。 昼に、ミナミのB1角座で、松竹演芸を鑑賞。 若手からベテランまで10組ばかりの、漫才、落語、手品、コント芸を堪能。
 
 後半に登場した、黄色の装束に日本刀を指して、蝋燭の火を一瞬に消す芸を見せた 『じゃんけんぽん』のコントと、 「とおるちゃん!」でおなじみの「酒井くにおとおる」の漫才には全く痺れてしまった。

 彼等の、会話の間合い、呼吸、お客さんとのコミュニケーション。 ひととおりばかげた事をやった後の、お客さまへの感謝の深々としたお辞儀。 かっこいい。 ネタ的には、ひょっとするとベタすぎて、テレビで見たらつまらないものかもしれないが、この劇場で見ると、彼等の声の張り方、演技の大きさに、思わず腹を抱えて笑ってしまう。

 やっぱライブっしょ。  見たらわかるって。一度聞いてみて、わかるから。 とどこぞのジャズミュージシャンも思ってしまった。

 かつては、1000人も入る劇場で行われていたという、この松竹演芸は、時代に乗り遅れたか、吉本興業との競争に負けたか、今では100人も入ればいっぱいの地下の劇場で細々と行われている。

 いいネタやれば、少なくとも960人は CD を買ってくれるよ。 いっしょにがんばろう! とシンパシーを感じたどこぞのジャズミュージシャンがいた。
 
 なにより松竹の笑いを愛している長谷川朗。 日本ツアーを締めくくるには、この観賞会はできすぎだ。

 17日。 新大阪のホテルから関西空港まで、長谷川朗の兄、一平さんに車で送っていただいた。 今回の関西方面のツアーの移動は、一平さんの運転に助けられた。 感謝。
 そして、
 共演した、アラマキさんにユージロー君、井上幸祐さん安ヵ川さん、力武さん、川嶋哲郎さん、猿丸さんに感謝。
 今回のツアーの企画、手配、演奏、すべて行った、長谷川朗君が、僕に声をかけてくれた事に感謝。
 なによりライブに足を運んでくれたお客さまに感謝。

 無事NYに到着。

5/26  <プロモ用の写真を撮りに行く。>
 自分の宣材用の写真もないというのも、なんだなぁと前々から思っておりました。

 実は、以前、 Catskill Jazz Festival に出演させていただいた時に、プログラムに載せる写真を提出しなくてはいけなくて、慌てて、適当な写真屋さんに駆け込んで写真を撮った事があったのですが、なにしろ、2001年夏の話し。まだ、「百々徹を助ける会」の会員が960人もいなかった頃の話し。服もだらしなかった。髪型もめちゃめちゃだった。要は、プロ意識が低かったわけです。

 時は過ぎ、 CD 2 枚も世に問うてしまった百々徹。昨年末にこしらえた鼻のメンチョの痕がようやく消えた2004年5月26日。ひとつ気合い入れて、写真をとりましょうと、知り合いの日本人カメラマン、トキワさんの、ニュージャージー州の自宅スタジオまで、出かけてまいりました。

 今回は、前日にしっかりと散髪し、自慢のスーツ(一張羅のスーツ?)に身を包み、さぁ、とってくださいとばかりにポーズをとったわけです。

 最初に、デジカメで試写をして、コンピュータースクリーンで逐一、チェックをしました。色々気付かされるものです。
 
 *正面からのショットは顔のパートの左右の対称性のアンバランスさが目立つのでちょっと斜からとったほうがいい。
 *下からのアングルは顎が出ているのが目立つのでやめた方がいい。
 *手を顎にかざす、いわゆるマンダムのポーズをすればなお顎の出っ張りを隠せてよい。
 *2ショット中、1ショットは眼鏡が下がっている。
 
 こうして、本ショット開始。

「顎下げて!」
「いいよー!」
「眼鏡あげて!」
「いい感じ!」
「ほら、顎下げて!」
「ほら、眼鏡上げて!」

というトキワさんのかけ声のもと、撮られに撮られた計72ショット。2兎追うものは1兎も獲ず、とはいいますが、72ショットも撮れば、1ショットは当たるという格言を信じる百々徹。出来上がりは来週との事。どうなりますやら。
下がっててくれ顎! 上がっててくれ眼鏡!

因に、トキワさんのサイトはこちら。 http://taktokiwa.tripod.com/

6/4  <写真完成へ向けて。>
 6月1日。トキワさん宅へ2度目の訪問。
72ショットのうちのベストを選ぶ。顔の大きさ、顎のでっぱりを一番うまくカバーできるのは、かえって思いきりアップによった写真であることがわかった。

 その後、 Photoshop にアップして、必要な編集作業を施す。白黒写真とはいえ、スーツの生地を目立たせるために他の部分より明るさを加えたり、汗と照明で、おでこがてっかてかだったのを暗くしたりして陰影の調整をするものなのですね。 

 なにより驚かされるのは Photoshop というソフト。なんでもできるものなのですね。トキワさんは、
『これから、お肌のお直しに入ります。』と
おでこの汗疹を消したり、顎の吹き出物痕を消したり。撮影時気付かなかった眼鏡のねじが少し飛び出していたのをもとに戻したり。一重を二重にしたり、かわいいえくぼを加えたり、はげ部分に髪を加えたり。面倒臭いから、顔をまるごとブラッドピットにしたり。

 こうして、試し刷りを完成させ、翌日、トキワさんに指定されたマンハッタンにある現像屋さんへ持ち込み、印刷を注文。仕上がりは来週末になりそう。

 6月3日。アトランタに住む、バークリーで同期のピアニスト、タカナミヤモトが、今週 NY で Rene Marie のバンドで演奏しているというので、チェックしようと思っていたのだがライヴ会場( Le jazz Au Bar ) のチャージが$35(週末$50)。
 ゲストリストに載せてもらえないかなぁと淡い期待も空しく、リストは満員だと彼女からの連絡。恥ずかしくもまたの機会にしてしまった。彼女、実にいい仕事してらっしゃる。もうお気楽に聞けなくなっちゃったなぁ。。。。

 6月4日。グリーンカード取得の可能性を打診しに弁護士に会いに行く。アメリカにそんなに住みたいの?とか聞かれると、それほどまとまった考えもないのだけど、グリーンカード持ってたら便利じゃん!これからしばらく、弁護士さんのお世話になりそう。

6/7  <ジャリールレッスン>
 先週、バークリー時代からの友人、Jareel Shaw(以下ジャリール)から、僕にピアノレッスンをしてほしいと電話がきた。夏までけっこう暇しているので週一で教えてくれないかなぁ、と。

 彼は、現在ミンガスビッグバンドの一員として活動しているアルトサックス奏者。近く、Fresh Sound レーベルよりリーダー作も出る予定。そんな彼、ピアノの知識をつけてよりサックスの演奏に役立てたいという。ピアノは素人で一からやりたいという。

 せっかくの機会と思い、僕に英語レッスンと引き換えにピアノレッスンしようと打診。ジャリールは、
『君とのコミュニケーションに何も問題は感じたことはないけど、何が学びたいの?』
と聞いてきましたが、アメリカ生活を続ける僕にしたら英語は積年のプロジェクトのような気がしていたし、常にフラストレーションを感じていたわけで。逆に、僕から見て、ジャリールは素晴らしいインプロヴァイザーだし、音楽の知識も豊富だし、こちらがレッスンをうけたいぐらいで、いったい僕が何を君にピアノを教えることがあるのだろうか?というような事をいったら、
『わかった。オッケイ。』
ということで商談成立。

 今日、第一回レッスンを僕のアパートで行った。まずはピアノから。彼が言っていた通り、けっこうピアノに関してはつたない感じであった。まずはスケールやらアルペジオなどで運指を覚えてもらったり、ブルースのコードのヴォイシングの基本等をさらった。 
 次に英語レッスン。彼が指摘したのは、トールはなまりが強いと言う事。でもそれは、コミュニケーション上問題ではなく、アメリカ人だって環境、人種によってそれぞれなまりを持って話しているからいいのだ、と言われた。結構発音だけはいいのじゃないかと、思っていた自分の出端はすぐ折られた。

 とりあえず、会話をしようということになり、
『ジャズ』について話しをした。というか途中からジャリールの『アメリカの人種問題』についての演説、それに対する僕の相槌、アハー、ヤー、ワオーの3つの単語の発音練習になった。

 彼はアフリカンアメリカン。高校時代、白人の先生から『君たちに未来はない』的なことを言われた事があるとか、クラスにいた白人、黒人、南米系、アジア系で異なる人種同士の会話は全くなかったとか。黒人であることで被る、あまりここには書けないえぐい内容の事、たくさん話してくれた。これ、彼の歳から逆算するとマーチンルーサーキング牧師の頃の時代の話しでなく、90年代半ばの彼の出身地フィラデルフィアでの話しですからね。

 一時間あまり熱弁をふるったジャリール、時計を見て、
『やばい、俺、しゃべり過ぎ?もう行かなきゃね。次回はトールが話して』
と慌てて帰っていった。

 このレッスン、アメリカ文化学習講座になるかも。
   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 *信頼すべき情報筋(某EMUさんの掲示板)によりますと、雑誌『FIGARO japon』の最新号に(6月5日発売)『116 West 238 St.』の紹介記事が掲載されたそうです。

 *Swing Journalの6月号にカーティスフラーと共演した時のピアニスト本人によるレポート記事が掲載されました。

 *先月の高槻ジャズストリートで僕の演奏を聞き、CDを捜しまわったが近所のCD屋さんにはなく、このサイトを発見して、京都の中古ジャズレコード専門店
『ハードバップ』に行き、僕のCDを購入しましたという方から、メールをいただきました。ありがとうございます!
6/14  <写真完成>
百々徹(どどとおる)32歳。ピアノ弾いたり、曲作ったりする事が好きです。どうぞこれからもよろしく御願い致します。
[ 完成写真 ]

6/21  <メリッ!>
15日(火)
 グリーンカード申請のためには、伝染病の予防注射ならびに、結核検査、HIV検査をパスしなくてはいけない。
 真夏日になったこの日、移民局に指定された最寄りのブロンクスの病院へ向かう。

予約は朝10時。ところが待ち合い室は南米系の患者さんでいっぱい。
 謎の東洋人、待たされた。待たされた。
 冷房がきつい。いくら暑いからとはいえ、何故これほど待ち合い室を冷やすのだ。

永住権取得条件にこの冷凍地獄の事は触れられてはいなかったように思うのだが。風邪ひいちゃうよこれ。病院が患者を作るとはこの事か。

 およそ2時間が経ち、ようやく名前を呼ばれた。見るも無惨に青ざめた右前腕から血を抜かれるは。鳥肌という鳥肌は出し尽くした感のある左前腕には結核テストの液体を入れられるは。さらに2本右腕にハシカやらオタフク箘を入れ込まれるは。。。。。身体の中の液体量は決まっているはずなのに、こんなにメリっと細菌いっぱいの液体を身体に押し込んじゃっていい訳?えっ、先生、まだもう一本打つ気? もう寒いし痛いし。もういいって。
僕にグリーンカード、先生にイエローカード!
えっ、つまらない? あっまたメリッ!

17日(木)
 Tim Green というマンハッタン音楽院に通うアルトサックス奏者のバンドでジャズギャラリーというライブハウスへ初出演。 ドラムが、ボストン時代から知っていた Damion Reid だった。久々に共演したのだが、彼の驚くべき進歩ぶりに感動してしまった。彼、あまり小節をマークしない。ここが曲の頭ですよ、というドカンを曲中で1、2回くらいしか叩かない。これ、演奏する身にとってものすごく緊張が走る。自分が今演奏しているところは彼の叩いている所とはたして合っているのだろうか、常に不安になる。彼は人のソロの伴奏しつつも、ほとんどドラムソロ状態。
 でもこれが気持いい。たまにやってくる、ここが頭ですよのドカンと自分がぴったり合った時の快感。これを味わうためだけに音楽やっている気がする。

18日(金)
 SOMI@BAM CAFE。4月のJoe's Pubでの感動を再びと臨んだSOMIグループのライヴであったが、難しい演奏になった。
 今回、バンドの音楽ディレクターのギターリストが参加できず、代役のギター、リオネル(最近、テレンスブランチャードバンドで弾いている)とのリハーサルも前日一回だけしかできず、準備不足は否めなかった。演奏中、危ない瞬間がいくつもあってヒヤヒヤした。前回はこうだったのになぁ、というのが常に頭によぎり、それが全体的にマイナスの方向に向かった気がしたのは僕だけか。
 バックコーラス二人入って、ピアノ、ギター、ベース、パーカッションの編成で SOMIさんのオリジナル11曲を演奏するには、それなりのリハーサルっていうのが必要ですね。例えばマドンナのショー等は、さらに振り付け合わせしたり、照明合わせしたり、すごい準備するんでしょ。リハをしないという醍醐味もあるけど、しないといけない音楽もあるんだ。

19日(土)
 Aaron Goldberg トリオ(ルーベンロジャース&エリックハーランド)を Fat Catに聞きに行く。先週まで日本でツアーを行っていたこのピアノトリオ。日本の友人からメールである事を知らされていて、それを確かめにいった。それは1セット目の2曲目に起きた。嬉しいやら、恥ずかしいやら。少し彼等流にアレンジが施されていたそれをずっとムズがゆい思いで聞いた。セット終了間際にアーロンが曲紹介をした。
『2曲目に演奏したのは、今日会場に来てくれています友人のピアニスト/作曲家、 Toru Dodoの”Phillip"でした。』
 嬉しいやら、恥ずかしいやら。さっと立ち上がって手振っちゃおうかと思いつつ、ムズがゆい思いで、ただ頭を垂れるばかりであった。いや、こういう体験、相当嬉しい。

20日(日)
 世界トロンボーンコンファレンスでNY訪問中の『ブラジルトロンボーンアンサンブル』
が僕が司会をするクレパトのジャムセッションに遊びにきてくださり、3曲程演奏してくれた。
 これ実に見事なバンドで、会場もおおいに盛り上がった。6人のトロンボーン奏者が奏でる重厚なハーモニー。狭いステージ上にも関わらず、まるで剣術を思わせるような巧みなそれぞれのスライドの動きがまた美しかった。片言の日本語を話すマネージャーから彼等の CD もいただいた。セッションホスト冥利につきる一日。

21日(月)
 検査結果が出た。結核、HIV 共にパス。グリーンカード申請に青信号がともる。おとうさんおかあさん、僕は健康な新郎です。
07/03  <休日>
6/26(土)
 休日。公開されたばかりの、マイケルムーア監督の最新作『華氏911』を見ようと、タイムススクェアにある映画館に向かう。 夕方5時頃到着。 が、夜9時50分のショーまで売り切れ。 うそー、と思っている間に、その9時50分のショーも売り切れマークが点灯。 次に見れるのは10時30分。 すかさず、リンカーンセンターの映画館に向かうが、夜11時30分のショーまですべて売り切れ。 あきらめきれず、バスに乗ってイーストサイド86丁目の映画館に向かうが、夜12時30分のショーまで売り切れ。
 すごいのね、マイケルムーア。 町中バタバタ動き回ってもう時間は夜の8時近くに。 しょうがなくスタバへ。
『前売りを買っておくとか、もし売り切れだった場合の他のプランはなかった訳? ニューヨークは狭い町なんだから、これだけ話題になっている映画はどこの映画館でもすぐ売り切れになるのよ。 暑い日に、皆クーラーにスイッチ入れるでしょ。 そんな感じなのよ。』
 しぶしぶコーヒーをすする僕に、どど夫人のお説教。
『結婚してないカップルだったら、最低のデートってことで別れちゃうとこね。』
結婚は駄目なデートを許してくれる。

6/29(火)
 ベーシスト塩田のりひで氏のお引っ越しを手伝う。 人から引っ越しの手伝いを頼まれるのも久しぶり。
 快晴の昼下がり。ニューヨーク在住日本人若手ミュージシャンが6人ばかりが、彼の新居となるコリアンタウンの一角のアパートに揃う。
 塩田氏お気に入りのソファが、新居のスペースの半分以上を占拠してしまう。
 捨てるべきとの大半な意見を塩田氏は、
『ソファーがあって部屋になる。』
と主張する。
 テレビ、コンピューター、本棚、机を入れると、もはや、足の踏み場がない。 冷蔵庫と電子レンジを運びこむと、塩田氏、
『冷蔵庫の上に電子レンジを置くと貧乏になる、風水的にそうらしい。』
 しかしスペースにもはや余裕はなく、しっかり電子レンジは冷蔵庫の上に置かれた。
 玄関開けると、すぐ荷物、の状態で引っ越し終了。
 皆、近所のコリアンレストランで塩田氏に御馳走になる。
『明日、ベースを電車で運んで引っ越し終了だ!』
と意気込む塩田氏。 だが、冷麺の辛さにヒーヒー言っていた我々に、あの部屋のどこにベースを置くのかを問うものは誰もいなかった。

6/30(水)
 昼に、ドラムの岡本太郎さんとローハセガワでチャイナタウンでヤムチャ。 太郎さんは、村の賢者のような雰囲気がある。 毎回、御会いする度に含蓄あるお話を承る。 太郎さんはまたアメリカンジョーク好きで、この日もいくつか披露してくださった。 その中からひとつ。
『ニューヨークでは、駐車中の車の中の荷物を盗まれることが多い。 車に置き忘れた、アンプやスネアを取られたベーシストやドラマーの話しをよく聞くでしょ。 だけど、アコーディオン奏者の場合、うっかりアコーディオンを車に置き忘れて家に戻っても、翌朝、見知らぬアコーディオンが3台も車の中にあったという話しがある。』
 アコーディオン奏者の方、ごめんなさい。

7/1(木)
 ボストンレッドソックスVSヤンキースの試合を見に行く。
 最初に上陸した場所がボストンだったためか、どうもボストンレッドソックスに愛着がある。 昨年、プレーオフでヤンキースをあともう一息まで追い詰めながら、敗退したレッドソックスを、今年も是非応援しようと3月末にチケットを購入。 この日の試合をとても楽しみにしていた。 
 翌日の新聞等には、歴史的な試合と書かれた程、白熱したゲームを目撃した。 延長13回、レッドソックス4番マニーのソロホームランで勝負決まったと思ったその裏、ヤンキースの2アウト走者無しからの逆転サヨナラ勝ち。 鼓膜がやぶれるかと思わせる歓声がヤンキース球場にこだまする。 なんて失礼なチームだ、ヤンキースは。
 エース、ペドロが投げ、主砲マニーが2本もホームランを打っても勝てなかったレッドソックスへの愛が一段と強まった。

7/4  < Somi at Sweet Ryhthm >
 Somiバンド、僕が参加させてもらって3回目のライヴは、元 Sweet Basil だった Sweet Ryhthm にて。
 
 フランスの某 TV 局が Somi さんを取材しにきてまして、僕もどさくさにインタヴューを受けまして、
『 Somi との出会い』『ジャズミュージシャンとして僕はどう Somi の音楽=“ アフリカン ” プラス “ R & B ” に対応しているのか。』についてしどろもどろに答えたわけです。
 なにぶん、慣れない仏語でのやりとりでしたので、男性名詞、女性名詞の区別もめちゃくちゃ、 R の舌を巻く発音もめちゃくちゃとなってそれはもう大変。
 じゃなくて、下手な英語で、慣れないスピーチをしてしまい、とはいえ、フランス TV 局だから、おそらく、男性名詞、女性名詞の区別抜群、 R の舌も十分巻かれたフランス語のオーバーダブが付くだろうから、問題ないはず。
 
 今回は、編成がピアノ、ベース( Tarik Shah )、パーカッション ( Daniel Moreno ) に Somi さんの4人。 いつものギターにバックコーラスが無く、ピアニスト、たくさん音弾くことに。 曲によってキーボードとピアノを同時に弾いたりして、ちょっとだけ坂本?小室?の気分。
 ピアニスト、リズム弱い、グルーヴが出ないのを前日のリハにパーカッション、ベーシストから指摘され、実はちょっとナーバスになっていた。 2セット、結構必死だったわけで。 普段より余計に足のステップが激しくなって途中痙攣が走ったりして、ショーの終わりには息たえだえとなった。

1、2、3、4、1、2、3、4、1、2、3、4。
なにげなくタイプしてみると、簡単にできる事なのに、いざ演奏になると、
1、2、3、4、、、1、、2、3、、、4、3412。
みたいな事になりがちな僕。
 パーカッションと演奏ということに慣れていない、という事もあるが、根本的にリズムキープができていない。
キープ出来た上で、自由に音楽をグルーヴさせていく。
難しいんだなぁこれが。
1、2、3、4、1、2、3、4、1、2、3、4、
1、2、3、4、1、2、3、4、1、2、3、4、
1、2、3、4、1、2、3、4、1、2、3、4。
ほら、読んでて踊りだしたくなる衝動にかられたでしょう。
これなんだなぁ。このグルーヴ感。
今度は8分の6拍子。
1、2、3、4、5、6、1、2、3、4、5、6、
1、2、3、4、5、6、1、2、3、4、5、6、
1、2、3、4、5、6、1、2、3、4、5、6。
ほら、もう、いいかげん別の web site に行きたくなったでしょう。

 ともかく彼等より学んでいるのです、どど君は。

07/20  < Chris Baker Group @ Jazz Standard >
 アルトサックス奏者 Chris Baker のグループで Jazz Standard に初出演。この日のショーは、グレッグ・オズビーが若手アルト奏者のサポートを目的に企画されたもので、オズビーを信奉する Chris と Steve Lehman の2グループが演奏。
 
 最近、若手のオリジナル曲を聞いていて、よく耳にするのが、ベースが複雑なリズムとコードチェンジのヴァンプを延々と繰り返し、メロディらしきメロディがないまま、ホーン奏者がアドリブをするというもの。
 我が Chris Baker バンドはモンクの曲やジミー・ヘンドリックスの曲等をやってメロディへのこだわりは捨てていなかったように思うのだが、 Steve Lehman バンドのレパートリーはまさにヴァンプミュージックで、メロディがないじゃないかという寺島靖国先生のお叱りの言葉をいただきそうな気分にさせられるのだが、これ、けっこう、今のはやりなのかも、と思った。
勉強勉強。

 そういえば、 Jazz Standard は2年前にジェレミー・ペルト バンドで出演が決まっていたのに、その日が独立記念日と重なったためにキャンセルになった場所。2年経って、演奏できる機会を得て、長くいればいいこともあるもんだという実感にひたる。(ピアノもいいし、音響もいいし、なにしろ御飯がおいしいんだ、このクラブ。)

 Chris はボストン時代からの知り合いで、彼も僕と同じ時期に NY に出てきた。こうして彼がこのような機会を得たということは、嬉しいわけで。
(僕に電話してくれたこともとても嬉しいわけで。)
 そういえば、やはりバークリーで同窓生だった当のジェレミー・ペルトは先週、リーダーとしてヴィレッジヴァンガードに出演。また Jazz Standard のチラシによれば、やはりこれまた同期のアルトサックスの Miguel Zenon もリーダーでこのクラブに近々出演するらしい。
 彼等、ボストンから NY に出てきて6年。
 皆、着々とシーンに名を刻み始めている感じ。
 石の上にも3年。
 僕の場合は6年かかって Jazz Standard 。
 東京は暑いらしいですね。
 暑中お見舞い申し上げます。

7/29  <部屋の模様替え。>
 最近、部屋の模様替えをしています。
CDラックタワー、キッチンカート、ソファ、ベッド枠等をIKEAのオンラインで購入。

コンピューターデスクをStaplesで購入。
食器一式セットもPotteryBarnで購入予定。
 要は、アップライトピアノ以外、僕は何も持っていなかったわけです。
 椅子やら机やら、本棚等、大概、粗大ゴミを拾ってきて再利用してたもので。
食器は、どど夫人の食器を使わせてもらっていました。
結婚を機に、生活空間を新調しようと言う訳で。

 先週末、IKEAより注文した品々が届き、組み立て作業に精を出しました。  CDラックタワー、いいものですね。部屋中のあちこちに積み重ねられていたCDが、いったい何枚あったのかがやっとわかりました。
1タワー180枚入るものを三台購入したのですが、もうすでにびっしりと入ってしまいまして、あと2台新たに購入することに。先に枚数を数えてからラックは買うものですね。

  ここでクイズ。
『ソファは部屋のどこに置かれるでしょう?』
 
 ソファのサイズも色も、部屋の構造も記されていないこのクイズ、なんて難しいんだと思っていましたが、いざ、配達されたソファを前にして、あっさり答えがわかりました。

 『テレビの前。』

 テレビって部屋作りに関してなんて強い決定権を持っていることでしょう。ひまわりが太陽に向かって花を咲かせるように、ソファ、食卓、椅子はテレビに向かって配置されるのです。ひょっとするとピアノさえ、ボードの反射越しにテレビの映像が、演奏中に盗み見れる位置に置かれてしまわれる可能性もあるのです。
テレビの力はすごい!
『テレビに出ないとまず売れないよ。』
と人からよく言われますが、それはこのテレビの持つパワーをよく言い当てているといいますか。
 
 こうして、テレビと家具の相関関係についてあれこれ思考をめぐらしていたその矢先、隣の部屋からどど夫人が現れ、
『ちょっと、いつまでソファでごろんとしているのよ。早くこっちにきてキッチンカートの組み立て手伝ってちょうだい。』

8/10  <『華氏911』を見たのですけど。>
 NY 、涼しい日が続いてます。 朝や夜には、上着が必要になるほどに、肌寒かったりしてます。

 猛暑の日本の皆様には、うらやましく思われるかもしれませんが、そのかわり、こちらでは最近また大きいテロが起きる起きると警報がでてます。 観光用ヘリコプターや、リムジンカーを使ってビルにつっこみ、毒ガスを撒くなどというニュースを聞きます。
 
 無責任に言いいます。 
マイケルムーア監督の映画『華氏911』をやっと見たのですが、あの映画が正しければ、テロは起きないと予想します。
 サウジアラビア政府、特に、ビンラディン家とブッシュ家のとてつもない癒着を描いたこの映画の内容を信じるなら、アメリカ政府はオサマビンラディンを見逃すことを条件に、アメリカ本土に攻撃をさせないようビンラディン家に、一筆書かせていても想像に難しくない、というのが理由です。

 駄目かなぁ? やっぱりテロられちゃうのかなぁ〜、 NY。 涼しくてすごしやすいんだけどなぁ。

8/17  <夏休み>
 どうやら私、今週より夏休みに入ったようで。

 テレビをつければオリンピック。
どうでもいいが金メダルとった人の喜びの表情を見ると泣いてしまう。 北島選手が100メートルで金メダルを取って、『チョー気持いい』等とひょうひょうとインタビューに答えた後、控え室でグワーっと泣いていたというエピソードを、新聞で読んでも泣いてしまう。 昨日は男子体操に鼻水たらしながらテレビに釘付け。

 この夏。 涼しいので読書も進んじゃう訳で。最近、三島由紀夫を集中して読んでいるのですが、一文一文が詩みたいで素敵。 今、『禁色』を読んでいるのですが、つい先日マスコミを賑わせた、妻子持ちのニュージャージー州の知事が自分はゲイで男性と不倫して辞職したニュースと、本の内容が少しだぶったりして面白かった。

 部屋の模様替え作業は続いています。 カーテンを自分で作るというどど夫人に従って、少し、ミシン縫いなど手伝ったりしました。 しかしながら、こと生活環境改善に関して、一般的に僕にはまるで意見というものがないことが判明し、それがどど夫人を呆れさせることになっているのです。 先輩の方から、結婚生活のコツとして、奥さんの意見を尊重するべきだと言われます。 それは想像するに、旦那さんの意見というものがあって奥さんの意見がぶつかって、そのあげく奥さんの意見に従うとすべて丸く治まるということではないか。 しかし、僕の場合、僕に意見がないので、意見がぶつからない。
どど夫人『スプーンは Pottery Barns のはどうかしら?』
どど夫『いいんじゃないかな』
どど夫人『お皿は Crate & Barrel のがいいと思うのだけど?』
どど夫『うん。 いいね。』
少し過程は違うかもしれないが結果は同じなのでうまくいっています。

 飛行機で出されたスプーンを失敬して使っていた僕に、あまり物に対してのこだわりがないようなのです。 あればいいみたいな。 最近、しかしながらどど夫人より『あなたには意見というものがないの?』と度々問われてから、少しづつ物事を考えるようにはなってきました。
 
 他人からどう見られているかを主体に考えれば、物事の選択の種類も明確になり決定もできるように思えてきました。
(世間体を重んじるということも含めて。)

 スプーン一つにしても、例えば、自宅にお客さまを招待し、食事のさいに使っていただくスプーンが JAL と書いているものだったら、お客様にどういう思いをさせてしまうか。 この人、飛行機でかっぱらってきたんだと思われるのは癪ですよね。 それなら Pottery Barns のスプーンの方がいいですよね。
(この人、Pottery Barnsでかっぱらってきたんだ!)

 音楽やってると常に、自分中心になってしまって、それでも960人はついてきてくれるという過度な自信があるものですから、この他人中心に考えるという訓練があまりできてないのですよね。
 
 徐々にですが、『スプーン、使えればいいじゃん、99セントショップのスプーンでもスプーンじゃん。』 というのは最低な思想だなぁと、思えるようになってきました。 『御飯食べても結局うんこになっちゃうから何食べても同じ。』 (あぁ、ついにこの百々徹の記録に初めて “うんこ” という文字が記されてしまった。)
という思想は、一面、厳しい現実をついた言い方ではありますが、これを言ったら元も子もない。 夢ある新婚生活にとっては禁句。 もとよりこんなこと言うやつは絶対モテない。
 
 『 Pottery Barn のこのスプーンは、デザイン性、機能性に富んでいるしこれを使っていると食事がおいしくなるよね。』
これです。 この方向性でいく訓練をしてます。

 充実した夏休みにしたいですね。 しばらくさぼっていたジョギングでもまた始めようかな。 今晩は、北島の200メートル見ちゃおうかな。 仕事の電話が最近めっきりと鳴らなくなったなぁ、と不安になるなんて似合わない季節なのです。

8/31  <9月よりクレパトホスト日変更になります。>
 9月より、毎週日曜日にやらせていただいてました Cleopatra's Needle でジャムセッションのホスト業、5日の日曜日を最後に火曜日へ移動します。
19日の日曜日は、僕が行いますが、少なくとも今年末まで火曜日が僕のホストのジャムセッション日に変更になりました。 スケジュールのページをどうぞ参考になさってください。
(9月のクレパトは、5日(日)、14日(火)、19日(日)、21日(火)、28日(火)に演奏してます。)
 因みに、日曜は、火曜日にやっていたアルトサックスのジュリアス君がしきります。 今後ともよろしく御願いいたします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 先週の週末、急に忙しくなる。
木曜、昼にリハ、夜gig。
金曜日は昼に人のデモレコ、夕方にリハ、夜gig。
土曜は昼に結婚式のgig、夜gig。
日曜は昼gig、夕方gig、夜gig。
一日、2本、3本と仕事が続くのは、なかなかないこと。 イチローが毎日ヒットを3本打つ事がいかにすごい事であるかを実感。 僕の夏休みはこうして終わり今週より長い秋休みが始まろうとしている。

 先週の土曜に演奏したある方の結婚式で、式と式後のカクテルアワーでのソロピアノの演奏を頼まれた。 式では、久々にクラシックを人前で弾く。 新婦の方より、式中に、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』。 バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』 ヘンデルの『水上の音楽』の中からAir、クラークの『トランペットヴォランタリー』を弾いてくださいとリクエストがあった。

 普段、自分の弾ける事しか弾いていないどど君、弾き慣れない他人の音列を前に四苦八苦しながら練習を積んだ。 しかし、段々に面白くなり、メンデルスゾーンイェイ、バッハサウンズグッドメンという感じで本番に向けてコンディションを整えた。
 ところが、間際に新婦の方より、メンデルスゾーンは、有名なメロディのところではなく、第二主題の部分だけでいい、バッハは新婦入場の所だけで使いたいとの指定が来た。 少し、気が楽になるのと同時に、全部弾きたかったなぁという気にもなる。

 本番、式の始まる15分間程、 BGM でソロピアノを弾いていて欲しいと言われまして、ほいほいとやっていたら、どう言う訳か、一時間くらい式の開始が遅れた。
クラシックのレパートリーに乏しいどど君、困った。 ヘンデルの水上音楽の Air 以外をほぼ初見で弾き、一応こんな時もあるかと持ってきてたバッハの平均律曲集から弾けそうなやつを弾き、それでも新郎さんから式スタートのキューが出ないので、再び、ヘンデルの水上の音楽の Air 以外を弾く。 これでもまだ式が始まらず、自分の『 Phillip 』 、『 Intermezzo2 』や気分はキースジャレットみたいなバロックの曲調即興演奏もしてしまった。 恥ずかしい。

 いよいよ本番はじまり、ヘンデルの Air で新郎新婦関係者の入場。 そして新婦入場、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』の番が来たが、教会のヴァージンロードは4ページある『主よ、人の望みの喜びよ』の1ページまでしか長くなかった。 蝋燭の祭壇への点灯の儀式はメンデルスゾーンの『結婚行進曲』も第二主題の16小節くらいの長さ。 大勢の参列者がすべて退場するまで、4ページあるクラークの『トランペットヴォランタリー』を4回程繰り替えさないといけなかった。式自体は20分程、始まる前の BGM が1時間。 わかっていればそういう用意をしておいたのであるが。

 その後、近くのレストランに移動。 食事前のカクテルパーティーでのソロ演奏。 ジャズをなんでもいいから弾いてくださいとのこと。 レストランの外庭で行われたのであるが、この日、今年、冷夏だったことを取り戻すかのような真夏日。 参列者はドリンクを受け取るや、すぐ冷房の効いたレストランの室内に一目散に逃げ込む。
 庭に残されたのは、カクテルバーのバーテンダーと、青いシャツが汗で紺色に変わり、眼鏡はズルズルになりながらジャズスタンダードを弾くどど君のみ。 最後にガーシュインの『 Summertime 』をバーテンのお兄さんの前で演奏した後、会場を後にした。