00-10 (Japanese Only)

2004年 その3

9/8  <日曜から火曜へ>
9/8<日曜から火曜へ> 社会や物事は常に変化する。 そこには混乱が生ずる。 時には大きな犠牲を伴いながら、しかし時代は進む。

 日本のプロ野球も来シーズンから球団の合併が行われ、それに抗議する選手会はストを決行する構えを見せている。

 最近、トムクルーズ主演『ラストサムライ』をレンタルして見たのだが、そこで描かれていたのも、黒船到来を機に、世界情勢に対応しようと、新しい国家体制を築く日本の歴史の流れの中で、それに反対する旧武家の戦いのドラマだった。

 3年近く続いた日曜の Cleopatara's Needle の百々徹によるジャムセッションも来週より火曜日に移動する。

 いや、実はすでに移動したのだ。

 5日の日曜を最後に火曜日に移動、と前回のこの HP に告知していたが、5日は火曜日のジャムセッションのホストをしていたジュリアスがしきった。 7日の火曜日が、百々徹 Tuesday Night ジャムセッションの初日であった。

 4日の土曜日の夕方、5日に演奏を御願いしていたベースのジョセフより電話があり、
『今、ジュリアスから電話で明日のクレパトを頼まれた。 明日のクレパトをトールがやるのか、ジュリアスがやるのか確認したほうがいいよ。』
と知らせられる。 早速、ジュリアスに電話。
『明日は俺だよ、トールは7日。 今月から変わるって言ったじゃん。』

 8月末にジュリアスと電話で協議した時、たしか5日の日曜日まではトールがやると確約したはずであったが。 どうやら聞き違いだったらしい。
 慌てて、頼んでいたドラマー、クインシーに電話して、日曜のキャンセルを告げた。

 もしジョセフからの電話がなく、今日が最後の日曜日だと、気合い入れてクレパトに臨んでいたら、ジュリアスバンドが先に準備していて、
『あれ、今日、ジュリアスがやるの?』
『そう言ったじゃん。』
『うそー、来週からって言ったじゃん!』
『いや今日から変更って言ったはずだ。』
 そしてドラマー、クインシーが会場入りして、
『トール、ダブルブッキングしやがって! ギャラはどーなんだ!』
という会話が交わされ、交渉は決裂し、百々徹、気分は渡辺謙になって、馬にまだがり刀と弓を持って、ジュリアス軍に突進していく事態になっていたことが容易に想像される。

ジョセフもクインシーも運良く、7日の火曜日も空いていたので御願いし、事なきを得た。

 時代の変化、体制の移行は、混乱と犠牲を伴いながら進む。 もっとも、クレパトジャムセッションの曜日変更事件は単純に英語ができていれば何も問題がなかった話しかもしれない。

9/21  <結婚式> 謹啓 秋涼の候 益々ご清祥のこととお慶び申し上げます
さてこのたび私達は9月17日(金) アメリカ合衆国ニューヨーク市の All Soul Church にて結婚式を挙げ 新しい人生の第一歩を踏み出すこととなりました
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 ハリケーンの影響で、午後から雨、が当日の天気予報であったが、正午の式スタートから5時のホテル帰宅まで重い曇り空ではあったものの、雨が降らなかった事は、本当に幸運の賜物。
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 パイプオルガンの演奏をバックに、新婦と父親がヴァージンロードを祭壇に向かって入ってくるシーンに、思わず、涙をこぼしそうになったが、娘を新郎に渡したくない父親の最後の意地か、ウェディングガウンが重くて新婦がスムーズに歩けなかったためか、ゆっくりゆっくりと来てくれたお陰で、涙をおしもどすゆとりを与えられ、笑顔で式を終えることができた。
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 NY ピープルはウェディングカップルに優しい。
道行く人、気さくに『おめでとう!』と我々に声をかけてくださる。
 式後の昼食をいただいた高級レストランでもスタッフから、食事されている他のお客様まで『おめでとう!』の嵐。
 高級レストランで、さも常連客のようにふるまいたければ、常にウェディングドレスとタキシードで食事をすればいいのかも。 皆やさしく扱ってくださる。
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 コーディネーターという仕事はあるんだなぁという実感。
すべて自分達で手配をしたために、式の主役であるはずの新郎新婦があちこち動き回る展開になる。

 式前にお花はセットされたのか確認、式の進行を神父と確認、式後の教会内での写真撮影の合間を縫って、神父に支払いをすまし、計8人の出席者(両家両親と兄弟夫婦)を2台のリムジンに分乗させる。
 セントラルパークで撮影中、待機させるリムジンドライバーに迎えに来てもらう時間を指示。
 御願いした撮影隊から
『はい、キスキス!』
『ちょっとロマンティックな雰囲気で踊ってみて!』
『疲れた表情見せないで。 笑顔笑顔!』
『眼鏡あげて!顎下げて!』
という注文に応じる。
 少し、撮影がおして、昼食を予約していたレストランに遅れる事を連絡。 待機中のリムジンが少し遅れて到着したのにイライラしながらも、一方でさりげなく、撮影隊に支払いをすまし感謝の意を述べる。
 レストランに到着。
食事中、リムジンの迎えの時間を計算にいれながら、食事中の場をもりあげる努力。 さりげなく食事の支払い。 (クレジットカードでさっと支払いをすませておいてゲストのお帰りをスムーズに進めるというあれ、大人っぽくて密かにあこがれていた。)
 すべての出席者がホテルまで到着したのを確認して、タキシードから私服に着替える。

 正直、いっぱいいっぱいであったことは否めない。
しかし、結婚式ほど、経験不足を咎められない物はないはず。
次回はもっといい式にできるのになぁ、と言う事も決して正しい反省の仕方ではないはずだから。
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 ホテルの手配に問題が起こり、宿を急遽探していた時、助けていただいたキタノホテルの春日さん。 式の翌日、出席者にプッチーニの『ラボエーム』のオペラ鑑賞を招待してくださった、 NY シティオペラの指揮者、山田敦さん。 どど夫人をスーパーモデルのようにしてくれたメイクの AKI さん、撮影のみならず式の進行を助けてくれたキロスタジオの皆さん。 優しい笑顔で式をとりおこなってくださったリチャード神父。 この場をお借りして感謝いたします。
10/5  < Go! Boston Red Sox! >
 秋ですね。すっかり朝夜冷え込むようになりました。 カレンダーも残り3枚。 今年もなんとか生き抜けたかもしれないと思う10月になりました。

 HP スケジュールを更新いたしました。 11月中旬に主に都内で少しライヴを行います。 2月に発売された僕の新譜 “ 116West238st ” のレコ発ツアー! と大々的に回れないのですがトリオで3本、スカファンク代表取り締まり役 塩田氏によるジャズバンド(トランペットの広瀬未来君に注目)で6本、10月20日に What's New レーベルより発売されるヴォーカルの津荷裕子さんの CD (僕もピアノで参加してます)の発売ライヴが1本あります。
 『百々徹を助ける会』960人の皆様はもちろん全員出席されるとは思いますが、今回は『百々徹って誰?』の会、『百々徹っなんて読むの?』会の皆様にも是非ご出席していただければ誠に嬉しく思います。
 12月の始めの週末3日間、カナダのトロントで日本カナダ友好のイヴェントで演奏することになっています。 ベースの安ヶ川大樹さんと共に、トロントのミュージシャン達とセッションする模様です。

 一昨日、カーティス・フラーからヨーロッパツアー1週間のお話をいただいたのですが、日程がまさしく今回の日本ツアーと重なったため、お断りいたしました。
 7月には、歌の SOMI さんより8月のヨーロッパ、アフリカツアー2週間のお話も受けたのですが、予算がたたずに間際でキャンセルになりました。
 いいオファーにかぎってキャンセルされるという『ドドトールの法則』がありましたが、それでも今年はかなり、そのカルマから逃れて、いい経験をさせてもらっているのですが、今後の『ドドトールの法則』はヨーロッパに行くチャンスは来てもキャンセルになるという、意味に変わっていくのでしょうか。

 今週末、テナーのスティーブ・カーリントンのバンドでボルチモアに行きます。 ボルチモアは “116West238st” のドラムのジョン・ラムキンの出身地で、一度見てみたいと思っていた所でした。 ただし、いまだに、演奏会場も、滞在場所も、どうやってそこまで行くのか、ギャラも、何を演奏するのかもわかっていません。 こういう仕事程、必ずキャンセルされることなく、行って来る事ができるのです。

10/10  <ボルチモアの旅>
 8日(金)、9日(土) とメリーランド州、ボルチモアでスティーヴ・カーリントン バンドで演奏してきました。
(スティーヴは最近、アルトサックスのウェス・アンダーソンのバンドに参加している。 ボルチモア出身のテナーサックス奏者。)
 NY から車で片道4時間30分の旅。 一連の出来事を紹介します。

(9日)
1:30am  演奏終了。
2:00am  スティーヴとベーシストはスティーヴの実家へ宿泊。
(もともと彼の実家にバンドメンバー全員泊まる予定が、急に彼の親戚が訪れたために、部屋が足りなくなったらしい。)
僕とドラムのウィルは、彼の車で急遽予約されたホテル(モーテル)『 Welcome Inn 』に到着。

フロントの女性『すみません、満室です。』
ドラマーのウィル『スティーブ・カーリントンの名前で予約されているはずですが。』

フロント『あいにく、スティーブ様のお預かりした、クレジットカードが有効でなかったので、お部屋をキープすることはできませんでした。 本日は大変混んでおりますので。』

スティーヴへ電話。 しかし、彼の携帯は留守電モード。

フロント『このエリアに2つホテルがありますので、そちらに行かれたらよろしいかと。』

2:30am  『 Ramada Inn 』は満室。  次にあった『 Comfort Inn 』 にて部屋を確保。
部屋に入る前に、近くのパンケーキ屋で夜食をとる。 疲労困憊のウィル、食べ物を待つ間で眠りこみ、食事が来てからは、コーヒーポットを蜂蜜ポットと勘違いし、パンケーキをコーヒーでびしょにしょににして、食事をあきらめた。 コーヒーでしめらせて食べるやり方もあるものか、本場のアメリカ人は違うなぁと、感心して傍観してしまった百々、ただ苦笑。

3:00am  食事後、ウィルの車の後輪がパンクしているのを発見。 小さい釘がささっていた。 深夜3時、右も左もわからないボルチモアで、タイヤの空気のゆっくりもれるプシューという音を聞くのは辛い。

3:10〜3:50am  近くのガソリンスタンドでタイヤの仮の修繕処置を施す。 明日、修理工場を探すことにする。

4:00am  『 Comfort Inn 』にチェックイン。

4:05am  ウィルが、僕の部屋をノック。

ウィル『トール、俺の部屋に電話がないんだよ! モーニングコール頼めないから、悪いけど、トールさぁ、明日俺を起こしてくれるかな。』

百々『わかった。』

4:06am  僕の部屋の電話が、壁のジャックを結ぶコードがないことを発見。 
4:07am  百々、ウィルの部屋をノック。 
百々『ウィル、俺の部屋には電話があったけど、コードがなかったからフロントに連絡できないよ。』

ウィル『しょうがないな、今から、フロントへ直接行って来て、メイドに明日の朝、ノックしてもらうよう頼んでもらうことにする。』

4:09am  百々、そういえば、携帯電話に目覚まし機能がついていたことを思い出し、モーニングコール問題は解消したことをウィルに教えようと、彼の部屋をノックしたが、彼の応答はなかった。 5階下のフロントまで本当に行ったらしい。
4:20am  シャワーを浴びようと、身体を洗おうという時になって、この浴室にはタオルも用意されていないことを発見。 フロントに文句を言うにも電話がない。
4:30am  着ていたシャツで身体を拭き、震えながら就寝。
9:10am  携帯の目覚ましが鳴る。 消そうと思ってよく見たら、ボルチモアから近いアナポリスに住むドラムのラムキンからの電話だった。 今晩、我々の演奏を聞きに行くよということであった。 彼はなんて早起きなのだろう。

11:00am  ホテルをチェックアウト。 車の修理工場に向かう。

3:00pm  結局、タイヤを4本すべて交換。 その他、エンジンベルトにひびも発見され、修理が終了したのに、4時間ほどかかる。 修理費は彼の今回の仕事のギャラを超えた。

4:00〜8:00pm  スティーブの実家で休憩。 ヒップホップ30年の歴史を特集したテレビ番組を見る。 暗殺されたヒップホップの教祖的存在の Tupac は、悪を売りにし、抗争やらレイプやらで何度も逮捕されたが、歌がヒットして有名になる前には逮捕歴がなかったという事実が紹介されていて、勉強になった。

(10日)
2:00am  演奏終了。ラムキンもシットイン。旧交を暖める。
2:30am  ウィルの車で NY へ向かう。
4:30〜5:30am  パーキングエリアで車中仮眠。
7:30am  帰宅。

10/22  < Boston Red Sox goes to the World Series >
 連日、5時間、6時間、最後も4時間以上もテレビの前のソファーに座って、我が愛するレッドソックスの歴史的勝利を観戦してしまった。 もっともヒヤヒヤする場面になると座っていられず、テレビの前で立って見守っていることが多いのであるが。

 なにせここ一番に弱いチームのことだから第7戦も、7点差をつけていながらも、 9回裏にヤンキースに劇的なサヨナラ負けを喰らうことを、かなり期待していたのだが、あっさり勝ってしまった。

 1918年以来のベーブルースの呪いを解くべく、明日からワールドシリーズに進出。 4連勝して早く終わってくれないと、仕事が手につかなくて困るんだなぁ。

 宣伝!

1) ヴォーカルの津荷裕子さんのデビューCD 『 Dreams of Love 』が hat's New Records から発売されました。 どど君の歌伴の腕前はいかに?

2) JAL の国内、国際線の機内オーディオサービスのジャズセクションで、どど君の『 November 1st 』(邦題:ノーヴェンバー)が今月流れてます。(今月だけかも、来月はどうなんだろう?) チャーリーパーカー、ミシェルペトルチアーニ達と並んで、百々徹が聞けるみたいです。 11月の帰国に使う飛行機を、 JAL にするべきであった、、、、。 無念。

3) 12月のトロントでのイヴェントのサイトがあります。 チェックアウト!
http://www.torontonianclub.com/tcnews/174.html
http://www.jazzexchange.net/

10/25  <10月28日(木)FM とやまに出演>
 緊急告知。
来る10月28日木曜日の午後3時から4時30分、小川もこさん DJ による、 FM とやま( joou-FM 82.7 MHz )『未来倶楽部ドットコム』にベースの塩田ノリヒデさんと共に、生出演・生演奏いたします。 この放送はネット上でも聞くことができるようです。 こちらを参考にしてくださいませ。
http://www.miraiclub.com/
http://www.miraiclub.com/houso/041028.ram
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 先日、とあるヴォーカルの方のお仕事で、マンハッタンから車で1時間30分、ロングアイランドのとある美術学校へ行く。
 仕事の内容は、絵画を楽しみたいという方の、写生大会でのバックグランドミュージックを演奏するというもの。 日本のカルチャー講座のノリに近いように思えた。

 教室内には、平均年齢40歳から60歳代の方々、総勢30名程がスケッチブックを片手にそれぞれの机について、準備をしている。 教室袖には、ワインやチーズが用意されている。 その反対の袖にグランドピアノが置かれ、そこが我々の演奏する場所となった。

 この催しは、年に数回、行われているらしく、かつて、『スイング』や『フュージョン』音楽のバンドが演奏したらしい。 この日は、『ボサノバ』がテーマであった。

 はじめに、この学校の学長が挨拶。

『この会は、皆さんに絵画の喜びを体験していただきたいという目的で行っているものです。 決して、絵の巧さを競いあうものではなく、実際にペンでキャンバスに絵を描いてみるという行為を体感してもらうことがポイントです。 下手でもいいから、怖がらず、思いきり描いてみましょう!』

 学長のキューにより、我々はあらかじめリクエストされていたジョビンの『イパネマの娘』を演奏。

 すると、カウボーイハットにサングラスをはめ、ロングコートを羽織った若き白人女性2人が入場。 教室中央にある、少し高くなっている段に登るや、さっとコートをはずす。 すると生まれたままのあらわな肢体、2体がポーズをとりはじめる。 イパネマの娘が二人。。。。。

 イパネマの娘のひとりが持つ、アラーム時計が5分ごとに鳴る。
その度に、彼女達はポーズを変える。
ピピッ、ピピッ、と何回鳴ったであろうか。
参加者は黙々とペンをキャンバスの上に走らせる。
曲線。 直線。 円。 角。 陰影。
粛々とボサノバの演奏が続く。
なんだこの緊張感は。
およそ一時間ほどで休憩。

 休憩中、参加者は、ワインを片手に、それぞれお互いの絵を批評しあう。

 再びイパネマの娘達が登場。
5分ポーズでは短すぎるという参加者の要望で、アラーム時計は10分ごとにセット。
ボサノバは流れ、ペンが走る。
小一時間が経ったところで、再び学長から『イパネマの娘』の演奏をリクエストされ、それがキューとなり、イパネマの娘達は着衣し、スケッチブックは綴じられ、写生大会は終わった。

 素晴らしい音楽であったと参加者からお声をかけていただく。 またやる機会もありますから是非よろしくと学長から言われる。 帰り際、学校のエレヴェーターで乗り合わせた私服に着替えたイパネマの娘達から、10分ポーズはきついのよね、足が痺れてきちゃって大変なの、と言われる。

 こういう仕事もあるのだと、百々徹は思った。

11/4  <レッドソックスとブッシュが勝った1週間>
10月27日(水)
 キタノホテルでの百々徹トリオのライヴ後、スカファンクの代表取締、塩田ノリヒデ氏に誘われ、アルトサックスのウェスアンダーソン氏と共に、 FM とやまの『 For You 未来倶楽部 』の生放送ライブに出演。
 スタジオはミッドタウンにある GIO スタジオで、ここは、以前マエストロ山田敦さんの番組に出演させていただいた時と、同じスタジオであった。
 さほど大きいとはいえないブースの中に、 DJ の小川もこさんと川崎ゆかりさん、コントラベースにキーボード、ウェス・アンダーソンの巨体、がスタンバイ。
 スタートは日本の午後3時放送に合わせ、 NY の深夜2時に演奏開始。 [クリック]
 新潟の大地震で被災された方への応援歌となるように心をこめて演奏。

10月28日(木)
 朝起きて、我が愛するボストンレッドソックスが、4連勝でワールドシリーズを制した事を知る。 10月22日の回に、4連勝してくれないと困ると書いていたが、本当に4連勝してしまった。  NY の新聞の見出しは、86年ぶりの優勝をやじって、『2090年に会いましょう』なんて文字がおどってましたが、これからレッドソックスの時代が来るのではないでしょうか。

10月30日(土)
 山田敦さんが来年、 NY シティオペラを率いて、愛知万博にてコンサートを行うのであるが、それを取材する報道関係者の為のディナーパーティーの BGM の演奏を依頼され、オペラホールの2階のプロムナードでピアノを弾いた。
 この日は、しかも、山田敦さんの NY シティーオペラの指揮者として3度目の舞台に立つ日であり、パーティーでの演奏後、観劇させていただいた。
 この日の演目は、ヴェルディの『椿姫』。 絢爛豪華な舞台を、マエストロ山田敦は見事に振り切った。
山田さんと知り合いになってから、今までに4回、観劇させていただいているが、そのうち、3本(『蝶々夫人』、『ラボエーム』、『椿姫』)とも、主人公が最後に死んでいる。 自殺か、病死だ。 因みに山田さんのデビュー作、『ヘンゼルとグレーテル』は悪者の魔女が火あぶりで殺される。 主役が絶対生き残るハリウッド映画の対極に、オペラはあるのかもしれない。
 オペラは、75%の確率で主役が死ぬ。
(オペラ愛好者 百々徹によるトリヴィア。)

10月31日(日)
 ギターの井上智のカルテットで Blue Note のサンデーブランチで演奏。 ベースに中村健吾さん、ドラムにジョー・ストラッサー。 気心しれたメンバーでの演奏は楽しい。
 インディアンサマーとなったこの日、街中にやたらスパイダーマンやシンデレラ姫や、ブッシュ大統領がごろごろいるなぁと思ったら、ハロウィーンでした。

11月1日(月)
 SOMI の Blue Note ライブ。 今回は、音楽監督のギター奏者、ハーヴィ(パリ在住、セネガル出身)が参加したので、すべてがスムーズに行ったように思う。 バックコーラス2人、パーカッションにダニエル・モレノ、ベースにヴァション・ジョンソン、ピアノとキーボードの百々徹。 4本の新曲を加えた、1時間半のセットを2回。 満員の聴衆の中、気持よく演奏できた。
 この日のライヴにむけて、3時間のバンドリハを3日。 加えて、もう1日、 SOMI とハーヴィの3人だけで新曲の打ち合わせ。
 ウガンダ出身の SOMI 、セネガル出身のハーヴィ。 アフリカンアメリカンのベースにバックコーラス隊。 東京都立川市出身のどど君が、濃密な時間を共に過ごし、ひとつの音楽をつくりあげる過程は、 NY でないとなかなか味わえない体験。 ショーが終わった後、ものすごい充実感を味わう。
 ライブ後、ダニエル・モレノに連れられ、ハーヴィと共にハーレムにあるセネガル料理屋さんに夜食を食べにいく。 それほど大きくはない店内。夜中の2時をまわっているというのに、ぞくぞくとアフリカ系のお客さんが店に集まってきて、騒がしい。 ラムやチキン、魚がおいしい。 こういうお店は、人を知らない限り、絶対行けない店だ。
 こういう夜食も NY にいていいなと思える時間。

11月2日(火)
 4年前も Cleopatra's Needle だった。 4年後の今日も Cleopatra's Needle のジャムセッションの仕事の合間に、店内のテレビスクリーンでアメリカ大統領選の行方を見る。
 NY はアメリカではないとよく言われるが、今回の選挙を見ても、東海岸や西海岸の州を除いた、中部のほとんどの州でブッシュが大きく勝利した。 僕の回りのミュージシャンで、ブッシュを支持している人はほとんどいないので、それが当たり前のように思っていたが、アメリカのほとんどはブッシュを選んでいる。 我々の方が少数派なの?
 敗れたケリーの心境はいかに。 大統領選に費やした労力、お金、時間、すべてがパーになるというのはいかなるものか。 僕なら、ワンワン泣いちゃうな。 そしていい映画見て、いい本読んで、美味しいもの食べて、素敵な人間になって見返してやるんだから。

11/8  <トロントの畑山さん>
 暖かかった NY マラソンの日の翌日、急に氷点下近くまで冷え込んだ月曜日。

 12月2日から3日間、カナダ・トロントでひらかれるイヴェント Jazz Japanesque in Toronto 『 jazzexchange 』( http://www.jazzexchange.net/ )の仕掛人の畑山さんが NY にお越しになり、夕食を共にさせていただいた。
 畑山さんは、マスコミの記者を長年されていた方で、現在、トロントで、 jazzexchange というカナダのミュージシャンをコーディネイトする会社の社長をされる一方、トロントの日系コミュニティ情報誌『 Bits 』の発行人でもあり、さらに、フジテレビ系列のニュース番組にトロントのニュースの配信やレポーターもされているという三枚の名刺を持つ方である。

 吉祥寺で育ち、小学4年生の時からジャズにはまり、『MEG』に通って寺島靖国に鍛えられたというコアなジャズファンという畑山さん。
 『DODO』が発売された時の寺島靖国の批評を読んで、僕に興味を持ってくださり、いつかイヴェントをする時には声をかけようと思っていたという。  ありがたいことだ。
ちくしょう、寺島靖国やるじゃねぇか。

 SARS ( すっかり忘れてましたが、ありましたね。)の影響でトロントの観光業が激しく落ち込んだ昨年。  なんとか街を盛り上げようということで、当時の音楽好きなカナダ日本大使の方が、ジャズで街興しをしたらどうだろうと、畑山さんに相談されたのがこのイヴェントのきっかけになったらしい。
 その大使は、最近、違う国へ辞令がでたために、畑山さんが結局、ひとりで、会場の手配、スポンサー集めからミュージシャンのコーディネイト、 PRまで、関わることになったそうだ。

『本当は、今トロントで、間際に迫った開催日の準備にずっと取りかかっていないといけないのですけれど、仕事がたまりにたまってしまって、今になって NY 訪問でしょ。
 妻からは、もっと早く NY に行って、参加されるミュージシャンに挨拶を済ませておくべきでしょ、等と言われましたが、なんだか追い込まれる感じ、土壇場の状況におかれる自分がけっこう可愛かったりするんですよ。  記者をやってる人に多い性質かもしれませんが。』
という畑山さん。
 
 僕にも、この感覚がわかるところがある。
 今回、百々徹の日本公演初日の11月18日から12月始めにかけてのスケジュールはかなりタイトだ。
 日本ツアーの最終日の翌日、11月30日に日本から NY へ、翌日、トロント入りの日程なのだが、畑山さんからも、
『ずいぶん、大変なスケジュールのようですみません。』 
等と気をつかってくださるほどの強行軍だ。
 しかしながら案外、この忙しさが好きな自分がいるのだ。
『日本から NY に戻って、すぐカナダに行くんだぜ、ちょっと忙しいんだよね。』
と不満を周りに言い散らすミュージシャンは、実は、
『俺様はすごい売れてるんだぜすごいだろう。 イェイ。』
という恍惚感にひたっているだけなので、周りの人は、下手に、『大変ですねぇ。』と同情をよせるのは、メラメラと燃える彼の自己陶酔の炎に油を注ぐだけでしかない。

 この件で以前からマスコミ関係の方に聞きたかったことがあった。
『台風報道で、高波が押し寄せる海岸で、激しい風に吹き飛ばれそうになりながら、雨にずぶ濡れになって、台風の状況をレポートされる方は、実はそういう自分の状況に対して、とても喜びに満ちあふれているのではないか?』
という疑問だった。  畑山さんに聞いてみると、
『そうですとも。  あのレポートは、皆、やりたくてやりたくてしょうがないんですよ。』
と明解なお答えをいただいた。

 12月のトロントでの再会を約束し、夕食を終える。
 日本から、今回の日本公演でも共演するベースの安ヵ川大樹さん、歌の渡辺明日香さん、そして私、百々徹。  カナダからドラムのテリー・クラークさん等が参加してセッションを繰り広げるイヴェント。  このサイトを読んでくださっているかもしれないトロントの皆様、御会いできるのをとても楽しみにしています。

 というわけで、トロントの前に、帰国公演いたします。  このサイトを読んでくださっているかもしれない日本の皆様、ライヴハウスに足を運んでくださったら嬉しいです。  応援よろしく御願いします。
公演日程はスケジュールのページを参考にしてくださいませ。  それでは!

11/23  <日本の秋その1>
 時差ぼけを感じる余裕のない強行スケジュールとなっている今回の帰国。

 12日に成田に着いて、直で乃木坂の『レストラン FEU 』へ向かい、中村オーナーと打ち合わせ。 13日に浅草橋の『シモジマ』へ買い出し。 夕方は新宿の『 DUG 』で打ち合わせ。 夜は再び、乃木坂で中村オーナーと最終打ち合わせ。
 何の打ち合わせ?

 14日に私の結婚披露宴を『レストラン FEU 』で、その後、2次会を新宿の『 DUG 』で行ったのです。 出席してくださった親族をはじめ友人の皆様、会場のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。 おかげさまで、いい会になりました。

 15日にどど夫人と共に立川の実家に挨拶にまわり、16日には、チャリートのマネージャーさんとホテル大倉別館で昼食、その後、六本木でミューザックの事務所に挨拶に伺い、バークリー時代のルームメイト、永谷文吾君がライヴをすると聞けば、渋谷の『 Plug 』へ行き、その後、塩田のりひ君がライヴをすると聞けば、青山の『 Body & Soul 』へ向かい、そこに遊びにきていた TOKU と始発電車が走りだすまで、居酒屋で馬鹿話に興じ、17日には、その TOKU が中村真君とライブをするというので、吉祥寺の『 Strings 』に足を運び、シットインさせてもらったり。
祭りは続く。。。。。

11/24  <日本の秋その2>
 16日に行った渋谷のライブハウス『 Plug 』には、バークリー時代のルームメイト、永谷文吾君バンドを含めて、いわゆるジャムバンド系が4バンド出演していたのですが、そのどのバンドも、自分たちのバンドの事を知っていたか? 今日のライブの情報はどこで知ったのか?今日の演奏はどうだったか? 等と、色々な質問事項が書かれてあるアンケート用紙を各テーブルに配布していたのです。

 ライブハウスに足を運んでくれたお客様と、コミュニケーションをはかり、新たなファンを開拓していこうという努力、よりよいバンド活動につなげていこうという姿勢に百々徹、とても新鮮なショックを受けたのです。

 たとえ、自作曲『 November 1st 』が JAL で流れていたり、この日本公演の後にトロント公演が控えていたり、大晦日に NY のブルーノートで SOMI バンドで出演が決まったりして、ちょっと最近調子に乗りぎみではあった百々徹ですが、所詮、 CD が1000枚そこそこしか売れていない音楽家にすぎません。
 『 Plug 』でアンケート用紙を配る、バンドメンバーの真剣なまなざしに心うたれたのです。
 限られた日本での演奏会。 そこに、電車や車で駆けつけ、お金を払って僕の音楽を聞いてくださるお客様の事を、僕はもっと大切に思うべきだし、僕はその特別なお客様がどう感じてくれるのかをもっと知りたいし、それを次の自分のライヴ活動に生かしたい、と思ったのです。

 早速、実家のコンピューターでアンケート用紙を作成し、コンビニでコピーし、ホチキスでとめ、ライヴ会場に置いてもらいました。 今回は自分のトリオのライヴは3本。 舞浜の Ikspiari、新宿の Pit Inn、青山の Body & Soul 。 さすがに Body & Soul は場の雰囲気に負け、用紙を置くことはできませんでしたが、他2会場でアンケートを実施。 計40人の方から回答をいただくことができました。

 それによれば、お客様の中には『百々徹を助ける会960人』の会員の方から、初めて聴いたという人から、日本語が読めないから書けませんという外国の方もおられました。  CD をすべて持っている方から、今日これから買いますからごめんなさいという方、癒されたという方から、映画音楽をやればという方から、繰り返しの多い曲は CD ではくどいかもという意見を述べられる方もおられました。
 今回の百々徹トリオ(ベース安ヵ川大樹、ドラムス吉岡大輔、18日のみ広瀬順次)、おかげさまで3カ所すべて盛況でした。
 お客様とのコミュニケーションもうまくいったのではという瞬間も、演奏やトークを通じ数多く体感しました。
 さらに、今回行ったアンケートによって、生の声をいただくことで、空間と時間を共有したお客様と、より深い関係が築けたのではないかと思っています。
ご協力ありがとうございました。
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 Body & Soul に向かって青山通りを歩いていた時、餌をつついている鳩が、僕の歩く方向におりました。 てっきり鳩は逃げるものと右足を前に出したところ、鳩はまるでおかまいなしに餌をついばみ続けているのです。 僕は鳩を蹴ってはいけないと、前に出そうとした右足を慌てて戻し、バランスを崩して転倒しそうになりました。
 このままでは、そのうち、鳩は車をも恐れず、車道で餌をついばむ時代が来るのではないでしょうか。 鳩を轢いてはいけないと、ドライバーは中央線を越え、対向車と衝突という事故が増えるのではないでしょうか。
 手遅れになる前に、僕は、僕の前に立ちはだかったあの鳩を、思い切り蹴り飛ばして、物事の道理を知らしめるべきであったのか、悩むのです。
 皆さんは、鳩を蹴れますか? それともよけて転倒する方を選びますか?

11/29  <日本の秋その3>
 スカファンク代表のベーシスト塩田のりひで氏率いる、クインテットの5日連続プチツアー終了。

 マルサリス兄弟の曲、グレッグターディの曲からモンクやマイルスのいわゆる難曲を、19歳の横山君、20歳の広瀬君、34歳の大田さんと32歳の百々さんが、35歳の塩田さんのハッ! のかけ声のもとに、演奏するバンドといいましょうか。
 おかげさまで、全会場満員御礼で(柏ナーディス、銀座スイングシティ、吉祥寺サムタイム、御茶の水ナル)、塩田リーダーやりました!

 演奏中、演奏後、お客様の喜んでいる表情を見ることができると、それは演奏家にとって何よりも嬉しいことであります。
 演奏家にとって、そのライブ会場に居合わせたお客様をいかに満足させる事ができるかが、勝負どころなのだろうと思います。
(結局、そこだけなのかもしれない、とも思えてきてます。)

 サービス業といえる職種なのかもしれないのですが、自分が今関わっているこの音楽家という職業は、実に奥深くやりがいがある仕事であると思うのです。
 音楽の力、共演者とのチームワーク、演奏中のトーク、服装、仕草、会場の雰囲気、等々、色々な要素がうまいこと混成されて、お客様がいい感じで、家路についてくだされば、いいなぁと、思うのです。

 渡米が迫り、少し打ち上げ気分になってしまった百々徹。 連日ライヴ後、阿佐ヶ谷のマンハッタン、高田馬場のイントロの深夜のセッションに参加し、オフであった今日も、昼に NHK セッション505に出演のジュニア・マンス & 井上智グループを聴きにいき、夜は茶ナルに大口純一郎グループを聞きにいき、ヘロヘロになって帰宅した深夜に少し真面目にミュージシャン業についてこうやって考えているわけです。 明日の、今回帰国ライヴ最後の津荷裕子さんのレコ初ライヴ(新橋 Someday ) に備えて早く寝たほうがいいのに、こうしてコンピューターの前に座ってタイプしちゃう自分がけっこう好きなのです。

12/06  <トロント日加 Jazz Exchange >
 11月29日の津荷裕子さんの新橋 Someday でのレコ発ライブを終えた、翌日、成田を発ち、同日の夜、 NY に到着。
 翌朝(12月1日)、ラガーディアを発ち、トロント入り。
 ホテルに夕方到着するや否や、早速、日加 Jazz Exchange の演奏会場となる Top O'the Senator というトロントを代表するジャズクラブでレセプションがおこなわれ、今回共演するミュージシャンや、ヤマハさんや日本通運といったスポンサーさんからこのイヴェントを支えるスタッフの方と挨拶。
 近くのジャズクラブで、ジョンアバンクロンビーがライヴをしているという情報を聞き、皆で聞きにいくも、疲労のピークでセットのほとんどを眠りこけてしまう。

 12月2日。 時差ぼけか、朝の6時に目がさめ、ホテル近くを散歩。 トロントの街並みの印象は、どこかボストンのよう。 言語も英語がメイン。 人の顔つきはいくぶんおだやかに思えた。 昼御飯の後、仮眠をとる。
 夕方6時に会場入り、簡単なリハーサルとサウンドチェックをすます。 8時会場、なんと140人くらいの入場者を迎える。 主催者である畑山さんのほっとしたような、興奮したような表情が印象的。
 その畑山さんからの、ピアノソロで始めてくださいのリクエストに、少しドキドキするも、得意のインチキ キースジャレット風『アリスの不思議な国』で、トロントの皆さんのごきげんを伺う。 その後、僕がヴォーカルの渡辺明日香さんを紹介し、デュオで演奏。 その後、明日香さんがベースの安ヵ川大樹さんを迎え入れ、トリオで演奏。 その後、安ヵ川さんがドラムのトロントに住むドラマー、バリー・エルムスを紹介し、4人で演奏。 その後、バリー・エルムスさんがトロントのサックス奏者 マイク・マーリーを迎え、5人で演奏。 その後、マイクがマイクを握り、
『まるで 昔の歌のヒットパレードみたいですね。』
と片言の日本語で MC をすると、会場もどっと盛り上がりをみせた。
(注: ラスト2行は嘘の出来事。)
 セカンドセットは日本とカナダのミュージシャンが入れ代わり立ち代わりのジャムセッションが繰り広げられ、クレオパトラズニードルで仕込んだ、ジャムセッション力を披露することができた。

 12月3日。 この日はよく眠ることができた。 7時会場入りまで、ほとんどホテルで眠りこけた。
 この日は160人もの人が訪れ、立ち見客もおられた。
 再び、ソロピアノで開幕。 インチキ マーカス・ロバーツな『チェロキー』でトロントの皆様の御機嫌を伺い、その後、僕が明日香さんを迎え入れ、明日香さんが安さんを迎え入れ、安さんがバリを、バリーがマイクを、マイクがマイクを握って
『まるで笑っていいともみたいですね。』
と片言の日本語で MC をすると、前日同様 会場もどっと盛り上がりを見せた。
(同様に、ラスト2行は嘘の出来事。)

 今回招聘されたトロントのミュージシャン。 皆 レヴェルが高く、刺激をうけたのはいうまでもない。 特に、ピアノのバーニー・セネンスキーさんの演奏は、ベテランらしい味とテクニックに思わず、『イェイ』の連発であった。

 12月4日。 昼に畑山さんの案内で、トロントの名所である CN タワーへ見物。 その後、日本食レストラン『一力』で、日本勢トリオで演奏。 在トロント何十年という日本人の方が多くこられ、寿司をつまみ、酒を飲みながら、音楽を聞くという趣向であった。 高齢な日本人夫婦から
『またトロントに来て下さい。』
としかと握手をされると、なんだか胸が熱くなるものがあった。

 12月5日。 無事 NY に帰還。

 11月中旬からの日本、カナダの旅はこうして終わった。
 ライブに足を運んでくださった皆さんに、ここでもう一度ありがとうを言わせてください。 また御会いできるのを楽しみにしております。
さらにさらに、
 安ヵ川さん、明日香さんに感謝!
 トロントのミュジシャンに感謝!
 スタッフの皆さんに感謝!
 それから、企画、スポンサー集め、PR、ミュージシャンのケアから イヴェントの進行、車の運転、打ち上げの幹事まで すべてとりおこなった畑山さんに 大感謝!

12/21  <カーライフ>
 というわけで、百々徹、車持ちになりました。

 ボストン時代からの親しい友人(先月、 NY の地下鉄の駅構内のポスターに大きく写真が載っていたベーシスト、ワキさん)が、新しく車を買い替えたのを機に、『いい大人の百々徹が、いつまでも、地下鉄にキーボードとアンプを持って仕事先に行くのも辛かろう。 私が長年使ったこの車を使いなさい。』と、94年のフォードのアスパイアをいただきました。

 私、何かの縁と申しましょうか、 NY に来てから、車とお寿司は、人様からいただいてばかりなのです。 別に、普段から、周囲の人達に『おいらは、ただの車と寿司しか、いらねぇよ!』と豪語してるわけではないのにです。

 車をいただくのは、これが2度目なのです。 4年前、やはりボストン時代の親しい友人(近く CS 放送 musicbird に出演のテナーサックス、かみむら泰一さん)が、帰国間際に、置き土産としていただいた84年のホンダがありました。

 ホンダを1ヶ月半で廃車にしてしまった過去を持つ、百々徹のことですから、今回のフォードは、どうなんだというスリルがあります。  車持ちになって2週間が経ちましたが、移動というのは、過程であったのが、目的になった気がしてます。  居眠りをしながら地下鉄に乗っていた自分はもういません。 地図を見て行路をチェックして、エンジンの調子に耳をかたむけて、右見て左見て、駐車スペース争奪戦を繰り広げる毎日が始まりました。

妻持ち、車持ちになった2004年の百々徹のテーマは『責任』であります。

!!ニュース!!
 発売されたばかりの『 Swing Journal 』1月号に、11月22日に行われた青山 Body & Soul での百々徹トリオのライヴ評が掲載されてます。  同誌上で、2004年度ジャズディスク大賞候補作品の中の、日本ジャズ賞候補作品33作品のなかに、私の『 116 West 238 st. 』もノミネートされておりました。  僕的には、この作品に大賞をあげたいところですが、これは多分『960人の百々徹を助ける会』のメンバーも全員同じ気持ではないかと思うのです。

12/24  <トモレノンと日本クラブ>
 21日。
 日加ジャズエクスチェンジで、ポスターやチラシのデザインを手掛けていた、トロント在住の日本人画家 Tomolennon さん (以下トモレノンさん)と、その友人ショーゴさんが NY に遊びに来た。 遊びに来た、というのは間違いで、あるミッションで訪れた。
 数年後に NY 進出を目指すトモレノンさんは、その前哨戦として、自分の絵だけでどれだけ NY でサバイバルできるかを挑戦しにきたのだ。
 12時間かけてトロントから NY まで乗ってきた深夜バスの料金以外、いっさいお金をもたず、彼の絵と交換に、2週間と限定して、食事から宿泊まで賄おうという試みなのだ。 『絵で食べて行く』を文字どおりそのまま実現させようというミッションなのだ。

 この日の朝、 NY に到着、早速、日系のレストランをまわり、とあるミッドタウンのお店が、トモレノンさんの絵と交換に、十回分の食事を彼等に提供する話しをつけたという。
 さすがに混雑するクリスマスシーズンで、宿が見当たらなかったようで、僕のアパートに泊まることに。
 薄い布団とソファーしか客人をもてなすものがない新婚夫婦の家で、彼等は眠り、翌早朝、再びミッションに発っていかれた。
 22日。
 彼等は、今年最後のキタノホテルでの百々徹トリオのライブに現われる。 トモレノンさんは、演奏中、ずっと僕達の姿をキャンバスに描きつづけ、演奏終了後、その絵を昨晩の宿泊のお礼としていただくことに。
『今日はどこに泊まるの?』
と聞くと、
『今晩は、ここキタノホテルに一晩泊めていただくことになってます。』
という。 なんでも、キタノホテルのオーナーに絵のカタログを見せて、その中の一枚が気に入ってもらえたらしく、部屋を一室提供してくれたそうなのである。
 この調子で、年明けまで NY でサバイバルするらしい。
NY に到着して2日で、食事10回券と、高級ホテルであるキタノホテル一泊を確保した彼等。 正月には、僕にお年玉をくれるのではないかと期待してしまう。
 23日。
 TV コマーシャルが近くフジテレビで流れる指揮者、山田敦さんの招待で『日本クラブ』のクリスマスパーティーに行く。 『日本クラブ』というのは、 NY の駐在の大手企業のトップ社員が集う、来年創立100周年を迎える社交場である。
 毎年開かれるクリスマスパーティーで、今年はニューヨークシティオペラのシンガー7人がクリスマスキャロルを歌う催しがあり、山田さんはその企画構成から司会をされた。
 ショーの開始前の立食形式のウェルカムディナーでは、200人近くの出席者が、目まぐるしく名刺交換を繰り広げていた。

  これだけ日本人がいるものなのか。
  なのに誰も知り合いがいないものなのか。
  誰も僕を知らないのか。

 の3点だけが僕の頭の中をかけめぐり、用意された食事をひたすらついばむ百々徹。 ワインの2杯目でようやく頭も回転しだし、

  ここにはトヨタがいる。 ミツビシがいる。 NHK がいる。
  顔見知りになって、百々徹を助ける会の会員を増やせるかもしれない。

の2点で頭がいっぱいになる。 が、パーティー下手の百々徹、どこから突破口を開こうかアイデアがない。
すると割と同年代のカップルが近寄ってこられ、
『はじめまして、S.I. と申します。』
等と名刺をわたされ、
『ここは、年代の高い方が多くて、なかなか話し相手がいないでしょう。』と切り出され、
『私は、プリンストン大学に派遣されてきましてまだアメリカは2ヶ月なのです。 専攻は、、、、、』
と会話が興にのるかと思われた瞬間、ニューヨークシティオペラのショーが始まり、彼等と離ればなれになる。

ショーが終わり、そそくさと退場した百々徹。
先程いただいた名刺をよく見れば、
 『 W 大学大学院理工学研究科応用物理学専攻物性物理学日本学術振興会特別研究員 理学博士 S.I. 』
あの場には日本を支える方がたくさんいたのである。