00-10 (Japanese Only)

2005年 その1

1/1  <2005年スタート>
 『あけましておめでとうございます。』
 『本年もよろしく御願いいたします。』

 チキンサンドイッチに、コカコーラで新年の乾杯。
Blue Note に集合までの時間を、向かいのマクドナルドで腹ごなしをする百々夫妻。

 12時20分。 会場入り。
『 Yo! What's up ? Are you playing ? 』
テナーサックスのスティーヴ・カーリントンがドアマンをしていた。
10月の恐怖のボルチモアの仕事が脳裏に浮かぶ。
と同時に2004年のあらゆる出来事が回想される。
 大坂昌彦ニューイヤーセッション at モーションブルーで幕を開け、仕事納めが Blue Note NY の SOMI ライヴ。 2大陸を股にかけてピアノを弾く俺。 俺って。

 8時からカウントダウンまで演奏していたカサンドラ・ウィルソンのライヴ終了後、 SOMI バンドのセッティングを開始。

 『あ、どこかで見た事あるなと思ったら、百々さん。』と話しかけてこられたのは、年初めに六本木で、 TOKU と一緒に御飯を食べた整体師の林さんだった。
 彼は、カサンドラ・ウィルソンの専属整体師としてツアーに同行されているのだ。 聞けば、現在、アリーシャキーズやビヨンセ、ホイットニー・ヒューストンからもお声がかかっているとか。 アメリカのスターの身体のツボを知る男なのである。 年始に御会いし、年末に違う大陸で再開する奇遇に酔う俺。 俺って。 俺って。

 ステージ上にそういえばピアノがない。 カサンドラはここ数年ギターを使っている。  PA スタッフに尋ねると、キーボードが用意されているとのこと。 かつて、キーボードで百々徹トリオの Blue Note デビューを飾った百々徹である。 キーボードの扱いぐらいわかっているさ。 電源いれればいいのさ。

 セネガル出身パリ在住のギターのハーヴィは見るからにやつれている。 彼は、前日までデビッド・マレイ バンドでヨーロッパをツアー。 31日早朝にスイスからパリへ戻り、荷造りをしてアムステルダムへ飛び、夜9時30分に JFK 空港に到着。 そして Blue Note のライヴなのである。
『こんなクレイジーなことしているのは世界中で俺だけさ。』
とぼやくハーヴィ。 でもそんなことをしている自分がとても好きでしょ、ハーヴィ君。

 1時30分ライヴ開始。 こんな時間でも会場はいっぱい。 いつものように SOMI の歌に観衆は酔い、3時30分ライヴ終了。
『 A happy new year! 』
とバンドメンバーとサヨナラの挨拶。 今月、 SOMI のレコーディングがある。 今年もしばらくこのバンドとおつきあいがありそうである。

 眠い目をこすりながら車を走らせる百々徹。
『2004年はほんとに色々あったね。 最後に Blue Note で締めなんて、ちょっと出来過ぎじゃない?』
と感慨にひたる俺。 すると百々夫人。
『今日の演奏1時30分スタートでしょう。 仕事初めだったんじゃないの。』仕事初めだったのか。

 6時就寝。 14時起床。
林整体師の御好意でカサンドラ・ウィルソンのライヴの御招待をうけて再び Blue Note へ。
早朝と夜、1日2回も Blue Note で過ごした2005年の元旦。 今年はどんな年になるのでしょうか。

 『960人の百々徹を助ける会』の会員をはじめこのサイトをチェックしてくださるすべての皆様、あけましておめでとうございます!
 でしゃばりエディターさん、今年もよろしく御願いいたします。

1/10  < Pete Zimmer とトモレノン>
1)2年前に参加した Pete Zimmer のCD『 Common Man 』 ( Tippin' Records ) が昨年発売され、それを記念してのライヴが先週 Fat Cat と Cornelia St. Cafe というクラブで行われ、どど君、ピアノ担当してきました。

 Pete Zimmer は、自主レーベル Tippin' Records を立ち上げ、ラジオのエアプレイをはじめ、各ジャズメディアに広告をのせたりと、なかなかのビジネス展開をはかっている若手ドラマー。 今回のライブも、『 Hot House 』という NY のジャズ情報誌にしっかり特集記事を載せてもらっていて、なかなかのやり手じゃない、と思わせる一方、ステージ上では、曲目順を決めるのにも、
『何からやったらいいかなァ?』
いや、ピートのショーだからさ。 ピートが決めようよ。
『トールの曲もやろうか?』
いや、ピートのレコ発なんだからさ、ピートの曲たくさんやろうよ。
『ビールもいっぱい買ってきたからさ。 どんどん飲んで。』
とドラムセットの陰にハイネケンがいっぱい詰まった箱をしのばせる、バンドメンバーにとても気を使うやさしいアメリカ人である。

 テナーの Joel Frahm とトランペットの Michael Rodriguez をフロントに迎え、楽しい演奏であったことは言うまでもないわけでして、正月気分もそろそろぬけてきた今日この頃、みなさまいかがお過ごしですか?

Tippin' Records  http://www.tippinrecords.com/

2)トロント在住日本人画家トモレノンさん、 NY のミッションを無事終了。 トロントへ戻る前日の10日の夜、彼とその友人のショーゴさんが滞在していたチェルシーホテルに会いに行く。

 無一文でどこまで絵だけで生き延びる事ができるのかを3週間 NY でトライしていた彼等。
 絵もいくつか売れ、NY での個展を開く可能性も生まれ、雑誌の表紙のデザインの仕事の可能性も生まれ、 Blue Note で上原ひろみのスケッチを行い、振り付けの KABA ちゃんに焼肉をごちそうになり、俳優のイーサン・ホークにも会ったというなかなかハプニングした NY 滞在であったようだ。

 滞在記を HP に執筆していたショーゴさんの顔があきらかにやつれていたのがこの旅の壮絶さを物語っていたが、トモレノンさんのあふれる情熱とバイタリティは、外国人としてなんとか生きてる自分としても励まされるものがあった。
 先月にキタノホテルでライヴ中に彼に描いていただいた百々徹トリオの絵をいただき、またの再会を約束した。

トモレノンさんのサイト http://pages.ca.inter.net/~tomolennon/

01/18  <ブロードバンド時代>
 家計の見直しの結果、電話サービスを切り詰めるべきではないかということに。 携帯電話を使い始めてから、家の電話を使うことが少なくなったのだから、もっと安いプランに変更しようと、とある電話会社に電話。

 するとオペレーターは、ブロードバンド電話にすれば御安く国内、海外電話がかけれるようになりますよ、と。 じゃあ、それで御願いと。

 先週の土曜日の早朝にアダプターが届き、早速取り付けてみる。 家のインターネットケーブル回線に電話回線をつなぐということなのであるが、アダプター取り付け後、インターネットのアクセスがうまくいかない、電話も通じないという事態に陥る。 カスタマーサービスに携帯から電話すると、
『このラインは混合ってまして45分待ちです』とテープが流れている。 深夜なら空くだろうと、夜の12時30分に再び携帯から電話。 ところがまたしても
『このラインは混合ってまして45分待ちです』。

 今日中にブロードバンドしたいと思ったどど君、45分待ちました。 しどろもどろの英語で、オペレーターに事態を告げ、彼女の指示に従い、コンピューターをつけたり消したり、 IP アドレスを打ち込んだり、アダプターのセッティングを言われるまま変えたりしたうちに、インターネットアクセスが成功。
『ありがとう』
と携帯を切った後、家の電話が全く通じていないことに気付く。

 再び、カスタマーサービスに電話。 また45分ほど待たされて男のオペレーターが登場。 しどろもどろ電話が通じない旨を伝え、彼の指示によってモデムの電源を消せ、アダプターをリセットしろ、コンピューターを消せ、電話の配線を変えろ、等と指示。 ところが、再びインターネットアクセスができなくなる事態に。 どうしてくれるの! と思っていた矢先、携帯のバッテリーが切れ、作業中断。

 携帯の充電コードを取り付けたまま再び電話。 10分ほどで別の女性オペレーターが登場。 今までのやりとりを報告。 彼女の指示でコンピューターをつけたり消したりしたものの、インターネットはつながらない。
『前のオペレーターの時は、インターネットつながったのに。 その方にかわってくれない?』
と頼むと、
『この時間にオペレーターは数人しかいないの。 今、わからないので検討して24時間以内にこちらからまた電話します。』
この時すでに朝の4時をまわっていた。 いい加減眠い。 が、今までの不毛なやりとりにカリカリして寝つけない。

 すると携帯電話がなる。 先程のオペレーターだ。
『こうすればインターネットがつながります。』
と言われ、その通り従うと見事つながった。 しかし、相変わらず家の電話がつながらない。 通話音らしきものが聞こえるが、かけることができない。
『それはお宅の電話自体の問題かもしれない。』
と言われ、電話を切られる。 朝の5時30分をまわった。

 カリカリして翌朝、10時頃携帯をかける。 45分ほど待たされ、新たな男性オペレーターがでる。 再び、電源をつけたりけしたりしても結局電話は、つながらず、
『アダプターの問題かもしれない。 新しいものを送ります。』
と言われる。

 2日後ブツは到着。 取り付けてみるものの、やはりインターネットのアクセスができない。 電話はもちろんつながらない。

 再び電話会社に電話。 30分ほど待たされ、新たな女性オペレーターと話し、結局インターネットアクセスはできなかった。
『上層部のものに24時間以内に連絡させるようにしますから。 御迷惑をおかけしました。』

 というわけで、この4日、家の電話が通じていません。
問題は、そのことでさして不便を感じていないところにあります。 アダプター取り付け後、インターネットにアクセスできた時点で、 Web上では僕の電話回線自体はオンになっているのです。  Web上では、ログが残っているので、誰が電話をかけてきたかはわかります。 留守電も携帯から指定の電話番号にかければ聞く事ができます。 もっとも家の電話によくかかってくるのは、旅行が当たりました! とか、この保険に入りませんか? という迷惑電話がほとんどなので、普段から家の電話を取ることはありませんでした。 僕とコンタクトをとりたい人は、携帯かメールで連絡が来るのです。

 電話が普通になっても抗議の電話が来ないことを承知でこの電話会社はブロードバンドを宣伝して、うまくつながらないアダプターを送り、カスタマーサービスへの携帯電話の使用料金を稼ごうとしているのでしょうか? 

 日本語で書いて文句言っている暇があったら、英語で直接電話会社に文句言えばいいのにって。。。
だって英語ってとっても難しいんですもの。。。。。
それにブロードバンドって一体何?。。。。
インターネット回線の電話ってことは、
『もしもし』
『ピーガーギョンギョンギョンギョン』
(一応、アナログ回線でインターネットにつながる時のモデム音のつもり。)
という感じの会話になる訳?。。。。。。。

1/19  <ブロードバンド時代到来>
 本日(19日)、1時間半にわたる電話会社のオペレーターとのやりとり。 コンピューターをつけたり消したり、モデムをつけたり消したり、アダプターのポートを変えたり戻したりしたあげく、インターネットのアクセスが可能になった。 すかさず携帯から家の電話へかけてみると、それは、どど君のブロードバンド時代の幕開けを告げる祝砲かのごとく、プルプルという呼び出し音が部屋中に鳴り響いた。
 左手の携帯に『もしもし』と話しかけると、その『もしもし』は目の前にあるコンピューターにつながるケーブル回線上でデジタル化されて、右手に持つ家の電話の受話器から『もしもし』と聞こえてくる。
 テレビを見ながら、左手の携帯の『もしもし』が右手の家の電話の受話器の『もしもし』になり、しかも今こうして『もしもし』とタイプしてインターネットのメールで、でしゃばりエディターさんに送信することができる。
 ブロードバンド時代の到来である。

**ニュース!**
 ブルーノート東京の会報誌 “Jam” の100号が1月末に発行されるそうで、そこに、100にまつわるトリヴィア記事があるそうで、その中に私どど君が紹介されているそうです。 100という苗字のピアニストがいる、タモリさんもへぇということらしいです。 この雑誌は HMV をはじめとする全国の CD ショップやブルーノートでゲットできるそうです。

1/24  <大雪降ればトム晴れる>
 1月22日(土)。 NY に今年最初の大雪警報が発令される。 日中の最高気温がマイナス10度、激しい風、30センチの積雪が予想された。

 午前10時に、ドラマーのクインシー・デイビスから電話。
『コンバン、ボクノシゴトデキル?』
 と達者な日本語で聞いてきた。

 KITANO HOTEL のギグで、ベースに北川潔さん、トランペットにトム・ハレルだという。 クインシーの実兄であるゼイヴィア・デイヴィスが、もともとピアノを弾くことになっていたが、ニュージャージー州の郊外に住む彼は、大雪の中、車で NY に向かうのは困難とのことでキャンセルしたらしい。
(因に、クインシーとゼイヴィアは現在、トム・ハレルバンドのメンバー。)
 
 この日、家でテレビでも見てゆっくり過ごそうと思っていたどど君だったが、
『やるやる。』
と達者な英語で快諾した。

 昼過ぎより、雪が激しく降りだし、地面はみるみる白くなりだした。 有名ミュージシャンとの共演あるいは有名クラブでのギグは キャンセル度が高くなる というドドトールの法則が再び思い出される。
 ケニーバロンや、ジミーヒースという音楽を支えるベーシスト、北川潔さんに、あのトム・ハレルである。 キャンセル度は高い。

 考えられるパターンとして、
1)やはり大雪で、ギグキャンセル。
2)ギグはあってもトムハレルや、北川さんが雪で会場に来れずキャンセル。のふたつがあるかな、と、どど君の予想。

 夕方6時くらいに KITANO HOTEL のブッキング担当されている春日さんより、今晩のショーはオンですという確認の電話をいただく。
 9時スタートよろしく、ということだった。 クインシーからも、リハーサルをしたいので7時45分に会場入りね、という電話。1)はなくなった。

 車をあきらめ、地下鉄で会場入り。
 北川さんは、ブルックリンから車で来たという。
『シートベルトを2重にして、重心を前にかけて運転してきたよ。』
とスキー教室のインストラクターなような事をおっしゃっていた。

 8時10分、トムからクインシーに電話が入る。 マンハッタンの北の小高い丘の上の家に住むトムは、『雪で、地下鉄の駅に向かうのが困難で、タクシー会社に電話しても来てくれないので、行けない。』という。 2)だったか!

やっぱり法則は生きているな、と思っていたら、春日さん。
『じゃ、僕が車で向かいに行ってきますから。』
とタクシーにのりこみ、トムハレルの家まで迎えにいかれた。 すごいプロ根性だ。  Show Must Go On 。

 9時15分頃、春日さんに連れられ、トムハレル会場入り。 予想外に、多くのお客さまが来場。ショーは大盛り上がりで、どど君、いい体験できました。
 もっとも、大雪がなければこういう機会もなかったわけで、猛吹雪で、耳たぶが軽く凍傷にかかるは、唇は割れて痛いはで、いい機会の代償はしっかりといただいているのですが、ギグは成立したのだ。ドドトールの法則もそろそろ、お払い箱かしら。
 大雪でもトム晴れる、なんて人はよくいいますが、そんな感じです。

**ニュース!**
● 23日(日)、SOMIのレコーディング初日。 正午から夜の12時までかかって4曲収録。 バンドメンバーとの濃密な時間の共有。 そこに痺れてしまう自分がいます。 相当、日数と労力がかかりそうですが、このプロジェクト、いい作品になればいいなぁと期待してます。

● スイングジャーナル誌の第38回ジャズディスク大賞が発表され、どど君の『 116 West 238 St. 』、大賞は逃した模様。
 しかし、選考委員の中で、僕の作品を上位に推してくださっている方も数名おられ、(佐藤英輔さん、1位に推してくださってありがとうございます。)光栄です。 この勢いでグラミー、アカデミー、ノーベル、人間国宝と突き進むべきなのでしょうか。

● 3月28日(月)から1週間、都内と関西方面でトリオでツアー決定。 詳しい日程等の情報は、安ヵ川大樹さんの HP のスケジュールを参照にしていただくか、吉岡大輔さんや百々徹さんの HP の日程が更新されるのをしばらくお待ちくださいませ。

安ヵ川大樹HP
http://www.office-gen.com/artist/yasu_index.htm

吉岡大輔HP
http://www.daisuke.harmonicphil.com/index.php

1/27  <車内留学>
 予想されたことではあったが、車生活が始まってから、何かと友人ミュージシャンを家まで送り迎えすることが増えた。
 仕事帰りの深夜に、
『じゃぁ、君たちは、庶民の乗り物、地下鉄で帰りたまえ!』
と無下に扱える程、どど君も偉くない。
 ハーレム以北に住むミュージシャン達に対しては、ブロンクス住人である僕の帰り道にあたるので、
『夜遅いし、地下鉄もなかなか来ないでしょ。 乗ってく?』
と、こちらから誘っちゃう程だ。

 先日のクレパトのジャムセッションの仕事帰り時も、現地ミュージシャンを3人お家までしっかり送り届けてあげた。 今も生きている言葉か知らないが、アッシー君である。 ただし、車の中で繰り広げられるミュージシャントークに参加するというのは、今年の5月で在米生活10年を迎えながら、英語の苦労が耐えないのに悩み、海外留学を真剣に考えていたどど君にとっては、いい英会話教室になっている。

 ただ、会話の内容についていけず、寂しい思いをする時は、わざと、無理な追い越しや車線変更、信号無視、酒気帯び運転をして同乗者の気をひいて、
『危うくリッチーパウエル(注1)になるところだった。』
というジョークをかますということをするのだが、あまりこれをやりすぎると、次回から、
『夜遅いし、地下鉄もなかなか来ないでしょ。 乗ってく?』
と誘っても、
『地下鉄で皆で帰るから大丈夫さ。』
と言われそうなので、この辺の駆け引きは微妙なところだ。(注2)

 さて、27日(木)に SOMI のライヴがハーレムの老舗クラブ St.Nicks Pub で行われた。 ところが、主役の SOMI が体調不良で欠席。 急遽、 SOMI バンドマイナス SOMI バンドとして演奏した。 この日は、ピアノ、ベース、ドラムにパーカッションという編成。
 3セットも何をしたらいいのだろうというどど君の不安をよそに、パーカッションのダニエル・モレノはパカパカと叩きはじめる。 ドラムのティアリーもそれにあわせ、グルーブを刻みはじめる。 ベースのヴァシャーンもラインパターンを弾きはじめる、あぁ、はじまっちゃった、という感じで、どど君もひらめきにまかせ、鍵盤に指を這わせる。
 こういう台本のないところから共同で即興音楽をやる、という事は、普段あまりやっていない事。 しかし、3セット計3時間、脳みそが発酵し、体中の毛穴が開き、中から何かが出てくる快感を覚えた。

 正直、お客さまのことを忘れ、自分だけで楽しくなってしまいました。 即興芸術をジャズと呼ぶのならば、どど君もジャズミュージシャンと呼ばれる資格があるのかなぁ。 せっぱつまった状況からでる音にどれだけ説得力があるかが問われるところなのでしょうが、妙に楽しかったセッションではありました。

急に代役を頼まれて笑点に出演する落語家。
でてくるギャグはいつも大喜利ぎり。
What's New 2回連続の駄洒落締め!

(注1)
リッチー・パウエル: 1950年代に活躍したピアニスト。 バド・パウエルの実弟。
天才トランペッター、クリフォード・ブラウンを彼の運転事故で死なせたことでも有名。
(注2)
この辺の駆け引きは微妙だ。: おとうさん、おかあさん、この段落は冗談で書いてますから、心配メールしないように。

2/8  < Million Dollar Baby >
 週末、クリント・イースドウッド監督の最新作『 Million Dollar Baby 』を映画館で観たのだが、てっきり女性版『ロッキー』を期待していたどど君、それとは違うあまりの悲劇に、涙、涙。
 鑑賞後、泣きはらした目をしながら中華レストランで夕食をとる。 どど夫人と感想を述べあう度に、涙があふれだし、周りのお客さんから
『そんなに貴方が食べている、ショーロンポウはおいしいのかい?』
と尋ねられるは、レストランのウェイターには感謝されるは。

 映画はフィクションである事はわかっているはずなのに。 映画は俳優さんが大金のギャラをもらって、カメラの前で演じているだけだ、ということもわかっているはずなのに。
 こうも、僕の感情腺が破壊されてしまうということは、いかがなものか。 満員の映画館のお客さんの多くの鼻水をすする音に、僕の感涙腺が余計に刺激されたことも確かだが、映像にこうも容易くコントロールされてしまう。 大丈夫なのでしょうか。

 2月7日、8日と、再び SOMI のレコーディングが行われ、バンドの音録りはすべて終了。 アフリカンからボサノバからソウルからキューバンからスピリチュアルまで 計11曲を収録。 まだまだミックスに時間がかかりそうですが、仕上がりが楽しみ。
 あるテイクを皆で聞きなおしている合間に、普段、クールなベーシスト、ヴァシャーンが、
『この曲でグラミー取れるかも、って俺が今ここで言ったってこと覚えといてくれ。』
とボソっと言ったのが印象的。 もちろん普段、『 Million Dollar Baby 』で大泣きしているピアニストは、全曲ぐっときてしまってます。

 因に2月8日は、どど君の誕生日で、ウガンダ人、セネガル人、フランス人、メキシコ系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人で構成されるバンドメンバーが Happy Birthday を歌ってくれまして、ケーキもごちそうになりまして、普段、中華レストランでも泣いてしまう日本人ピアニストは、スタジオでこみあげてくるものをぐっとこらえて『 Thank you! 』を繰り返したわけです。

 百々徹33歳。 泣きが入ってます。

**ニュース!**
・3月末の日本での百々徹トリオツアーの日程を、同 HP のスケジュールのページに更新いたしました。

**訂正!**
・天才と謳われながら若くして車の事故で夭折したトランペット奏者、クリフォードブラウンを死に導いたのは、ピアニスト リッチー・パウエルではなかったそうです。 その時、運転していたのはリッチーの奥さん、ナンシー・パウエル だったそうです。
 ということを、1月末に21歳になったばかりの、才能あふれる NY 在住のトランペット奏者、広瀬未来君に教えていただきました。 お礼に今度、彼をドライブに誘ってみたいと思います。

2/24  < The Gates >
 どど夫人は、昨年買い集めていた『ゼクシィ』を処分したかと思ったら、今年に入って、『あるじゃん』を読み込んでいる。

『今から、将来設計に基づいた、ファイナンシャルプランをたてていかないといけないのよ。』
 とよく小突かれる。 持ち家か借り家か。 子供を持つのか。 老後の資金はどう貯めていくのか。 利率のいい銀行選び。 生命保険の選択。株式への投資。 等々。

 明日、雪が降るのかぁ、車はやめて、地下鉄でギグにいこうかなぁ、ということがもっぱらの関心事になるどど君はいつも、
『しっかりしたカミさんを持って、僕は幸せだよ。』
と害にならない褒め言葉を投げかけるのみなので、どど夫人はいつもやきもきしている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 先日、クリスト夫妻によるセントラルパークの『 The Gates 』を見にいった。 オレンジ色した大きな暖簾がついた、鳥居みたいなもの7500台が、セントラルパーク全域にわたって設置されたアートだ。
 クリスト夫妻は、かつてドイツの国会議事堂をラッピングしたり、日本の田園にパラソルをたくさん並べてみたり、なんかそういう、もとからある建築物や自然をオブジェにしてみせる芸術家らしい。

 その広大な発想と実行力には驚かされるのだが、僕が特に今回の『 The Gates 』で注目したのは、ひとつひとつの鳥居は全くサイズ、色、すべて同じというところだ。

 最近、僕が目指しているのは、同じような曲をいかにたくさん作れるか、なのだ。
バッハしかり。 モーツァルトしかり。 パットメセニーしかり。 小室哲哉しかり。 彼等は新曲発表といったところでどれも多かれ少なかれ、似たような曲だ。 しかし、その作曲数の大きさが、そのアーティストの世界を大きくみせるというか。 バッハはその何千曲というどれも似たような曲群が、バッハの宇宙を作り上げているし、サザンの桑田さんも湘南の夜空をオールスターズ(大星群)で輝かせているではないか。

 僕は、その量に惹かれているのだ。 冷戦時代に米ソで大量に核兵器作りに励んだお陰で、やたらめったら戦争できなくなって平和を築けたような歴史がつい最近まであったが、量は質をかえるということはあると思う。 書き続けるのだ。 きっといいものもでてくるさ。
 クリスト夫妻は同じ鳥居を7500台作ることで、世界中の注目を浴びている。 僕も、同じような曲を死ぬまでにいくつ作れるのだろう。 今年に入って、新たに3曲ほど書いてみたが、このペースで今年は20曲くらいいけるのだろうか。 こんな感じで7500曲書けたら、百々宇宙できちゃうね、こりゃ。

 こんなことを話していたら、どど夫人は
『そうじゃなくて、クリスト夫妻は、最初にセントラルパークというものが始めにあって(人生設計)、そこに、どのようにゲートを並べていけばいいのかを綿密に計画したのよ(ファイナンシャルプラン)。 そうすることでひとつのアートが完成したの。 あなたみたいに、その日その日で生きている人は、7499曲しか書けないで、セントラルパークで展示する機会を失うかもしれないのよ。 だから、あなたも一緒に勉強して。』
と、『あるじゃん』を手渡されるのだが。。。。。

The Gates website: http://christojeanneclaude.net/