00-10 (Japanese Only)

2006年 その2

4/17  < featuring Toru Dodo >
  Darren Barrett / Myron Walden Quintet
featuring Toru Dodo
at Blue Note

というのを、昨日、演奏してきました。

  featuring Toru Dodo

というブルーノートの看板表示だけで、サンデーブランチのご飯もおいしくいただけそうでしたが、いかがでしたでしょうか。

 ボストン時代からお世話になっている Darren と、時折共演の機会があった Myron の、 NY ハードコアな曲群と、新鋭のドラムの Darryl Green のプッシュにあおられ、泣きそうになっていた僕を助けてくれたのは、このバンドのレギュラーで弾いている、ベースの

ヤスシ・ナカムラ君。
(東京−アラスカ−シアトル−ボストン− NY で育った24歳)

 初めて共演いたしましたが、大変素晴らしく僕は彼に身も心もすべてを預けて、ピアノを弾くことができた気がします。 百々徹の NY ダイアリーでした。

<ニュース>
・月刊フリーペーパー『 Jazz Today 』が4月17日に発刊。 百々徹のインタビュー記事が大きな顔写真と共に拝めるそうです。
(『大きい顔』の写真なのか、大きな『顔写真』のか。 それが問題だ。)
お近くの CD ストアで手にはいります。

4/24  < Aspire got expired. >
1)近所のホンダディーラーで、 Hyundai 社の Accent という小型車を購入した。 2005年の車で、ほとんど新車同然だ。

 対応してくれたルイスさんは、つい最近まで Ford のセールスマンをやっていたらしいが、彼が言うには、Ford はトラック以外は駄目だ、と言い放っていた。 そんな彼が、こちらの予算に合わせて、奨めてくれたのが、 Hyundai 社の Accent だった。

『やっぱり日本車はいいよ!』
あの、Hyundai は、韓国製ですけど。。
『ヒュンダイ、ホンダ、一緒だよ。』
いやいや、違うって。

 いまいち彼の言う事が信用ならないながらも、買ってしまった、どどさんであった。

2)Accent を走らせてニュージャージー州までゴルフに行った。 2度目のコース体験である。
 一緒に回った方が 小曽根真さんと岡崎好朗さんに J-Wave の西山さんという ゴージャズな方達で、恐縮しつつも両親に自慢しなくてはという思いでいっぱいだった。

 しかし、ゲームが始まってみると、自分のレヴェルの低さに周りの皆様にご迷惑をかけてはいまいかと、気が気ではなかった。

 ドライバーは当たらない。 アイアンも当たらない。 何回叩けば前に行けるのだろう。

 『2回目にしては、悪くないよ。』
と100〜110台のスコアで回られた皆さん、一様に僕にやさしい笑顔をかけてくださった。 これもまたつらい。

 ゴルフは難かしい。 自分はゴルフに向いてないのかもしれない。 それを確かめるためにも、練習レンジに今すぐにでも行きたい。

( 因にどどさんの2回目のスコア166。 )

3)21日。 ニュージャージー州の南端にある街、 Cape May のジャズフェスに、バイブラフォン奏者の Joe Baion のピアニストとして出演。 街のいたるところの会場で、マイク・スターン やら ジミー・スコット 等、様々なアーティストが演奏を繰り広げた。 どことなく、2年前に出演させていただいた、高槻ジャズストリートに雰囲気が似ていたように思う。

 演奏終了後、とある白人の50代くらいの男性客から
『俺は、6年前の Catskill Jazz Festival のトリオで、4年前のフィラデルフィアの Melon Jazz Festival のケニー・ギャレットバンド で、あなたを見てるんだよ。
“ Toru Dodo ” の名前を見つけて今日も聞きにきた。
You are a killer, man! 』
と話しかけられた。 嬉しかった。 こんな奇特な方もいるんだ。 彼には、百々徹を助ける会のアメリカ支部の会員バッジを送りたい。

4)24日。 1年と約5カ月、僕の足となってくれた Ford の Aspire と別れの日が来た。

 中古車センターに売り付けるのもなんだし、
( というか値段がつかない可能性が高いし )

人にあげるのもなんだし、
( ちょっと不幸の手紙を渡すのに似てるし )、

 結局、恵まれない子供達を助ける団体に寄付することにした。 ( これも迷惑かもしれないが。)
 アメリカでは、色々な慈善団体が、車の寄付を募っているのだ。 車の部品を売って、その収益を団体の活動にあてているらしい。

 レッカー車がやってきた。 作業人に Aspire の鍵を渡す。 僕の手元を離れるのを嫌がったのか、何故かバッテリーがあがっていて、エンジンがかからなかった。
『この車、走るのかい?』
と作業員の方が、首をひねりながら Aspire にチェーンを巻きつける。 ふと、この1年半弱の Aspire との思い出が脳裏に巡る。

『フィラデルフィアまで行った時、マフラー故障で車内はものすごい爆音がしたなぁ。』

『クイーンズまでリハに行った時、オーバーヒートを起こして、帰り道、いちかばちかで高速を走って、ブロンクスの家までたどり着いたこともあったなぁ。』

『車軸が外れたのは極めつけだったなぁ。 百々徹が危うく伝説になるところだったからなぁ。』

 レッカー車にくくりつけられた Aspire の姿が僕の視界から消えた時、手放して正解だったという思いを一段と強くしたことは、あえてここに記すまでもない

4/26  <試しに>
 なんだか英語が得意な人間たちとも交流してみたくなってこういうのを始めてみました。

http://www.myspace.com/torudodo

 気付くとほとんどのミュージシャンがこれをやっていて驚きました。 今さら始めたどどさん、完全に時代に遅れている気分です。

 なにしろまだi-podも持っていない、電話しかできない携帯電話しか持っていないどどさんです。(でも『ダヴィンチ・コード』は読んだ!めちゃくちゃ面白かった!)

 この My Space.com というやつも、何が何だかよくわかっていないで立ち上げてみました。 そして、僕にはあまり友達がいない事実にも驚かされます。 大丈夫でしょうか?

5/1  <チッププリーズ。その1>
 4月29日(土)。
 ブルックリンにある『 Night & Day 』というお店で、ドラムの Pete Zimmer Quartet featuring Joel Frahm のピアニストとして演奏予定だった。
Bass は見た目が、阿部大輔に次に兄弟に間違われる David Wong 。

 ところが前日に Pete Zimmer から電話。
『すまないトール。 病気で明日演奏できなくなった。』

 プライバシーに関わる事柄なので、具体的に彼の病名をここで明らかにするのは、倫理的に問題があるが、少しヒントを与えると、右の下腹部あたりがとても痛くなる、「盲」という漢字で始まる病気だ。

『ちなみに、Joel Frahm も他の仕事でできなくなった。 ベースも Joseph Lepore (「DODO 3」のベース)になった。 もしよかったら誰かドラムを見つけて、トールのピアノトリオでやってくれないかな?』

 これから病院で看護婦さんに秘部の剃毛されるのを想像してか、 Pete の声が少し、か細い。

『わかった。 まかしておいて。 お大事にね。』

とりあえず引き受けたものの、百々徹も不安だった。
  アメリカでは基本的にサイドマンの仕事が楽だ。 リーダーとして演奏する、ってとても大変だ。 英語をペラペラ話す人たちと、3月の日本ツアーの時のように、「サザエさん」を一緒に歌う雰囲気にはどうにもなりにくい。

長谷川朗 日本ツアーでおなじみの、ユージロー・ナカムラにドラムをお願いして、会場入り。
表はおしゃれな内装のレストラン。
少し奥の部屋にライヴスペースがあった。
古いアップライトピアノと簡単な PA 設備があるだけの、30人も入れば満席となるような小さなスペース。
表のレストランはほぼ満席状態。しかし奥の部屋には誰もいない。

お店の女性オーナーから、ミュージシャンのギャラのシステムついて話しがあった。

『うちはミュージシャンにスペースを提供するだけ。レストラン側からギャラは出ないの。聴きにきたお客さんからの支払いだけなのよ。ミュージックカヴァーは全額ミュージシャンにバックするけど、いくらに設定する? いくらにしてもいいのよ。
 でも今日は予定と違うプログラムになっているし、チップ制にした方が、お客さんも入場しやすいし、案外もうけが出る時が多いのよ。』

 等と説得されてチップ制にした。サイドマンとしては経験があったが、百々徹リーダーの仕事では、初めてのチップギグとなった。
5/1<チッププリーズ。その2>
 お客さまが来た。 日本語をまずしゃべらない系が6人。 日本語しゃべれる系が2人。(というか、天平さんとその友人の方、来てくださって本当にありがとう!)

 演奏前に、Pete の欠席の事情を説明。
あまりプライベートな健康に関する情報を、他人に教えてはいけないと思いつつも、この日、辞書で調べておいた単語を言いたいあまり、
『 Appendicitis 』と何度も舌をかみそうになりながら発音。 2、3回は繰り返したと思う。

 お客さまから、
『 Joel Frahm はどうしたの?』
と尋ねられた。

『何故、彼が今日来れないかは僕も知りません。でも彼は Appendicitis でないことは保証します。』

 と、このくらいのことを咄嗟に答えられればよかったなぁと、今これを書きながら思う。

 違うお客さまからは、
『ベースの David Wong はどうしたんだ?』
と尋ねられた。

『実は僕が David Wong なんです。』

 これは、僕達の見た目が似ている事を知っている人でないと通じないネタだった。 言うべきではなかった、と今これを書きながら思う。

 だいたい、お店の看板に書いてあったメンバー4人のうち3人が出演していないのである。
 何を例えに出していいのかよくわからないが、お客さまにとっては、ドリフターズのショーを見にきたのに、いかりや、加藤、志村が欠席で、仲本工事と高木ブーの漫才を聞かされるようなものだろう。(今、仲本&高木ファンの皆様を敵にまわした可能性が。。)

 極端な話し、金返せー、である。 こういう時のためにチップ制度が考案されたのであるなら、チップ制度も悪くないのでは、と思った。 下手すると、僕がお客さんの飲食代まで払ってあげなくてはいけないのではないか、とさえ思ってしまう。
5/1<チッププリーズ。その3>
 今回の話がこれほど長文になるとは思っていなかったが、その3である。

 演奏開始。 どこでもそうだが、僕を知らない人たちの前で演奏する、というのは大変だ。

  お客さんは、その人を知っているから笑える、というのがある。芸人は認知されればどんなことをやっても笑ってもらえる、というのがある。(それほど甘くはないと思うが。)
しかし、知らない人に対しては、警戒して笑いも起きない、というのが世の常だ。
それを打ち破って笑いをとっていく、というのが芸人の勝負どころである。

3月の日本ツアーでやった通りのセリフを英語に直してやれるだけやってみた。
受けたところもあった。受けなかったところもあった。
同じだ。
と思った。考えてみれば、日本でも受けた時もあれば、さっぱり受けなかった時もあった。

 いっしょだと思ったが、ふたつ違う所もあった。

1) やはり「サザエさん」は演奏できなかった。あれは日本のみ限定作品かもしれない。
2) 手持ちのCD『DODO 3』が売れなかった。音楽が受けなかったからかもしれないと思うとゾッとするが、僕の説明もいけなかった気がする。

『このCDは現在、日本のみ発売されているのですが、今回は特別にお持ちしました。どうでしょう、みなさん?』

と言ったところ、とあるお客さんからは、

『日本だけでしか売ってないんでしょ。じゃ、残念だけど、ここでは買えないんだね。』

等と笑顔で返された。敵は手強い。

 演奏終了後、籠を持って、お客さまのもとへ、
『チップ プリーズ!』と向かった百々徹の、世界征服への道のりは細くて長い。

5/8  <どどさんだけに100人は。>
  My Space.com を始めてみて、そろそろ数週間がたったが、少し自分の中でピークが過ぎたかもしれない。
 話しをしたこともない、パットメセニーとかキースジャレットとリンクできた時には興奮したが、勢いづいて Chick Corea や Jill Scott 、坂本龍一にもリンク願いして、いまだに返答がないあたりから、熱も冷めてきた。 基本的に彼等と面識がない、というのがネックなのかもしれない。

 それにメセニーやキースとネット上で繋がったところで、現実の生活にはなにも変ることがない。

どどさん  『あなたのことこんなにも愛しているのに。』
メセニー 『わかってくれ。 君とはマウスのクリック以上の関係は持てないんだよ。』
キース 『悔しかったら、ミュージックバードの表紙を飾ってみろ。』
(2006/4/7 「ひょうしぬけの話」参考)

 本当の友達はそんなにたくさんいないって、昔、学校の先生が言っていたように思う。 今(5月8日現在)いる67人が僕の友達力の限界かもしれない。

 それでも My Space.com は、自分の HP の宣伝にはなるかなぁとは思っている。 そしてリンクを伝って色々な人の音楽が聞けて楽しい。 そんな感じでいい気がしてきた。

 しかしながら、『1年生になったら 友達100人できるかなぁ?』 と昔歌ったことを思い出し、 34歳のどどさんにも、なんとか百人くらいとは、リンクできたらいいなぁという思いもある、今日この頃だ。

5/15  <クリニック体験・その1>
 先月 Cape May Jazz Festival で共演したヴァイブラフォン奏者の Joe Baione は、普段、Delaware 州の とある町の小学校 5、6年生の ビッグバンドの指導の先生をしている。
 バンド部員のクリニックと、その日の夜に開かれるバンドの定期演奏会での共演を頼まれ、先週の週末、電車で 1時間40分程揺られ、Delaware 州に行った。

 講師は他に、ドラムのジェローム(ハンク・ジョーンズ トリオで最近日本に行ったらしい。)とサックスのホルヘ。特別講師にトロンボーンとホラ貝を吹く Steve Turre がいた。

 滞在したホテルの廻りには、Delaware の郊外というからに、見渡す限り、農場がひろがっていた。 カジノ以外に遊び場がないそうだ。

 ホテルから小学校まで送迎してくれたのが、この小学校に息子を通わせるお母さん。

『 NY から来たの? 私も昔 NY の法律事務所で働いていたのよ。 子供ができてから、教育環境を考えてこちらに引っ越してきたのよ。 緑が多くて、子供にとってはいいんだけど。 でも時々 NY のような都会がなつかしくなるわ。』

 農場に農薬を散布するために 空中を旋回する 小型飛行機が 車から見えた。

『ウチの息子もサックスをやっているのよ。 今日のクリニックをとても楽しみにしていたわ。 私、ケニー・G の音楽が大好きなの。 ウチの子にもソプラノサックスをやらせて、将来は名前をトニー・O なんていう芸名にしてデビューさせてあげたいの。』

 そういえばよく耳をすませば、カーステレオからケニー・G の音楽らしきものが流れていた。
 僕の周りのジャズミュージシャンで、ケニー・G のファンという方を知らない。 道場していたジェロームもホルヘも、彼女からケニー・G という名前を聞いた途端、一瞬、沈黙があった。

5/15<クリニック体験・その2>
 Joe Baione 率いるビッグバンドは総勢 60人弱の大編成。 パート別に別れて、一時間の講習。 僕はピアノ2人、マレット(木琴)2人の、計4人のクリニックを任された。

 ボストンに住んでいた頃、小学生低学年の子供のピアノのレッスンをしていたこともあったが、今回のように、グループレッスンというのは初めて。 マレット等やったこともない。 少し不安があった。
 一応、定期演奏会で演奏するFのブルースを練習する、というのがテーマではあったが、実際にどの程度のレヴェルなのか、よくわからないし、ぶっつけ本番で行うしかなかった。

 6年生のピアノ2人、マレット2人に加えて、高校生のマレット奏者も参加。 皆女性。 謎の東洋人がまず自己紹介を始める。  DODO というラストネームは、アメリカでもインパクトがある。 いつも名前をいうと、クスクス笑われる。 こういう事にだいぶ慣れた。 つかみはオーケー。

 まずは、小学生用にアレンジされた Fのブルース “ Bag's Groove ”を演奏してもらった。 聞いて、まず何をしていいのか、とっさに考えた。 ピアノの2人は、指一本でベースラインらしきものを弾いていた。 マレット奏者は、一台のマレットに3人横に並んで、それぞれ、ファドーシラシーラーファラーファミファーミ、と片手で叩いていた。 皆、楽器を初めて1年半だという。 そうか、それじゃそうだな。

 ピアノの2人は、譜面にでてくる 付点4分音符と、その後に続く 8分音符が弾けていなかった。 咄嗟に、

『ビッグバンドでのピアノの役割を知っているかな? ピアノはリズムセクションと言われているんだけど、その名の通り、ピアノでリズムを作るんだよ。 音楽を動かすエンジンのドラム、心臓のパルスのようなベースと一緒に、音楽の色づけをする和音を使って、リズムを出していくんだ。』
『(指一本だとハーモニーを作るのは難かしいので) とりあえず今日は、リズムの練習をしたいと思います。』
 ひたすら1ト 2ト 3ト 4ト の ト の 部分を感じる練習をしてみた。
『1234のパルスの裏に、まだ未知なる世界があるんだよ。』
 指一本、マレット一本で、
『12ト 34ト』
『12ト 3ト』 等色々なパターンを
叩いてもらった。

 始めは悪銭苦闘していた子供達が、だんだん感じをつかんできた。 同時に、皆、トをつかむために、首をカクカクさせる子、足のステップをはじめる子、身体全体が揺れる子がでてきた。

 トトトト やっただけで 一時間が過ぎて よかったのだろうか、と不安にもなったが、スイングリズムで人が踊る原始的発現を、目撃した気にもなった。
 クリニックの後に、ピアノの子が 僕にキャンディーをくれた。 それほど悪いレッスンではなかった、と思いたい。

5/15<クリニック体験・その3>
 この日の夜に、生徒の両親を集めての 定期演奏会を、個々の小学校のホールで行った。 教えた生徒と一緒に混じって、演奏に加わった後、講師陣のみの演奏を 数曲披露。  Steve Turre のホラ貝演奏に観客は大喜びであった。 芸人根性を、僕は彼の後ろ姿から感じて、しみるものがあった。

 演奏会終了後、学校からホテルまで、Steve Turre と車を同上した。 昔気質のミュージシャンという雰囲気のある Steve Turre は実に能弁な人である。
 道中、現在のブッシュ政権批判からジャズ界の裏話等色々語ってくれた。 個人名が飛び交い、Aは、楽器はうまいが クリエイターではない、とか、Bの演奏には ハートが感じられない、とか、かなり けちょんけちょんに 批評を加えていた。
 一方で彼が共演したアートブレイキーや、マッコイタイナー等を崇めていた。

 現実ってなんだろうと思う。 僕の周りにいる世界にブッシュを支持している人は少ない。 ケニー・G ファンの存在も今日、車で送迎してもらうまで知らなかった。
 しかしブッシュは相変わらず大統領だし、ケニー・G や Steve Turre が酷評したAやBはスターである。

 最近、政治や音楽の話しって結局、好き嫌いの話しにすぎない、と思うようにしている。 少し気楽になる。
『私、ケニー・G が大好きなの。』
と嬉しそうに話したお母さん。 それでいいと思う。
僕も『百々徹が最高に好き。』
と思っているにすぎない。 だからあまり政治や音楽の話しに入っていけない。

 無口な僕を気づかってか、ここには書けない 下ネタジョークを最後に披露してくれた Steve Turre 。 彼のエンターテイナー気質を嫌いにはなれない。 ホテルに到着。 笑顔で別れた。

5/24  <映画『Crash』はなかなか面白かった。>
1)どうでもいい話しを書くが(そんな事はわかってるって?)、 My Space.Com で友達が百人を越えた。  Jill Scott ともつながったし、目標は達せた気がする。

(それにしても坂本龍一は何故リンクしてくれないのかが不思議だ。 やはり根本的に面識がないからだろうか。)

 そうそう、東京に住む学生の方で同姓同名の百々徹さんにもつながった。 どこかで会えたら面白そうだ。

2)岡崎好朗プロの指導で、ゴルフの球が
『当たるか当たらないか』から
『まっすぐ飛ぶか飛ばないか』のレヴェルになってきた。
 夢中になっている僕に、妻から
『飽きられるか怒られるか』になってきているのが問題だ。
彼女にゴルフクラブを買ってあげないといけない気がする。

3)22日(月)SOMI のライヴがハーレムに最近できたギャラリーであった。彼女のバンドに参加して2年が経ったが、徐々に、メジャーになっていく予感を感じる。 この現場にいれて幸せだ。 この日のライヴでも、彼女はとても調子よさそうで、声に一段と凄みが増してきたように思った。
 来月はアメリカの東海岸の5日ツアーが決まった。 昨年録音した彼女の CD も早くどこからかドカンと発表できてドカンと売れて、僕も楽になりたい。

4)今週末アトランタジャズフェスティバルに出演することになっている。 トロンボーンサミットというバンドで、 Curtis Fuller, Robin Eubanks 等が吹くらしい。 ちょっと楽しみ。

5/30  < Atlanta Jazz Festival >
 27日、アトランタ・ジャズフェスにて “ Trombone Summit ” というバンドで演奏。
 真夏日となったこの日、大勢の観衆が見守る野外ステージに、 Curtis Fuller, Steve Turre, Robin Eubanks, Delfeayo Marsalis, Andrae Murchison という当代きってのトロンボーンの名手5人が登り、壮絶なバトルを繰り広げる。 そのリズム隊としてピアノを弾いた百々徹。 おとうさんおかあさん、あなた達の息子はやりましたよ。 

 NY から飛行機で南へ2時間弱のジョージア州アトランタでは5月はまるまる一ヶ月ジャズフェスが行われているそうで、出演者の顔ぶれも豪華であった。
 僕の演奏した27日に同じ舞台に上がった他の面々を挙げると、ベニー・ゴルソン、カーメン・ランディ、ルネ・マリィ、ボビー・ワトソン、そしてトリはマッコイタイナー。 彼等の演奏を舞台袖で聞けるのもジャズフェス出演の特権だ。 普段 NY ではなまけて聞きに行かない自分を反省して、こういう時を利用してじっくりと彼等の演奏を聞く。

 少し痩せて、ステ=ジに向かう足取りも少し危ない感じだったマッコイタイナーに、もしかしたら今日で見納めになるのではないかという変な胸騒ぎを覚えた僕は、無性に握手がしたくなり、アンコールを終えて舞台を降りてきたマッコイに、
『 You are my hero! 』
等と言って駆け寄ってしまった。
すると、僕の顔を見るやマッコイは、
『ありがとうございます。』
と、流暢に日本語で答えてくれた。

 アメリカ人が日本語をしゃべると、妙に笑いがこみあげてくるのは僕だけの問題かもしれないが、この場面でマッコイに日本語で答えて欲しくなかった、というのは僕のわがままであろうか。
なんとなく、ジャズの歴史の生き証人である偉大なるマッコイだけには、
『 Oh, Thank you, man. 』
と言って、ぎゅっと握手してくれるだけでよかったのに。

『こんばんは。』
と言って、控え室に去っていったマッコイ。
あぁ、この時ほど日本語が憎く思えたことはない。
笑っちゃったじゃないか。
泣きたかったのに。

 そんなアトランタだった。

6/3  <宣伝4件>
1) ギターの井上智さんの新作 CD 「メロディック・コンポジションズ」が What's New Records より 6月21日に発売されます。 (ピアノ担当どどさん)。 これに連動して、7月の日本ツアーにどどさん参加いたします。 ツアースケジュールは、こちらを参考になさってくださいませ。
http://home.earthlink.net/~satoshijazz/tour2006summer.html
井上智さんの HP はこちら。
http://www.satoshiinoue.com/
2) ドラムの Pete Zimmer バンドの新作 CD 『 Burnin' Live at the Jazz Standard 』が6月13日に Tippin' Records より発売されます。 (ピアノ担当どどさん)。 今年2月のライヴ録音でございます。 日本で手に入るのかよくわかりませんが、お知らせです。 百々徹ストレートアヘッド曲集の中の “ Brush Pitch ” も2管編成でおさめられております。
http://www.tippinrecords.com/
3) ベースの Reuben Rogers がリーダーアルバムを発表しました。 (ピアノ担当 アーロン・ゴールドバーグ。) 参加メンバーも豪華ながら、忘れてはいけないのは、百々徹 懐かしの名曲集の中の “ Phillip ” がスチールドラムを加えた編成で演奏されております。
僕も早く聞きたい。
http://cdbaby.com/cd/reubenrogers
4) 今週の土曜日、デラウェア州で行われる Clifford Brown Jazz Festival に Curtis Fuller バンドのピアノ担当で演奏してまいります。 おとうさんおかあさん、あなた方の息子はまたやってきますよ。
http://www.cliffordbrownjazzfest.com/

6/11  < Clifford Brown Jazz Festival >
10日。肌寒い土曜日。 電車に乗って、デラウェア州の Wilmington という街で行われた、Clifford Brown Jazz Festival に、 Curtis Fuller band のピアノ担当で演奏してまいりました。

 今回は Don Sickler と Mauris Brown というトランペット2本が入った Sextet の編成。
 Don Sickler は、アレンジャーとしても、出版会社の社長としても有名な方。
 この人の会社から出版されているジャズの楽譜を巷でよく目にしてきたが、 NY から電車に乗って、この日に演奏する楽譜をこの方から直接、手渡され、舞台でも共演することになるとは。

 Mauris Brown はニューオリンズ出身の25歳のイケイケトランペッター。 ホームランしか狙っていないようなプレイに、僕も興奮した。

 Curtis Fuller は、70歳過ぎの老人にはとても思えないほど元気。  Mauris Brown とはおじいちゃんと孫ぐらいの世代のギャップがあるはずだが、気をぬくとそういうことをふと忘れてしまうほどの快活さがある。 なにしろよくしゃべる。
 バンドメンバーで一緒にランチを食べたのだが、食事そっちのけで、しゃべっているので、(主に昔話しだが)カーティスのご飯がなかなか進まない。 皆ひととおりごちそうさまをしても、カーティスだけまだ皿に、ハンバーガーの3分の2が残っている案配だ。
 皆待っているのだが、それでもカーティスはしゃべり続ける。 まぁ話しが楽しいからいいわけだが。

 ところでこのジャズフェスは、25歳で車の事故で夭折した天才トランペッター、クリフォードブラウンを讃えているわけだが、彼の息子さんとその家族がステージで挨拶していた。 クリフォードに子供がいたのね。
『ダヴィンチコード』によれば、キリストにも子供がいたらしいので、特に驚くことでもないのだが、それでも少し驚いた。

百々徹のジャズダイアリーでございました。

(宣伝)
1)リットー・ミュージックより井上智さんの本、「ひとりで楽しむジャズ・ギター、N.Y.録音/極上の生演奏をバックに」が2006年6月20日に発売されます。 この付録のマイナスワンの CD でどどさんもピアノ演奏しております。
この夏に、あなたもジャズギター、はじめてみませんか?

2)ソーシャルネットワーキングの雄、Mixi に、最近、心ある有志の方が、百々徹のコミュニティを開設してくださった模様です。 会員は今のところ9人。 (熊谷泰昌が会員になっているところが少し怪しいのを除いて) 実に志の高い方達ばかりが参加してくださっていて、僕は幸せ者です。

(熊谷泰昌参考資料)
http://www.geocities.jp/yasumasa_kumagai/

6/13  < JVC Jazz Festival >
 JVC Jazz Festival の初日。 今年、フェスティヴァルの協賛スポットになった Kitano Hotel で百々徹トリオの演奏があった。  ベースは "DODO 3" で弾いているジョセフ。 ドラムはロドニーが都合がつかず、変わりに、ジョンラムキンを呼んでいた。

 NY から車で4時間のメリーランド州に住むラムキンが来てくれるということは、とても嬉しいのだが不安がつきまとう。 ただでさえ遅刻王のラムキンが、果たして会場に到着できるのか非常に心配だった。 演奏開始は夜の8時だったが、彼には7時と伝えていた。

 当日の朝8時、彼から留守電が入っていた。 確信的に、
『あぁ、彼はキャンセルだ。』 と思った。
 家族に非常事態発生か? 車の故障か? 替わりのドラムを探さなくては! 誰にしようか?

 留守電を聞いてみると、
『今日の演奏時の服装はどうしたらいいのか? スーツか?』 という質問だった。
 ほっとしてコールバックして、
『7時に集合ね。』 と念を押した。

 夜7時を10分過ぎた頃。 ラムキンの姿はない。 会場入りした僕の携帯電話が鳴る。
ラムキンだった。 確信的に、
『渋滞に巻き込まれた! まだニュージャージー州だ!』
と言ってくると思った。 演奏開始が遅れるなぁ。 最悪、替わりのドラムを手配しなくてはいけないのかなぁ?

 電話をとると、
『 Kitano Hotel の住所を忘れた、教えてくれ。 すぐ近くにはいるんだけど。』
 ほっとして住所を告げる。

 7時40分を過ぎたころ、ラムキン到着。 集合7時と言っても40分は遅れた事実に、いつものことながら驚愕するどどさん。 しかし、遠いところを、この日のためだけに来てくれたことに感謝。 (もっとも3月には、14時間以上かけて日本まで来てくれましたからね。 4時間ドライヴなんて、余裕か。)

 ドラムのセッティング、車のパーキングスポット探しを経て、8時を10分ほど遅れて、百々徹の JVC Jazz Festival デビューライヴが始まったとさ。

6/24  < SOMI East Coast Tour >
 16日から20日の5日間、 SOMI の東海岸ツアーより無事生還。
( Somi on voice, Herve Sambs on guitar, Massimo Bioclati on bass, Daniel Moreno on percussion, and Toru Dodo on piano )

 ツアーというのはツアーというだけあって、演奏する時間より移動している時間の方が長いのが常なのだが、今回の行程のハードさは、今までに類を見ないものがあった。

 予定では、SOMI と僕が運転を半分半分で行うということだった。 ベースのマシモも運転できるが、今回 彼は初めてこのバンドに参加するということもあり、いきなり運転をまかすわけにもいかないというのもあった。
(フランス在住のギターのハーヴィーはアメリカの運転免許がない。 楽器のセットアップに一時間、片づけに一時間かかるパーカッションのダニエルは、はなから運転する気などなかった。) 
 ところが最初に乗った SOMI の運転が、割と同乗者に不安をかりたてる運転をするので、バンドメンバーから
『頼むからトールが運転してくれ!』
という声が多くなり、僕がハンドルを握る時間が増えたのが、より このツアーのテンションを高めた。 このツアーは、俺のハンドさばきにかかっている、と思ったら運転中にうかうか眠っていられなかった。  ヴァンの運転等まともにしたことのなかったどどさんだというのにね。

 初日。 朝5時30分 起床。 7時にアップタウンのレンタカー屋さんに集合。 6時間かけて NY州の Rochester までドライブ。 (そのうち どどさん、5時間程運転。)

2日目。 朝4時30分にチェックアウト。 飛行機で一度 NYC の JFK 空港を中継して Boston へ。 午後2時に演奏して、しばし休憩後、Baltimore までおよそ9時間ドライヴ。
(そのうちどどさん、4時間ほどドライヴ。 後半はダウンしてベースのマシモにハンドルを託した。)

因に、皆様には世界地図をめくっていただけると分かると思うのですが、この日、SOMI グループは、一日に2回 NYC を経過したのだ。

 深夜2時過ぎに Boltimore に着いたが、宿泊場所がいわゆるモーテル。 湿っぽい部屋。 シーツには虫が走り、隣の部屋からは、秘め事に勤しむ 動物になった人間の喘ぎ声が聞こえてくる。
 当初、ここに3泊する予定だったのだが、さすがにひどいと、3日目、急遽ホテルを変更。 隣の Virginia 州にある Hilton に宿泊することに。
 そのかわり4日目は、高い Hilton には泊まらずに演奏終了後、 WashingtonDC から NY まで深夜の5時間ドライヴ。 (どどさんグロッキー。 マシモが一人でドライヴ. 感謝。 結局マシモが一番運転時間が長かったかも。) 朝の7時に自宅に戻り仮眠して、Joe's Pub の午後2時のサウンドチェックに向かう。

 最終日の Joe's Pub でのライヴには、ロンカーターやギルゴールドスタインが聞きにきていたりして、まぁそれは NY っぽい華やかなツアー最終日ではありましたが、どどさん、只今、かなり疲労気味であります。

 行けー! 日本! やったー先取点。 あぁー同点に。 うわーまたゴール。 またゴール。 またゴール。 ブラジルー!!! おやすみなさい。

7/2  < Pete Zimmer's Recording & Review >
 1)百々徹史上最高に忙しかった6月であった。 カーティスフラーでジャズフェスありーの、 SOMI で東海岸ツアー行きーの、自分のライヴもありーの、 Chris Baker というアルドサックス奏者のレコーディングセッションありーの、そんななか、レッドソックス VS ヤンキーズ戦を観戦しに行きーの、山田敦さん率いる AAC のコンサート鑑賞しに行きーの、秋吉トシコさんの JVC ジャスフェス聞きに行きーの。さらにワールドカップサッカーのテレビ観戦しーの、ウィンブルドンテニスのテレビ観戦しーの、ヤンキーズ VS メッツのサブウェイシリーズのテレビ観戦しーの。

 このあまりの忙しさに、映画『スーパーマン』も『Cars』も見に行けてないのだ。 ゴルフの練習もフランス語の練習もおざなりになってきたのだ。 忙しさに負けそうだ。

 さらにこの週末、Pete Zimmer の3枚目のレコーディングがあった。 いつものクインットに加えて、今回はジョージ・ガゾーンが数曲特別参加。 マイケルブレッカーが、すごいと認めたという (この話し定かではない。 違っていたらごめんなさい。) テナーサックス奏者と録音できたことは、とても光栄。 実際ガゾーン、凄かった。 百々徹も認めた。

 バークリーの先生もしているこの方、僕も在学時代、彼の授業を受けたりして、凄い演奏家だと思っていたが、久々に共演してみると、さらにとんでもなく凄い演奏家だと思った。 ヤバい人はいるものである。

2)『 DODO 3 』の批評が、NY に出回っているジャズ情報新聞、『 All About Jazz 』 7月号に掲載された。
 日本では、Swing Journal や JazzLife といった雑誌が百々徹の新譜の素晴らしさについて、早くから認めていたが、ここ NY でもようやくこの CD の存在に気づきはじめたようである。
 僕の英語力に狂いがなければ、NY の批評家も見事に、『 DODO 3 』の偉大さを聞き取れたようである。
冒頭の文章をコピーするが、もうこの文章が出ただけで、百々徹かなり満足らしく、毎日何度もこの批評文を読んでは、英語の勉強をしているらしい。

 Toru Dodo's name may not be at the top of people's lists of riveting jazz pianists-yet- but with recordings like Dodo 3, such recognition could come soon enough.

7/12  <井上智日本ツアー 2006 その1>
 というわけで、現在、井上智 CD リリースツアーで、日本巡業中。
 ようやく時差ボケから解放されたかなと思いきや、日本では早朝に放送されるワールドカップサッカーの試合を見てしまい、相変わらずボケボケしつつも、計14公演のうち、ここまで無事に7本終了。 折り返し地点の神戸に到着。
(ジダンの頭突きを、早朝の山代温泉の旅館の和室のテレビで見ることになるとは予想しなかったなぁ。)

 1)高島政伸さんと、NHK の韓国語講座などで活躍する韓国の俳優の方(お名前失念失礼!)が Body & Soul に聞きにこられていた。 写真とってもいいですか、とお願いした百々徹。 因に、ベースの植田典子は、この日、東京駅で堤真一を見たらしく、「東京はすごい」と妙に感動していた。

 2)甲府の『コットンクラブ』に聞きにきてくれたのが、バークリー時代の同窓生のピアニストの古谷淳君。 8年以上ぶりの再会。 聞けば、彼は、この会場から目と鼻の距離にある『 Alfie 』というレストランを経営しているという。 ライブ後、彼のお店に遊びに行けば、そこに現れたのが新婚の奥様メグさん。 彼女は、数年前に、僕がホストをするクレオパトラズニードルのジャムセッションに、よく歌いに来られていた方。

3)金沢大学のビッグバンドの練習場に立ち寄る機会があったのだが、彼らが山野のコンテスト用に演奏していた曲の作曲者が、アルトサックスのミゲル・ゼノン、そしてそれをビッグバンド用にアレンジをしたのが、田中充。 二人ともバークリー時代の同期である。 山の緑に囲まれた広大な敷地を誇るキャンパスで、彼らの名前を聞くとはなぁ。
(金沢大学の皆さん、実に見事なアンサンブルを聞かせてくれた。 山野頑張ってくださいませ。 あ、明治大学もね!)

4)ジャズに関わる人で、強烈なキャラの人というのは多いものだが、富山の「ワークショップ」のマスター、サカキバラさんは、強烈キャラコンテストで毎年上位3位に入ると思われるほどの濃さがあって、僕は圧倒された。 60年代の新宿、70年代のアフリカ、スマトラ沖地震後の救済活動、ジャズ、落語など、彼の語る話は、無尽蔵だ。 またここに来てお話を聞いてみたい。

5)京都の「ルクラブジャズ」にお越しになったお客様の中に、僕が NY で教えていたピアノの方のお母様がいらした。 彼女は数人のグループで来られていたのだが、その中に、彼女がお世話になっているという整体師の方がいて、その方は、井上智さんの日本の大学時代の同窓生だった。

6)大阪で、FM・Cocoro のクリスさんのインタビューを受けた。 8月20日の夜に放送されるらしい。

7)泊まっていた大阪の APA ホテルにK1の武蔵がいた。 格闘家も APA に泊まるのね。 そういえば、APA に泊まると、 ANA のマイルがたまるらしい。 これって、会社の名前が似ているから、こういう業務提携が成り立つのかしら。 だとしたら、ドトールコーヒーのコマーシャルの音楽を百々徹がやってもいいのではないだろうか?

8)ツアー中に放たれた、井上智の印象深い 1駄洒落ベスト3
「ここはどうか示談で」
〜レッドカードを撤回させようとする ジダン選手の気持ち。

「派手な色を使ったら出入り禁止やで。」
〜京都の景観防止条例のためか、コンビニの『 Daily Yamazaki 』の看板の色が、東京のと違うのを発見して。

「ここでコルトレーンは激しい恋愛をしたんや。 四条の愛」
〜京都ルクラブジャズに向かう途中で。

7/20  <井上智日本ツアー 2006 その2>
ツアー終了!
聴きに来てくださった方、ありがとうございました。

1)オフ日にトムクルーズ主演の『MI3』を見る。 映画で、絶対トムクルーズは死ぬ事がないとわかっているので、いくら趣向凝らしたスリルサスペンスを織り込んでいても、どどさん、あまりどきどきわくわくしなかった。 『ラストサムライ』でも彼は生き残ったしなぁ。 案の定、『MI3』でもトムクルーズは生還、誘拐された奥さんも無事。 デカプリオが死んだ『タイタニック』はその点、すごい映画だった気がする。

2)オフ日に中学時代の同窓会があったという智さん。 翌日の神戸サテンドールのライヴにも多くの同窓生が集まってくださった。 智さんが、
「30年ぶりに再会した人と2日続けて会うとは。」
と語っていたのが印象的。

3)僕の生まれた72年に創業の姫路のライラ。 小さいお店だが、集まったお客様のその熱さに心打たれた。 何を弾いても
『オー!イェイ!』
状態だった。
2セット目の途中で、マスターが、
「ちょっと、お話しましょうか。 質問コーナー!」
と突然、お客さんからバンドメンバーへの質問コーナーになった。
こんな展開も許される、ライラライヴ。 また来たい。

4)四国は初めて行った。 瀬戸内海を見た。 小島を見た。 今治の「ジャムサウンド」、丸亀の「布木紙楽土」、共に大盛況だった。 物音たてず、全身耳になって、演奏を聞いてくださる上品なお客様が多くいた印象を受けて、主催者の方に確認してみたところ、
「実は、下半身は“隠れラテン”なんですよ。」
と説明された。 どういう意味なんだろう。

5)丸亀の会場にあったピアノを調律してくださった白川さん。 聞けば、e-bay で古いピアノをヨーロッパから輸入してオーバーホールして、販売するというビジネスをされているらしい。
 この日僕が弾いたのは1800年代のベーゼンドルファー。 ヨーロッパの上流階級の嗜好品であったピアノ達が、丸亀に渡っていく。 壮大なロマンではないか。

6)車のナビでは4時間30分と出ていた、丸亀ー名古屋。 実際、大雨にもたたられ、なんだかんだ7時間かかって名古屋スターアイズに到着。 この日よりバンドの疲労もピークにさしかかってきた。

7)名古屋から5時間で横浜到着。
移動中に聞いた、今回のツアーの運転手をしてくださった石崎さんのi- tuneに入っていた、立川志らくさんの小ネタ CD からパクって、ステージ上で披露。

 智 『私の愛犬(チワワの雑種)に捧げて作った曲「チコリ」を演奏します。』
 どど 『あの、智さん智さん。 最近悩んでいることがあるんですけど。』
 智 『どうしたんや。』
 どど  『最近、自分は人間じゃなくて、実は犬なんじゃないかと思っているんですけど。』
 智 『いつからや?』
 どど  『子犬のころからです。』

『あの、智さん智さん。』 という所で笑いが起きて、肝心のオチで静かになってしまったのが、果たして、成功だったのか失敗だったのかよくわからなかった。

8)ツアーのトリは、NHKFM Session 2006の公開録音。
疲労が限界点に達していたのかもしれない。 前日に打ち上げをして飲み過ぎたのがいけなかったのかもしれない。 収録は50分。 短い、楽勝、と思って油断したのかもしれない。 ふれあいホールに、大雨の中、300人くらい、お客様が集まったという事実にビビったのかもしれない。

13日も演奏してきた曲が、この日に限って、初めて演奏する曲のように、難しく感じられ、指も思うように動かず、前半、もう百々徹は中田に続いて引退なのではないか、と思うくらい弾けなかった。 信じられ中田(なかった)。 後半,少し盛り返せたかもしれなかったが、これが、電波にのって全国に流れるかと思うと、ぞっとしてしまう。 受信料はしっかり払おうと思う。

7/27  <時差ボケで朝6時に起きてこの文章を書くの巻。>
 昨日、米国の日本語放送で、最近の日本の雇用状況についてのレポートが流れていた。

 団塊の世代が退職して、労働力が足りなくなっていると。 バイト代の値上がり。 バイトの社員化。 雇用年齢制限の取り外しが行われていると。

 都内のとあるモスバーガーでは、夜の9時から12時まで、高齢者がレジに立っているので、『モス婆爺(モスバージー)』と呼ばれて近所で話題になっているという。

 ここで
『いらっしゃいませ。』
と元気に声を出している70歳の男性にスポットライトがあてられる。 とても70歳には見えないほど、背筋はピンとしていて、どこかひょうひょうとしている。
 若い女性客に、
『タマネギ嫌い、なんて言っていると、お嫁に行けなくなるよ。』
等と話し掛け、マニュアルにはない、この方の人柄が出た接客が、好評だという。

 この方、朝はゴミ収拾のバイトもされているのである。 朝はゴミ収拾、夜はモスバーガーで、月収20万は稼いでいるという。

 高齢化社会に入る日本。 元気なのに年齢制限があって働けなかった、老人の再雇用の道が開けてきたという、明るいニュースなのかと、漠然と見ていたどどさん。 しかしである。

  レポーター  『何故、今でも働いているのですか?』

  70歳男性 

『昔、好きなことばかりやってまして、貯えがないもので。 働けるうちに、働いておこうと思いまして。』

 この方、若いころ、売れっ子ピアニストとして、日に3軒も銀座のバーを掛け持ちして、演奏して暮らしていたそうである。 ところがバブル崩壊で、バーが潰れ、廃業したという。

 途端に、自分の将来に不安を覚えはじめたどどさん。 なんとなく暗い気分になった。 どどさんも、70歳になった時に、ドトールコーヒーで『いらっしゃいませ。』等とやっているのだろうか。

  じいさんもボケてられない、
  どどさんもいつまでも時差ボケてられない。
  そんなテレビを見てしまった。
 (井上智的オチになってしまったような気がする。)

7/31  < Kitano 2 Days >
 真夏日となった7月最後の週末、自己確立度、音楽の成熟度には常人の域を遥かに超えた百々徹の、奇を衒わずとも、まだまだジャズは新しくて面白いと思える音楽が NY ピープルを心酔させた。

 と思ったのはスイングジャーナルの中山さんと百々徹だけだった恐れがあるが、7月28日と29日の2夜連続、Kitano Hotel で僕のバンドのライヴがあったことは確かなことだ。
 初日はトリオで、2日目は、テナーサックスの Wayne Escoffrey を加えたカルテット。 因みに、ベースは Joseph Lepore にドラムに初共演の Henry Cole 。

 今回聞きにきて下さった方の中に、All About Jazz ( NY に出回る月刊フリーペーパーのジャズ情報紙)の今月号に掲載された『 DODO 3 』の批評を読んで聞きに来てみた、という方が数人いた。
 そういう方は、演奏終了後に『 DODO 3 』を買ってもくれた。

 明らかに日本語がわかりそうもない方達に、ライナーノーツや楽曲解説すべて日本語で書かれてある CD を売って、果たして彼等にどどさんの面白みが伝わるか不安だった。
 しかし、僕は実は音楽で勝負しているんだと、思いなおし、それと、彼等が差し出す現金を目前にして、迷わず売った。

 聞き取りにくい英語を話す、わけわからない東洋人の音楽を買ってくれる西洋人がいる。 彼等を動かせたのには、もちろん、どどさんの『理知的な中にワイルドさを秘めた演奏スタイル』(By 常磐武彦) に魅了された部分もあるとは思うが、少なからず、 All About Jazz のはっきりしたわかりやすい英語で書かれた批評文の力があったはずだ、

  批評で人種の壁が超えられる。
  ペンは鍵盤より強しである。

 どんどん世界中に百々徹の音楽を批評してもらえたら、百々徹ももっと楽な暮らしができるのではないだろうか。 そんなことに思いをはせる、どどさんであった。

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 ● 28日、ボストンからバスに乗って、聞きにきてくれたバークリー留学中のピアニスト 佐藤浩一君や彼の友人ドラマー集団、ありがとう!

 ● All About Jazz の批評文はこちら。
http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=21836

 ● 常磐武彦さんのサイトは
http://taktokiwa.tripod.com/

 ● 佐藤浩一君のサイトは
http://www.geocities.jp/k_o_c_c_h_i/