00-10 (Japanese Only)

2005年 その2

3/13  <編曲というお仕事>
 どど君、ここ2週間ばかり、アレンジャーになってました。 何、他の4人と共に、悪い奴らをやっつけていたのかい? いやいや、僕の言っているのはアカレンジャーじゃなくて、編曲家のアレンジャーの事です。 (はい、つかみはオッケー。)

 シティーレコードの有賀さんに、
『今度、ユーミンの楽曲を、ビッグバンド風や、ラテン風やら、ダンスミュージック風やらに、アレンジしてレコーディングする企画があるのだけど、百々君さぁ、クラシカル風ピアノ3重奏の演奏をお願いしたいんだけど。 それと、そのアレンジも3曲ばかりやってみない?』
と声をかけられたのが昨年11月、日本ツアー中でのこと。

(ちなみに、有賀さんは、荒井由美時代のユーミンのプロデューサーだった方で、シティーレコードを設立し、僕の2枚の CD もここの会社のレーベルから発売されております。)

 ピアノ、ヴァイオリン、チェロという編成の音楽、よく知らなかった。 12月初頭、トロントに行った際、滞在していたホテルの近くにあった CD 屋さんにいってクラシックコーナーの従業員に
『ピアノトリオのアレンジで誰が参考になりますかねぇ?』
と尋ね、ベートーヴェンがいいと言われ、早速、彼のピアノトリオ集を購入し、勉強開始。

 ユーミン、という音楽も、実はあまり知らなかった。 (恋心、といったジャンルに疎かったどど君の青春。) 有賀さんに渡された、ユーミンの編曲対象曲が納められた CD を聞くが、数曲を除き、ほとんど初めて聞くようなものばかり。 僕がまかされたのは『 Anniversary 』(これは知ってた。) 『 魔法の鏡 』 『 潮風にちぎれて 』。

 そしてそして、この企画、楽譜ソフト『 Finale 』で作成しなくてはいけなかった。 今 皆さんが読んでいらっしゃる What's New は、でしゃばりエディターさんに電話して口述筆記してもらったものを、このページにアップしてもらっている事を知る人はあまりいないと思いますが、
(嘘ですから知らないで当然ですけど)、
そのくらいタイプもまともにできない機械音痴などど君なのです。もちろん楽譜は手書きが一番いい、と思っていた人間でした。 だって バッハやモーツァルトが、コンピューターで楽譜を書いていたなんて聞いたことないでしょ!

 この初めてづくしのプロジェクトを前にして、ここ最近、格闘していたわけです。

さらに、先週 SOMI が、今月末の彼女のライヴ用に、アレンジを頼んできたのです。 このライヴに、僕は日本ツアーのため参加できないのですが、彼女が言うには、今回はキーボードを入れず、ストリングとホーンでやりたいというのです。 そんな気まぐれなお願いに頭を抱えつつも、とりあえずやりましょうと。 帰国前に10曲手掛けなくてはいけなくなりました。

 朝から晩まで、これほどコンピューターの前に座ったことはあったでしょうか?
 やはり習うより慣れろですね。 このソフトウェアに詳しい、ギターリストの阿部大輔君に電話して、わからないところを聞きながら、一から学習しました。
 やればやるだけ、『 Finale 』のすばらしさはよくわかってきました。 なにしろ、譜面がきれい! 保存もばっちり! それから、書いたものをすぐ演奏してくれる機能が、本当にアマチュア アレンジャーどど君を助けてくれます。 ストリングがどう鳴るのか、ホーンがどう鳴るのか、勘で書いていくのですが、コンピューターが演奏してくれて、すぐに、ここはいい 悪い が自分でチェックできるのです。

 ベートーヴェンはこのソフトウェア無しで、よくもまぁ ピアノトリオを書けたなぁと、その偉大さを再確認しちゃいます。
(しかも 耳も聞こえなかったっていうじゃないですかぁ。)

 ユーミンの楽曲も何度も聞くうちに、そのメロディーセンスの良さに痺れてきています。 恋しちゃいそう。 失恋しちゃいそう。

 いけない いけない。
 すごいすごいと言ってる時間はないのです。 帰国も迫ってます。
今問われているのは、いいアレンジができたかどうかです。
ユーミン プロジェクトのレコーディングはいよいよ明日!
今夜はカレーライスでも食べて、キレンジャーに変身だ!!

3/14  <ユーミンプロジェクト>
 増尾さんの SOHO にあるスタジオで、ユーミン・クラシカル ピアノトリオ レコーディングが行われた。

 メンバーは、ヴァイオリンにポーリーン・キム、チェロにデイヴ・エガー。 彼等は、現代クラシックからポップス、ジャズとジャンルを超えて活動する若い演奏家。 デイヴは、マイケルブレッカーのレコーディングにも参加してるらしい。
 エンジニアには、増尾さん、エイジ君、タケ君を配し、そしてプロデューサーの有賀さんの指揮で、計11曲を早朝から8時間かけて全て収録。

 アメリカのスタンダード曲を演奏するよりも、曲になじみがあるだけにすっと入り込めて演奏できた気がする。 歌いこんでピアノを弾けるんだなぁ。 歌詞の世界が頭に浮かんでくるもん。 日本人だなぁ。

 しかしながら、聞いて育ってはいないユーミンの曲を、彼等流の解釈で情感たっぷりに弾くことができる、彼等 アメリカ人演奏家の姿を目の当たりにすると、ミスティとかフライミートゥザムーンとか 聞いて育ってない東京都立川市出身の僕でも、アメリカンスタンダードを演奏したってオッケイなのかもしれないと、少し安心もした。

 まだ、どのような形でこの録音が発売されるのかは未定のようで、この日に収録されたものが、全て CD になるかもわからないそうだ。
 僕のアレンジした3曲が、仮に世にでることがあったら、僕の名刺の肩書きに、ピアニスト、作曲家に加え、編曲家も加えようと思う。

 レコーディング終了後、すぐにタクシーに乗って、ジャズクラブ『 Birdland 』へ。

この日、エイズ撲滅キャンペーンのチャリティコンサートが、本セット前の 夜7時からあり、15人のシンガーが、それぞれ一曲づつ歌う企画があった。  SOMI も出演者の一人で、伴奏を頼まれていたのだ。
 会場に着けば、ミュージカルで活躍している人やら、チャカ・カーンのバックコーラスをしている人、グラミーを受賞したソングライターさん等、圧倒的な歌唱力を誇る方々が、次から次へとステージを盛り上げていた。
 僕が、 NHK のど自慢大会の審査員であったら、キンコンカンコン叩きすぎて腱鞘炎になって、来週からの日本ツアーが危ぶまれるほどであった。
『 俺もあんな風に歌えたらなぁ 』と思うのだが、僕の名刺の肩書きに『 歌手 』を加えることはないだろう。  SOMI の伴奏がうまくできれば俺は十分なのさ。

 すごい弦楽奏者たちに出会い、すごい歌手たちに囲まれた、ニューヨークモーメント、
百々徹でした。

3/23  <舞浜IKSPIARI>
 百々徹2005年 春の日本での2週間弱のツアー初日。
大雨の中、お越しくださった皆様、感謝いたします。

 自分のトリオで 同じメンバーで すべての日程を演奏できるのは、今回が初めてのこと。  安ヵ川大樹、吉岡大輔シェフが、どのように 百々徹の音楽を調理していくか、 楽しみであります。

 ところで最近、お客様の笑い声の量に その日のライヴの善し悪しを判断してしまう自分がいる。 演奏後の 拍手の量で 判断するのが 本筋なはずだが、なぜ、こんな自分になってしまったのだろう。

 笑いの量的には、この日は落第だったような。
舞浜、ディズニーランドに近いライヴハウスでの演奏、ということもあって、前日に考えついた、
『 今日は、後で、ミッキーマウスも会場にかけつけてくれることになってますからねー! 』
という挨拶がまるでうけなかったしなぁ。。。。

3/27  <フレンチディナーとジャズの夕べ>
 今回のツアーの目玉であった、ホテルフロラシオン青山での3夜にわたる、ディナーショーを終了。
 
東京都の公立学校共済組合員とその御家族が、毎年この卒業式シーズンに、音楽家を招いて食事会を開いているらしく、今年は、まわりまわって僕にお声がかかった。
『フレンチディナーとジャズの夕べ』と題されて、百々徹Trio のショーを行うのだ。

 ディナーショー、というのは、初めての事。
だいたいディナーショーって何だ?
どうしても小林幸子とか美川憲一の事を思い浮かべてしまうのが百々徹の想像力の限界を感じさせるが、でもだいたいあんな感じ?

企画担当の方からは、今までクラシック音楽奏者を主に招聘していたが、今回は趣向を変えて初めてジャズ音楽を行うと。親しみやすい曲を演奏していただけると嬉しいですが、と言われる。

 考えたプログラムは、
・Alice in Wonderland ( Sammy Fain )
・Poru "P" Bobo ( Toru Dodo )
・Bolivia ( Cedar Walton )
・Love Theme 〜 from New Cinema Paradiso ( Andrea Morricone )
・Wawawawa ( Toru Dodo )

 『 Poru "P" Bobo 』、『 Wawawawa 』 は
この先10年、20年後を見越したスタンダードということで プログラムに加えた。

 120から130人のお客様が、会場一面に並べられた円卓を囲み、最高級のフレンチ料理を楽しむ。 一通り、メインディッシュが終わった後にショーが始まる。 とびきりのスーツで着飾った吉岡大輔、安ヵ川大樹、百々徹シェフ 3人のコラボレーションによる音楽のデザートで、お客様の鼓膜が喜ぶ。

 プログラムが進むにつれ、会場内は総立ち。 トール! トール! ドドトール! の大合唱と、鳴り止まぬ拍手が雷鳴のように会場にこだまする。

 ショーを終えた百々徹は、日本の教育の未来は明るい、と確信して帰路についた。
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 一般の方は参加できなかったことをいいことに、誇大な表現が後半目立つディナーショーレポートで失礼します。

 参加された方でこの HP を読んでくださっている方々、まだまだ未熟な音楽家に、このような素敵な舞台を提供してくださり 誠に感謝しております。 これを機会に 応援 宜しくお願い致します!
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(おまけ)
 ディナーショー前、一人で青山学院前にある マクドナルドで昼飯をとったときのこと。 店内は、すごく混み合っていて、席がない。  しょうがなく、“ テリたまバーガーセット ” を載せたトレイを、トレイを返却する時に載せるテーブルの上に置いて、しぶしぶフレンチフライ 2、3本をつまんでいたら、レジの女の子が、
『お客様、奥にテーブルが空きましたのでご案内します。』
と声をかけてくれた。 しかもトレイもお持ちします、というので 言われるまま、彼女の後につく。 奥に一席、空きがあった。
『ごゆっくりどうぞ。』
と彼女は笑顔でトレイをテーブルに置き、レジに戻る。 なんて、サービスの行き届いた、マクドナルドなのだろう。 日本は素敵だなぁ、といい気持ちになった。

 ディナーショー最終日の終了後、アルトサックスの石崎忍君のライヴを聴きに御茶の水 NARU へ行く。 ライヴが終わり、彼やその仲間と共に近くのファミレスで夜食をとる。 先ほどのマクドナルドでの話をしたところ、石崎君は、
『片付けテーブルで ポテトを立ち食いしてたんでしょ。  邪魔だし、怪しい人かと思われてさぁ、体よく、テーブルを用意してさ、さも親切で、誘導してるように思わせる、店員のテクニックなんじゃないの?  だって、いいおっさんがさぁ、黒いコート着て、眼鏡かけて、鞄を肩からかけて、一人で暗そうに、ポテトをバクバク食べてたんでしょ。  そりゃ、ちょっと警戒されたんじゃないの?』
そういう見方もあるものかと。 こういう事を言ってくれる友人を持って僕は幸せです。

4/3  <百々徹トリオ2005春ツアー記・序>
 今回の日本ツアーに、お越しくださった皆様に心より感謝いたします。
 今日、京都ナーダムから、車で東京に戻り、小川マネージャーと打ち上げを行い、その後、伊藤君子&小曽根真ビッグバンドを東京ブルーノートに聴きにいき、その 彼らのライヴ後の打ち上げに どさくさに参加させてもらい、会場中に振舞われたドンペリに酔っぱらい、そんな僕に見かねた(やはり、聴きにきていた)安ヵ川大樹さんに、車で立川の実家まで車で送っていただき、関西ツアーで着用した下着類を 洗濯してないままパッキングをして、翌日早朝の 成田行き直行バスに いざ乗り込まんとしているドド君にとって、いつものような、嘘八百ならべたてたような、まるでオチをつけなくてはいけないような、強迫観念にかられた 文章でツアー記を更新する余力が、今現在残念ながら残っておりません。  NY に到着してからゆっくりアップする予定ですので、お願いします。

 ただし、今回、ありがたいことにお客様の視点から、百々徹トリオのライヴレポを公開しているサイトがありますので、気になる方、よろしければこちらをどうぞ。(気になってるのは僕だけかもしれませんが。)

(Jazz Page)
  http://www.jazzpage.net/
(Nazochu) 
http://www1.odn.ne.jp/nazochu/

4/6  <百々徹トリオ2005春ツアー記・名古屋大阪京都編>
 3月31日 名古屋 Jazz Inn Lovely
 バンドメンバー全員、小川マネージャーの運転するヴァンに乗せられて名古屋へ。 昨年演奏した時には、超満員であったが、この日、演奏開始時刻になっても出足が悪く、どど君ちょっと焦る。
 しかしながら、この日のお客さまの中で、特筆すべき方が数名いらした。

 まずは、名古屋在住の義理の両親。 昨年11月の披露宴以来の再会。 たくさんのご友人をこの日のライヴに招待してくださったこと、そしてたくさんのお土産。 感謝!

 次に、明治大学で在籍していた吉田ゼミのゼミ長で、現在日本経済新聞社の記者をされている S 君が来てくれた。 この3月に東京から名古屋支部の編集室に転属されたそうでこの日、聞きにきてくれたのだ。 着実に実力をつけている S 君にまさか名古屋で会えるとは思わず、嬉しかった。

 そして、なんとイッセー尾形さんがいらした。 次の日から3日間、名古屋で舞台があり、 Jazz Inn Lovely のオーナーとは顔馴染みで、よく顔を出すという。 ファーストセットの途中で現れ、セカンドの途中で退出された。 ということを、ライヴ終了後、ベースの安ヵ川さんに言われて、初めて知った。
まるで気付かなかった!
 イッセー尾形さんは、お笑いスター誕生 出演時代から注目していて、彼のビデオや本を持っているし、バークリー留学時に彼のボストン公演を見ている。 このボストン公演の時、あと100ドルほど出せば、公演後にイッセーさんと食事会にも参加できたのだが、当時捻出するのをためらい、そのことを後悔しているほどのファンである。 話すことはたくさんあったのに!
 安ヵ川さんは、休憩中、 Lovely のオーナーに紹介されて、ソロベースの CD を渡したという。 ドラムの吉岡君もイッセーさんがいたことを知らず、二人で悔しがった。 しかし僕の音楽をイッセーさんは聞いてくれた、という事実に心を落ち着かせた。

 4月1日 大阪 Mr.Kelly's
 リーダーで大阪でライヴをするのはこの日が初めて。 緊張していた。 自分の音楽(トーク)が大阪の方に通用するのだろうか?
 満席。 
 ファーストセット、シーンとする瞬間が多く、このままではヤバイのではという空気が会場を流れた。
 セカンドになって、ようやくほぐれて、笑いもとれて、最終的にはアンコールを2回もいただけた。
 戦った感があった。 大阪にまた戦いに行きたい。
 演奏後、バンドメンバーは、安ヵ川さんの熱烈なファンの方々に誘われて、会場近くの居酒屋でごちそうになる。 暖かいお客さまに支えられて音楽ができていると思う。 感謝!

 4月2日 京都ナーダム
 ナーダムのオーナーの奥様ヒデイさんは、年越しは、東京に出かけてピットインやアケタの店に出入りするという趣味を持たれている。 百々徹の音楽は大丈夫なのだろうかという気もするが、気に入ってくださっているようでありがたい。 2日前の Lovely にも聞きに来てくださっていたのだ!

 学研都市として栄える街の中にあるお店。 弦がよく響く天井の高い舞台。 趣味のいい食器に、自家栽培の食材による食事で、お客さまをもてなす。 耳の肥えたお客さまで満席。 緊張感あるなかで、このツアー最終日の演奏を行った。 またナーダムに来て下さい、というたくさんの声をいただき嬉しかった。

 演奏終了後、バンドメンバーへ打ち上げの食事と美酒がテーブルに並ぶ。 お疲れの乾杯。 ツアー終了。

 4月3日 移動 東京ブルーノート
 京都から小川マネージャーの運転で東京へ戻る。
バンドメンバーと解散後、小川マネージャーにウナギをごちそうになりながら、反省会 並びに今後の展開を練る。
 その後、安ヵ川さんに誘われて、伊藤君子&小曽根真ビッグバンドを東京ブルーノートで聞く。 この日がこのバンドのツアー最終日だという。 満席。 オールスターバンドによる強力な演奏が展開された。 バリトンサックスの宮本さんとドラムの高橋しんのすけ君のドラムバトルで笑いもとる、達者な演出。 小曽根さんのとてつもない エンターテイメント魂に圧倒された。
 控え室での打ち上げに参加させていただき、立席パーティースタイルが苦手などど君も、ドンペリの力でバンドメンバーの人たちに挨拶。 ピアノの塩谷さんや、海野君や、TOKU もいた。
 酔っぱらった僕を見かねた安ヵ川さんは、親切にも、ブルーノートから車で立川の実家に送ってくださった。 感謝!

 4月4日 移動 NYへ
 無事NYに到着。
 重ね重ね、今回、ライヴにいらしてくださった方々、心より感謝したします。
 時間とお金と足を使って会場に来られた一人一人の事を考えると、それに答える演奏家がなすべき仕事はとても大きいと思うのです。今回は、2週間弱の短いツアーではありましたが、非常に濃密な時間を過ごすことができました。 またお会いできる日を楽しみにしております。

4/6  <百々徹トリオ2005春ツアー記・東京編>
 3月28日 南青山Body & Soul
 雨。 予約の方で会場は満席だった。 明大ジャズ研の先輩がピアノに一番近い席に陣取られ、威勢のいいイェイを頭から連発してくださり、僕の緊張はほぐれ、まるでジャズ研の部室で演奏しているような気分になった。  Diane Witherspoon という、西海岸に住むシンガーがシットイン。 聞けば、シダーウォルトンととレコーディングしたことがあるらしく、彼の作曲の “ Bolivia ” を演奏した僕は少し恐縮した。 ベースのチンさん(鈴木良雄 さん)も聞きにきてくださった。

 3月29日 新宿 Pit Inn
 立ち見もでる満席となる。 ベースの井上陽介さん、ソプラノマスターこと丹羽剛さん、ピアノの加藤英介さんの他、若いミュージシャンの姿を多く見る。 マイクを持って、話をする時間が段々と長くなっている自分がいる。 大勢の観客の前で、ピアノだけ弾いているだけでは、足を運んで下さった方々に申し訳ない気がしてくるのだ。 皆が話に笑ってくれると(笑われているだけかもしれないが)ホッとするのだ。
 このライヴの模様は、 CD ラジオ放送『ミュージックバード』に収録され、番組の司会をされている渡辺明日香さん(トロントで共演した)からインタヴューも受けた。 放送は4月16日と23日らしい。

 3月30日 免許更新と民酒党
 日本の免許更新時期を1か月遅れたため、府中警察署で2時間にわたる講習を受けることに。 海外生活者は、生活している国の日本領事館で、免許の更新ができればいいのになぁと思う。 日本の道路交通法にのっとって左側通行したら、 NY じゃすぐ事故につながるのにねぇ。

 夜に、『 116 West 238st 』を販売している Muzak の福井社長に、アシスタントのツッチーさん、そしてライナーノートを書いてくださった久元さんと、乃木坂の居酒屋『民酒党』で、日本対バーレーン戦をテレビ観戦しながら飲む。 先週行われたイラク戦ですでに負けている日本代表、ワールドカップ出場の為には、この試合、絶対勝たなければならない。
『もし、今日負けたら明日のスポーツ新聞紙の見出しは “ ジーコ責任 ” ですね!』
我ながら、よくできたシャレだと思ったが、相手の自殺点で辛勝した日本。 まだこの見出しが紙面を飾ることはなさそうだ。
 それにしても、福井社長が熱心に、僕の次回作について話をすすめようとしてくださっていることが嬉しかった。
『 CD が1000枚ちょっと売れて次回作が出せるなんて、メジャーなレコード会社じゃありえないんだよ、百々君』
 という社長。 バナナビール、ワイン、カリー春雨のチャンポンの力で、 Muzak 万歳を叫ぶ、どど君がいた。

4/15  <NY に戻ると風邪>
 いつものように、風邪をひいてしまった。 日本から NY へ。 疲労と気のゆるみに時差ボケが加わり、どうも体調を崩しやすい。

 いつまでも床に伏せてはいられないプロジェクトを控えているドド君。 現在、 NY のミッドタウウンにあるジャパンソサエティホールで、 “ 日本のオタク文化 ” を NY ピープルに紹介する展示がおこなわれていて、その企画の一環で4月の29日と30日に、『子連れ狼』にヒントを得て作られた『 Deadly She-Wolf Assassin at Armageddon! 』というオリジナル劇が上演される。 生バンドがステージのピットに入って演奏するのだが、そのキーボードを担当することになっている。

 バンドは、尺八、琴、三味線といった日本の楽器に、ベース、ドラム、キーボードが加わった編成。 中国系アメリカ人の作曲家 Fred Ho という人の書き下ろしの曲を演奏する。 どういった劇になるのか、全く今の段階でわかっていないので、不安なところもあるが、こういう体験、今までにないことなので楽しみである。

 一昨日、 NY City Opera の『 La Fanciulla del West 』(プッチーニ)を見る機会があった。 アメリカのゴールドラッシュ時代のカルフォルニアが舞台で、そこの酒場の女性ママさんをめぐる、恋のお話なのだが、プッチーニって、『蝶々夫人』では日本を舞台にしたり、この日のようにアメリカが舞台だったり、色々な素材をみつけては、オペラを書いていたのかぁと、勉強になった。
 しかしながら、体調が悪かったか、劇の途中、何度も眠りこけてしまい、アリアが終わって拍手が聞こえると、あわてて起きて拍手をしてる自分が痛々しかった。 酒場のママさんが、恋人と濃厚キスをしているシーンだけは何故かしっかり見ている自分が生々しかった。

 昨日は、レコーディングを頼まれたフルートのジル・アレンさんのリハーサルで彼女の自宅のコネチカット州スタンフォードまで、早朝から車の運転。 春の日差しがまぶしい。 山道を快調に飛ばす。 車っていいな、と実感。 趣味の欄に『ドライヴ』と書くような男になれるかも。
 夜はヴォーカルのキャロリン・レオンハルトさんの伴奏で、『 Smoke 』初出演。 ハッピーアワーという、お酒が少し安く飲める6時半から8時半という早い時間での演奏ではあったが、楽しく仕事できた。(ここのピアノとてもいい。)

 休日の今日は、搭乗前に立ち寄った成田空港の本屋で衝動買いした、村上龍の新作『半島を出よ』を読破。 北朝鮮の反乱軍が福岡を占拠する話。 世界経済、政治、北朝鮮兵士の生活、拷問、武器、爆薬、害虫、戦闘等 多岐にわたる項目のディテールの描写がとても緻密。 日本という国の病理みたいなものが浮き彫りにされていて、面白かった。 風邪を早く治してしっかりしなきゃ、日本が駄目になっちゃうみたいな気持ちにさせられる本であった。

4/16  <春の珍事その1>
 おだやかな陽気が続く。 衣替えの季節になった。 近所のクリーニング屋さんに冬のコートを持って行こうと、数ブロック離れた場所に路上駐車してある愛車のもとへ歩く。 芽吹く木々の様子に、心はときめきを覚える。

 いざ、車にのりこもうとするが、後方に常備している、ドアミラーのよごれがよく落ちる『拭くピカ』の紙袋が、運転座席に置かれてある。 普段、助手席側の引き出しにしまっている懐中電灯が助手席の足下に転がっている。

(僕の車の室内灯は壊れているので、懐中電灯を常備しているのです。)
仁丹のような青い粒が大量に車内一面にばらまかれている。

 助手席の扉の鍵が開いていた。
『車上荒らし!』

 最後に車を使ったのは、2日前の夜。  SMOKE での仕事帰りに友人を送って帰ってきた。
その時に鍵を締め忘れたのだろうか。
(僕の車は、オートロックではありません。)

 車内を見回すが、必要なものは、すべて残されていた。 保険カード、予備で置いていた車の鍵にハンドルロックの鍵。 バッテリーケーブルもある。 もちろん『拭くピカ』すべてある。

 カーステレオもなければ、現金も置いてない。 物色された方には申し訳ないほど何もない車だ。 車の鍵もあったのに盗難する気もおきなかったのか。 あきれて仁丹でも撒いてやれ、みたいな感じだったのだろうか。

 (車庫証明というものがなく、路上駐車ができるアメリカは、こういう車上荒らしの被害は耐えない。 対策として、シンプルな車を持ち、車内に金目のものを残さないというのがある。)

 とりあえずクリーニング屋に行き最初の用事を済まし、大量にばらまかれた、仁丹のような粒々を取り除こうと、近所のコイン車清掃場に行く。 常設されている巨大掃除機で仁丹を吸い込む。
 座席の横の隙間は、サイドブレーキが邪魔になって、大きなホースを差し込む事ができない。 サイドブレーキを下げて見たら、仁丹を吸い取ることができた。

 しばらくムキになって車内の床に掃除機をかけていたら、下をずっと向いていたためか眼鏡が落ちた。 眼鏡をかけている人で、その眼鏡がズレて落とす事ってかなり格好悪い。 舞台の上なら笑いもとれるが、通常の暮らしでは、やってはいけないことのひとつだ。
 車を荒らされてカッとなっているのを、物は何もとられてなくてよかったんだと言い聞かせ、心を落ち着かせて仁丹を必死に取り除いているのに、眼鏡が落ちて、またカッとなった。
 左足は地面につけ、右足は車内につけ、左手で眼鏡を支え、右手で掃除機をかける百々徹。 これでも一応、最近、月曜日の Body & Soul 、火曜日の Pit Inn を満席にさせたピアニストなんだぞ!

 急に、地面に踏んばっていた左足がぐらついた。 倒れないようにケンケンしてバランスをとった。 コツン! 前で掃除をしていた車に接触!

 サイドブレーキを慌てて引き、謝りにいく。

 向こう4WD の大型車。 こちら車上荒らしされたてホヤホヤの小型車。

 向こう、子供連れの貫禄ある白人のお父さん。 こちら眼鏡ズルズルの巨大掃除機を片手に、分け解らない英語で “ Are you all right ? ” と話しかける謎の東洋人。

“ No Ploblem ” と笑顔で許してくれた。 ホッとする謎の東洋人。 眼鏡を直し、掃除再開。
4/16  <春の珍事その2>
 家に戻り、どど夫人に事件報告。 とりあえずの無事を喜ぶ。
『仁丹吸う時は、サイドブレーキをかけて。』
いい教訓になった。
仕事に出かける時間になり、支度をはじめる。

 普段、自分のライヴ演奏を MD プレーヤーで録音し、家に帰ってから聞き、反省するという作業をよくしているのだが、この日は、人の結婚式での演奏。 今日は録音しなくてもいいだろう。 ところがカバンに入れていたはずの MD プレーヤーを探すが、ない!

 最後に使ったのは、2日前。  SMOKE での仕事だ。
覚えているのは、

・  車で、友人を送って帰宅したこと。
・  駐車して、後ろの席に置いたカバンを前に持ってこようとした際に、中から MD プレーヤと録音マイクがカバンから転げ落ちた事。
・  カバンに鍵をかけてなかった自分に腹を立てた事。
・  車に常備してある懐中電灯を照らし、 MD プレーヤーと録音マイクを拾いあげた事。
・  懐中電灯を車の引き出しにしまった事。
・  今日の夕食は、餃子だ、うれしいなと思った事。

 録音マイクはカバンの中に入っていた。 しかし MD プレーヤーがない。 カバンをひっかきまわすほど探したが、ないものはない。

 ここであるひとつの疑惑が生じてきた。
2日前。 駐車して、後ろの席に置いたカバンを前に持ってこようとした際に、中から MD プレーヤと録音マイクがカバンから転げ落ち、車に常備してある懐中電灯を照らし、 MD プレーヤーと録音マイクを拾いあげた後、懐中電灯を車の引き出しにしまった後に、録音マイクはカバンに入れたが、ここで家に帰って食べる夕食の餃子の事で頭がいっぱいになり、 MD プレーヤーをカバンに入れるのを忘れてしまったのではないか。

 どうも MD プレーヤーを座席の上に置き忘れた可能性が高い。
(駐車して帰宅途中、カバンから落とした可能性よりも高い気がする。 録音マイクはカバンに入っていたんだし。)

 僕の車にカーステも現金もない、ということは外からでも一目瞭然だ。 なのに何故、車上荒らしをされたか。
 古い車の場合、鍵は簡単に開けられるという。
 車上荒らしする人にとって、車の鍵が締まっているか締まってないかは問題ではないらしい。 車内に金目の物があるかないかが問題らしい。

 僕は過去に、アパートに空き巣に入られ、 MD プレーヤーを盗まれた事があった。  Cleopatra's Needle で MD プレーヤーが入っていたカバンを盗まれた事があった。 そして今回の事件。
 車上荒らしで盗まれたのかしら。
NY に住みはじめてから3度目の MD プレーヤーの盗難被害なのかもしれない。

 これを機に、 MD のようにディスクを買う事もなく、一台あれば無限に録音できるという MP3 レコーダーを買おうかとも思うが、高価な上に小型で、紛失する事を思うと、迂闊には手が出せない。

4/27  <“Deadly She-Wolf Assassin At Armagedon!”リハ中>
 4月29日(金)・30日(土)の2日間、ジャパンソサエティホールで行われる、
“ Deadly She-Wolf Assassin At Armagedon ! ” というショーのリハーサルが始まった。

 フレッド・ホーという作曲家の音楽に、元カンフー世界チャンピオンの加瀬田剛の振り付け、 NYで数々の舞台を手掛けて来た河原その子演出によるパフォーマンス。

 2か月程前に、フレッドより電話が来た。 誰かの紹介で僕の事を知ったらしい。(その紹介してくださった方のお名前を僕は知らなかったのだが。) 舞台音楽の演奏というものも、日本の伝統楽器との共演というのも経験がない。(あ、でも数年前、三味線の上妻さんがクレパトに遊びにこられ、チックコリアの 『 スペイン 』 を一緒に演奏したことがあったっけ。) こういう機会は、めったにあるものじゃない。 参加を決めた。

 音楽隊を簡単に紹介。
マサチューセッツ州からドラムのロイヤルさん。 ベースにウェスさん。 アルトサックス、横笛、尺八にサンフランシスコ在住のマサル君。 琴は、在 NY 3年のユミさん。 キーボードに在 NY 7年のドド君。 そしてバリトンサックスと音楽指揮をするフレッド・ホーさん。

 リハーサルは、昼から夜まで8時間。 それを3日。 音楽隊だけのリハ。 そして舞台のパフォーマンスと音楽を合わせるリハ。

 音楽は、日本の古典音楽と即興音楽が合体したような感じ。 僕もアドリヴソロをとる箇所もある。

 日本人でありながら日本の楽器を知らない、日本の古来の音楽に疎いドド君、興味津々で、休憩中は、琴 & 尺八の質問攻め。

 ユミさんの琴は、桐の木で作られてて、お値段160万円。 譜面は通常のピアノ譜で書かれてあるが、それぞれの音符の下には、彼女の手書きで、壱、弐、三、と漢字で番号がふられてあった。 大正琴は琴ではないという事も教えてくれた。

 マサル君によれば、尺八は、奏法に色々な流派があるらしく、彼はなんとか流をほとんど独学でマスターしたらしい。 少し、吹かせてもらったが、全く音がでない。 音がきちんとでるのにとても時間がかかるらしい。 首が一人前にふれるようになるのにさらに数年かかるとか。 お値段15万円。 サックスも吹ける尺八奏者は貴重だ。

 舞台で演じられる方々の生態も興味深い。 中国系、黒人、日本人合わせて8人のキャストがいるが、休憩中は皆、開脚座り。 ナレーションをする方は、 『 アーウーエー 』 といつも唸っている。 スクワットしながら、うさぎのように舞台上を飛び回っている方もいる。

 ところで唯一、残念なことがある。 音楽隊は舞台下のスペースで演奏するのだが、僕は舞台に背を向けて演奏するポジションにいるため、演奏が始まると、舞台で何が行われているのかが、まるで見れないのだ。 譜面にキューが多いので、ひたすら、フレッドさんの指揮を見ていなければいけない。

 演奏中、隙を見て、舞台の方を見ると、チャンバラしてたり、ヌンチャクを振り回していたり、空中を飛んでいたりする人がいた。
 舞台上からの風で僕の後ろ髪を揺らされる箇所があり、舞台で何が起きているのか見たくてしょうがないところだが、フレッドさんから、
『 トール。 舞台を見てはいけない。 俺の指揮だけ見てくれ。 』
と注意される。

 中国系アメリカ人であるフレッドさんに逆らって舞台を見てしまうと、対日感情を損ねてしてしまう可能性もある。 手鏡を用意してキーボードの譜面台に置いて舞台の様子を覗き見ようかとも思うが、使い方を誤ると、裁判所から手鏡没収の刑になる。 ここはドド君、難しいところだ。

 是非皆様には、この週末ジャパンソサエティホールにお集まりいただき、舞台で何が起きているのか、僕に教えてくださると光栄です。

Friday & Saturday
April 29-30 8pm start
tichets $25/ $20 ( for JapanSociety member )
212-752-3015
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5/3  <この4日の出来事>
 4月29日(金)30日(土)。 “Deadly She-Wolf Assassin At Armagedon!”終了! 2日ともに、ジャパンソサエティホール、満員御礼。観客の歓声を聞くかぎり、いいものができていたのではないだろうか。
 演奏した場所からは、舞台上の動きがまるで見れず、いまいち、何がどうだったのか相変わらず謎のままであるが、考えてみれば、オペラにしてもミュージカルにしても、大概、楽団員の方は、舞台を背にして演奏してるのだし、まぁいいか。
 2日目終了後、出演者とスタッフの打ち上げが行われ、日系の居酒屋へ。舞台監督や演出家や役者の人と、出会うというのも貴重な経験。 主役をやられた、ヨシ・アマオさんは、アメリカのテレビ番組に主演されている方。僕がよく見ているNBCの
『Late Night with Conan O'Brien 』にゲスト出演していたのを、覚えている。
 まだ江戸時代は終わっていないのかと思わせる程に、和服と日本刀が似合う方で、カラオケで『銀座の恋の物語』をムードたっぷりにヒロイン役の方とデュエットされて、場を和ませてくれた。
 百々徹のミーハー心をだいぶ刺激されていたのだが、サインください、とまで言えずに帰宅してしまった。また会いたい。

 5月1日(日)
 昼、ウェストヴィレッジのレストランで、ギターの井上智さんとデュオで演奏。そうそう、7月に、井上さんのバンドで日本にまいります。スケジュールは、そのうちアップいたします。

 夜、キタノホテルで、ドドトオルトリオの演奏。パーカションにDaniel Moreno とベースにJoseph Lepore。SOMIバンドで知り合ったダニエルに、自分の曲を演奏してもらったらどんな風になるのか、一度試してみたかった。 ダニエルのアパートには、世界中の打楽器が所狭しと並べられていて、ちょっとした珍しい楽器博物館の様。そこから、この日、適当にみつくろってキタノホテルまで持ち込んでいただき、演奏した。 彼は、譜面は読めない。耳と想像力で演奏する。百々徹の緻密な楽曲のキメは決して彼は合わせる事はできないが、曲の雰囲気がわかれば、シャカシャカゴンゴンブォーンブォーンとやってくれる。ダニエル・モレノミュージアム、オープンしました、いらっしゃいませ、という感じで楽しかった。

 5月2日(月)
 フルートのJill Allenさんのレコーディングに参加。コネチカット州にある、Carriage House Studioにて。 ベースに David LiebmanバンドのTony Marino。ドラムにAdam Nassbaum。

 百々徹、バークリー留学前、ピアノのJoey Calderazzoをよく耳コピしてた時代がありまして、彼の参加してるアルバムには、よくアダム・ナスバムの名前がクレジットされていた。

 この日のレコーディングセッションで彼が叩くとは聞いていなかったので、スタジオで
『アダム・ナスバムです。よろしく。』
と挨拶された時には、百々徹のミーハー心を激しく、くすぐられてしまった。 いいおっちゃんだった。楽しく演奏できた。
 
 正午から夜10時までに予定されていた8曲をすべて収録。意識したわけではないが、アダムが叩くので、なんとなく自分の中のカルデラッツォが顔をのぞかせたような演奏をしてしまったかもしれない。
 でもちょっと嬉しかったの。わかってくださる、この気持ち。

5/4  <火曜から日曜へ>
 5月8日(日)より Cleopatra's Needle の百々徹ホストによる ジャムセッションは、毎週日曜の夜8時から1時までになります。

 昨日3日が、曜日移動最後の火曜日のクレパトセッションホスト仕事だったのだが、嫌な予感があった。

 日曜にジャムセッションホストをやっていたアルトサックスのジュリアスから、5月から曜日をスイッチしてくれないかと先月中頃から言われていた。

(もともと、僕は日曜のセッションホストを長く行ってました。 昨年9月に、火曜日担当だったジュリアスのスケジュールの都合で曜日変更しました。 今回は、また、もとに戻そうという話でした。)

 1日(日)は僕がすでに仕事が入っていたので、2週目から曜日変更、ということで話をした。

 1日(日)、僕はキタノホテルで自分のバンドのライヴがあった。 演奏開始直前の7時58分頃、クレオパトラから僕の携帯に着信が入った。

 もしかして、今、ジュリアスが来てなくて、どうなっているんだ?
という電話じゃないかしら、という思いにとらわれてしまった。
ひょっとして、クレパトにホストバンドが誰もいない状況なのかしら?
という不安にかられてしまった。

 キタノの演奏開始が迫る。 電話はとれなかった。 携帯の電源さえ切ってしまった。

 やべー!
 ちゃんとジュリアスに確認の電話を入れておくべきだった。
 オーナーの怒りを買ったな〜。 クレパトも終わりかな〜。
 弁解する際の英単語、調べておかないとな〜。
 第1セット、こんなことを考えながら落ち着きなく演奏してしまった。

 セット終了後、留守電をチェック。 電話をくれ、という文字メッセージが入っていた。 しかし、クレパトからの着信はこの一件だけだった。 もし、バンドがクレパトに誰も来ていなかったら、何度も電話がかかってくるはずだと思い、大丈夫だったのかなと思い込み、コールバックをしないで第2セットを始めた。

 翌日はコネチカット州でレコーディングで早朝から夜遅くまで忙しく、クレパトに電話しようにもタイミングと勇気が見つからなかった。

 そして3日(火)。 開き直って何気ない風を装って会場に入ると、店の看板の『 Today : Jam Session with Julius Tolentino 』の文字が目に飛び込んできた。

 ウェイターが、
『あれ、今日、トールなの? ジュリアスかと思ってたよ。』

 バーテンもよく状況がわかっていない。
『オーナーが今月から曜日変更って言ってたけど。』

『いや、来週から変更、ということにジュリアスと話してるから。』
と返すが落ち着かない。
 
 僕がお願いしていたベースとドラムは会場入りをすました。 しかし、いつジュリアスのバンドが現れるのではないかという思いでいっぱいだった。

 演奏開始の8時になった。
 
 ジュリアスバンドは現れなかった。
 
 最後の火曜日の百々徹ホストセッションはこうして始まった。