00-10 (Japanese Only)

2006年 その3

8/8  <同窓会のような>
 (その1)
 先日、バークリー時代の同期に8年ぶりに会った。 イスラエルに住んでいる Alon Farber というアルトサックス奏者で、ハネムーンで NY に来たという。

 夕方、MOMA で待ち合わせをして、コロンバスサークルの Whole Foods Market でスープを買って、近くのセントラルパークのベンチでお互いの近況を語り合った。
 在学中、よく演奏した仲である。 不思議と8年ぶりに会った感じがしない。 お互いあまり変っていないのかもしれない。

 やはりバークリーの同期だった、アルトサックス奏者の Miguel Zenon のライヴを Jazz Gallery に聞きに行こうということになり、その前に彼等が滞在している家に少し立ち寄って時間をつぶそうということになった。
 (その2)
 場所はワシントンスクエアの西側の賑やかな通り。 そこは、やはりバークリーの同期の、とある女性サックス奏者の家。 彼女の彼氏は、ユダヤ人の成功したビジネスマンで、この4階立てのビルディングすべてを所有しているという。

『今、彼女達は外出中だ。 ちょっとこの家は、 Toru も見ておいたほうがいいと思うんだ。』
と Alon に誘われて御宅訪問。

 Alon 夫妻は、1階のフロアを与えられている。  玄関を入るとすぐに楽器の練習スタジオがあり、グランドピアノ、ベース、ドラムセットが整然と置かれてあった。 フロアを進むにつれて、近代的なデザインの広いキッチン、さらに10人は座れる程の長いテーブルが置かれたダイニングルームがあった。
 ダイニングルームの奥の扉を開けると、内庭が広がっていて、木々が生い茂り、夏の厳しい日差しをさえぎり、まるで避暑地に来たかの錯覚を覚えた。 丸太で作られたベンチと机があった。 バーベキューセットもあった。

『ワオー。 NY のこんな賑やかなエリアに、こんな豪華な家があるなんて知らなかった!』
 金持ちと有名人に弱いどどさん、絶叫するしかなかった。

『ワオーだよね。 彼は、滞在中、僕達に携帯電話も貸してくれたんだよ。 そうだ、ちょっとビールでも飲もうか?』
とキッチンに向かう Alon。

 ピカピカの冷蔵庫を開けると、ビールが何ダースも並んでいた。
『飲み放題なんだよ、ここは。』
 僕達はコロナを取り出し、栓抜きを探す。 ところが栓抜きがない。 キッチンの引き出しをあちこち開けまくる Alon.。 引き出しの中には、何十種類もの包丁から、何十種類ものかき混ぜ器から、どんな料理にどうやって使うための道具なのかさえもわからないものが、ごまんと仕舞われていた。

『こんなに食器があるのに、ビールが飲めないなんて。』
と笑った矢先にようやく栓抜きを発見。 乾杯。   (その3)
 Miguel に会ったのも5年ぶりかもしれない。 相変わらず素晴らしい演奏だった。 控え室に挨拶にいく。
『 Alon,! Toru! 久しぶりだね。 今度会うのは5年後とか嫌だから、もっと近いうちに会おう!』
と言われた。

 腹を空かせた僕達は、その後、SOHO をブラブラと歩き、とあるタイと韓国の混合したアジアンレストランに入る。
 ビビンバに食らいついているイスラエル人に、どうしても聞いてみたかった質問をしてみた。

 『僕個人ではどうすることもできない。 解決策も見つけられない。 国に帰ったらもしかしたら戦争は終わってるかもしれないし。 こうして NY にいる今を、思いきり楽しもうと思っている。』
と言って、かわいい奥さんの手をそっと握りしめた Alon。

別れ際に、彼は、そうそう、これを渡そうと思って、とカバンから取り出したのが、
『EXPOSURE/ The Alon Farber HAGIGA Quintet』  (Fresh Sound)
実は、僕も、とカバンにひそませていた『 DODO 3 』を取り出し、交換したどどさん。 お互いの健勝を祈って別れた。

8/15  <ルーマニア〜イラン〜アフリカ>
1) ルーマニアのラジオ局の人からE-Mailが来た。 それによれば、とあるサイトで僕の音源を聞いてそれをえらく気に入ったという。 彼のラジオ局で是非流したいので、CD を送ってくれないか、という。 ルーマニアでは、聞ける音楽も限られているし、CD の値段も平均 月給の4分の1もするという。 僕の音楽は、ルーマニアの人々に大きな喜びを与えるだろう、と綴られていた。
    
そういわれちゃぁ、送らないわけにはいかないでしょう、と “116 West 238 St.” と “ DODO 3 ” を送ったのが2ヶ月前の話し。 その後、彼の友人という人からメールが来て、 『放送を聞いた。 君はすばらしい。』 等という内容。

先月にまた彼から、 『是非、“ DODO ” と“ Melancholy Cats ” も放送したい。 送ってくれないだとうか? 』 と来た。 僕の手持ちも限られているので、CD-R に焼いて送った。

彼とはメールだけのやりとりだけだ。 僕の音楽を絶賛してくれる人に悪い人はいないと思うが、本当に僕の音楽がルーマニアで流れているのだろうか? という疑問が常にある。

どうやったら確認できるのだろう? ルーマニアといったらコマネチしかイメージできない、どどさんの乏しい知識力が情けない。
  
とりあえず、本当に僕の音楽が流れていたら素晴らしい事だと思うようにしている。

2) 最近イランに行ってきた、僕の友人の天平さんのサイトを見ると、色々と考えさせられる。 アメリカの報道では、この国が、アラブのテロ組織を影で支えているらしいが、この国で生活する人々はいったいどういう人たちなのか。
    http://web.mac.com/tempeiiwakiri/

3) どうやらどどさん、SOMI のツアーで、9月から一ヶ月ほどアフリカに行くらしい。 いまだにはっきりとした予定がわかっていないのが、すごいところだが、今ある情報では、ケニヤ、ウガンダ、ルワンダ、スーダン、モザンビーク、南アフリカ共和国等、けっこうあちこちで演奏するようだ。 なんだかえらいことになりそうだ。

8/24  <アフリカ行きキャンセルとオスカーピーターソン>
1)SOMI のアフリカツアーの話がキャンセルになった。ギャラの問題がクリアされなかったらしい。
 また長文の『どどさんのアフリカ旅行記』を HP にアップすることや、一ヶ月のアフリカ体験を経た百々徹の新作 CD 『 DODO 4 』はどこかアフリカの大地を感じさせるスケールの大きなものになったと批評される事がなくなってしまって残念である。
 アフリカ行きに関して、厳しい気候条件や衛生面、風土病などの不安があった事は事実だが、いざツアー取りやめが決まると、今度は9月の僕のスケジュールの空白が際立ち始め、それはそれで不安になってしまったどどさんであった。

2)22日、Birdland にオスカーピーターソンを聞きに行った。 生まれて初めて彼のライヴ鑑賞であり、きっとこれが見納めになるだろうという気持ちで会場に向かった。
 会場は超満員。 演奏開始のコールがなされると、観客総立ちで81歳のピアニストの登場を迎える。 歩くのがとても不自由そうだった。 深々と頭をさげて、観客に応える彼の姿に、目頭が熱くなった。
 数年前に心臓発作で左手が不自由になってから、限られた所でしかコードが押さえられない事、右手のパッセージも、往年の頃のスピードはすでに失われていた事はいたしかたない。 しかし、バラードの演奏時に聞こえてきた音の輝きを、僕はずっと忘れないだろう。
 ブルースでセットを締めくくり、バンドメンバーに体を支えてもらいながら舞台袖に戻る巨匠の姿に、僕は再び涙をこらえながら拍手を送った。

8/28  < FM >
 1)大阪方面の皆様。
来る9月3日(日)の23:00−25:00に FM COCOLO (76.5MHz) の World Jazz Warehouse という番組で、百々徹のインタビューが放送される予定です。
http://www.cocolo.co.jp/jazz/index.html

 7月の井上智ツアー中の合間に、大阪のロイヤルホースで収録されたものです。
 迫力ある関マスターに、隣に座られたどどさん、 DJ Chris の質問に、ちょっとおどおどしながら受け答えしている様子が聞けると思います。
 大阪方面以外にお住まいの方は、オンエアの時間帯にじっと耳をすましてみてはどうでしょう。
 どこからか虫の鳴き声が聞こえてきて、秋の訪れを感じるかもしれません。

 2)日本の皆様。
来る9月24日(日)午後10時〜10時55分に NHK-FM 「セッション2006」で、井上智カルテットのコンサートが放送されます。 再放送日は 9/29(金)午前10時〜10時55分です。 疲労なのか緊張なのか、手に鍵盤がまるでついてこない感じで弾いている、ピアニストの葛藤を聞くことができるかもしれません。
 ピアノソロの所だけ、百々徹を助けると思って、耳栓してアー! と叫んでみるのもいいかと思います。
 ヤバイ、寒い。
 冬の訪れを感じてしまう方もいるかもしれません。

9/4  <夏の終わりに。>
 8月29日。
 SOMI の Birdland でのライヴに参加。 アフリカツアーのキャンセルがあり、行けなくて残念だなー、 9月暇になっちゃったじゃんよー、 どーしよー的な感じがメンバーに漂っていた。
 しかしながら、一週間前に見た、オスカーピ−ターソンが弾いた、同じベーゼンドルファーを弾く事ができて、個人的に満足。 オスカーが座ったピアノ椅子に座る事ができて、どどさん幸せ。 オスカーが踏みしめたペダルを踏めて、、、、もういいか。

 8月30日。
 ドラムの倉田大輔君の帰国記念ライヴがハーレムの Showman's で開かれた。 彼の7年間の NY 生活で築いた、大勢の友人が会場を埋めつくしていた。
 少し寂しくなるが、この時代、またすぐ会えるよね。 活躍期待してます。(結婚おめでとう!)

 そういえば、この日、ジャムセッション大会になり、どどさん ハモンドB3オルガンを生まれて初めて弾いた。
(この会場にはピアノがない。)
 ホストバンドの敦賀明子さんに、30秒ほどの緊急オルガン講習をうける。

『ここのスイッチをこうして、ここのバーを引っ張って、このボタンを押すと、派手な音がするの。』

 ウオ! わからない。

 2段に分かれている鍵盤。 上段は右手で弾くの? 左手で弾くの? あー 曲が始まっちゃったよ。 どーなの? 深いラフにはまったボールを、何番アイアンで打てばいいのかわからずあわてふためき、そのうえ、何番で打ってもボールが前に進まない、どどさんのゴルフを思い出した。

 演奏終了後、敦賀さんに、
『そういえば、ペダルの事教えるの忘れてた。』
何、ペダルも使うの?
今度彼女にゆっくり教えてもらおうっと。

9/12  < Toru Dodo Meets Toru Dodo >
 9月10日。
 百々徹がジャムセッションの司会進行をするクレオパトラズニードルに、細身で長髪、バッグパック姿の百々徹が現れた。
 My Space で知り合い、メールのやりとりがあり、この日ここに来てくれる予定だった。

『こんばんは。はじめまして。百々徹です。』
『これはこれは。百々徹です。』

 彼が見せてくれたパスポートには、まぎれもなく、『百々徹』と記載されてあった。百々徹と百々徹、ご対面である。

 9月11日。
 百々徹と一緒に夕食を食べた。

 東京生まれ。外交官の両親を持ち、小学校時代はブラジルとフランスで過ごしたという。 英語はもとより、フランス語、ポルトガル語に堪能。 高校卒業して鳶職をやり、19歳になった先月から単身世界旅行中だという。 あと数週間アメリカをまわった後、中南米に向かうらしい。 20歳の誕生日に帰国予定ということだ。

 前日は、Penn Station で一晩過ごし、テロ後5年がたったワールドトレードセンター跡地を見学し、セントラルパークで昼寝をしたという百々徹。 髪や身体を少しかゆそうにしていたが、疲れを見せず、快活に色々と語ってくれた。

 日本の詰め込み教育に対する違和感。
 大学進学に対する疑問。
 この旅にかける思い。

『将来は映画監督になりたいんだけど、そのために、色々人間を鍛えたくて。 鳶職みたいなプロレタリアも体験したし。 今回の旅でまた人間を深められたらいいと思う。』

 同姓同名の人に会うというのも、珍しい事だが、夢を持って、今しかできない事をしっかりと実現している彼のような若者に出会えて、34歳の百々徹はなんだか嬉しかった。

『いつか君が映画をとるとき、僕が音楽参加してもいい?』

 と、ほとんど本気で聞こうと思ったが、19歳の百々徹は、

『僕、ギターとドラムもやるんです。
映画音楽も自分でやろうと思って。
でも名前が同じだから、クレジット見た人はややこしく思いますね。』

 うん。ややこしくなりそうだ。
今晩は NY に留学中の高校時代の友人の寮に潜り込む予定の百々徹を車で送り届け、別れた。

 この旅で百々徹はいったい何を得るのだろう。
 旅の後、百々徹は何を見つけるのだろう。
 再会が楽しみだ。

9/20  <読書の秋>
 *夏休みが終わって秋休みに入った百々徹。 暇を持て余して、最近、ミュージックビジネス関連の啓発本を読み漁っている。

 『アートで生きていく、食べていくならそれはビジネスだ。 しっかりとしたプランを起てていかないと、ビジネスは成功しない。』

 ジョンラムキンも、このような事をよく言っていたなぁ。 彼もこの本を読んだのかなぁ。

 『自分で、自分の死亡記事を書いてみなさい。 生前どのような業績をあげて、どのように他人に記憶されたいのか。 その記事の内容が、君の目標になる。 その目標に向けて、行動していくんだ。』

 わお! そうなの! すげぇ!
 それじゃあ、まずは、自分が死んだ時に死亡記事が新聞に載ることを、目標にしようかな。
 でも、これだと目標達成できたかどうだか、自分で確認できないしなぁ。 どうしたらいいんだ?

 *来る9月24日(日)午後10時〜10時55分にNHK-FM 「セッション2006」で、7月に収録された“井上智カルテット”のコンサートが放送されます。
(再放送日は 9/29(金)午前10時〜10時55分。)
 8/29の作文で、

『疲労なのか緊張なのか、手に鍵盤がまるでついてこない感じで弾いている、ピアニストの葛藤を聞くことができるかもしれません。 ピアノソロの所だけ、百々徹を助けると思って、耳栓して アー! と叫んでみるのもいいかと思います。 』

 等と、どどさんの繊細で弱気な一面をのぞかせてしまったが、あの演奏から2ヶ月がたち、今では、
『皆さん、ピアノソロの所だけ、百々徹を助けると思って、耳栓に目隠ししてくれても構わないぞ!』
という心境にまで自信を回復してきた。

 ではでは!

9/25  <クレパトの新しいピアノ>
1) Cleopatra's Needle のピアノは古く、鍵盤も重く、これが弾ければ、どんなピアノも怖くないといった、言わば、大リーグ矯正ギブスのような代物だった。
 ところが、3日前に、オーナーがなんと新品のヤマハのグランドピアノを購入。 WOW! である。

 NY でいいピアノがある場所は本当に限られている。  NY に住み始めて、クレパトのオンボロピアノを弾いている自分の状況を発奮材料にして、いつかいいピアノがあるクラブで演奏することが、自分の目標になっていた時期もあった。
 しかし、毎週出演させてもらっているクレパトのピアノがアップグレードしたという事は、もう百々徹、クレパトに骨を埋めてもいいのではないか、とまで思ってしまいそうだった。

 豪腕ピアニスト達に毎晩弾き倒される運命にある、このニューピアノのメンテナンスが今後の課題だが、まずは朗報。

2)また土壇場でキャンセルされるかもしれないが、10月初めの週の週末に SOMI バンドでフランス領ギアナに行くことになった。 突然キャンセルされるかもしれないが、そこで開かれるジャズフェスで演奏するらしい。
 この国へは、黄熱病ワクチンを接種しないと入国できないという。
 かの野口英世もこの病気に罹って亡くなったらしいが、これで、百々徹も同じ病原菌を注射されて(いつか)生涯を閉じることになった。

3)9月24日(日)のNHK-FM 「セッション2006」で放送された “井上智カルテット”のコンサートを聞いてくださった中で、こんなメールをいただいた。

『耳をふさいで聞いたので、どどさんの演奏の、どこが悪かったのかまるでわからなかったです。』

 すばらしい感想ありがとうございました。 ちなみに、再放送日は 9/29(金)午前10時〜10時55分です。

10/11  < Cayenne Jazz Festival >
 10月4日から8日まで南米のフランス領ギアナの Cayenne Jazz Festival に SOMI バンドで演奏。

 1)4日。 NY からPuerto Rico、Guadeloupe と飛行機3本乗り継いで、なんやかやで丸一日かかって Cayenne に到着。
 国のほとんどがジャングルに覆われているという情報。黄熱病注射をしないと入国できないという事実。 僕は、昨年行ったニジェールのような厳しい環境を予想していた。

 しかし、滞在したエリアは、裕福な層が集まる落ち着いた所であった。 商店街の真ん中に位置するホテルの部屋は、虫一匹いない清潔に保たれたものだったし、滞在中に支給された米と魚主体の食事は実にトレビアンだった。
(この国はフランス語が公用語。)
 蒸し暑かったが、いたるところで冷房完備。

 主催スタッフの優しさも嬉しかった。
 空港に預けたバンドメンバーの荷物が、2日も届かないというハプニングがあったが、スタッフの方は、T−シャツから歯ブラシセットまで支給してくださった。 パンツは、表裏をひっくりかえしてはいてしのいだ。

2)植物園に設営された野外ステージを飾ったのは、 NY から、パリから、ブラジルから、カリブから、地元フランス領ギアナから集まったバンド。

 著名なところでは、ドラムの Will Calhoun グループ (マーカス ●ストリックランドや、オリン ●エヴァンスが参加)がいたし、パリからはジョー・ザヴィヌル グループのベーシストが参加している Bzzz Puk というグループがいた。
 とりわけ、ブラジルのマンダリン奏者 Hamilton De Holanda のバンドは素晴らしかった。 超絶技巧を駆使したブラジリアン ヒュージョンであったが、美しかった。 すごい人っているものである。

 『 こんな中で演奏する俺 』に酔ってしまうどどさん。 ジュスイトレズールーであった。
(仏語でとても幸せの意。 発音がなってないって?)
 音楽が僕をここまで連れてきたんだ。
 音楽メルシーボークー。

3)番外編。
 Cayenne に到着した時、空港のロビーには、多くのジャズフェスのスタッフが僕たちを待ち構えてくださった。 中には今回のイヴェントのドキュメンタリーを撮影するカメラマンもいた。

 彼らは、SOMI のもとへ、ボンソワー。
 ギターの Herve のもとへ、ビアンヴニュ。
 パーカッションの Daniel のもとへ、コモサヴァである。
 気づけば、ベースの Wayne はヴィデオカメラマンのインタビューに応えていた。

 しかし、彼らは、何故か僕を素通りなのである。
 お、俺に挨拶は?
 俺もボンソワー言いたいのに。

 後から思えば、ピアニストの特性上、楽器を携帯することもなく、長旅を予想して、髪も特にセットもせず、小汚い格好をしていた僕はもしかすると、ジャズフェスで演奏するミュージシャンに見えなかったのかもという気がしてきた。

 ちょっとこれは問題なような気がしてきた。

 ミュージシャンといえば、ショービジネスに関わっている人間である。 オーラがあるものである。 ギラギラしてるものである。
 たとえ楽器を持っていなくても、この人は、何かやる人に違いないと思わせるものがあるはずである。

 スーツを着て、やっと学校の先生に見えるのが精一杯のどどさんには、もっと見た目改善が必要な気がしてきた。
 初対面の人に、僕はミュージシャンだとわかってもらえる努力をするべきかもしれない。 フランス領ギアナ人にカメラを向けられなかった寂しさを胸に、明日からがんばろうと思うどどさんであった。

10/23  < West Side Story >
 車で20分の距離にある、NY の Tarrytown という街の学生ミュージカルのバンドに、急遽参加することになった。 演目はバーンスタインの『ウェストサイドストーリー』である。
 どどさんは、ストリングセクションを担当することになった。 久々にヴァイオリンを弾くわけであるが、倉庫にしまってあったストラディヴァリウスを取り出し、アイザック ●パールマンの DVD を見ながら練習してみた。
 何を書いているんだ?
 どどさん、シンセでストリングセクションを弾く訳である。 ピッツィカートの部分とアルコの部分が頻繁に出てくるので、2台のシンセを持ち出して、瞬時に弾きわける感じだ。
 複数のキーボードに囲まれると、何故か小室哲哉気分になるのは、かつて日本の TV をよく見たせいであろう。

 昨日からリハーサルが始まった。
ミュージカルが生まれ、ジャズが元気だった50年代のアメリカ。 その頃の音楽のシーンの、主役をはっていたバーンスタインの才能が、溢れんばかりに譜面一面に広がっていた。
 発見したのだが、素晴らしい音楽は、時に、演奏するのが大変難しいということだ。
 7人編成のバンドには、クラシック畑、ジャズ畑の人が集まって(トランペットの Duane Eubanks もいた。)皆 四苦八苦して、まるで暗号を解読するかのように、譜面を読んだ。 4時間のリハーサルを行ったのだが、それでも、全部のスコアをカヴァーできなかった。 この調子では、今週末に控えた本番の演奏は、8時間くらいかかってしまうのではないだろうか。

とりあえず今週のどどさんの頭の中は、
『トゥナーーイ、トゥナーーーイ。』
でいっぱいである。

10/30  < West Side Story その2>
 1)小学校の低学年から高校生が所属する Westchester に拠点を置く、演劇カンパニー、『 Lighthouse Youth Theartre 』の“ West Side Story ” の3公演を 無事終了。

 なにはともかくバーンスタインの音楽に惚れた。 とてつもなく演奏するのが難しいが、美しいのである。 スコアを買って勉強してみたくなった。 どどさんの『すごい人っているなぁー。』リストにバーンスタインが加えられた事はいうまでもない。

 さらに、この役者の子供達の芸達者ぶりに感服した。 6週間という短期の稽古期間でよくもまぁ、できるものである。 この劇団の監督の指導力と子供達の情熱の結晶なのかしら。
 1週間の準備期間で、ストリングセクションをシンセで弾かなくてはいけなかったどどさんであったが、仮に6週間の時間をもらっていたとしても、本当のヴァイオリンでストリングセクションを弾きこなすことはかなり難しいだろう。
 子供達は、6週間でこの難しい音楽を歌って、踊って、さらに演じたのである。 えらいものだ。 エンターテイメントはアメリカの誇る文化と言われるが、こういう草の根レヴェルの高いクオリティを間近で見ると、ちょっと納得してしまうのである。

 2)百々徹史上、最も忙しかった10月だったかもしれない。
 SOMI がフランス領ギアナに連れて行き、Carolyn Leonhart がロングアイランドの東岸のモントークの近くのクラブで演奏させ、 Wayne Escoffery が NY の Smoke で演奏させ、あげくに『 Lighthouse Youth Theatre 』が、Tarrytown Music Hall でシンセでストリングを弾かせた。
 僕の参加した Pete Zimmer の新作 CD『 Judgement 』 Chris Baker の CD(タイトルまだ知らされていない)も今月発表された。
 Jazz CIty Label の有賀社長と NY でミーティングもした。
 黄熱病にはならなかったが、風邪をひいた。
 かなり新しいはずの愛車(2005年製)が、故障した。
 かなりセンスがいいと思っているゴルフだが、150を切れない。
 こうして2006年も終盤を迎えようとしている。

11/11  < 116 West 238 St.にネズミ現るの巻>
Day 1
 調味料が入っているキッチンの引き出しを開けると、味噌汁の鰹ダシの素が一面に散らばっていた。 ダシの入ったビニール袋を見ると、開封口の近くに、直径2センチほどの穴が開いていた。  袋を開けた際に、力を入れすぎて破ってしまったのだと思った。 袋に残っていたダシをジップロックに詰め替えた。

Day 2
 翌日引き出しを開けると、またしても鰹ダシの素が一面に散らばっていた。 見れば、ジップロックの袋に穴が開けられてあった。   その日の夜、居間の廊下を猛ダッシュで走る黒い影を見てしまった。 味噌汁のダシが好きなんて、奴は日系か。  戦いが始まった。

Day 3
 コンビニで『 TOMCAT 』を買ってキッチン周りに6パックほど設置した。 4センチ四方の紙袋に大量に毒薬カプセルが入っているのだ。
 その夜、その袋が破られる音を聞いた。 『 TOMCAT 』の説明書には、4、5日で死体があがる、と書いてあった。

Day4
 翌朝、ひとつの『 TOMCAT 』の袋が開封され、青色のカプセルが床に散らばっていた。 きっと食べたに違いない。
 『勝利宣言』をしたその夜  眠りについて間もない頃、耳元で書類の紙が擦れる音を聞いた。 慌てて部屋の明かりをつけると、黒い影が僕の足下めがけて突っ込んできた。
「ウギョーーーーーーーーーーー!」
恐怖におののき腰がひけるどどさん。
それを見て爆笑するどど夫人。
キッチンの影に消えていく黒い影。

Day 5
キッチンのゴミ箱に入れてあるビニール袋の取手部分がギザギザに破れていた。 黒い影は、味噌汁のダシというよりビニール袋が好物なのだろうか。 変態か。
 キッチン周りをよく見ると、要所要所で、黒ゴマのようなものが落ちている。 黒い影の糞に違いない。

Day 6
 今この作文を書いている最中、キッチンのゴミ箱付近で、カサコソ物音が聞こえてきた。 勘弁してほしい。 『 TOMCAT 』の効能が一日も早く現れるのを切に祈る『 JAZZCAT 』が一人。

11/12  < 116 West 238 St.にネズミ現るの巻_その2>
Day 7
 毒薬ピルの効能を待つだけでは頼りなく思えて、近所のスーパーで、昔から使われているギロチンスタイルのマウストラップを2機購入。 使用説明書には餌にピーナッツバターを使うように書かれてあったが、どどさん迷わず、味噌汁の粉末ダシを盛り、キッチン周りに設置。

 深夜2時30分頃、静寂をやぶるバシーンという乾いた音が聞こえた。 頭部をつぶされたネズミが息絶えていた。 ダシに並んで好物だったビニールのゴミ袋の中にネズミトラップを放り込み、アパートのゴミ処理場に捨てた。

 毒薬ピルという化学兵器より、ギロチンという肉弾兵器の方が、敵の捕獲に効果的だった事は、今後の戦略方針の参考の為に、ここに記録しておこう。

 ところで、この戦争には勝利したとはいえ、キッチン周りに設置した毒薬ピルともう一台のギロチンマウストラップの片付けの時期をめぐっては議論が二分する。

 116 West 238 St.のアパートの建物内にはネズミが繁殖していることは明らかだ。
 また新たな襲来があるのではないだろうか。

 しかしいつまで、毒薬ピルとギロチンを置いておくべきなのか。
 味噌汁ダシが切れてしまって、そういえば、あのギロチンの中にダシがあったなぁと思い出し、ふと指をつっこんでしまい、ギロチンが降りてきて、どどさんの音楽活動に多大な被害を及ぼす危険性は計り知れない。

 撤収か、駐留か。

 合衆国の中間選挙で民主党が上院下院ともに過半数の議席を獲得したが、このネズミ騒動の解決策への希望の灯りとなるのであろうか。

11/20  < 激闘の7日間 その1 >
11月12日(日)
 6pm Smoke にて Carolyn Leonhart のライヴに参加。  7:45pmまでに終わるはずが、おして、8:05pmに終了。  Cleopatra's Needle のジャムセッションのホストの仕事は 8pmから。
 10ブロック程 南にある Cleopatra's Needle までタクシーに乗るべきか、乗らぬべきかを考えながら、走った。 結局、息ゼーゼーさせながらクレパトまで完走。 やはりタクシーに乗るべきだったと反省した。 30分遅れでクレオのジャムセッションホスト業開始。

11月13日(月)
 ハーレムに最近できた Pier2110 というレストランにて SOMI のライヴに参加。
 なんとなく、お客さんも少なく、しかも皆それぞれおしゃべりが大きくなった。 ショーというよりは、 BGM のような仕事になった。 SOMI、少々不機嫌。
 あげくに、オーナーから、

『あなたのファンはどうして来ないの? あなたの動員力をこちらとしても期待してるんだけどねぇ。』
等と言われたものだから、SOMI は、

『今日は、マネージャーがとってきた仕事だからやっただけなの。 失礼ですけど、私は普段こういうレストランでは演奏しないの。』
強いなぁ。

11月14日(火)
 ミッドタウンの Gotham Hall で、とある団体のパーティに SOMI バンドで参加。 ゲストスピーチにビル・クリントン前大統領が登場。
 パーティも佳境にさしかかった時に SOMI バンドの40分のライヴ。
3曲ほど終わった後に、ステージ袖から、話かけてくる白髪の男性。

『 Hey, Can I sit in? 』

 なんとクリントン前大統領、やおらサックスを取り出し、 SOMI バンドに乱入。 パーカー並みの腕前を披露し、開場は大盛り上がり。

 3曲ほど終わった後に、ステージ袖から、話かけてくる白髪の男性  から、の文章からあからさまに嘘を書いているが、クリントンが演説した舞台で、(演説後、護衛に囲まれて、すぐに開場から姿を消した後に、)どどさんも演奏した事だけは本当だ。
11/20  < 激闘の7日間 その2 >
11月15日(水)
 最近 NYU(ニューヨーク州立大学)を卒業したばかりの、とある韓国人女性歌手のライヴに参加。 開場は Jazz Gallery。 彼女、会場をレンタルしたらしい。
 聞く所によると、もともとは、ビッグバンドを使って、カーネギーホールの小ホールを借りて、コンサートを企画していたらしい。
 そのかわり、規模を縮小して、サックスを入れたカルテットをバックに、Jazz Gallery でライヴを行った。
 バンドメンバーにも、それ相当のギャラを、彼女のポケットから払っている。 
 何はともかく、野望を持った彼女の行動力と資金力に感服せざるを得ない。 この業界、お金がないと駄目、という現実をちょっと感じる今日この頃。

11月16日(木)
 Pete Zimmer の新作 CD『 Judgment 』の発売記念ライヴに参加。 開場は KITANO Hotel。  George Garzone と Joel Frahm の2テナーをフロントにしたバンド。 2人が真剣にガチンコ勝負しているのが伝わってきて、どどさんのコンピングさばきにも熱が入った。 テナー奏者を2人並べるのは危険だ。
全く関係ないが、メントスとコーラを混ぜるのもとても危険らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=Jyn8HJuSLsc

11月17日(金)
 Wayne Escoffery(テナーサックス)と Carolyn Leohart(ヴォーカル)の双頭バンドのレコーディングに参加。
 スタジオは増尾さんの The Studio。(Kacoさん注目!)
 メンバーは、ドラムに Jason Brown 、ベースに Hans Glawischnig 。
 初日は変拍子 & パワー全開の曲中心に収録。 繊細なタッチが売りのどどさんには珍しく、 Jason にあおられて、ガンガンとピアノを弾いてしまったかも。

11月18日(土)
 レコーディング2日目は、ドラムが Carl Allen だった。 ミディアムテンポからバラード中心の曲目を収録。 仕上がりが楽しみ。 来年ドイツのレーベル、『 Nagel-Heyer 』から発売される予定。

Wayne の情報はこちら。 けっこう色男よ。
http://www.escofferymusic.com/

Carolyn の情報はこちら。 二人は実は夫婦よ。
http://www.carolynleonhart.com/

 まばたきの回数をしぼって難しい譜面を読みこなし、機関銃のような激しいドラムとテナーの音をヘッドホンから長時間浴びて、どどさん、フラフラになったが、レコーディングを終えて、アップタウンにある Makor というライヴスペースでの SOMI ライヴに参加するために走った。
 50ブロック程の距離を本当に走ったら息ゼーゼーするのを11月12日の体験で学習したので、タクシーに乗ろうと思った。 しかし地下鉄に乗った。 問題は僕の貧乏症にある、という事は明らかだ。
 ライヴは成功。 SOMI ご満悦。
11/20  < 激闘の7日間 その3 >
11月19日(日)
 昼にとあるレストランで BGM の演奏仕事をする。そしてその後、Cleopatra' Needle のホストの仕事。

 正直、疲労困憊状態だった。 耳も目も指もグロッキーだった。 こういう時に限って、ピアノの人はあまり遊びにきてくれないのである。  Dan Nimmer 君しか来てくれなかったので、ほとんど、どどさんが弾いた。

 気をぬくと倒れそうになる瞬間もあった。 棘のついたムチを自分の肉体に振り下ろし傷つけることで、神への忠誠を深めるダヴィンチコードのシラスのように、どどさんも
『俺って、めちゃめちゃ売れっ子じゃないか!!』
と何度も激しく自分に語りかけることで、ジャムセッションの仕切り仕事を乗り切ることができた。

 終了後、クレパトの隣のカフェでのお茶会中、(遊びにきてくれた日本人ミュージシャン達とぐだぐだ話をするのが習慣になっている。)後ろのテーブルに一人で座っていた中年の黒人男性に話かけられた。

 写真家だという彼に
『ジャズをやっているのか?』
と聞かれ、そうだと言うと、

『それなら、アメリカンスタンダードを独自の解釈を加えて演奏しろ。 アメリカンソングをアメリカ人は聞きたいんだ。』

『いつまでも同じクラブでとどまっているな。 もっと大きな会場で演奏するように頑張れ。』

『ただ演奏するだけじゃだめだ。 腰をくねらせて弾く、キースジャレットのようになにか、パフォーマンスでお客を魅了するような技を磨け。 そうじゃないと、アメリカ人は喜ばない。 テレビにも出れない。』

さらには、

『俺もお前もこの国ではマイノリティだ。 すごい才能を見せつけないと、誰も相手にはしてくれないよ。』

と諭された。

 夜中の2時近くに、見知らぬ人から、こんなビジネスアドヴァイスを受けるとは、予想もしなかったどどさん。 ついさっきまで、『 俺って売れっ子! 』で頑張ってきたが、突然、大きな不安が押し寄せてきたのであった。

激闘の7日間ドキュメント、ご精読ありがとうございました。

11/30  <マル秘映像>
 友人に教えてもらったのですが、秘密にしておくにはもったいないので、ここにも書きます。

 まずはここをクリックしてじっくり見て聞いてくださいませ。

http://www.youtube.com/watch?v=mUMzWJ_oVaM

(6分52秒後)

 はい、いかがだったでしょうか。
 どどさんがバークリーの学生時代に書いた『Melancholy Cats』という曲でございます。 今年一月にバークリーのコンサートジャズオーケストラが NY で演奏した時の映像です。 どどさんも会場で聞いておりました。 誰が録画してこのサイトに流したのか謎ですが、今やこうしてネットに流れる時代になったのですね。

 指揮しているのは、在学時の作曲の先生だったGreg Hopkins。 ブリブリとテナーソロを吹いているのは、最近NYに引っ越してきた西口明宏君です。
http://www.geocities.jp/tenor_akihiro/index-jp

 このサイトのコメントで、作曲者の名前は Toro Dodu と紹介されていますが、Toru Dodo の誤りです。
どどさんの名前は日本語圏でも英語圏でもなかなか理解されないようです。 日頃の努力が足りないのでしょうか。

12/6  <長谷川朗帰国>
 7年にわたる NY 生活を終えて、テナーサックスの長谷川朗君が帰国した。
 どどさんが NY で生活するようになって、もっとも長く親しくさせていただいた日本の友人の一人であり、おそらく最も、頻繁にセッションしたミュージシャンであった。

(なにせ、僕が毎週ホストをさせてもらっている、クレオパトラズニードルのジャムセッションに、ひょっとすると僕より出席率が高かった可能性があるくらいだ。)

 人に警戒心を抱かせないルックスと、どんな話でも起承転結をつけて、ひとつの小話にできる巧みな話芸で、人種や性別を超えて愛されるキャラクターであった。

(なにせ、12月3日の僕がホストをさせてもらっているクレオパトラズニードルのジャムセッションで、彼が最後のシットインする日ということで、おそらく史上最多のミュージシャンの出席数を記録したことからも彼の人気の程がうかがえるのである。)

 2004年にレコーディングされた彼のデビュー作『 In This Case 』では、ライナーノーツの執筆の他にピアノの演奏もさせられ、日本ツアーにも連れまわされたりもしたが、とてもいい思い出しかない。

『帰国したら、お金を貯めて、留学したい。』
と先週のお別れランチで彼は僕に語っていたが、いったいどこに向かうのか、相変わらず、彼の自由奔放な演奏スタイルと似て、読めない。
コンピングするのに実に飽きない人間であった。

 この先いつどこでか、わからないが、今から再会が楽しみである。

長谷川朗情報はこちら。
http://www.rojazz.com/

12/15  <松坂投手を応援する>
 松坂投手とどどさんの間には意外に共通点が多い。

国籍は同じだし、インタビューはなるべく日本語の通訳を入れてほしいと思っているし、なにしろ共にレッドソックスファンだ。
(彼にしてみたら、6年で60億円くれる相手を 嫌いにはなりにくいだろう。)

 それに断言しちゃうが、二人ともお金のために仕事をしていない。

 彼は、西武ライオンズ時代にすでに一生暮らせるお金を稼いできたので、いまさら、60億円という数字に心色めくということはないのだろう。

 彼は、ただ野球がやりたいのだと思う。 大観衆の前で、強打者相手に、自分の投げる球を試したいのだと思う。

 どどさんにしても、同じだ。 自分の音楽を創り、それを聞いた人々が喜んでくださればそれでいいのである、

 ただし、60億円くれる球団がどどさんの前にいっこうに現れない事が、これだけ共通点が多い二人の間に、大きな深い溝を造っている。
 この事は、ほんの数パーセントの遺伝子情報の違いが、人間とチンパンジーを隔てている事を思いださせる。

(この喩えでいうと、松坂が人間でどどさんがチンパンジー?)

 ピアノが弾けるチンパンジーの方が、もしかしてどどさんより稼ぐのではないかという新たな心配もでてきたところで、今回の作文を終わろうと思う。
Let's go Red Sox!  Let's go Matsuzaka!

12/18  <『DODO3』英語版の発売計画発表>
 1998年 NY に引っ越してきた頃、なんとか音楽で生活できたらいいなぁと思っていた。 滞在ヴィザの延長もできたらいいなぁと思っていた。

 2000年頃になると、いいミュ−ジシャンと共演できたらいいなぁと思っていた。
 あわよくば、CD デビューとかしてみたいなぁと思っていた。

 2002年頃は、『 ツアー 』をする事自体に憧れを抱いていた。

 2004年頃は、アメリカ人リーダーのバンドで『 ツアー 』に憧れていた。 また、アメリカ永住権取得に燃えていた。 さらに、自分の CD に参加してくれたミュージシャンを連れて日本ツアーをしてみたい、というのもあった。

 そういった憧れが、なんとなく実現してしまった2006年。
(1998年に憧れていた、なんとか音楽で生活できたらいいなぁという思いは、今も変わらずあるんだけれど。)

どどさんが今、憧れていることは、

『百々徹の音楽を日本以外でも売る。』

事なのだ。

 そのための準備を この夏以来 密かに進めてきた。 公表しちゃうが、来年の1月か2月に『DODO3』の海外向け CD が、TORUDODO Music より、発売されます。 アメリカのメディアにも宣伝をかけていく次第。
(TORUDODO Musicって何だ?)

12/27  <今年のクリスマスそして年末>
 1)12月24日(日)、キリスト生誕の前夜、やはりクレパトでジャムセッションのホストをしたどどさん。

 クレパトに到着した際、日本人男性から挨拶を受ける。
『私、日本で物書きしてます。ユウマ、、、、と申します。 どどさんのお名前はよく聞いておりましたが、まだ一度も演奏を聴いたことがなくて、今日、こちらで演奏されているとのことで、伺いました。』

 白いセーター、髪を金色に染めておられる、年齢は50台後半か60歳台か。 単身で、テーブルについて、食事をされていた。

 初対面の方への対応が相変わらず、ぎこちないどどさん。 少し、腰がひきぎみで挨拶をする。

 ファーストセット後、ユウマさんが、歩み寄ってきた。
『どどさんは、やっぱり曲が面白いですよね。 ハーモニーのアイデアがユニークですよね。 次回作の予定等は?』

 どこか怯え気味で応対してしまうどどさん。 しかも、初対面の相手の名前をすぐに忘れてしまういつもの悪い癖がでてしまって、どうにも弱気だ。 勇気を出して聞いてみた。

『あの、すみません、お名前はユウマさんでしたっけ?』

『ユウ マサヒコです。』

あっ!
頭の中の漢字変換機能が作動した。

悠 雅彦さんだ!!
高名な音楽評論家ではないですか!
途端にどどさん、

『悠 雅彦さんですか。 これは失礼いたしました。 初めまして、本日はようこそクレオパトラズニードルにお越しくださりましてありがとうございました。』

何だこの自分の流暢なしゃべりは。
有名な人好きなの、丸出しではないか。

2)12月25日(月)キリストの誕生日に、井上智バンドで Blue Note で演奏した。
(ベースに植田典子、ドラムは高橋信之介。)

 クリスマスの日には、人が入らないという定説を跳ね返すように、2セットともに、ソールドアウト、立ち見まで出る大盛況だった。
(悠 雅彦さんも聞きにきておられた。)

会場の熱気に乗せられるように、どどさんも、少し、興奮気味で、指を使って鍵盤を押さえ込んだり、ずり落ちる眼鏡を指で押し上げたりしたと思う。 7月の日本ツアーの NHKFM 公開録音の時の失敗を、挽回できたのではないかと個人的に思う。 今年は、井上智さんには実に幸せな体験をさせてもらったと思う。 感謝。

3)2006年もいよいよ残り僅か。
大晦日は、NY の郊外で行われるイヴェントに、自分のトリオで参加した後、クレパトに駆け込んで、スティーヴ君のバンドでカウントダウンライヴに参加する予定。(岡崎好朗さんも一緒。)

 ざっとここで簡単に年末のご挨拶を。

 このページを読んでくださった方に感謝。2007年も皆様に喜んでクリックしていただけるよう作文、頑張って行きたいと思います。

 このサイトを管理してくださっている、でしゃばりエディター様には、大感謝。2007年も甘えさせてもらってよろしいのでしょうか。(嫌だと言われると、困ってしまうのだけれど。。。)

よいお年を!!