00-10 (Japanese Only)

2006年 その1

1/11  <今年のお正月と初仕事>

 パラダイス・アイランド。

 NY から飛行機で 3 時間。
723の島と2500近い岩礁からなるバハマ諸島の玄関口、ナッソー空港に降り立ち、タクシーに30分ほど乗れば、パラダイス・アイランドが僕達を迎える。

 島は一番広い所でも幅 1 km ほどしかなく、東側はゴルフ場、北側は白砂のビーチが続く。
( 参考:ダイヤモンド社 地球の歩き方 『カリブ海の島々』 '04−'05 )

 日本一のラーメン、NY で一番おいしいピザ屋、という看板のお店に胡散臭さを感じてしまう成熟したドド君であるが、『 パラダイス 』と名付けられたこの島をいざ目前にして、僕は『 楽園 』がこの世に存在することを知った。

 というわけで、ドド君、1月の2日から8日まで遊びに行ってました。(遅ればせながらの新婚旅行だったわけです。)
 昼は、マリンブルーの眩しい海で平泳ぎ、水上バイクにあけくれ、夜は近所にあるカジノでなんとか旅行代を稼ごうと一日$20 の軍資金でスロットマシンを回した。(5夜の戦績$20 のマイナス。)

 気候は穏やか、食事は極上、ホテルのサービス満点。

 この短期間でニジェールの過酷さとバハマの極楽体験を味わってしまったドド君。 『 世界は広い。 世界は不公平だ。 』 感を再確認して NY に戻ってきました。 もちろん 『 世界平和は夫婦愛から 』 も確認してきました。

 翌日、ギターの井上智さんの仕事で、ギターを始める人のためのマイナスワンの教材の音源 CD 作りに参加。 スタジオは増尾さんのスタジオ。
 メンバーが、ベースに Peter Washington、ドラムに Kenny Washington、アルトサックスに David Glasser、ピアノに百々徹、そしてギター井上智。
井上さんのアレンジによるスタンダード曲5曲収録。

 一週間ほどピアノに触っていなかったし、気持ちはどこかカリブの蒼い海に置きっぱなしの中、いきなり凄腕ミュージシャンに囲まれて始め不安でしたが、案外、割と弾けるものだと自分で驚いてしまいました。

 練習を一日休むと自分で(腕が落ちたのが)わかる、2日休むと他人にわかる、等と脅されて育ってきましたが、7日ほど休んでもさほど腕は変らないのではないか?
(1日練習しても腕はさほどあがらない、というのもありますが。)

 今までの練習メソッドに革新をもたらすのではないかと噂されるこの教材はリットーミュージックより今春発売予定とのこと。
(練習は7日休んでも大丈夫という項目は省かれるかも。)

 今年もよろしくおつきあいくださいませ。

1/20  <作曲家、演奏家百々徹の CD ミックス>
 1)1月14日(土)の NY のヒルトンホテルで行われた IAJE ( 国際ジャズ教育協会 )の会合で、バークリー音楽院の学生ビッグバンドが、僕が在学中に書いた2曲、『 Melancholy Cats 』『 Inorganic Swing 』を演奏。 宿題で書いた曲が卒業して8年が経とうとしているが、いまだに彼等のレパートリーになっている事実に心打たれる。

 僕も在学中にピアノ担当していたビッグバンドだが、この日聞いた現役のバンドの演奏能力の高さには驚かされた。 『 Inorganic Swing 』のあるサックスのパートで、とても弾きづらい箇所があり、当時サックス隊から『こんなの弾けないよ。 書き直してよ。』等とブーブー言われたものだが、この日の現役学生バンドはなんなく吹きこなせていたように思う。 素晴らしい。

 2)ついに百々徹の新作のミキシング終了。 いよいよ締め切りが迫り、16日の夜10時から翌朝8時まで。 17日の夜11時30分から翌朝3時まで。 完成かと思ったら、最終チェックが入り、19日の朝10時30分から一時間、増尾 & エージ & どどトリオ の壮絶な作業が繰り広げられた。

 増尾さんとエージさんの献身的な仕事のされ方には感謝の言葉がありません。 朝の6時過ぎに、『この曲のドラムのスネアは大きすぎる!』 とボードをいじくるお二人の後ろ姿が、ソファにもたれて、うとうととしていた僕には、どこか手術中の ER のお医者さんに見てくる瞬間があった。

 徹夜するとテンションがあがる。 物事がドラマチックに思えてくる。 人間の欲を断つと壮絶感が漂い出すのが面白い。 スタジオで差し入れのポテトチップスを、とりつかれたように食べていた僕だが、睡眠欲を断つと、補おうとして食欲が増すのだろうか? 単純にポテトチップスはやめられない、ということなのだろうか?

 今回の作品、聞き返してみると、我ながらテンション高く、ドラマチックだと思っているが、徹夜ミックスのせいだろうか?

2月22日、日本発売予定です。
3月11日から2週間弱、発売記念日本ツアーの予定です。

1/23  <あんなことがありましたがこんなことになりました>
1)2月22日発売の百々徹の新譜情報と3月の日本ツアー情報が、発売元の Muzak の Website にアップされました。 タイトルが
『 DODO 3 』になった模様。
http://www.muzak.co.jp/

「どどさんのどどさん聞いた?」
「どどさんのどどさん?」
「どどさんはどどさんの2年ぶりの新譜よ。 どどさんの3枚目のピアノトリオアルバムなのよ。」
「私もどどさん聞いてみようかな。 ライヴもやるんだ。」
「どどさんのライヴに行ったら、もしかしたら、どどさんにどどさんの直筆サインがもらえるかもね。」
「どどさんの Website もあるの?」
「日記を書いているコーナーがあるんだけど、そこで、 CD 発売が近付いているからって、どどさん、どどさんの宣伝にどどさんどどさんって書きまくっているわよ。」

2)1月22日。  116 West 238St. から車で20分の NY 郊外の街、New Rochelle の Poet's Corner というギャラリーで、どどさんのコンサートがあった。
[ Toru Dodo (pf)・Joseph Lepore (b)・Yujiro Nakamura (ds) ]

 このコンサートは、11月に裁判沙汰になるのではと被害妄想に陥りすったもんだした挙げ句にキャンセルして日をあらためて行ったコンサートである。
( What's New 2005/11/22 & 25 の項参照 )

 50人くらいのお客さまの前で、僕のトリオの音楽と、このコンサートの企画者でありシンガーの David Patterson による歌のライヴ。 結論からいうと、あの時のゴタゴタが嘘のように、素晴らしいコンサートになった。

 どどさんの中からのレパートリを中心に演奏したが、最後はスタンディングオベイションまでいただいた。 客層は年配の方が多かったのだが、どどさん、受けた。 と思う。
 持ち込んでいたどどさんの2枚目のピアノアルバム『 116 West 238 St. 』10枚がすべて売れた。
どどさんの未来に一筋の光を見た思いである。

2/2  <今年の抱負>
 以前から、うすうす感じていたことだったが、僕には時間があるのだ。

 普段の一日の生活を振り返ってみると、演奏の仕事というのはせいぜい3、4時間
(クレオパトラは5時間だが)だ。
行き帰りの往復を入れたら5、6時間の話し。
(クレオパトラの場合はさらに打ち上げに1時間が加わるが。)

 睡眠は大体7、8時間、料理と食事に4時間を費やすとして
(一日24時間)−(仕事6+睡眠8+食事4)=6時間。

 この6時間を有効に使わない手はないのではないか、と思う。 6時間あったら色々できるはずだ。 小学生にも6時間目の授業とかあったはずだ。 今まで、僕はこの6時間を、何に使ってきたのだろうか。

 今年決意した事だが、無駄に時間を使ってしまう元凶である テレビとインターネットと昼寝の時間を絞ろうと思った。 その代わりに、フランス語、シンセサイザー、株投資の勉強に 時間をあててみようと思った。 この3つを選んだ理由は、33年の人生で培った経験上、エスキモー語、カスタネット、透視の勉強をするよりは、実益があるかもしれないと想像できたからだ。

  ピアノ練習、作曲に2時間。
  シンセの勉強に1時間。
  フランス語に1時間。
  株関連や経済紙を読むのに1時間。
  腕立て伏せ50回しても、まだ59分が余る。
  この調子ではスペイン語も学習できそうな勢いだ。

  これはすごいことではないだろうか。
  今週にいたっては、仕事もないのだ。
  さらに6時間が僕のものだ。
  このHPに2時間もかけて更新文を書いてないで、
  アルバイトして家計を助けられるのではないだろうか?

 可能性は無限だ!

2/8  <どどさん今日34歳になったのだ。>
 2月5日(日)。 僕が司会進行をさせてもらっているクレオパトラズニードルのジャムセッションに、小曽根真さんがいらっしゃった。
( http://www.makotoozone.com/jp/)
 まさか小曽根さんがお見えになる、ということも信じられなかったし、小曽根さんが一曲シットインした、ということも信じられなかった。
 自分の司会で、はじめは嫌がっていた小曽根さんを、舞台に引っぱり出す事ができた、という事を忘れずに、明日から前向きに生きていこうと思った。

 2月7日(火)。 Pete Zimmer の2枚目の CD 録音に参加。 今回は、Jazz Standard でのライヴ録音だった。
Pete Zimmer (ds)・Joel Frahm (ts)・Mike Rodriguez (tp)・David Wong (b)・Toru Dodo (pf)の布陣。

 現在、いくらでも修正や編集可能な Pro Tools 等の登場で、間違えてもいいさ、という気楽な気分でレコーディングできる環境がスタジオ録音にはある。 修正不可能のライヴ録音は、その分、演奏者に緊張を強いる。

 しかし、演奏者はライヴが命である。 人前で最高の演奏ができるように、日夜努力している生き物である。 かえってライブ録音の方が、スタジオ録音よりもいいものができる可能性は高い。

 ライブ録音というのは、どちらかというと、お客さまのほうに過剰なプレッシャーをかけてしまうものかもしれない。

 花粉症の人や、昼飯にサツマイモを食べ過ぎた人。 携帯電話をマナーモードにするやり方を忘れてしまった人、数時間前に懸垂をやりすぎて手に力がはいらなくなっているのに、喉が乾いてしまってグラスに手をのばそうとしている人 等の気持ちを想像すると申し訳ないような気持ちになる。

 しかしながら、ライヴは無事終了。 ものすごい集中力が会場の空気を支配していたと思う。 2セットで計12曲程演奏。 出来上がりが楽しみだ。

2/16  <再会、大雪、弦と仏語と即興演奏>
 11日(土)。
 その昔、まだこのホムペ(今どきの言葉を使いたがるどどさんであった。)もスタートしていなかった2000年3月。
 スイスの Engelberg という街のスキーリゾートのホテルのラウンジで。 スイス在住のアルトサックス奏者、ロジャー・ルエガーとデュオの演奏の仕事を、ほぼ一か月したことがあった。 その彼が NY に遊びにきた。 彼とは時々メールのやりとりはあったものの、実際再会したのは実に6年ぶり。

 ブロンクスのリトルイタリーで会食。 昔話から現在の近況を、ワイン片手に語りあった。
 彼の生まれ故郷である Engelberg という街は、スキー場経営で街のすべての経済が成り立っているような、小さな街だった。
 街中の人は皆顔見知り、犯罪はほとんど無し、食事は最高、広大な山、蒼い空、澄みきった空気。 昼間は天候が許す限りスキーし放題。
 滞在が後半になるにつれ、スキーの腕があがると共に、ピアノの腕が下がるという、あるまじき現象が起きたことを除いて、僕のなかではバハマを知るまではこの街が、天国ランキング一位であった。

 彼の話しで初めて知ったのだが、昨年の夏に、大雨で川が決壊して、街の大半が水没したという。 高地にあるのに洪水になるという、考えられない事態が起きて、一時はこの街は、ゴーストタウンになるのではと言われたらしい。
 現在は、街は概ね復興したらしいが、ニューオリンズの事や、新潟の事も頭をよぎり、自然の力の恐ろしさを思い起こされた。

 現在チューリッヒでコンサートの企画会社に勤める彼と再会を誓って別れたが、この日の夜、 NY に初雪にして記録的な大雪が降った。 彼のスイス土産だったのかもしれない。

 12日(日)。
 NY 史上、最高積雪量を記録した日でも、クレパトのジャムセッションは行われた。 大雪でも、伝えなければいけない、発しなければいけないメッセージが、ジャズミュージシャンにはあるのだ。 こんな日でも岡崎好朗さんはシットインに来てくれたのだ!

 13日(月)。
 SOMI の Blue Note ライヴ。 この日は僕は観客席から鑑賞。 今回、3人のストリングセクションを入れた編成で、ピアノは無しであった。 弦のアレンジはどどさんによるもので、実際に生で演奏を聞くのは初めてであったので、どうも耳はストリングスの響きに奪われてしまった。 常日頃、自分には優しく接しているどどさんは、ストリングスアレンジの初心者としては、まぁまぁいい出来ではなかったろうか、思った。

 会場で僕の相席になった人は、3人のフランス人グループで、勉強3週間目に入ったどどさんに、フランス語を試す絶好の機会が訪れた。 しかし、お互い慣れない英語で会話をした方が通じやすいことに気付くのにさほど時間はかからなかった。
 パリから観光で来たというこのグループの一人がミュージシャンであった。 彼が言うには、
『 NY に引っ越したいと思っている。 僕は、結婚式で歌うシンガーなんだけど、 NY の結婚式バンド事情はどうなの?
やっぱり競争は激しいの?
えっ?  君もピアノを弾くの?
今までどんな結婚式で演奏した?
ジャズしかやらないの?
シャンソンとかやるかい?
NY のミュージシャンを紹介してくれないかい。』
 とりあえず自分の名刺を渡してしまったどどさんだが、色々な人がいるものだ、と思う。

 帰りのタクシーの運転手が流していた CD の歌がどうもフランス語のように聞こえ、尋ねてみたらどこの国の出身かよく聞き取れなかったが、フランス語が公用語のアフリカの国出身の人だった。
 フランス語は難かしい、と言ったら、英語の方が難かしいと言う。 確かに、英語に苦労しているように、しどろもどろに話してくれた運転手の情報では、 NY のある FM 局から、毎晩決まった時間にフランス語放送が流れている、それを聞いて勉強したらいいとアドヴァイスをくれた。  NY はいまさらながら人種のるつぼなのだ。

 15日(水)。
 Kitano Hotel でのどどさんのトリオライヴ。 パーカッションの Daniel Moreno とのトリオの演奏はこれで4回目となる。
 セットの始めに、全くの無から即興演奏をするのだが、これが実にきつい。 どういうわけか、汗だくの息たえだえの眼鏡ズルズルの状態になってしまう。
 テーマがあった方が楽だ。 最初のテーマと後テーマだけ譜面通りに弾くだけで、随分と発汗量が違ってくるものだ。
 ただ、自分の即興能力の限界を試すという意味でものすごく興味があるし、このフォーマットで今後、何か面白いことができないかとも考えるが、今は一週間後に控えた、どどさんの新譜の発売、3月の帰国ツアーの事に集中したいと思う。
 次回のこのページの更新文は、『どどさん』という文字が取り憑かれたかのように羅列されるのではないかと予想される。

2/20  <『DODO 3』 発売!>
 百々徹の2年ぶりとなるサード・アルバム
『DODO 3』。
2月22日(水)に、
世界発売の目処はたっていないが、
日本先行発売!

 千円札2枚と500円玉1枚と十円玉2枚を CD ストアの店員に渡してしまえば、もう『DODO 3』はあなたのもの。 これは、さほど難かしい事ではないように思える。

[click]

 最近では、ネットでも購入できる。 しかるべきサイトに行って、しかるべくクリックすれば18歳未満の方でも『DODO 3』が自宅に配達される。 もっとも18歳未満立ち入り禁止と言う文字が表示されているサイトをクリックしている人は、『DODO 3』の購入とは関係ないサイトを除いてる可能性が高いので注意が必要だ、

 一枚目の『 DODO 』が発売された時も、両親が40枚購入し、当時トータルで1000枚が売れたと、いうことで、『960人の百々徹を助ける会』が結成された経緯がある。

 今回も早速どどさんの母親から、メール。

「とおる。 親戚からご近所さん、お世話になっている方々へ送りたいから、『DODO 3』を50枚、注文してくれるかい?」

 これでは、『百々徹を助ける会』の会員が950人になってしまう。 いっそのこと、息子可愛さのあまり、家を抵当に入れて、1万枚くらい買ってもらえないものだろうか。 発売元の MUZAK もきっと喜ぶ。
 仮に家を失うことになっても、僕には『百々徹を助ける会』の会員が950人もいる。 リスクは少ないと思うのだが、どうだろう。

 映画やテレビにある種のメッセージを含んだコマをそれと分からないようにしのびこませることで、人間の無意識に働きかけて効果を現すという、サブリミナル効果を狙って、ここ最近の [ What's New ] の作文中に( どどさん )という文字を、そこら中に織りまぜてみる努力をしてみたが、このサイトに訪れた方が読後に、『DODO 3』を買ってみたくなったか興味深い。
 どどさん自身で実験してみたところ、何故か、読後、ポップコーンとコーラが飲みたくなった。 意味がわからない。

 しかし発売を目前に控え、サブリミナル効果だけではいけない気がしてきた。 選挙に立候補した人のように、あるいは八百屋さんが野菜を売る時のように、自分も作品名を連呼したい。
「『DODO 3』をよろしくお願いいたします!」
「どどさんのどどさん! どどさんのどどさん!」
「どどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさんどどさん

…<でしゃばり“EDITOR”>によるお詫び。

 この後にオリジナル原稿では、全部で203行ほど
「どどさん」の文字が並ぶのですが、
( 203というのは、おそらく、
DODO 3 = 百々さん=百+百+3 = 203 という
どどさんらしい、とても貧しい発想なのでしょうが )
私の一存で、ここで今回の百々徹さんの近況作文を省略することにいたしました。
皆様のご理解をいただければ幸いです。

2/27  <荒川選手おめでとう!>
 1)2月23日、24日にギターの井上智さんの新作 CD のレコーディングに参加した。 メンバーは、昨年7月に日本ツアーした同じメンバー。 凄腕、植田典子(ベース)、 NY 初上陸の横山和明(ドラム)の布陣だ。
 井上さんのオリジナル中心のアルバムで、6月に What's New レーベルから発売予定。 お楽しみに!

 2)演技前に、『スルツカヤ転べ〜!』と念じ、本当にこけた瞬間、『荒川、金だ!!!』とソファから立ち上がってガッツポーズして涙流して喜んでしまった。 人の失敗を手を叩いて喜び、大人げなくはしゃいでしまったどどさん。 少し、恥かしい。 性格も相当悪いかもしれない。

 人を応援するのは時に、競合者の不幸を歓迎してしまう醜さを呈する可能性が高い。 害がないように、粛々と、これからも自分で『DODO 3』を応援したい。

 批評から、どどさんメールに寄せられた感想から一部勝手に公開。

 『繊細なタッチと変化にとんだ曲想で独自の世界を響かせる3作目』

 『マイナー・ポエットの素晴らしい存在感とでも言いたい。』(以上、Jazzlife / 3月号より)

−−−−マイナー・ポエットって何だ?

 『奇を衒わずとも、まだまだジャズは新しくて面白いと思える作品』

『彼の自己確立度、音楽の成熟度には常人の域を遥かに超えたものがある。』(以上、Swing Journal / 3月号より)

−−−−こんなこと言われたら恥かしくて、近所のスーパーにお買い物に行けなくなるじゃないですか。

 『1作目は音を叩き出しているカンジ、2作目は音を引き出しているカンジ、そして今回は、音を遊ばせているカンジ、 音と遊んでいるカンジです。』
(百々徹を助ける会、静岡支部代表)

 『兄貴、相変わらず作曲すごいっすね。  BRONX のサウンドっすよ。 どどってパソコンで変換でないんですけど、さすが苗字までオリジナリティー強いっすね。』
(江古田在住ピアニスト, 熊谷泰昌)

−−−−−まず、ひゃく、をタイプして変換。 それから、ひとびと、あるいは、やまやま、とタイプして変換させて、人(あるいは山を)を消去してください。

 『家を抵当に入れて、CD 1万枚を買ってもいいけど、保証人を、とおるの名前にするよ? 覚悟はあるの?』 (立川在住、とおるの母)

3/3  <どどさん『DODO 3』ゲット!>
 ついに、MUZAK の福井社長から『DODO 3』の現物が Bronx のどどさんの手元に届きました。

 おっ! 前作に続いて
絵のような素敵な男性が腕組みしている。
これがどどさんの立ち姿か! 

 3度目の衝撃!
その驚異的なテクニックとセンスで人気急上昇中のニューヨーク在住のピアニスト、百々徹。 ニュー・トリオによる、さらに進化したサード・アルバム。

 おっと知らぬ間に、帯の宣伝文句をそのまま写経のようにコピペしてしまった。 何度もコピペすればするだけご利益がある気がしてきたのはどどさんだけだろうか?

 裏面は、と。
おっ! 7曲目の綴りが、
Arabesque が Arabesuque になってる。
あら〜〜〜ベスクがぁぁぁぁ。

 気をとりなおして、中を開けてみると、
 おっ!真っ白星人が出っぱった顎を隠してこっち見てる。
 ジョセフとロドニーの写真は、どどさんがレコーディング日にデジカメでとった写真ぽいぞ。

 おっ!今回のライナーノートはどどさん自身による楽曲解説だ。
よく読むとこれは、ライヴ時の MC で使うネタ帳として使えそうだ。

<緊急告知!!!>
3月12日(日)午後3時より、HMV 新宿サウス店でインストアライヴを行うことになりました。 フリーのミニライヴです。 無料だからといって、曲の冒頭の1分だけしか演奏しないのじゃないだろうか、洋服は着用したままなのではないだろうか、クレジットカードの番号を尋ねられるのではないかと、色々、危惧する方もいるかと思いますが、ご心配な方は、この日の夜は近くの PIT INN というライヴハウスでも演奏いたしますので、どうぞご安心を! 

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百々徹トリオ インストアライヴ
3月12日(日)午後3時より。
HMV 新宿 SOUTH(タカシマヤ タイムズスクエア 12F)
http://www.hmv.co.jp/news/newsDetail.asp?newsnum=301180028
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3/12  <どどさん日本ツアーその1>

3/7
帰国。

3/8 打ち合わせ。ラジオ日経のインタビュー。
そこのスタジオで
「マイルスのトランペットは泣いている。 お前のは笑っている」
と言って 早稲田のジャズ研時代に タモリにトランペットを辞めさせたという方にお会いした。
その後、Muzak のスタッフ等とカラオケ。

3/9 六本木 Alfie にて TOKU スペシァルセッション。
大坂さん、ハチさんとのリズム隊。
この日 ジョンラムキン 日本初上陸。

3/10 白いご飯と味噌汁を初めて飲んだ ラムキン。
今どき、まるで日本のことを知らないアメリカ人も 珍しい。
ウーロン茶に砂糖を入れて呑むのは理解できない。

3/11 どどさんトリオ青山 BODY & SOUL 。
CS放送ミュージックバードのオープンセサミがライヴを録音。 4月に放送予定。
ミュージックバードの4月号の放送予定表の表紙は、どどさんになるらしい。

3/12 HMV新宿サウス店でインストアライヴ。
ここで働く、明大ジャズ研の後輩が企画してくれたこのライヴ。
PAの調子が悪くすったもんだしたが、スタッフの必死の処置でライヴ敢行。 アンダーグランドで演奏するのが似合うどどさんを、地上12階までひきあげてくれたことに感謝。
その後、どどさんの批評をしてくださった青木和富さんによるラジオ番組のインタヴュー。 青木さんがジャズライフの批評で使っていた、マイナーポエットの意味が聞けて満足。
新宿ピットイン。 当時ボストンにいて、ラムキンを知る面子が集結の図。
お茶の水女子大の哲学科の教授、ピアノも弾く土屋賢二さんも来訪。
迷わずサインと写真をお願いする。 どどさん、告白しちゃうが、この方の文章に大きな影響を受けているのであった。

3/18  <どどさん日本ツアーその2>

http://www.ucatv.ne.jp/catv/

3/13 黒磯グランボワ。 冷え込み激しい栃木県。男性客が9割を占めた。 客層の男女比率で、演奏家のアドレナリンの量や、ホルモンバランスにどのような影響を及ぼすのか興味深いが、 18日現在で、振り返ると、この日のアンコールが一番盛り上がった気がする。

3/14 宇都宮 Beat Club.  地元ケーブルテレビのインタビューが入る。
ナベサダを生んだ街としてジャズ振興に努めている宇都宮に、百々徹も一役買えてうれしい。 来週一週間 UCATV で “ 百々トリオ ” の演奏とインタビューが一日4回ほど流れるとのこと

3/15 新潟ジョイアミア。 素敵なイタリアンレストラン。 普段の 室内芸的なトークでは、対応できない数のお客さんを前に、いつものネタが上滑りしてしまい、あせる自分がいた。 ライヴは戦いだ。

3/16 移動。 8時間かけて ワゴン車に揺られて 大阪入り。 小曽根真ビッグバンドを大阪ブルーノートに聞きに行く。 安ヵ川さんと僕が、アンコールでシットイン。
小曽根さんと連弾体験までできて、ちょっと感激。 小曽根さんの懐の大きさ、音楽への情熱、バンドの熱気、圧倒された。

3/17 大阪ミスターケリーズ。 昨年の 初大阪ライヴより リラックスしてできた。
会場に、たのきんトリオのよっちゃんがいた、という目撃情報を演奏後聞き、昨年の イッセー尾形ニアミス事件に続く ニアミスを体験した。

3/26  <どどさん日本ツアーその3>


3/18 昼前、泊まっていた大阪のホテルのロビーで、ギターの小沼ようすけ君にばったり会う。 可愛い人だ。

京都ナーダム。 美しい演奏会場。美しい観客。京都好きのどどさんにはたまらない空間であった。
(会場自体は奈良県に近い位置にあるのだが。)

3/19 名古屋ラヴリー。 ケイコ・リーの仕事で名古屋にいらしたピアノの大口純一郎さんが聴きにきてくださった。
「あなたは、シャイなのか目立ちたがりなのか、そのぎりぎりのラインを責めていて、いいね。」
ありがたい感想をいただく。
大口さんは、僕の中で、こんな大人になりたい人の一人だ。

3/20 舞浜イクスピリ。 6時間近くかけて東京に戻る。いよいよオロナミンCを飲まないとやっていけないほど疲労がたまってきた。 が、演奏はツアーの中で一番よかった気がする。 ドラムの吉岡大輔君、広瀬潤次さんも聴きにきてくださった。

3/21 横浜モーションブルー。 感動のフィナーレ。 アンコールで、最前列の方が、お腹を抱えてケラケラと笑っている姿が目に焼き付いた。 俺がやってきたことは間違いではない、という自信を得た。

3/22 オフ。 ジョン・ラムキンの元生徒だったタカ君の企画で、タカ君の実家のスタジオでジョンによるドラムクリニックを見学。
その後、高田馬場イントロに行く。 日本が誇るクレイジー & グレイト 茂串マスターの前に、たじたじになっているジョンの姿がおかしかった。

3/23 全国のCD店やライヴハウスで手にできるフリーペーパー「 Jazz tody 」のインタビューを受ける。 4月発行号に掲載される予定。

フロラシオン青山でのディナーショー。 昨年に続いての演奏。 その後また、小曽根ビッグバンドを聴きに東京ブルーノートへ。 その後、 Body & Soul で演奏していた中井努、野勢栄進、倉田大輔という NY 在住組に会いに行く。 その後、渋谷に出掛ける。 センター街で、酔っぱらいの日本人と外国人グループのストリートファイトを目撃。 しばし野次馬見物したどどさんとジョンさん。 東京の夜は熱い。

3/24 フロラシオン青山でのディナーショーの2日目。 お恥ずかしいところ、「サザエさん」を合唱してくださった教職員関係者の皆様、ありがとうございました!  ツアー完全終了。

3/25 ジョンを成田にお見送り。 その後、アルトの井手直行君に誘われ、五反田でゴルフの練習。 彼、とても上手い。 やられた。 やはり内藤雄士氏の本を買って研究するべきなのだろうか。
その後、 Body & Soul でケイ赤城トリオを聴く。 すごい。 見事に やられた。
それにしても、この自分の異常な体力に驚く。 もっと、この体力を有効に活用して、世界平和とかに使えたらいい。

3/31  <どどさん日本ツアーその4>


3/26 アルトの石崎忍君とランチ。 ばか話に花がさく。
東京の桜も開き始めた。 夜は J-Wave の社員の方と新宿のコリアンタウンで夕食。

3/27 六本木ヒルズ33階の J-Wave のオフィスを見学させていただき、 Muzak の福井社長に挨拶に行き、フロラシオン青山に挨拶に行き、東京の郊外にある佐川道場に稽古の見学と食事会に参加させていただく。 この佐川道場での体験は後日、改めて報告させていただく。

3/28 飛行機に乗る。  NY に着く。 その足で、ハーレムの SOMI 宅でのリハーサルに直行。 そしてブロンクスに帰宅。

3/29 13時間睡眠。 夜、Sugar Bar で SOMI ライヴ。

3/30 朝6時30分起床。時差ボケが始まる。

 “どどさん日本ツアー2006春”、無事終了いたしました。
ライヴ会場に足を運んでくださった方々、『DODO 3』を購入してくださった方々には感謝の言葉もありません。 日本にはこんなにも素敵な人々がいるんだ、と思わされました。 皆さんは、気後れすることなく、百々徹の音楽を知るマニアだと自負していただいて、なんの問題もありません。

 ただし、ライヴを見られなかった人、『DODO 3』を持っていない人、未だに『百々徹』という文字を読めない人に対して、冷たい態度をとってはいけませんよ。 彼等の方が圧倒的に、人数が多いはずですから。 もはや多数決を重んじる国家のあり方を責めるしかないですね。 多数決の いじわる!  いじわる!

 とにもかくにも、ありがとうございました!

4/01  <佐川道場体験記その1〜6>
 NY行きの飛行機に乗る前日の話。

【 佐川道場体験記 その1 】
 日本の大学時代の友人、A 君に誘われて、彼が通う『佐川道場』の稽古の見学と、お礼の席、という食事会に参加させていただいた。

 『佐川道場』とは、大東流合気を習得すべく強者達が集まり、稽古を重ねる場なのである。 大東流合気について知るには、ここの師範であり、筑波大学の数学の博士である木村達雄先生の著作、『透明な力』(講談社)、『合気習得への道』(合気ニュース)を参考にされるといいと思う。

 これらの本の中に収められている写真で、1998年に95歳で亡くなられるまで合気を極め続けた、佐川幸義先生の数々の技の一端を知る事ができる。
『2名が先生の胸ぐらをつかむが、一瞬にして2人が飛ばされた。』
『3名が先生の手首をつかむが、一瞬にして3人が飛ばされる。』
 等、晩年の佐川先生が若いお弟子さん達をふっ飛ばしている、技の瞬間が数多く写真に残されている。

 この道場に4年近く通うA 君から、前々からこの合気の話しを聞き、木村先生の著作をプレゼントしてくれて、僕もざっとは目を通してはいたものの、正直、実態がわからず、どこか少し眉唾めいたものも感じていたのだ。
【 佐川道場体験記 その2 】
 東京の郊外の閑静な住宅街。
お礼の席、が行われるフレンチレストランに4時頃待ち合わせ。  A 君が胴着姿で息を切らせながら登場。
『道場はここからすぐ近くなんだ。』
 細い路地をくぐりぬけると、ここだけ時間が止まったかのような、明治大正といった時代を偲ばせる、日本古来の大きな民家が目の前に現れた。

 『まず入室したら正座して、佐川先生の遺影に挨拶。 そして木村先生と講習生全員に挨拶。』
 A 君の言われるままに、靴を脱ぎ、扉を開け、すぐ正座。 挨拶。

 30人程いたであろうか。  A 君が早速、僕を木村先生に紹介する。 小柄だが、立ち姿の美しさが印象的。 来年還暦を迎えるというのが信じられない程、顔の肌のつやがいい。
気さくな笑顔で僕を迎え入れる。
一気に、緊張がほどけた。 佐川先生の遺影の隣に席を用意してくださり、しばしそこから見学。

 講習生は、2人一組になって、おのおの技をかけあっている。 時折、木村先生が講習生に技をかけていく。
 聞けば、ここに集まっているのは、剣道日本チャンピオン、(この日は欠席であったが)空手極真会の館長、合気道歴何十年の人、我が明治大学の教授、日本一当たると評判の占い師、等々そうそうたる顔ぶれ。

 彼等は、木村先生の技の前に、
『あ〜!』
と、喜びにも似た声をあげながら、ばたんばたんと倒されていく。
 木村先生の技といっても、軽く、手で(握りしめている時もあれば、開いている時もある。)講習生の身体の一部を触るようなものなのだ。

 4人の講習生に木村先生の右腕を握らせ、瞬間に腰くだけにさせた後、一気にばたーんと全員仰向けに倒す技も披露してくださった。 不思議なのは、技をかける木村先生も、倒される講習生の皆さんも、一様に笑顔なのだ。
【 佐川道場体験記その3 】
 『百々さん、来てください。』
 木村先生からお呼びがかかった。

 A 君とペアにさせられた。
『 A 君に思いきりかかっていきなさい。』

 彼の両腕をつかみ、体重をかけて押してみた。 びくともしない。  A 君、空手の有段者なのだ。 岩を押しているようだった。 武術経験0のピアニストの力では、 A 君は全く動かなかった。

 木村先生が僕の後ろに立ち、合気をかけたらしい。 すると突然、
『あ〜!』
と叫びながら、A 君は仰向けに倒された。 僕自身、何も力の流れを感じることはなかった。  A 君が勝手に倒れた感じだった。

 次に、僕自身が合気をかけてもらうことになった。 正座をして、木村先生と対峙した。
立ったままだと、受け身が取れない素人には、頭を打って脳しんとうを起こす危険があるらしい。
 僕の両腕の上側のセーターのすそをつまむ先生。 皆さんも試してみればわかるが、セーターの上腕のすそをつまむだけでは、相手の腕をブラブラと動かすことはできても、相手を倒すことはできないはずだ。
 ところが、僕は仰向けに、ころーんと倒されたのだ。

 次に、A 君が僕と対峙して、同様に僕のセーターのすそをつまんで僕を倒すように試した。 しかし、いくら空手有段者でも、セーターの伸びたすそだけで、僕を倒すことはできない。 木村先生がA 君の背後に座って、合気をかけたらしい。 すると、ものの見事に僕は、仰向けに、ころーんと倒された。 眼鏡も飛んだ。
 空気の固まりが飛んでくる感じがした。

『なんなんですか、これは?』
木村先生は、ちゃめっけある笑顔で、
『これが合気なんです。』
【 佐川道場体験記その4 】
 その後、僕は、口が開きっぱなしで木村先生の技を眺めることとなった。
その技のすごさに、笑ってしまうほどであった。

・ 先生の胴着の帯を3人に握らせ、合気をかけると、3人とも同時にふっ飛ばされる。
・ 後ろから、羽交い締めにしている人の腕に合気をかけると、腕がはずされ、ふっ飛ばされる。
・ 相手の身体に触れる事なく、腕を相手の前でふり動かすだけで、相手を仰向けに倒す。
・ 相手の片腕を先生の両足で決め、合気を送ることで、相手を何度も痙攣させていた。
(もっと強い合気をかければ、殺傷能力もあるのでは、と思わされた。)

 まるで漫画の世界のようだった。
稽古終了後、僕の頭の中は、大きなハテナマークでいっぱいだった。

『これは、いくらテレビや本で解説したところで、誰にも信じてもらえないのです。』
と、こともなげに、にこやかに語る木村先生。 僕はマスターに出会ったのかもしれない、と思った。
【 佐川道場体験記その5 】
 稽古後、お礼の席という、食事会に参加。
佐川道場では、技のレヴェルを下から一元、二元、と分けてあり、この日は、30人弱ほどいる二元講習者による、木村先生への感謝をあらわす食事会らしい。  A 君も二元講習者。
 先生と真向かいの席を用意された僕は、おっかなびっくり質問攻め。

『お相撲さんと勝負したことは?』
 一度、大関と勝負する企画があったが、流れた。

『僕のような者でも合気は習得できますか?』
 簡単にはできないが、誰でも習得できると思う。
今生でできる保証はないが、来世でできる可能性はある。
毎日の鍛錬が必要。 まだ自分でも理論で教えられないから、皆に技をかけて、身体で習得してもらうしかないのだ。

『どのような訓練をされているのですか?』
 佐川先生は、毎日、四股を何度も素早く行っていた。

『そもそもこれは何なのですか?』
 次元の違う力。 人間のメカニズムを、より深く研究すれば、分かるものなのだ。 物理的な力ではないのだ。 発想を変えなくてはいけない。 普通、歳をとれば筋肉も骨も衰えていくはずだが、佐川先生は亡くなる直前まで、強くなっていらした。 合気は、そういった物理的な力ではないのだ。

『今、この技ができるのは、世界中で先生だけですか?』
 おそらく今、私だけかもしれない。(いたずらっぽい目つきで)
実は A 君、できてない? 隠してない?
【 佐川道場体験記その6 】
 A 君から、この食事会で、音楽好きな先生のために、僕にピアノ演奏を依頼されていた。
 メインディッシュが終わり、デザートが用意される間、レストランにあるアップライトピアノでソロ演奏。

 一通り用意してあったレパートリーを披露した後、先生から、今日見た合気の稽古の印象をもとに、何か弾いてください、とリクエストされる。

『合気の印象』と題して、即興演奏。

 先生、これをたいそう気に入ってくださり、なんと講習生が用意周到にもデジタルビデオで録画していたので、これを、先生が出演される NHK ラジオの番組に流したいという話しに。

 なんと、4月27日(木)の NHK の AM ラジオ放送、夜11時半過ぎから、 (その前が生放送で時間が確定しないらしい) 木村先生のナイトエッセーで 流れるらしい。

 『とりあえず、メル友からはじめて、よろしいですか?』
と別れの挨拶。 笑顔で快諾してくれた木村先生。

 実に不思議な体験をしたどどさんであった。
A 君も、
『ここに集まってくる人、皆、同じように不思議がって、稽古に集まっては帰って、そしてまた翌週稽古に集まってくるんだ。』

 ここまで読んで下さった方の中には、僕を、 UFO を見た人と同じレヴェルで見る方もいると思うが、実際、体験しないとわからないものを、僕は見た、という事、人類最強の武術かもしれない合気という力の存在を体験した、という事を強調しておきたい。

4/5  <百々徹の紹介のされ方>
 4月、百々徹、が日本のメディアで、いくつか紹介されます。 まとめてお知らせ。

・雑誌『 週間金曜日 』3月31日号の、「きんようぶんか音楽館」というページに、 “奇をてらわず等身大”、という見出しでアルバム『DODO 3』が紹介されています。

・月刊フリーペーパー『 Jazz Today 』の4月発刊号に百々徹のインタビュー記事が掲載されているはず。 お近くの CD ストアで手にはいります。

・4月15日(土)と22日(土)CS 放送ミュージックバードの『 オープンセサミ 』という番組で18時から20時、百々徹トリオの3月11日に行われた Body & Soul のライヴの模様が放送される予定。

・因みに、今月のミュージックバードの番組スケージュール誌の表紙が百々徹らしい。

・4月27日(木)NHK の AM ラジオ放送、夜11時半過ぎから、(その前が生放送で時間が確定しないらしい) 木村達雄先生のナイトエッセーで 、僕の即興演奏「合気の印象」が流れる予定。 因に木村先生は、この週の月曜日から毎晩、出演されて、数学の話しから、佐川師範のお話しが聞けるらしい。

4/7  <ひょうしぬけの話>
 CS 放送「ミュージックバード」( http://www.musicbird.jp/ )の今月のプログラムガイド
(これはリスナー向けの冊子で、一般の本屋では手に入らないそうです。)
をお持ちの方、表紙を見て、
『あれ、百々徹、最近、顔がキース・ジャレットに似てきたな。』
 と思われた方もいるかと思いますが、その表紙に写っているのはキース・ジャレットですから、ご安心ください。

 今日、ミュージックバードの方からお詫びのメールが届きました。
『プロデューサー指示で今回の表紙は百々さんにしようということになり、原稿・画像データ等も提出したのですが、月刊・B4 版化 第一号ということもあり、もっと上の方の指示で差し変わってしまった模様です。 だったら現場に指示出す前にちゃんと考えてくれ、と厳重抗議致しました。』

 ミュージックバードの総本部長としては、キューバ危機で危うく核ミサイルを発射しようとして、寸前で回避したケネディ大統領の心境で、写真を差し替えたのでしょうか。
(これがいわゆる、キューバしのぎ)
刷りあがった原稿を手にとる総本部長。

総本部長: 『誰だい、この顔長顎張り色白星人は?』
部下: 『百々徹さんです。』
総本部長: 『どど??』
部下: 『その驚異的なテクニックとセンスで人気急上昇中の、ニューヨーク在住の日本人ピアニストですよ。』
総本部長: 『知らないなぁ。』
部下: 『彼の自己確立度、音楽の成熟度には、常人の域を遥かに超えたものがあるそうですよ。』
総本部長: 『聞いたことがないなぁ。』
寺島靖国先生: 『私には(彼の音楽は)死体が生き返るように新鮮すぎる。 ジャズは常に腐臭を発する「退廃的」が本質だ。(注)』
総本部長: 『この顔長顎張り色白星人、そんなに新鮮というほど若くもないぞ。』
部下: 『今月、3月11日に行われた、彼の Body & Soul でのライヴ録音を放送するんですよ。』
総本部長: 『あれは、ツアー初日の演奏で、まだバンドサウンドも固まってなかったんじゃないか?』
部下: 『確かに、まだこの時は、百々徹はアンコールで「サザエさん」を恥かしそうに歌ってました。』
総本部長: 『そんなことじゃ、まだまだウチの表紙を飾るには、早いのじゃないか?』
部下: 『でも最終日の横浜モーションブルーでは、会場のお客さんとサザエさんを合唱してましたよ。』
総本部長: 『いっそのこと、表紙をサザエさんにするか。』
部下: 『そんな事でいいんですか、総本部長!』
総本部長: 『だって今回、月刊・B4版化第一号の表紙だよ。ガツンと行きたいよ。』
部下: 『しょうがないですね。百々徹さんには今回は、 “ひょうしぬけの話” なんていうタイトルで、ご自分の HP のネタにしてもらって、勘弁してもらいましょうか。』

 こうして、ミュージックバードのプログラムガイドの表紙は、サザエさんから急遽キースジャレットに差し変ったそうな。

(注)寺島靖国著『 JAZZ ピアノトリオ名盤500』(だいわ文庫)249P より抜粋。

4/14  <車軸抜けの話>
 昨年から愛情をかけては裏切られ、その度に僕は激しく悩ませられ続けてきた。
 それでも今年に入ってからまるで更生したかのように僕に対して忠実でいてくれた。 やっと、心が通じ合えたのかと、思い始めた矢先であった。

 先週の土曜日。
 ニュージャージー州での練習(正確に言うと、ゴルフの練習だが)を終えて、僕の専属コーチ(正確に言うと、NY シティオペラの指揮者山田さんだが)
を自宅まで送り、ブロンクスへ帰宅途中であった。 高速道路を降りて、マンハッタンからブロンクスへ入る直前の静かな裏道、交差点の信号が赤で、ブレーキをかけた時だった。

 ガゴォン! (正確に言うと、バゴォンン!だったかもしれない)
 突然、ものすごい音が左前方から聞こえた。

 信号が青に変った。 アクセルを踏む。 少し前進したものの、交差点の、もう少しで向こう側に渡りきれる手前で動かなくなった。

 降りて見てみれば、左の前輪の車軸が外れていた。 左のタイヤが、駒のように転がり出ていた。

 『オーマイガッ!』 (正確には、オーマイブッダ! あるいはオーマイカミサマ! と自分の信条に合わせて叫ぶべき所かもしれない。)

 後ろのボンネットから手押しで動かそうにも、全く 車は動かなかった。

 この段落から、いかに 僕は幸運な人間であるかを 箇条書きしてしまうが、あまり羨ましがらないで読んでほしい。

・ 練習に行く途中、とか、仕事先に向かう途中ではなくて、練習帰りの、あと5分ほどで帰宅できる距離で故障が起きた。
・ 故障現場から目と鼻の先に、修理整備工場付きのガソリンスタンドがあった。 ガソリンスタンドの人がレッカー車を呼んでくれた。
・ レッカー車を呼ぶと、大概、法外な値段を請求されるが、1ブロックの距離を運んだだけであり、$50で済んだ。 3日後、修理が終わった。 修理費も、その故障具合のインパクトからすれば 割安感のある $340で済んだ。
・ なによりも誰も怪我をしなかった。 もし、高速道路上でこの故障が起きていたら、このWhat's Newのページは、<ひょうしぬけの話>で最終回となっていたことだろう。

 こう言う事が起きると、
「百々徹には、まだ伝説の音楽家になってはいけない理由があるんだ!」
と少し信心深くなる。

「百々徹には、What's Newのページに<車軸抜けの話>を更新する務めがあるんだ!」
と使命感に燃えてくる。

 百々徹が、約1年半続いた愛車との関係を断とうと強い決意をした事は、特に記すまでもない。